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名画で読み解く ロマノフ家12の物語 その一

2021-07-15 21:40:19 | 読書/東アジア・他史

『名画で読み解くロマノフ家 12の物語』(中野京子 著、光文社新書)を読了した。本書を読んだのは、今月初めに河北新報の第一面に載った『名画で読み解く プロイセン王家12の物語』(光文社新書)の広告を見たから。「発売たちまち3刷!中野京子、人気市リース最新刊!シリーズ累計32万部突破!」等のコピーに釣られ、読んでみたくなった。

 行き付けの図書館に行ったら最新刊は既に予約済みだったが、本書と「ブルボン王朝12の物語」「イギリス王家12の物語」は在庫があった。私は欧州の王家の物語にはあまり興味がない上、ロシアの歴史も浅学だが、西欧の歴史とは違うロシアの物語は面白そうだと思い、本書を借りることにした。
 先日ТVで映画『ニコライとアレクサンドラ』を見たばかりなので、第11章「皇帝ニコライ二世」も興味深かったが、本書は思った以上に面白かった。尤も本書に見るロシア史の印象はおそロシア、の一言だった。以下は表紙裏にあった解説。

絶対君主制はおそらく滅びるべくして滅んだ。そんな中、どこよりもロマノフ王朝の終わり方が衝撃的なのは、連綿と続いてきた無気味な秘密主義に根ざしているからでしょう。水面下で密やかに物事が処理されるため、人々はもはや公式発表も通達も信用しなくなる。飽きもせず語られてきた、「実はまだ生きている」貴人伝説の源もここにあると思われます。(「あとがき」より抜粋)
 始祖ミハイルが即位した1613年から、一家全員が処刑されたニコライ二世までの300年余を、十二枚の絵画とともに読み解いてゆく。幽閉、裏切り、謀略、暗殺、共産主義革命―愛と憎しみに翻弄された帝政ロシアの興亡は、ハプスブルク家ブルボン家ナポレオンなどとも密接に絡み合う。
『名画で読み解く ハプスブルク家12の物語』『名画で読み解く ブルボン王朝12の物語』に続く「名画で読み解く」シリーズ、待望の第三弾。

 タイトル通り本書は12の物語で構成されているが、先ず前史がある。前史の冒頭の一文、「ハプスブルク家の源流がオーストリアではなくスイスの一豪族だったように、ロマノフ家の始祖もまたロシア生まれではない」とは知らなかった。続けて著者はこう記している。
「十四世紀初頭、プロイセンの地から――後世におけるドイツとの深い関わりを予感させる――ロシアへ移住したドイツ貴族コブイラ家が、息子の代でコーシュキン家と改姓し、さらにその五代目のロマン・ユーリエヴィチが、自らの名ロマンをもとにロマノフ家へと再変更した。リューリク朝 イワン雷帝の時代である」

 ロマノフ王朝には、女帝ながら大帝と冠されるエカチェリーナ二世がいる。これまで私は何故ドイツの小貴族の出であるエカチェリーナ二世がロマノフ家に嫁いだ理由が分からなかったが、本書で納得がいった。当時ロシアは欧州諸国から僻地の二流国家と思われており、到底ブルボン家等の名門とは縁組できなかったという。そのためロマノフ家と婚姻関係を結べるのはドイツ貴族、しかも小貴族だった。
 トップ画像は第5章コンスタンチン・フラヴィツキー『皇女タラカーノヴァ』。フラヴィツキーという画家もタラカーノヴァの名も初耳だが、タラカーノヴァはエカチェリーナ二世に関わりがあった女性。ズバリ言ってエカチェリーナ二世に始末された人物である。

