トーキング・マイノリティ

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インド・カレー紀行 その②

2018-10-07 21:40:12 | 読書/ノンフィクション

その①の続き
 ドラヴィダ言語学の世界的権威クリシュナムールティ教授によれば、インドで見られる菓子の類いで、甘くミルクから作られたものの名は総て北インドのアーリア語に起源を持ち、カレーで味を付けた豆粉を棒状に揚げた、日本でいえばせんべいの様なムルクその他、辛口のものの名は総て南インドのドラヴィダ語に由来するという。これを以って、著者はこう述べている。
インドの食文化とは、このように南インドで成立し、スパイスを混合して味付けをする「カレー文化」と、ミルクを油、バター、ヨーグルトなど、さまざまな形で料理にとりいれる北インドの「ミルク文化」が、長い歴史の過程でうまく融合し、それによって築きあげられたものなのである」(37頁)
 
 広大な国ゆえ、インドの食文化には対立的な要素もある。麦と米のどちらを主食とするか、また人々が、肉や魚を食べるか食べないか、つまり、ノン・ヴェジタリアンかヴェジタリアンかの対立など。特に牛肉をめぐる対立は、インド国内で常に騒動となる。
 例えば著者が非常に親しくしていたデリー大学のD.N.ジャー教授が、インドではイスラム教徒がやって来る遥か前から、バラモンですら牛肉を食べていたという内容の本を出版しようとして、2001年に大騒動となっている。

 ジャー教授はインド古代史が専門、その本は多くの確実な史料に基づく学術的価値の高いものだったにも関わらず、彼はインド人民党(BJP)支持者たちから、ヒンドゥー教徒、ジャイナ教徒、仏教徒の心情を傷付けた(ジャイナ教徒、仏教徒は不殺生の立場から肉食に反対している)として糾弾され、何と本はハイデラバードの高等裁判所で発禁処分にされた。2001年当時はBJPが政権を取っていた。
 教授の暗殺や逮捕もささやかれ、教授は身の危険にさらされたという。本は翌年ロンドンで出版され、2004年にBJPが政権の座を失ってからは教授の生活も平穏を取り戻す。件の本のタイトルは「The Mvth Of The Holy Cow」。

 その後、教授はデリー大学を停年で辞めたが、著者が2008年にデリーで会った時も元気で、2009年にはその本がインドで出版されている。尤も2014年にはBJPが再び政権に就いており、ジャー教授とその著作がどうなったのか、少し気になる。

『河童が覗いたインド』(妹尾河童 著、新潮社)にも興味深い話が載っている。急進的ヒンドゥー教徒が「聖牛畜殺反対運動」を起こし、1967年の抗議デモで国会を包囲したことがあり、警察と激突して双方に数百人の死傷者が出た。翌年夏の国会での食料農業担当のジャグジー・ヴァン・ラーム大臣の発言が大論争に発展する。大臣は国会でこう言ったのだ。
今のヒンドゥー教は教義を狭めすぎている。古代のインドでは“牛”を食べていた。聖典のヴェーダにも書いてある。だから“牛”の畜殺禁止を法定化するのは適切ではない」(文庫版37頁)

 実は仏教以前の古代インドでは、牛を生贄にしていたのだ。単なる宗教儀礼のため、大量の生き物を殺生することへのアンチテーゼとして起こったのが仏教やジャイナ教だったが、ヒンドゥー至上主義者にはとても受け入れ難い史実だろう。21世紀になっても牛はもちろん、ヴェジタリアン、ノン・ヴェジタリアンの問題は、インドで重大なのだ。

 北インドの料理は早くからインドの広い地域で食べられたきたが、1980年代には中産階級も増え、南インドの料理が北インドでも食べられる状況が生まれてきた。そこから地方料理に対する関心がインド全土で高まり、料理本の出版を促す。これまでは「地方地方」の料理でしかなかったものが、「インド」の料理になり、そこから初めて「インド料理」が創出されることになったという。
 さらに経済成長やグローバリゼーションの波、食品加工の技術革新は、一般家庭の料理も変化させた。かつては家庭の主婦が朝早くから重い石臼をゴロゴロまわし、生のスパイスからカレー・ペーストを作っていたが、やがて電動石臼、そして調合されたカレー粉になる。
 レトルトの各料理までもが出現しており、それらが身近なスーパーやモールで買えるようになった。ついにインドでも、レトルトカレーが食べられる時代になったのだ。尤も日本と同じく、レトルトを使った等と、主婦の“手抜き”を批判する保守的な年配者もいるかもしれない。

 著者の辛島昇氏の名はこの書で初めて知ったが、 2015年11月26日に享年82歳で死去している。歴史学者で「南アジア地域研究」の第一人者的人物のみならず、タミル語刻文研究の世界的権威でもあったことがwikiに載っている。学術研究はそっちのけ、虚偽や妄想を書き殴る自称学者をネットで見かけるが、真の学究の徒とは辛島氏のような人物だろう。

◆関連記事:「食を巡り宗教対立

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2 コメント

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Unknown (鳳山)
2018-10-15 22:21:27
大変興味深く読ませていただきました。インド文化、歴史の話、もっと深く知りたい欲求があります。辛島昇氏、名前だけは聞いたことがありますが今度本を探してみます。
鳳山さんへ (mugi)
2018-10-16 21:29:44
 辛島昇氏の著書は初めて見ましたが、とても面白かったですよ。本当にインドの文化や歴史は奥が深いですよね。釈迦がカレーを食べていなかったことは、案外知られていないかもしれません。