トーキング・マイノリティ

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燃える闘魂

2022-10-02 21:30:15 | 世相(日本)

“燃える闘魂”と呼ばれた昭和を代表するプロレスラー、アントニオ猪木が昨日死去。暫く前から闘病生活を送っていたことをネットニュースで知っていたが、ついに還らぬ人となった。享年79歳はまだ若いと感じたが、「全身性アミロイドーシス」という聞きなれない難病だった。彼の死で初めてこの難病を知った方も少なくなかっただろう。

 過去記事でも書いたが、学生時代の私はかなりプロレスファンだった。'70年代はゴールデンタイムでプロレスが放送されていたし、特に金曜夜に放送していたテレ朝のプロレス中継は、毎週楽しみにしていたものだった。この中継はアントニオ猪木が率いる新日本プロレスのレスラーが中心のタッグマッチで、登場するレスラーは日本人、外国人共に個性的なタイプが多かった。
 テレ朝プロレス中継の実況担当だったのが古舘伊知郎。後に『報道ステーション』のキャスターを務めた以降はすっかり嫌いになったが、プロレスの実況は素晴らしかった。

 私が金曜夜のプロレス中継を欠かさず見るようになったのは高校生の頃からで、類は友を呼ぶのか、クラスでも私の周囲には結構プロレス好きがいたのだ。ちなみに私は女子高出身なので、芸能人よりもプロレスラーの話題の方を熱く語っていたのは全て女生徒。
 ただ、贔屓するレスラーはそれぞれ好みがあり、藤波辰爾がサイコーというクラスメートがいる一方、ニック・ボックウィンクルが好きという生徒もいた。
 藤波も好きだったが、私はやはり猪木が良かった。私が贔屓している漫画家・青池保子さんも猪木が好きと言っていたことを憶えている。青池さんに言わせると、身体や動きが美しいからとか。

 今日の河北新報でも、第一面を含め全四面で猪木の訃報を載せている。意外だったのは東北とも繋がりがあり、河北新報電子版にも「猪木さん、被災地に思い 気仙沼・階上「元気もらった」」「猪木さん、東北にも縁 仙台のおでん屋行きつけ、十和田に墓建立」という記事がある。内容は紙面と全く変わらない。
 多数のHNを使い、方々のブログを荒らしている真正のクズは、「新聞はネットに記事をアップしていません」とほざいていたが、少なくとも河北新報では紙面と電子版の記事はほぼ同じだし、ネットに記事をアップしている。

 但し河北の電子版記事には、「先年亡くなった最愛の妻田鶴子さん」の一文があるが、妻田鶴子さんが亡くなったのは2019年8月27日だったことを報じるネットニュースがある。wikiの「その他のエピソード」には猪木は生涯4度結婚していたことが載っていて、4人目の妻とは2019年8月に死別したとあるので、河北新報の記事は誤りだろう。

 猪木はプロレス以外にもスポーツ平和党を結成、参議院議員を2期務めたことは憶えている。しかし湾岸戦争前、イラクで日本人が人質となり、その解放に動いていたことは、今日の河北新報記事を見るまですっかり忘れていた。この経緯はwikiの「イラク在留邦人人質解放までの真相」で解説されている。
 しかし、今日の河北新報第一面には、「AP通信は「赤いマフラーがトレードマークで、北朝鮮に30回以上足を運んだ」と紹介」していたことが載っている。これもwikiでは「朝鮮半島問題との関わり」が詳細に描かれている。

 訪朝には総じて日本の世論は批判的だったし、猪木は「スポーツ交流を通じて世界平和を」を理念にしていたという。もし猪木が難病に罹らず健康体だったら、今年はロシア訪問とプーチンとの対話を目指していたかもしれない。
 雑誌SAPIOの2015年2月号のインタビューで彼は、「拉致問題担当大臣が10人以上も代わっているようでは、北朝鮮側もまともな交渉をすることはできない」と言っていたそうだが、北朝鮮側も端からまともな交渉をする気はなかったはず。「朝鮮労働党幹部と信頼関係を築いてきた」と称した猪木だが、広告塔として利用されたに過ぎない。

 北朝鮮への姿勢は残念だが、生涯の最後まで闘魂を燃やし続けた人物だったのは間違いない。またひとり昭和の大物がこの世を去ったのは本当に寂しく、プロレス全盛時代のТV中継が懐かしい。いよいよ昭和は遠くなりにけり。

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