トーキング・マイノリティ

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酒を愛したムスリム詩人 その①

2007-02-16 21:20:56 | 読書/中東史
 イスラムに関心のない方でも、酒が禁忌とされているのは知られている。コーラン5章90節にもこう記されている。
「あなたがた信仰する者よ、誠にと賭矢,偶像と占い矢は,忌み嫌われる悪魔の業である。これを避けなさい。恐らくあなたがたは成功するであろう」
 しかし建前は禁酒でも、実際は酒場も公然とあって大いに飲酒した者がいるのは詩や物語からも知れる。特に11世紀に活躍したペルシア(イラン)の詩人オマル・ハイヤーム(1040頃-1123年)は酒を讃える詩を多く書いている。彼の「ルバイヤート(4行詩)」を一部抜粋したい。

マギイ(ゾロアスター教の司祭)の酒に酔うたとならば、正にそうさ。異端邪教の徒というならば、正にそうさ。しかし我が振舞いを人がどんなにけなしたとて、我はどうなりもしない、相変わらずのものさ。

死んだら湯かんは酒でしてくれ、野の送りにもかけて欲しい美酒。もし復活の日ともなり会いたい人は、酒場の戸口にやって来て俺を待て。

愛しい友よ、いつかまた相会うことがあってくれ、酌み交わす酒には俺を偲んでくれ。俺のいた座にもし杯がめぐって来たら、地に傾けてその酒を俺に注いでくれ。

ムフティ(イラスム法官)よ、マギイの酒にこれほど酔っても、俺の心はなお確かだよ、君よりも。君は人の血、俺はブドウの血汐を吸う、吸血の罪はどちらか、裁けよ。

  アラブに征服され、イスラム化する以前のペルシアはゾロアスター教を国教としていた。この宗教は酒乱は厳しく諌めながらも飲酒を大いに認め、信者には「た まに酒を飲んで陽気に騒ぐように」と、飲兵衛からすれば実に羨ましい教えもある。アラブに支配された祖国から逃れ、唐時代の中国に亡命したゾロアスター教 徒は現地に葡萄酒をもたらした。酒好きの詩人李白も胡酒を大いに好んで飲んでいる。

身の内に酒がなくては生きておれぬ、葡萄酒なくては身の重さにも堪えられぬ。酒姫(サーキイ)がもう一杯と差し出す瞬間の、我は奴隷だ、それが忘れられぬ。

  イスラム化したといえ、ペルシアでは酒場が公然とある有様だった。家でこっそり隠れて飲む、というのではなく、酒場でサーキイの酌を受けながら男たちは飲 みまくったのだ。ただ、サーキイを日本語で(酒姫)と訳しているが、これは日本の酌婦と異なり男、しかも少年が酌をしていた。この少年たちは酌をしていた だけでなく、よく同性愛の対象ともなった。オマル・ハイヤームの時代はトルコ系の美少年が多かったらしいが、未成年者に酌をさせた挙句弄ぶとは、現代人と モラルが違いすぎる。
 ハイヤームはこの他にも到底敬虔なムスリムとは呼べないような詩も書いている。

恋する者と酒飲みは地獄に行くと言う、根も葉もない戯言にしか過ぎぬ。恋する者や酒飲みが地獄に落ちたら、天国は人影もなく寂びれよう!

何人も楽土や煉獄を見ていない、あの世から帰ってきたという人はない。我らの願いや恐れもそれではなく、ただこの命-消えて名前しか留めない!

  オマル・ハイヤームは詩人よりも学者として秀で、数学、天文学、医学、語学、歴史、哲学を修めた万能の人だった。その博学と知性ゆえ、当時の狂信的社会か ら受け入れ難く、無神論者の自由思想家と糾弾されることもあったらしい。しかし、彼の詩は21世紀の日本人から見ても、何と感性が普遍的なことか。現代で もイスラム圏では珍しくもない、宗教的な杓子定規で何事も形式的に律する神学者の説教の無味乾燥さとは好対照。
その②に続く
■参考:「ルバイヤート」岩波文庫

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