 1772年、皇女タラカーノヴァと名乗る美女が忽然とパリに現れる。美女は今は亡きエリザヴェータ女帝ピョートル大帝の娘)と愛人ラズモーフスキー伯爵との間に生まれ、密かに欧州で育てられたと云う。エリザヴェータ女帝は独身を貫いたものの、ラズモーフスキー伯爵との仲は公然の秘密であり、子供が複数いたという噂も根強かった。但し著者に言わせると、ロシアは僭称者や偽証者の宝庫でもあるとか。
 パリでの評判はエカチェリーナ二世の耳にも届く。一滴もロシア人の血をひかぬ彼女にとって、ピョートル大帝の孫娘と称するタラカーノヴァの存在は、例え嘘でも苦々しい。国内の反政府派がタラカーノヴァを利用する恐れもあり、女帝は側近に命じ、彼女をロシアに連行させる。

 ロシアに着いた「皇女」を待っていたのは、逮捕、拷問、拘禁、そして「病死」ないし「溺死」であった。1777年、記録的大洪水がペテルブルグを襲い、犠牲者の中にはネヴァ川沿いのペトロパヴロフスク要塞の独房に拘禁されていたタラカーノヴァも含まれていたとされる。フラヴィツキーの描いた『皇女タラカーノヴァ』は、その言い伝えを絵画化したもの。
 公式にはタラカーノヴァは洪水より2年前に病死したとされているが、「隠匿体質の黒い宮廷の裏で実際に何が起こったのか、知れたものではない」。何しろ夫であるピョートル3世を殺して皇帝になったエカチェリーナだ。
その二に続く

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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
エカチェリーナ (スポンジ頭)
2021-07-15 22:12:09
 アンリ・トロワイヤの「女帝エカテリーナ」にタラカーノヴァの話がありました。イスファハンで生活したとか支離滅裂な話をし、本当に皇女かどうか分からないのですよね。最後は要塞で健康を害し、碌に医者にも見てもらえず極寒の中、喀血したと言う最期でした。エカチェリーナは自分に逆らうものは徹底的に潰すつもりだったとこの本でも述べられています。

 ロマノフ家はナポレオンとの縁組まで出てきたので、エカチェリーナの時代に大いに国力を伸張させ出世したのですね。ちなみに、ルイ十六世を酷評したリーニュ公はエカチェリーナの社交界でも人気を博しており、当人もエカチェリーナを称賛する個人的な文書を遺しています。マリー・アントワネットの兄のヨーゼフはエカチェリーナを陰で貶していました。

 ところで、参考文献はありました?
Unknown (鳳山)
2021-07-15 23:38:54
私もロマノフ家がドイツにルーツがあるとは知りませんでした。ロシア土着の貴族だと思っていました。エカチェリーナ2世がロマノフ家に嫁いだのも納得ですね。
Re:エカチェリーナ (mugi)
2021-07-16 22:41:28
>スポンジ頭さん、

 私はアンリ・トロワイヤの「女帝エカテリーナ」は未読ですが、末尾の主要参考文献にトロワイヤの『恐るべき女帝たち』が挙げられています。本書にもタラカーノヴァが高級娼婦をしていたという説が紹介されていますが、正体は女詐欺師だったかもしれませんね。
 皇女を騙った高級娼婦だったとしても、悲惨な最期を遂げました。国王の孫を僭称していても、他の欧州諸国ではここまでやらなかったと思います。或いはエカチェリーナだったから過酷な処置をとったのやら。

 リーニュ公とは「会議は踊る、されど進まず」の言葉を遺した人物ですよね?彼は敵であるはずのフリードリッヒ大王にも心酔していたので、ルイ16世の様な国王を酷評するのは当然でしょう。

 ヨーゼフがどうエカチェリーナを貶していたのかは知りませんが、あの男性遍歴だけで貶されるでしょう。王冠をかぶった娼婦と呼ばれても仕方ない。
鳳山さんへ (mugi)
2021-07-16 22:47:41
 ロマノフ家のみならずリューリク朝の祖もノルマン人だそうです。ロシアの諸族は互いに争って秩序がなかったため、使者を送り、彼らを統治してくれるように頼んだとか。ロシアは非ロシア人の統治の方が国が発展するようです。
エカチェリーナ その2 (スポンジ頭)
2021-07-16 23:25:00
>末尾の主要参考文献にトロワイヤの『恐るべき女帝たち』が挙げられています。

 この本では「あり」ですか。やはり、かの本では書けなかったのですね。多分ご本人は本を書く際に日本語訳が出ている本しか読まれていないと思いますが。タラカーノヴァの最期を見ても、結局当時のロシアはやはり中世ですね。他にも幼児の頃から幽閉されていた帝室の人間とかいますし。

> リーニュ公とは「会議は踊る、されど進まず」の言葉を遺した人物ですよね?

