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50年目の独白~元連合赤軍幹部の償い~

2022-03-06 21:50:21 | 音楽、TV、観劇

 連合赤軍による「あさま山荘事件」と言っても、令和時代の若者には知らない人が多いかもしれない。2月24日放送のクローズアップ現代のタイトルは「50年目の独白~元連合赤軍幹部の償い~」、元連合赤軍幹部・吉野雅邦の半生が放送されていた。以下は番組HPでの紹介。

連合赤軍「あさま山荘事件」から今月で50年。実行犯のひとりが獄中でつづった“最期の手記”が取材班に託されました。書いたのは身重の妻を含む14人の仲間のリンチ殺人に加担した、吉野雅邦受刑者(73)。
無期懲役を宣告した裁判長から「生き続け、その全存在をかけて罪を償え」との異例の訓戒を受けました。50年かけて到達した“許されざる罪”への省察とは。

 リアルタイムであさま山荘事件をТVで見た中高年世代にとっては忘れられない事件だったし、当時小学生だった私も学校から戻った後、自宅のТVにくぎ付けになって報道を見ていたほど。
 しかし、その直後にあさま山荘事件以上に衝撃的な事件が起きていたことが発覚する。当時の報道ではリンチ大量殺人事件と呼ばれていたが、山中に設置したアジト(山岳ベース)で二カ月足らずで同志12名を殺害した山岳ベース事件がそう。これら二つの事件は日本中を震撼させ、リンチと総括の言葉が小学生の間でも使われるようになる。

 山岳ベース事件の主犯である森恒夫永田洋子の名は知っていたが、吉野のことは番組で初めて知った。ただ、山岳ベース事件で妊娠八か月の妊婦もリンチを受けて死亡したことは憶えていたし、その内縁の夫が吉野だった。
 時間の限られている番組では触れられなかったが、wikiには次の解説があり、改めて事件の陰惨さが伺えた。
吉野は自らが「総括」対象となる怖れから妻を擁護することはできず、逆に「総括」できていることを示すため、彼女が死ぬ直前に森の指示で縛り直したり、森・永田に求められ妻の「開腹」への同意表明をした(永田ら幹部は、妻が死に至るとしても胎児は「全員のもの」として、メンバーの医学部出身者に手術で分娩させる意向を示していた)

 吉野は妻とやがて生まれてくる子を見殺しにしたことを後々悔いることになるが、後年の手紙で彼は、「「二人(妻と子ども)の生命に対する思いは、かなり希薄となっていた」と振り返って「客観的には、私は彼女を自ら犠牲としながら、自己の生命を存続させたと言わざるを得ません」と記している」(wiki)。ちなみに妻はそれ以前にも2度妊娠していたが、いずれも中絶していたことがwikiに載っている。
 番組では親友宛に書いた吉野の手紙が公開されており、達筆で難しい漢字も使っていたのが印象的だった。今は空き家となっている吉野の実家が映され、本棚には吉野の読み漁った本がズラリと並んでいた。読書家だったのは間違いないが本は社会主義思想書ばかり、左翼とはこのような本を読むのか......と感じた。

 実は吉野は山岳ベース事件前にも印旛沼事件を実行しており、男女メンバー2人を官憲のスパイとして殺害する。遺体を印旛沼に遺棄したことでこう呼ばれるようになったが、同志粛清で連合赤軍は一線を超え、山岳ベース事件に繋がっていく。
 番組で最も印象的だったのは吉野を担当した石丸俊彦裁判長。裁判長の判決文では「のちの山岳ベース事件の十二名に対する場合と異なり、吉野にはこれを拒否する自由が残されていた」、「その犯情は、いかなる弁護をも許されないほど悪質であり、その刑事責任は重大である。その重さは後の山岳ベースの十二名に対するものより遥かに重い」とされ、他の事件への加担と併せて無期懲役を言い渡されている。(wiki)

 判決文では厳しく吉野を断罪した石丸裁判長だが、刑の確定後に石丸氏はおよそ40通の手紙を吉野に送り、他人を愛しなさい、自分を愛しなさいと、2007年に82歳で亡くなるまで諭し続けていたそうだ。さらに氏は吉野の妻の墓参りまでしたという。このようなケースは稀らしい。
 吉野の親友は石丸氏がそこまで吉野を気にかけ、支えようとした理由を尋ねたが、返信の手紙には「私は吉野君に自己をみています」とあった。
 1944年、19歳の石丸氏は滅私奉公し、天皇に命をささげると陸軍士官学校に入学。卒業後、ビルマ戦線に従軍し、敗戦を迎えた体験があり、吉野と自分を重ね合わせていたようだ。

 石丸氏の気遣いは立派だが、同じ殺しでも異民族相手の戦争と同民族・同志のリンチでは本質が違うのではないか。一方、取材班は吉野の妻の兄からこんなメールが送られている。
若くして命を絶たれた子を想いながら世を去っていった両親、いかばかりかと。守るべき人間を守らず、あの残酷な死に追いやった人間として今でも最悪で許さざるの人間であるとの認識はかわりません

 あれだけ極悪非道の犯罪を犯して無期懲役とは腑に落ちない方も少なくないだろう。ただ、無期懲役刑でも20年を経ずに出所する受刑者が珍しくない中、吉野は仮釈放もされず半世紀も刑務所暮らしが続いている。刑務所では模範囚だったが昨年体調を崩し、現代は矯正医療センターに入院しているとか。
 共産主義思想書を読み漁り、武力で社会を変えることを志向した若者は、同志の血と命とを踏みにじって生きてきた存在となり果て、国民の血税で手厚い介護を受ける余生を送っている。

 河北新報でも2月末にあさま山荘事件の特集を組んでいたが、この建物は今は香港の実業家が所有していると報じていた。中国の麻薬中毒の青少年の厚生施設として使われているそうだが、中国所有というだけで不気味さを感じる。

◆関連記事:「総括という名のリンチ殺人
実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)

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