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一女性作家の見た安保騒動 その一

2016-01-29 21:40:22 | 読書/ノンフィクション

 右派系論客と見なされている作家・塩野七生氏だが、1960年の安保騒動時には学生運動に参加していたそうだ。当時の塩野氏は学習院大の女子大生、若かりし頃の自分は付和雷同の典型だったと振り返っている。氏が体験した学生運動の実態は、昨年の安保法案を巡る騒動とかなり似ており、実に興味深かった。

 塩野氏によれば、当時の学習院大学には左翼論壇の2人のスター教授がいたそうだ。1人は清水幾太郎、もう1人は久野収で後者は塩野氏にとって、英米哲学のゼミの担当教授でもあったという。いかに高名な久野収でも、英米哲学のゼミに参加する学生は十数人前後でしかなかったらしいが、その学生らに或る日、久野はこう言った。
君たちに安保反対のデモに行けとは言わない。だが、ボクは行きたい。ただ、ボクが行くと、君たちへの午後のゼミは休講になる。休講になってはデモに行かない学生には申し訳ないことになるし、またデモに行く行かないに拘らず学問はしたいと考えている学生にも、申し訳ないことでは同じだ。
 それで、午後のゼミを午前中に移すことにした。ゼミを終えた後で、ボクと一緒に国会前に行くか行かないかは、全く君たちの自由だ

 久野収という人は、実に良心的な学者でしたね、と塩野氏は述懐している。教え方も丁寧だし、難しい内容でも明快に論理的に説明してくれたそうだ。ならば、良心的でない学者も少なからずいたと思われる。
 昨年の安保法案騒動の際も学生運動を煽っていた教授はいたが、久野のようにデモに出るか出ないか、一応教え子の選択に任せた良心的な学者はいたのだろうか。「安倍は辞めろ!」といったシュプレヒコールを学生に「練習」させた福岡教育大学の40代の男性准教授がいたそうだが、私立大ならこの種の教授は問題にされないだろう。デモ不参加の学生には単位を与えない、と脅した教授もいたという噂まであるが、閉鎖的で上下関係の強い日本の教育界では、必ずしもあり得ないことではないかも。

 塩野氏在学中の学習院大哲学科は、院長の安倍能成が特別に力を入れていたのか優秀な学者が多かったという。その中で塩野氏が尊敬していた教授は、インド哲学の中村元と古代ギリシア・ローマ文学の呉茂一に久野収の3先生だったそうだ。
 その久野先生から、ああも言われては、確固たる見識などはなかった当時の私では、午前中は英米哲学、午後は国会前、となったのも当然、という塩野氏。久野先生のことだから、本心は各人の見識によって行くか行かないかを自分で判断せよ、のほうにあったに違いないのに、自分は不肖の弟子だったのでしょうね、そのうえ国会前に行ったら行ったで、さらに不肖の弟子になってしまった……と振り返る。

 はじめの頃の学習院グループは主流派に属しており、フランス・デモと呼ばれていた手をつないで道路を進む式の、大人しいデモ行進に加わっていたそうだ。ところが側で見るや、「アンポ・ハンタイ、アンボ・フンサイ」とリズミカルに叫びながらジグザグにデモしている一群がいた。
 あら、あちらの方がカッコイイじゃない、ということになり、政経学部のリーダーと塩野氏は共謀して、学習院グループを反主流派に移したという。主流派から反主流派への転向も考えの違いではなく、デモのやり方のカッコ良さで決めたのだから、軽薄もいいところです、と語る。

 久野先生は主流派に残ったようだが、もうそんなことは関係なかった。当時は岸内閣の一員であり後に首相となる中曽根康弘と後年会った際、「大体君は、日米安全保障条約を読んでいたのかね」と言われたそうだ。それへの塩野氏の答えが振るっている。
読んでなんていませんでしたよ。何しろ、学生祭のノリで参加していたのですから
 実際、道に座り込んでアンパンにかじりつくとか、石を投げたり大声をあげたり、やってはいけないと躾けられていることを全てやれるのだから面白かった、と話す氏。学生祭のノリで、「アンポ・ハンタイ」デモに参加していた学生は彼女の他にも少なくなかったかもしれない。
その二に続く

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