 そうです。最後は会議中に病死しますが、「陸軍元帥の葬式を会議の景物として見せられるとはありがたい」と言ったとかで、流石にこの辺りは18世紀の貴族です。そしてリーニュ公が評価するフリードリヒ大王は、ルイ十六世にとって「地上に落ちてきた隕石」のような人物でしょう。リーニュ公とルイ十六世では価値観が違いすぎます。

> ヨーゼフがどうエカチェリーナを貶していたのかは知りませんが

 表向きの文章ではエカチェリーナを絶賛していましたが、秘密の手紙では「自分の事しか考えていない」と評していました。君主としての評価はエカチェリーナの方が上ですが。また、エカチェリーナもヨーゼフの表裏のある性格を陰で批判していました。

>あの男性遍歴だけで貶されるでしょう。

 ただ、ロシア貴族は名誉と思っていたようで、彼女の愛人中、愛人になったことを家族から批判されていたのは一人だけです。個人的には、愛人をポーランド王にして国を分割した手腕には驚かされます。
Re:エカチェリーナ その2 (mugi)
2021-07-17 22:28:39
>スポンジ頭さん、

 主要参考文献には一応ドイツ語らしき文献が2点載っています。他にトロワイヤの作品は「大帝ピョートル」「アレクサンドル一世」がありました。
 エカチェリーナの時代でも西欧に比べロシアの後進性が伺えます。オスマン帝国も「黄金の鳥かご」に幼児の頃から帝室の男児を幽閉していましたが、王朝の血統を絶やしてしまわないための方策でもありました。こうしてみるとロシアは欧州というよりもアジア的に思えます。

 エカチェリーナは確かに「自分の事しか考えていない」女帝ですが、君主の力量はヨーゼフよりずっと上。もしヨーゼフがロシア皇帝だったら、エカチェリーナのように国力を増大できなかったと思います。時代の風潮もありますがヨーゼフは妙に啓蒙君主ぶり、それが「表裏のある性格」と批判されたのやら。

 多数の愛人を持つのは結構でも、愛人との間に子供まで儲けていますよね。西欧なら退位ものですが、これが通るのはいかにもロシアらしい。尤も愛人に溺れるのではなく、愛人を踏み台にしてのポーランド分割はさすがです。
エカチェリーナ その3 (スポンジ頭)
2021-07-17 22:46:22
> 主要参考文献には一応ドイツ語らしき文献が2点載っています。他にトロワイヤの作品は「大帝ピョートル」「アレクサンドル一世」がありました。

 ドイツ語らしき文献はあるのですね。失礼しました。それならなおさらかの本で参考文献を書かない理由が不明です。また、ピョートルやアレクサンドルの本は私も読みました。正直、アレクサンドルの肖像画を見ながら、どこがハンサムなのか首を捻りましたが。個人的には、無軌道なピョートルの方がアレクサンドルより印象が遥かにマシでした。

