その①の続き
フランスでアラブ系移民の若者には犯罪者も多く、18歳から24歳までの受刑者に占めるアラブ系の割合はフランス系を僅かに上回るほどらしい。人口比からすれば、非常に割合が高いのだ。国末氏はアラブ系受刑者を著書でこう記している。
「孤 独な刑務所内は、それでなくても自らのアイデンティティーを見失いがちな場所である。何かにすがりたい気持ちが強くなるのは当然だ。その結果、自己を見 失った受刑者の中には宗教に救いを求める人が多い…受刑者は本来自分が服役すべき人間ではない、と感じている。自らの置かれた立場の不当性と、世界秩序の 不当性は、受刑者の意識の中でしばしば混同される。自らの運命を、ムスリム全体の運命と結び付けて考える。その結果、全て社会のせいにしてしまう。
そこからパレスチナ、ボスニア、チェチェンといった地での現状と自らをダブらせる発想が生まれてくる。彼らによると、これらの地でのイスラム教徒の苦難は 自ら招いた責任ではなく、不当な世界秩序の下で虐げられた結果である。自分たちの立場だって、不当な権力によって罪を着せられた点で同じではないか。
オマルという名のアラブ系フランス人(40)は、服役囚という自らの立場を、アラブ人が世界で抑圧されている状況と重ね見る。
「パレスチナで起きていることが片時も心を離れない。それはフランスでアラブ系の若者が差別されているのと同じことなのだ。私たちは無力だ。世の中は偽善に満ちている。アラブ人はそのことに気付かないできた。その事実を9.11の事件と共に知らしめてくれたのがビンラディンだった。彼は私たちの教師なのだ」
常識的に考えると、パレスチナやチェチェンでの戦争犯罪と、パリ郊外の下町で移民二世が受けている差別とは、同列に論じられるわけがない。しかし、オマル にとってはそうでない。彼の意識の中では自分が犠牲者であること、世界中でアラブ人やムスリムが被害者となっていることとが直接結びつくのである。自らのアイデンティティーが、世界のムスリムの運命と一体化してしまうのだ」
長く引用したが、私はこれを読んで、わが国の在日朝鮮、中国人と酷似していると感じた。受刑者数に占める割合の高さ、自らの運命を在日全体の運命と結び付 けて考え、その結果、全て日本社会のせいにしてしまう思考パターン。肥大化した被害妄想意識と過去の歴史を重ね見るのも。
国末氏はイスラム過激派組織を以下のように分析する。
「こ の種の組織は全ての悪を外部に帰する傾向が強いことは既に述べた。その結果、組織内部は理想化される。理想化された組織に加わっていることは、一種の選民 意識としてメンバーに染み付いてくる。組織の方向性が自己のアイデンティティーと一体化し、組織を離れることは自己否定や価値観喪失に繋がるのである。
自爆志願者はこうした組織の中でも、特に感受性が強い者が選ばれるケースが多い。外部からの脅威がもたらす絶望感から逃れようと、自らをハイな気分に保と うとする。その結果、殉教を自己防衛の究極の手段として位置づける。彼らの中で死が理想化され、殉教が精神の不死に繋がると受けとめられている。
カルト的な組織は外部から見ると一枚岩に見える。組織全体が「殉教」を志願しているかのようだ。しかし、メンバー全員がこのような意識を抱いているわけではない。リーダーや幹部や他の多くのメンバーらは、自爆しようなどとは思っていないのである」
『自爆テロリストの正体』の最終章は、ずばり「劣等感がテロリストをつくる」であり、「実態はチンケな若者の集合体」と一刀両断されている。同じ境遇にありながら、組織に引っかかる者と引っかからない者の違いは「自我」にあるらしい。早い話、我の強いワガママ者はテロリスト不向きなのだ。
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フランスでアラブ系移民の若者には犯罪者も多く、18歳から24歳までの受刑者に占めるアラブ系の割合はフランス系を僅かに上回るほどらしい。人口比からすれば、非常に割合が高いのだ。国末氏はアラブ系受刑者を著書でこう記している。
「孤 独な刑務所内は、それでなくても自らのアイデンティティーを見失いがちな場所である。何かにすがりたい気持ちが強くなるのは当然だ。その結果、自己を見 失った受刑者の中には宗教に救いを求める人が多い…受刑者は本来自分が服役すべき人間ではない、と感じている。自らの置かれた立場の不当性と、世界秩序の 不当性は、受刑者の意識の中でしばしば混同される。自らの運命を、ムスリム全体の運命と結び付けて考える。その結果、全て社会のせいにしてしまう。
そこからパレスチナ、ボスニア、チェチェンといった地での現状と自らをダブらせる発想が生まれてくる。彼らによると、これらの地でのイスラム教徒の苦難は 自ら招いた責任ではなく、不当な世界秩序の下で虐げられた結果である。自分たちの立場だって、不当な権力によって罪を着せられた点で同じではないか。
