トーキング・マイノリティ

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行かず後家シンドローム

2017-06-01 21:40:29 | 読書/ノンフィクション

『日本人へ~危機からの脱出篇』(塩野七生著、文春新書938)を、先日再読した。実に読み応えのあるエッセイ集と改めて思ったが、本筋とは離れた感想もある。同性には厳しいことで知られる塩野氏だが、「ふるいにかけることの効用」というコラムでは「行かず後家」という言葉を何度か使っている。
 さらにこの章では、「行かず後家症候群」「行かず後家シンドローム」という表現まであるのだ。こうなると、刺激的で品位に欠けるにせよ、コラム名は「行かず後家シンドローム」の方が相応しいのかもしれない。

 件のエッセイが描かれたのは民主党政権時代である。新内閣がスタートした途端、早くも閣僚の辞任騒ぎとなり、それを作者は総理の任命責任を問うのではなく、こういうふるいのかけ方もあるのだな、と思いながら聴いていたそうだ。
 先ず、政権をとって以降の民主党は内閣には、舞い上がってしまいどう言ったり行動したらよいかも分らなくなり、その挙句に辞任に追い込まれる人が少なくないようだ、と述べている。政治家全体の質が劣化した結果、自民党や他の党でも変りはないだろうが、と前置きした後、その背景を作者は行かず後家、つまり野党ズレした人が民主党には多いからではないか、というのだ。続けて作者はこう述べる。

人間も花に似て、いずれはしぼんで枯れる運命にある。故にそうなる前に、全開の時を待つ必要がある。行かず後家とは、満開になることなく半開きのままで枯れていくタイプをいう。この種の現象は花ならば枯れたら捨てて終りだが、国と国民の生来を左右するほどの強大な権力を与えられている首相や大臣までが行かず後家症候群に冒されるようになっては、国民としては絶望しかなくなってしまう。
 なぜなら、行かず後家シンドロームの悪い処は、半開きでいた期間にカンを磨く機会がなかったために、いざそれを駆使しなければならない時が訪れても、そのカンが思うように働いてくれないところにあるのだ…

 そして政界以外のケースとして、「出版の世界でも、優れた編集者が優れた筆者になれる率は限りなく低いし、行かず後家でずっと来た女が良き妻に変身する率も低い」と辛辣に述べている。
 売文業者でありながら、作者はマスコミに厳しい目を向けており、「なぜ人々はマスコミから離れるのか」という章でもこう書いている。
なのにマスコミは、政権をとるまでは持ち上げておきながら、政権をとるや手の平を返したように、あることないことに批判を浴びせる。いや、批判ではなく非難だ。行かず後家の意地悪、とでも言いたいくらいに

 上文のマスコミとは、日本ではなくイタリアの例だが、ここでも行かず後家の言葉がある。耳が痛い、と感じた行かず後家、つまり結婚歴のない独身女性もいたかもしれない。もちろん、行かず後家全てがこのような意地悪根性の持ち主とは限らないし、あることないことに批判を浴びせる既婚女性も少なくない。ちなみに作者(1937年生まれ)はバツイチ女性。
 作者による行かず後家への見方は、いささかステレオタイプに感じられなくもない。尤も日本のメディアに盛んに登場する“行かず後家”には、そのタイプが目につく。作者が連想している行かず後家が誰なのかは不明だが、フェミニストとしてTVに盛んに登場するTセンセイ、河北新報でも識者と紹介していた上野千鶴子などが浮かんだ読者もいたのではないか?

 行かず後家シンドロームは何も政界に止まらず、メディアでも蔓延っているのだ。マスコミは常に政治家に倫理を求めるたがるが、作者がそんなことを言っても始まらない、倫理など、それを喧しく言うマスコミ関係者からして持っていないではないか、という一文にはまさに禿同!と言いたくなった。また作者は、マスコミの基本姿勢をも行かず後家の意地悪と呼んでいる。

政府となれば誰が率いていようと反対し、権力は何であろうと悪と決めつけ、政府には無関係の私生活までほじくり出してはスキャンダルとわめき立てる。これこそ行かず後家の意地悪で、何故なら、自分は手にしたことはない権力を持っている人に対しての、姑息で浅はかで程度の低い羨望と嫉妬にすぎない

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