昨年11月24日、「最近のトルコ訪問者の感想」として、北大の町村泰貴教授のブログ記事の紹介があった。記事名は「トルコで日本を思う」、以下はその全文である。
―今回の出張を企画してくれたのはジャーナリスト作家財団というトルコの団体で、日本では日本トルコ文化協会が間に入っている。今日はウェルカムパーティで、明日から二日間のシンポジウム。家族と暴力がテーマだ。
今泊まっているホテルには、金属探知機がある。しかし、鳴っても特に検査があるわけでもなく、フロントも無視している。今日のウェルカムバーティと明日からのシンポジウムの会場となるホテルも同様だ。そちらの方は、専用の警備員がいるのに、ピーっとなった私に、It's OK.という。何のためにあるんだろう?
ところで、イスタンブールのタクシーは乗車拒否し放題。外国人か、金のありそうな人しか乗せようとしない。今日はガイドさんが停まっている空きタクシーに断られ、ところが同じタクシーが私に乗れという。結局20分くらいガイドさんがタクシーを探してようやく乗れた。
昨日の弁護士さんによると、トルコの離婚率はやたらと高いという。結婚するカップルのうち半分くらいが離婚するらしい。しかしそもそも結婚しない日本人よりはマシというべきか。家族のつながりも、日本とは全く異なり、無縁社会などという問題は発生せず、たとえ子供が親から独立して核家族化が進んだとしても、親子・親戚の関係は密なままけいぞくするという。
また、トルコ人の助け合い精神は、もともと強かったが、最近特に強化されてきたらしい。もともとイスラムの伝統から、互助とか寄付とかの文化があるが、最近ではボランティア団体の活動に、周囲のみんなが率先して手助けしたり経済的サポートをしたりということが多く見られるという。
今日も、目の前でバイクが道のトラム軌道にタイヤを取られて転倒していたが、すぐさま数人の男性が駆け寄って、バイクの下敷きになっていた運転者を救助していた。地震の時にパニックにもならず、暴動も起きなかったといって日本社会を誇りに思うことが多かったが、それにしては困っている人を手助けしようという傾向には欠ける気がする。貧困は自己責任とか、不安定雇用は経済にプラスだとか、生活保護は不正じゃないかとか、弱いものを叩く、社会的弱者を叩くことを恥じない連中が多く見られる日本社会は、あまり誇れたものではない。日本を誇りに思うのであれば、弱者にも優しい社会を作る方向に行くべきだと、トルコにいて思う。
町村教授の記事は実に香ばしい内容だった。町村教授に限らないが、「弱者にも優しい社会を」というのが、今時の日本の知識人の掛け声となっている。“弱者”を押し出すスローガンはかつての社会主義の焼き直しにも見えるが、この類の主張をしている知識人は、果たして“弱者”のために身銭を切った支援をしているのやら。せっかく記事を紹介して頂いた madiさんには大変申し訳ないのだが、つい皮肉交じりに次のようなレスをしてしまった。
―私の様なへそ曲がり中東オタクには、「社会的弱者を叩くことを恥じない連中が多く見られる日本社会」「日本を誇りに思うのであれば、弱者にも優しい社会を作る方向に行くべきだ」など、笑えました。良くも悪くも血族社会なので、それが「名誉の殺人」に繋がる。
被害者は必ずしも女性とは限らず、男性、しかも同性愛者の息子も「名誉の殺人」対象なのです。アルメニア人やクルド人との確執も治まっていない。あちらなら「社会的弱者」を叩く前に始末することも。
その二に続く
◆関連記事:「トルコに反日感情高まる?」
「クロッシング・ザ・ブリッジ/サウンド・オブ・イスタンブール」
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