「すみません。ちょっと、めまいが」。朝の通勤ピークも過ぎた車内でのこと、座席の端に立っていた私の横から突然、女性の声が。即座に目の前の男性が席を譲りました。「ありがとうございます」という声とともに、青白い顔の女性がゆっくりと腰を下ろします。
うつむき加減で携帯メールをチェックしていた私ですが、眼線は画面からはみ出し、しっかり彼女の方に注がれています。一方ご当人は、しばし眼を閉じて休んでいたと思いきや、気分が良くなったのでしょうか。ごそごそとバッグから大学ノートとペンを取り出して、おもむろに文を書き始めました。
「どうしたらいいのでしょう」。達筆な文字ですが、その書き出しが気になります。「体調が悪いと、夫はだんまりを決めて、何を言っても聞こえない素振り」。
何々…。悠長にメールを見ているどころではありません。「苦痛でのたうち回っている私を見ても、夫は決してそばに来ない」。人の文を盗み見ている罪悪感が頭をもたげてきましたが、それでも少しだけ好奇心が打ち勝って、携帯の脇から目を落とすことしきり。
「冷たい仕打ちです」。日記だろうか。それとも誰かにあてる手紙の下書きだろうか。「私は今後、1人で生活費も与えられず、死ぬまで病気と闘うのでしょうか」。一気に書きつづった彼女はここで大学ノートを閉じ、首をかしげて外の景色を眺めています。目には1粒の涙。そして小さなあくびをしました。どうしましょう。朝っぱらからこんな風景を目撃した私はいてもたってもいられません。
さて、理想的な夫婦とは、何度も危機を乗り越え、苦楽を共有しているうちに、やがて同志のようになり、最後はお互いの空気になる。それが俗に言う夫婦の固いきずななのでしょう。
ところが、あるとき突然、そのきずなに異変が起きたらどうなるか。どちらかが先に逝ってしまうかもしれないという不安にさらされたとき、急に不可思議な行動をとる人がいます。『そばに寄らない』『無視したがる』、この症状は特に夫側に起きやすいといわれます。元気だった奥様が枯れていくのを見たくない、という心理が働くのでしょう。
確かに私も遠い昔、重い病にかかり、入院を余儀なくされた祖母に対して同様の行動をとったことがあります。あれだけ祖母を慕っていたのに、日々弱っていく姿を目の当たりにしたくないがために、病院から遠のこうとするのです。その実、本人は病状をきちんと受け止めて最期までがんばろうとしているのに、孫の私がそのありさまとは、なんとも情けありません。
人の人生には、喜怒哀楽が平等にちりばめてあります。喜びや楽しさばかりを享受していては、豊かな人間にはなり得ないと、年を重ねるたびに実感します。逃げないで、ちゃんと現実を見据えることこそ「大人力」なのですね。でも実際、大の男がこうやって駄々をこねていると、「しっかりしてよ!」と、檄(げき)のひとつでも飛ばしたくなります。
終点に到着した電車からぞろぞろと人が出て、ようやくその女性が立ち上がろうとしたときです。「がんばってください!」。気が付いたらなんとこの私、彼女の腕を取りながら、臆面もなく叫んでいたのであります。一瞬、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした彼女は、次の瞬間、笑いながら言いました。
「ありがとうございます。来年春の上演を目指して、がんばります」。「ウン??」。バッグの中から「XX劇団」という企画書が垣間見えました。劇作家と名乗った彼女は徹夜続きで、すっかり体調を崩したとのこと。「役どころになり切ってメモをすることから始めるんですよ」。あくびを押し隠す彼女の眼は涙で潤んでいます。
ウンモウ! 早とちりをした分だけ、人生を考えてしまった朝でありました。
http://www.business-i.jp/news/for-page/ishibashi/200507020009o.nwc
うつむき加減で携帯メールをチェックしていた私ですが、眼線は画面からはみ出し、しっかり彼女の方に注がれています。一方ご当人は、しばし眼を閉じて休んでいたと思いきや、気分が良くなったのでしょうか。ごそごそとバッグから大学ノートとペンを取り出して、おもむろに文を書き始めました。
「どうしたらいいのでしょう」。達筆な文字ですが、その書き出しが気になります。「体調が悪いと、夫はだんまりを決めて、何を言っても聞こえない素振り」。
何々…。悠長にメールを見ているどころではありません。「苦痛でのたうち回っている私を見ても、夫は決してそばに来ない」。人の文を盗み見ている罪悪感が頭をもたげてきましたが、それでも少しだけ好奇心が打ち勝って、携帯の脇から目を落とすことしきり。
「冷たい仕打ちです」。日記だろうか。それとも誰かにあてる手紙の下書きだろうか。「私は今後、1人で生活費も与えられず、死ぬまで病気と闘うのでしょうか」。一気に書きつづった彼女はここで大学ノートを閉じ、首をかしげて外の景色を眺めています。目には1粒の涙。そして小さなあくびをしました。どうしましょう。朝っぱらからこんな風景を目撃した私はいてもたってもいられません。
さて、理想的な夫婦とは、何度も危機を乗り越え、苦楽を共有しているうちに、やがて同志のようになり、最後はお互いの空気になる。それが俗に言う夫婦の固いきずななのでしょう。
ところが、あるとき突然、そのきずなに異変が起きたらどうなるか。どちらかが先に逝ってしまうかもしれないという不安にさらされたとき、急に不可思議な行動をとる人がいます。『そばに寄らない』『無視したがる』、この症状は特に夫側に起きやすいといわれます。元気だった奥様が枯れていくのを見たくない、という心理が働くのでしょう。
確かに私も遠い昔、重い病にかかり、入院を余儀なくされた祖母に対して同様の行動をとったことがあります。あれだけ祖母を慕っていたのに、日々弱っていく姿を目の当たりにしたくないがために、病院から遠のこうとするのです。その実、本人は病状をきちんと受け止めて最期までがんばろうとしているのに、孫の私がそのありさまとは、なんとも情けありません。
人の人生には、喜怒哀楽が平等にちりばめてあります。喜びや楽しさばかりを享受していては、豊かな人間にはなり得ないと、年を重ねるたびに実感します。逃げないで、ちゃんと現実を見据えることこそ「大人力」なのですね。でも実際、大の男がこうやって駄々をこねていると、「しっかりしてよ!」と、檄(げき)のひとつでも飛ばしたくなります。
終点に到着した電車からぞろぞろと人が出て、ようやくその女性が立ち上がろうとしたときです。「がんばってください!」。気が付いたらなんとこの私、彼女の腕を取りながら、臆面もなく叫んでいたのであります。一瞬、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした彼女は、次の瞬間、笑いながら言いました。
「ありがとうございます。来年春の上演を目指して、がんばります」。「ウン??」。バッグの中から「XX劇団」という企画書が垣間見えました。劇作家と名乗った彼女は徹夜続きで、すっかり体調を崩したとのこと。「役どころになり切ってメモをすることから始めるんですよ」。あくびを押し隠す彼女の眼は涙で潤んでいます。
ウンモウ! 早とちりをした分だけ、人生を考えてしまった朝でありました。
http://www.business-i.jp/news/for-page/ishibashi/200507020009o.nwc