オマルという名のアラブ系フランス人(40)は、服役囚という自らの立場を、アラブ人が世界で抑圧されている状況と重ね見る。
「パレスチナで起きていることが片時も心を離れない。それはフランスでアラブ系の若者が差別されているのと同じことなのだ。私たちは無力だ。世の中は偽善に満ちている。アラブ人はそのことに気付かないできた。その事実を9.11の事件と共に知らしめてくれたのがビンラディンだった。彼は私たちの教師なのだ」
常識的に考えると、パレスチナやチェチェンでの戦争犯罪と、パリ郊外の下町で移民二世が受けている差別とは、同列に論じられるわけがない。しかし、オマル にとってはそうでない。彼の意識の中では自分が犠牲者であること、世界中でアラブ人やムスリムが被害者となっていることとが直接結びつくのである。自らのアイデンティティーが、世界のムスリムの運命と一体化してしまうのだ」
長く引用したが、私はこれを読んで、わが国の在日朝鮮、中国人と酷似していると感じた。受刑者数に占める割合の高さ、自らの運命を在日全体の運命と結び付 けて考え、その結果、全て日本社会のせいにしてしまう思考パターン。肥大化した被害妄想意識と過去の歴史を重ね見るのも。
国末氏はイスラム過激派組織を以下のように分析する。
「こ の種の組織は全ての悪を外部に帰する傾向が強いことは既に述べた。その結果、組織内部は理想化される。理想化された組織に加わっていることは、一種の選民 意識としてメンバーに染み付いてくる。組織の方向性が自己のアイデンティティーと一体化し、組織を離れることは自己否定や価値観喪失に繋がるのである。
自爆志願者はこうした組織の中でも、特に感受性が強い者が選ばれるケースが多い。外部からの脅威がもたらす絶望感から逃れようと、自らをハイな気分に保と うとする。その結果、殉教を自己防衛の究極の手段として位置づける。彼らの中で死が理想化され、殉教が精神の不死に繋がると受けとめられている。
カルト的な組織は外部から見ると一枚岩に見える。組織全体が「殉教」を志願しているかのようだ。しかし、メンバー全員がこのような意識を抱いているわけではない。リーダーや幹部や他の多くのメンバーらは、自爆しようなどとは思っていないのである」
『自爆テロリストの正体』の最終章は、ずばり「劣等感がテロリストをつくる」であり、「実態はチンケな若者の集合体」と一刀両断されている。同じ境遇にありながら、組織に引っかかる者と引っかからない者の違いは「自我」にあるらしい。早い話、我の強いワガママ者はテロリスト不向きなのだ。
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何か、怖いです。
“自分探し”は流行の風潮なのでしょうね。中田英寿選手は今後どうするのでしょう?
マスコミも“自分探し”モードを煽っているような。
私はイスラム教徒ってわけじゃないんですが、好奇心でコーランを読んだ事があります。
それでいわゆる「イスラム原理主義者」ってコーラン知らないんじゃない?と思ったんです。
イスラム神学校が教育を行っている国なのに、どうもコーランを理解してないor曲解している行動が多いのです。
理由を模索していたのですが、この記事でかなりスッキリしました。感謝します。
更新がんばってください。
私もムリスムではないし、改宗したいとは全く思いませんが、好奇心でコーランを読みました。
所謂「イスラム原理主義者」は、実際にはコーランに詳しくない連中が少なくないのです。コーランの教義に忠実に従えば、自爆テロは難しい面があるので、曲解や異端に近いような拡大解釈をして、つじつま合わせをしています。
イスラムに限りませんが、宗教は指導者の解釈によるところが大です。
「イスラム過激派とテロ事件の歴史」について、まとめられているHPがありましたので、ご紹介いたします。
もう、本当に、枚挙に暇がないとは、この事ですね。
(但し、完全に断定できない部分はあるとは思いますが、自爆テロなど、証拠が残りにくい部分はありますので、いたしかない部分もあると思います)
ttp://homepage2.nifty.com/hashim/terror4.htm
イスラム過激派のテロ事件の詳細な年表のサイトがあったとは。管理人氏は「テロは1991年の湾岸戦争後に頻発するようになりした。湾岸戦争の後も、アメリカ軍がイスラムの聖地を持つサウジアラビアに駐留し続けていることが大きな素地となっているように思います」と分析してますが、必ずしもそればかりではないと私は思います。イスラエルの存在の方が大きな素地となっていると、私は見ていますね。
その他にも濃い内容の世界史もあり、とても参考になります。読み応えのあるHPのご紹介、有難うございました!