逃げずに現実見据える「大人力」

2005年07月04日 12時59分05秒 | Weblog
 「すみません。ちょっと、めまいが」。朝の通勤ピークも過ぎた車内でのこと、座席の端に立っていた私の横から突然、女性の声が。即座に目の前の男性が席を譲りました。「ありがとうございます」という声とともに、青白い顔の女性がゆっくりと腰を下ろします。

 うつむき加減で携帯メールをチェックしていた私ですが、眼線は画面からはみ出し、しっかり彼女の方に注がれています。一方ご当人は、しばし眼を閉じて休んでいたと思いきや、気分が良くなったのでしょうか。ごそごそとバッグから大学ノートとペンを取り出して、おもむろに文を書き始めました。

 「どうしたらいいのでしょう」。達筆な文字ですが、その書き出しが気になります。「体調が悪いと、夫はだんまりを決めて、何を言っても聞こえない素振り」。

 何々…。悠長にメールを見ているどころではありません。「苦痛でのたうち回っている私を見ても、夫は決してそばに来ない」。人の文を盗み見ている罪悪感が頭をもたげてきましたが、それでも少しだけ好奇心が打ち勝って、携帯の脇から目を落とすことしきり。

 「冷たい仕打ちです」。日記だろうか。それとも誰かにあてる手紙の下書きだろうか。「私は今後、1人で生活費も与えられず、死ぬまで病気と闘うのでしょうか」。一気に書きつづった彼女はここで大学ノートを閉じ、首をかしげて外の景色を眺めています。目には1粒の涙。そして小さなあくびをしました。どうしましょう。朝っぱらからこんな風景を目撃した私はいてもたってもいられません。

 さて、理想的な夫婦とは、何度も危機を乗り越え、苦楽を共有しているうちに、やがて同志のようになり、最後はお互いの空気になる。それが俗に言う夫婦の固いきずななのでしょう。

 ところが、あるとき突然、そのきずなに異変が起きたらどうなるか。どちらかが先に逝ってしまうかもしれないという不安にさらされたとき、急に不可思議な行動をとる人がいます。『そばに寄らない』『無視したがる』、この症状は特に夫側に起きやすいといわれます。元気だった奥様が枯れていくのを見たくない、という心理が働くのでしょう。

 確かに私も遠い昔、重い病にかかり、入院を余儀なくされた祖母に対して同様の行動をとったことがあります。あれだけ祖母を慕っていたのに、日々弱っていく姿を目の当たりにしたくないがために、病院から遠のこうとするのです。その実、本人は病状をきちんと受け止めて最期までがんばろうとしているのに、孫の私がそのありさまとは、なんとも情けありません。

 人の人生には、喜怒哀楽が平等にちりばめてあります。喜びや楽しさばかりを享受していては、豊かな人間にはなり得ないと、年を重ねるたびに実感します。逃げないで、ちゃんと現実を見据えることこそ「大人力」なのですね。でも実際、大の男がこうやって駄々をこねていると、「しっかりしてよ!」と、檄(げき)のひとつでも飛ばしたくなります。

 終点に到着した電車からぞろぞろと人が出て、ようやくその女性が立ち上がろうとしたときです。「がんばってください!」。気が付いたらなんとこの私、彼女の腕を取りながら、臆面もなく叫んでいたのであります。一瞬、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした彼女は、次の瞬間、笑いながら言いました。

 「ありがとうございます。来年春の上演を目指して、がんばります」。「ウン??」。バッグの中から「XX劇団」という企画書が垣間見えました。劇作家と名乗った彼女は徹夜続きで、すっかり体調を崩したとのこと。「役どころになり切ってメモをすることから始めるんですよ」。あくびを押し隠す彼女の眼は涙で潤んでいます。

