〈表現の秋〉スクリーンで号泣する男たち

2006年11月17日 15時05分24秒 | Weblog
2006年11月15日

 泣いている。男たちがスクリーンで号泣している。鼻をすすりながら、あるいは鼻水の流れるままに。

 公開中の映画だけでも、「ただ、君を愛してる」の玉木宏と「虹の女神」の市原隼人が、失った女性を思って泣き、「手紙」では玉山鉄二が弟との再会に号泣している。弟役の山田孝之もTBS系のドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ」で泣き、映画「電車男」では、秋葉原の中心で愛を叫んで泣いていた。

 号泣演技はまるで、いまどきのイケメン俳優にとって必須種目のようだ。でも日本映画の主役たち、昔からこんなに泣いていたのだろうか。

 映画評論家の佐藤忠男さんは「戦後間もなくの日本映画も泣く男は多かった」と振り返る。ただし当時はまだ、泣かない主役と泣く主役の役割分担が明快な、歌舞伎の影響が強かった。

 「黒澤明作品の三船敏郎は泣かず、木下恵介作品の佐田啓二は泣く、といった具合です。ところが高度成長が始まり、イケイケどんどんのムードのなかで泣いてなんかいられなくなった。耐えに耐える姿が日本のヒーローとしてもてはやされていったのです」

 三船や勝新太郎、石原裕次郎や高倉健はめったに泣かない。泣くとしても「背中で泣く」。そんな主役たちが時代の気分を表していた。

 「いまの泣きブームは、男の強がりなんてのがはやらない時代のせいでしょうが、直接には韓流の影響でしょうね」と佐藤さんはいう。

 韓国ドラマを見続けてきたライターの安部裕子さんは「感情を表に出さないという日本の男の美学はわかりにくい。そんな思いが韓流ブームの根底にあった」と分析する。

 安部さんは初め、喜怒哀楽すべてに直接的な作りに違和感もあった。しかし、ヒロインに感情移入するうち、気持ち良くなってきた。

 「女性に多かれ少なかれあるお姫様願望を満たしてくれる。愛しているとはっきり口に出す。ヒロインのために恥ずかしげもなく号泣までしてくれる。韓国の一流の俳優は本当に感情表現がうまい」

 こうして韓流ブームは「不器用な夫」を持つような世代を中心に根付いてしまった。

 「20~30代の女性にしてみれば、韓流はちょっと、おばさんくさい。でも心持ちは同じ。そんな層が、号泣してくれる男が出る日本映画に流れているのではないですか」と安部さんは見ている。

 東邦大医学部の有田秀穂教授(生理学)は、かねて数分間の号泣は一晩寝るよりも人をリラックスさせ、ストレス解消になると主張してきた。

 「男の涙を抑圧し続けていた日本社会がおかしかった。泣くことは悪いことではない。号泣する男を見て、もらい泣きするのはストレス解消にはもってこい」と話す。

 しかし、観客が泣くのと、登場人物が泣くのとでは次元が違いはしないか。

 今秋、泣かせる日本映画で最大のヒットとなりそうな「涙(なだ)そうそう」。「涙がとめどなく流れる」という題名とは裏腹に実は、男が泣かない作品だ。主演の妻夫木聡は妹との別れの際などに「鼻をつまんで泣かない」ようにする。鼻水は出ず、号泣にもならない。

 土井裕泰監督は「鼻つまみは脚本家のアイデアですが、僕も古典的な兄妹物語を描くにあたり、感情を表に出さず、つつしみ深く秘めていくという少し前の日本人の姿を表したい、と。その一つが泣くのをこらえるという行為だったのです」と話す。

 「ビューティフルライフ」など多くのテレビドラマを手がけてきた土井さんは、何でも説明しすぎる風潮に、かねて危機感を抱いてきた。たとえばお笑い番組の「会場の笑い声」、バラエティー番組の「巨大なテロップ」など。

 「セリフも、行間を演技で読ませるよりも、どんどん説明調になっている。見ている人の想像力を信じないような表現をしていていいのか、という気がします」

 「号泣する男」も、観客の涙を誘うためだけの装置なのか。有田教授は話す。

 「涙を誘うには泣かせるプロセスが重要であって、必ずしも涙は必要ではない。それは、観客の人生経験次第。深い人生を歩んでいる人は涙がなくとも過程だけで泣くし、いくら号泣されても簡単には泣かない」

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200611150296.html