>こうしてみるとロシアは欧州というよりもアジア的に思えます。

 アンリ・トロワイヤも「アジア的」と言う言葉を繰り返していました。しかし、日本人の私は「日本じゃなくて中央アジアじゃん」と思いながら読んでいました。

>もしヨーゼフがロシア皇帝だったら、エカチェリーナのように国力を増大できなかったと思います。

 ヨーゼフは意志はあっても実力が伴わないのですよね。ただ、民衆の評判は手に入れました。

>西欧なら退位ものですが、これが通るのはいかにもロシアらしい。

 一応、隠し子ですのでおおっぴらではありませんが。ただ、ロシアではエカチェリーナの時代でもピョートル三世以外の皇族が幽閉されて殺されているので、「まず実力」なのでしょう。正直、スコットランド女王のメアリーより遥かに君主でした。 
Re:エカチェリーナ その3 (mugi)
2021-07-18 22:41:04
>スポンジ頭さん、

 著者の本業はドイツ文学者なので、ドイツ語の文献は読めるはず。にも関らずかの本で参考文献を挙げないのは意味深ですよね。

 アレクサンドルは西欧に何故か評判がいいし、戦前のドイツ映画『会議は踊る』でも理想的君主の扱いでしたね。肖像画を見ると長身でスタイルはいいのですが、ハンサムには見えませんでした。ナポレオンはパリの洒落者と言っても通る、と褒めたこともあったとか。
 本書には会議で感謝の念を示さないプロヴァンスやタレイランの姿勢に、アレクサンドルが苛立っていたことが載っていました。改めてタレイランの凄腕には感心させられます。

 ひと口に「アジア的」と言っても、アジアも様々でしたね。確かに中東よりもロシアは中央アジア的です。やはりタタールの影響が大きい。

 生前のエカチェリーナは民衆を締め付けましたが、現代は民衆の評判を得ています。それでも皇族を幽閉、殺していたのは中世的です。エカチェリーナならスコットランド女王のメアリーのようなヘマは考えられない。
アレクサンドル (スポンジ頭)
2021-07-19 23:03:54
> 本書には会議で感謝の念を示さないプロヴァンスやタレイランの姿勢に、アレクサンドルが苛立っていたことが載っていました。

 タレイランは分からなくもないのです。フランスが他国と対等の関係であると見せたいがためでしょう。しかし、プロヴァンスは亡命生活中、ロシアにも滞在し、比較的よい扱いを受けていたはずですけど。エカチェリーナの息子のパーヴェル一世が皇太子時代に夫婦でプランスへ旅行し、ヴェルサイユで大歓迎を受けました。だからパーヴェルは亡命者を受け入れたのです。それが感謝の念を示さないのはよい気がしませんね。

 ついでに、パーヴェルはマリー・アントワネットに向かって自分の母親の悪口を言っていました。聞かされる方も迷惑千万だったでしょう。ピョートルにしてもエカチェリーナにしても、君主としたの力量と家庭生活の質が反比例するのは何故でしょうね。アレクサンドルもエカチェリーナの教育が間違っていた結果に見えますし。

 しかし、タレイランはナポレオンに使えながらアレクサンドルとも懇意で、よく立ち回ったものだと思います。
Re:アレクサンドル (mugi)
2021-07-20 22:47:33
>スポンジ頭さん、

 タレイランの凄いのは敗戦国でありながら、悪いのはナポレオン個人だったと欧州諸国に認めさせた点です。辣腕としか言いようがなく、このような外交官は欧州でも珍しいかも。

 プロヴァンスは亡命生活中、滞在先のロシアで比較的よい扱いを受けていたことは知りませんでした。にも関らず、態度は傲慢極まりなかったそうです。実兄やタレイランにも冷酷な仕打ちをするほどなので、ましてロシア皇帝など意にも介さなかった?

 パーヴェルは母の悪口まで言っていたのですか。父を殺された恨みがあったにせよ、外国の王妃に実母の悪口を言うのは論外ですよね。ラストエンペラーのニコライ二世は家庭ではマイホームパパでしたが、君主としては書くまでもありません。ロシアに限らず、君主としての力量と家庭生活の質が共に優秀というケースはあるのでしょうか?

 タレイランはアレクサンドルに父殺しをあてこする手紙を出しながら、「ナポレオンを倒して欧州を救えるのはあなたしかいません」とも言ってきたのです。本当に大した陰謀家です。