 ウンモウ! 早とちりをした分だけ、人生を考えてしまった朝でありました。

http://www.business-i.jp/news/for-page/ishibashi/200507020009o.nwc

小谷実可子さんインタビュー

2005年07月04日 12時50分12秒 | Weblog


演技を観ていて感じることの一つに、水面上の動作がピタッと止まる時、水面下では、どんな動きをしているのか、という興味がある。
 

小谷 シンクロの演技の中では止まっているのが何より難しいんですね。
 水面に足を出して止まる時は手は激しく動いているんですけど、動いているのは肘から先だけで、肘を支点に掻くところ以外は筋肉をギュッと引き締めているんです。これは技術的な話ですが、ただ止まろうと思って締めるだけですとカチカチになりすぎて、本人は止まっているつもりでも静止していない。締めればカチッと止まるタイプの人もいると思うんですけど、私は筋肉が柔らかくて、どちらかというと柔軟性をみせるタイプだったので、ピタッと止まりたい時には体を締めるのではなくて思い切り筋肉を引っ張るんです。
 本来であれば、締めて手をたくさん掻いて足がたくさん出れば出るほど高得点につながるんですけど、私の場合それをやっているうちはなかなかうまくいかなくて、最終的にみつけた自分流のやり方というのが、手に頼るのではなくて体をグーンと空からロープで引っ張ってもらっているような感覚で、100%引っ張れた時はそこで止まれるんです。私はそういうやり方で止まることを身につけました。
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車のハンドルのように体に遊びをつくっておく
 

小谷 似ているかもしれませんね。
 今、水の中で静止していることをイメージしてみると、足に筋肉が通っていて血液が通っていて、すごい数の細胞でできている。その細胞一つひとつを締めているか、と言ったらそうではなくて確かに遊ばせているところがある。つきつめていくと、遊びがあると初めて水と一体になれる。水を使って、水を掻いて、水と闘って、水を踏み台にして上がるというタイプの人がいるかもしれませんが、私の場合は水と仲良しになって、バランス良くフッと乗っかった時が水の浮力をもらって、一番力みなく静止できる状態になるんです。
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現役時代の最高の演技だった試合について
 

小谷 ソウルオリンピックの後、1989年にスイスの国際大会、1990年マジョルカ島で2度ピーク・エクスペリエンス*1の経験があるんですが、後から考えてみるといくつかの要素が重なっていたと思います。
 オリンピックも終わって一応国際的にも名前が通って、勝負に関しても「この人に勝たなきゃ」という人もなく、一緒に遠征した人たちがアットホームなメンバーでずっとリラックスしていたんですね。
 ところが試合の前の日に訳も分からずすごくヘタになってしまったんです。ほんとは真っ直ぐ沈まなきゃいけないものを45度くらい倒れてしまって、それでも自覚症状がないというような恐ろしいほど最悪の調子に陥ってしまったんです。先生も審判も「どーなっちゃったの?」というくらいひどかったのに自分の中では迷いもないし、焦りもないし、「落ち着いていれば大丈夫」と余裕があったんです。なぜそんなひどい状態でリラックスしていたのか理由がわからないのですが、ゆとりをもって試合をむかえることができました。
 自分の中から嬉しくって嬉しくって、武者震いするようなことがあるじゃないですか。試合前からぞくぞくするような喜びのエネルギーが満ちてきて、それがなんとなく観客と一体になれるので、観客が楽しんでいるというエネルギーまでもが、自分のエネルギーに変わるような感覚。もう体中がチリチリしているわけですよ。嬉しくて。顔も笑いが止まらないんです。あまりにも笑って鼻栓が取れるんじゃないかっていうくらい笑いが止まらないんです。
 陸上動作の後、飛び込んで動作をしていたんですが、まず呼吸が苦しくないんです。水の中で運動しているわけですから体が疲れたり、気分が疲れたり、苦しくてもがきそうになったり、との闘いなんです。それがこの時は苦しさっていうのが全くないし、水に上手に乗れて、水と体が一体化した演技をしている。いつもの試合の時はここに注意してこの技はこういうところに気をつけてとか、あそこに審判がいるからこうしなきゃ、というのがこの時の試合では全くなかったんです。いつもより速く水を蹴っているかといえば、そうでもなく、物差しで計ったら本当は出ていないのかもしれないけれど、やけに高さが出ているように見える。アメリカの選手は180cmなのに163.5cmの私の方がすごく大きく見える、そういうことがあるんですね。
 アメリカに留学している時「オーラトレーニング」というのをやっていたんですが、8人でプールに入って気を一つにすることで何十人分ものオーラをつくる、というトレーニングです。そういうトレーニングをしているうち、まれに、ホントにまれですけど、体の中から出てくるオーラでプールが一杯になってしまう。大きなプールに8人しか入っていないのに、8人がプールからあふれそうになっている。シンクロに限らずそういうことはあるかもしれません。
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ソウル五輪から2年、彼女は休養宣言をする。長野五輪の招致活動、大 学での非常勤講師を務めながら、選手としてバルセロナへ心が向いていることに気付く。 バルセロナ五輪を目指して練習を再開。しかし一度眠らせた体は完璧に目覚めることはなかった。デュエットの補欠で大会に参加したものの一度も演技することなく引退。彼女の為にデザインされた水着は一度も水をくぐらなかった。
 

