「食べない健康法」

2012年01月10日 13時28分54秒 | Weblog
原始の時代 甲田光雄医師(84)の「奇跡が起こる半日断食」(マキノ出版)や「朝だけ断食療法」の提唱者である石原結實医師(60)、さらに講演を年間150回以上もされる97歳の日野原重明医師は1日1,200㌍に抑え、朝はジュース、昼はビスケットだそうです。人類350万年の歴史のほとんどが飢餓との戦いでした。狩猟時代には空腹を感じて狩に出かけ(空腹)→(狩猟)→(食事)でした。50年前にはアサメシ前の畑仕事がありました。今は(空腹)→(食事)となったのです。ヒトの身体は「空腹」には活力が出るようになっていますが、「飽食」には多くの病気を引き起こす原因になっているのです。

1)空腹時には血糖が下がりますが、上げるためにアドレナリンやグルカゴンなど10種類のホルモンが備わっています。しかし、飽食で血糖を下げるのは膵臓からのインスリンinsulinのみです。そのため糖尿病に悩まされるのです。空腹時にはお腹がグーと鳴りますが、小腸からモチリンmotilin(’17)が分泌して腸を活発にして、便排泄を促進します。また、空腹時に胃からは強力な摂食を促すグレリンghrelinというホルモンが分泌される事を日本人によって発見されました。(Nature 2001, 409: 194-198)、さらにそれは脳の海馬にも作用して記憶や学習力を高めるものです(2006)。
2)免疫を司る白血球には貪食する作用があります。栄養素が血液に吸収されていると、白血球はそれを食べてお腹一杯になり、バイ菌やガン細胞、アレルゲンを食べようとしないのです。
3)体細胞から万能細胞を作り出すのが近年行われていますが、培養液の栄養を20分の1にする操作によって遺伝子の活性を促し万能となるのです。
4)マウス実験で5週間における食事の制限例と無制限例とに分けて、がん細胞注入をする。2~3週後の腫瘍の大きさに7gと11gの差をみたことと、制限例は7週目までは生存するが、無制限例は4週目にほとんど死亡したという差があった。空腹は、がんを抑制するということが実証されたのです。(1998、中野)。

朝:人参・りんごジュース1~2杯、または 生姜紅茶、青汁
昼:そば(とろろ、わかめ、ザル)にネギと唐辛子、または 具沢山のうどんにネギ、ご飯ならよく噛んで、腹7分 
夕:アルコールを含めて何を食べても可    
▼イライラ、ドキドキ、手の振るえ時にはチョコレート、黒砂糖を摂る。
▼ 一日当たり1000カロリーは保つこと。
▼ インスリンや糖尿病の内服をしている方は医師と相談すること。

2008.4/26  藤田神経内科 院長

グレリン(Ghrelin)の発見とその新しい機能の解明 寒川 賢治氏(国立循環器病センター)の説明: 
 究所生化学部では1999年12月に新しい成長ホルモン分泌促進ペプチド、グレリンを発見、構造決定に成功した。また、2001年1月にグレリンが中枢性に強力に摂食を促進するという新しい機能を明らかにした。一方、グレリンは循環調節系にも機能し、最近臨床応用に向けての研究が開始されているので、これらの研究の概要を紹介したい。
グレリンは強力な摂食促進作用を持つペプチドである(Nature 2001, 409: 194-198)

http://www.akanekai.jp/tabenai.htm

福島出身柏原 震災後「こんな状況で走っていいのか」と思う

2012年01月10日 12時43分10秒 | Weblog
今年の箱根駅伝(1月2~3日)では、東洋大学が2年ぶり3度目の総合優勝を果たした。大会MVPには“山の神”の異名を持つ東洋大学4年・柏原竜二選手(22)が選ばれた。

箱根駅伝の5区は距離が最も長く、しかも、冬の厳しい寒さの中、箱根の山を越えるという超難コース。その5区で柏原選手は4年連続区間賞、さらに3度も区間新記録を樹立という圧倒的な強さを誇ってきた。

だが、そんな彼も今年ばかりは、例年以上のプレッシャーがあったという。なぜなら“ある特別な思い”を胸に抱えていたからだった。約2万人もの死者行方不明者を出した東日本大震災。柏原選手の地元、いわき市でも300人以上が亡くなり、7600棟の建物が全壊した。柏原選手の母・次枝さんが振り返る。

「家そのものは倒れませんでしたが、傷んだり壊れたりと大変でした。近くのスーパーでは食べ物が売り切れたりと、不安ばかりが募っていきました」

また福島原発から40kmしか離れていないこともあり、家族は一時、関東地方に避難したこともあった。柏原選手が実家に帰ることができたのは、震災から5か月が経った、昨年8月のことだった。まだ瓦礫は残ったままで、中学や高校時代に走った自宅周辺のランニングコースが一変していた。

「地震の直後から竜二はかなり心配して、何度もメールや電話をかけてきてくれました。“こんな状況のときにおれ、走っていいのかな”なんて弱音を吐いたこともありました」(次枝さん)

そんな迷いが走りにも表れたのだろうか、昨年10月、島根県で開かれた出雲全日本大学選抜駅伝では区間順位21人中6位と低迷した。箱根駅伝に向けて不安説も囁かれる中、柏原選手が立ち直るきっかけをつかんだのは、11月に地元で開かれた市町村対抗駅伝『ふくしま駅伝』という小さな大会だった。

「柏原選手みたいな有名選手が出るのは珍しいんですが、“走ることで誰かの役に立ちたい”と自ら出場志願したそうです」(地元の陸上関係者)

柏原選手は、いわき市チームとして出場。地元の中学生や自営業者などのメンバーとともに優勝を飾り、喜びをわかちあった。このとき、柏原選手は、「逆に自分の方が勇気づけられた。走ることで地元に恩返しをしていきたい」と話していたという。

そして迎えた箱根駅伝。偉業を達成した“山の神”は、走り終えた直後のインタビューでこう答えた。? 「ぼくが苦しいのはたった1時間ちょっとなんで、福島の人たちに比べたら全然きつくなかった」

そのたった1時間の走りが、福島の人に、どれだけ元気を与えたことだろう。

※女性セブン2012年1月19・26日号
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120111-00000005-pseven-spo