小谷 選手の時は「シンクロが人生の全て、オリンピックが地球上の最もすごいこと」って信じてやってましたから、やっぱり引退は怖いというか、シンクロやめるイコール自分の人生終わると私も思いました。あとはご飯にお醤油かけて生きていくんだと。ソウルの時はあまりに幸せだったので、「人に与えられる幸せの量が決まっているとしたら私はもう使い果たしてしまった」。「それでもいいや」と思えるぐらい幸せでしたね。
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現在、シンクロスクールで週1回コーチをしている。「誉める時を間違えないこと」
 

小谷 自分が誉めて誉めて誉めてもらって伸びたタイプなので「誉めるのがうまい」とは思いませんが、それぞれの誉められる部分を見つけるのは結構できるかもしれないですね。 誉めてあげた時の子供の力の発揮度というのが、やっぱりスゴイんですよ。
 指導という経験の中で自然に身に付いたんでしょうかね。
 高校生の時にシンクロ留学したのですが、アメリカではコーチが「あなたこそ世界チャンピオンよ」ってある子に言って、その子が水に潜っている間に別な子に「あなたが世界チャンピオン!」なんてやってるんです。
 そうやって育てるんですね。
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シドニー五輪でスポーツキャスターを務め、現在TBS・BSデジタル放送でもキャスターを務める。シンクロのデュエットでは一番手、二番手というのがある。 試合でも二番手は一番手の演技に合わせなくてはならない。常に一番手にこだわり続けた小谷さんが、二番手であるスポーツキャスターという立場をどうとらえているか。
 

小谷 シンクロでは一番手にこだわりました。それは自分がシンクロに全てを賭けていて、誰にも負けない努力をしている自信があるからで、今TVの仕事をしていても、そこで一番手になる必要もないし、TVの仕事を始めさせていただいた時、こんな風にしなきゃいけないとか、頑張って仕事してるって思われようとか、そういうことを思っていた時期があるんですよね。「上手に目立たず聞き手をやってるよね」って誉めてもらいたい自分がいたんですよ。そういう時期ってかえって厭味だったり、でも今はそういう思いが全くなくて「厭な感じがしなかった」と言われるだけで嬉しいですね。
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スポーツ界・マスメディア
 

小谷 最近スポーツがお金になるようになった。やる本人も周りにいる人も、なんとかスポーツをビジネスにしようと考える人が圧倒的に多くて、TVとスポーツが密接な関係を持ってるんで危ないですよね。
 選手が引退する前からチヤホヤされて、例えばメダリストに出演依頼する時「スタイリスト、メイクどうしましょ?」なんて言ってきますから。上手に育ててくれればいいんですけど。私が最初にスポーツに出会った時のような、それで有名になってやろうとか、それでお金持ちになってやろうとかではなく、自分が好きだから一生懸命やって自分の中で進歩していきたいっていうピュアな心を持ってというのが少なくなってきたように思います。
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ソウル五輪以降「イルカに会いに来ないか」としきりに誘いかけてきたアルバート・スティーブンス氏がシンクロ引退後に掛けてきた電話の第一声は「引退おめでとう。ところでイルカに会いに来ないか?」だった。一年後、バハマでイルカと出会う。一瞬にして心の 通じ合う出会い。何日もイルカとともに泳ぐ。音楽もなく、振付もなく。地球の上の自分というちっぽけで無力な存在。
 

小谷 シンクロやってオリンピックに行かなかったらイルカに出会うきっかけはできなかったでしょう。ソウルに行って出場したことで、そのTV中継を見ていたアルバート氏が連絡してきたわけで、それでも別にイルカなんか興味ないからいいや、と思ってた時期もあり、会うことができてもシンクロの技術がなかったら「わぁー!イルカに会って楽しかった!チャンチャン」で終わってたでしょうね。
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(C)Doug Perrine / seapics.com

 

1993年に出会って以来、毎年夏に会いに行くのが楽しみとなる。
 

小谷 イルカに会って来た後の自分が一番好きなんです。価値観がシンプルに戻るというか、海のエネルギーにふれて、「生まれてきて良かった」「有意義な存在でありたい」。こういう気持ちがどこからかやってきて、一体何に対してありがとうなのか、よく分からないんですが、「自分がいい人でありたい」「地球に住んでいる有意義な存在でありたい」という気持ちがどこからか湧いてくるんですね。
 そうすると、格好いい車に乗って、素敵な洋服を着て、いいアクセサリー付けてって何なんだろう、と思うんですけど、ピューンって船に乗って飛行場に着くと、やっぱり免税店でグッチやシャネルを買いに走っちゃう自分に戻るんですね。まあそのまま戻らなかったら「あんたそのまま山にこもっちゃうわよ」って友達に言われるんですけど。
 イルカと出会うことで自分が全てと思っていたスポーツが「たかがスポーツ」だったんだ、と思えた時期があり、そこからまたさらにイルカを通していろんなことを感じたり、経験していくうち、「されどスポーツでもあるんだな」とも思うようになっていったんです。
 誰もがイルカと泳いで一体となれるチャンスがあるとは限らないじゃないですか。でもバハマに行けなくてもスポーツを一生懸命やることで、大自然がくれるのと同じような体験というか、同じレベルの境地に達することができると今は思うので、一度「たかがスポーツ」になったけれど「されどスポーツ」と思えるようになりましたね。
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1999年、結婚。
 

小谷 イルカに会ったことは最初幸せでもあり、もしかしたら不幸かもしれない、と思ったことがあります。こういう出会いをしてしまうと普通の女性としての幸せ、人とこのくらい通じ合ったりというのができないかもしれない、とちょっと思い始めた時期もあったんです。
 そうしたら赤い糸がフラッと降りてきて、フラッと結婚して、子宝にも恵まれて、これはイルカとの出会い以上に想像もしていなかった喜びで、やっと自分自身になれたというか。今は何やってても帰れる。家ということではなくて、心の中に拠り所がある。スイスの国際大会の時「生きててよかった」と思うと同時に何かを残したいと思ったのを覚えています。自分が地球に生きていた証を残したいと思ったんです。
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「赤ちゃんが生まれたら、もうイルカなしでもいいかな」 恐らく「心の支えにしなくとも」の意味を込めて、インタビューの最後をそんな言葉で締めくくった。 「もちろんイルカには会わせてあげようと思ってますけど」

春にかけてクジラのリサーチに行っているので今年も例年通り行くつもりだという。イルカと出会った頃、彼らとともに彼方へ泳ぎ去ってしまうかにみえた彼女が ゆっくり社会という生簀(いけす)に戻ってきた。

彼女は感じている。

生きる誰もがそれぞれに海を持ち、
そこではそれぞれのイルカが泳いでいる、と。

そして今、生まれてくる子どものために、
彼女自身が海になろうとしている。

http://www.ntt-f.co.jp/fusion/no26/kotani/kotani.htm

神なる母からの言葉

2005年07月04日 01時47分34秒 | Weblog
―1999年12月

いとしい子供たち、
 人生は二つのことがらから成り立っています。その第一は行為をおこなうこと。次にはその行為の結果を刈り取る(体験する)ことです。私たちが行為をおこなうのに正しい心構えをはぐくみ、行為の結果を体験するのにも正し心構えをはぐくむことができるなら、人生は大きな喜びと平安に満ちたものになるでしょう。

 人生では私たちが望んだことが実際には起こらなくて、夢にも望まなかったようなことが起きる、ということがよく見受けられますね。それは、自分の努力以外にいくつかの条件が整わなくては行為の結果を得られないからです。すべての条件が満たされたときにはじめて望ましい結果が訪れるのです。けれども、私たちが自分でコントロールできるのはどのように行為をなすか、それだけです。だから私たちにできるのは、自分の力せい一杯にものごとを行い、結果については気にやまないことです。それでクリシュナ神はバガヴァッド・ギータのなかで「結果を期待しないで行為すること」を説いたのです。働いても給料をもらってはいけないと言っているのではありません。行為をなすときに、それで何が得られるかに気をとらわれずに行うことができれば、務めを効率的に果たすことができるようになります。そして結果は自然とやってくるのです。
 たとえば試験で学生が良い答案を書いても、もし採点をする教授や点数を記録する事務員がうっかりしたならば、望んだ点数を得ることはできません。ある学生が試験のために大変よく勉強して満足のゆく答案を仕上げることができました。でも結果が公表されると、この学生の成績は合格点すれすれのものでした。優秀点を予想していた彼は、答案の再審査を申請しました。そして再審査の結果、優秀点をもらうことができました。何が起こったのでしょう? 尋ねてみると、最初に答案を採点した教授はその時ちょうどご夫人が誰かと駆け落ちしてしまったために精神状態が錯乱してしまっていたのでした。これがまさに、行為をなすにあたってとても良くできたとしても結果は自分の手の及ばないような他のいろいろな要因に左右されるとアンマが言っていることなのです。私たちの成功は自分の手の及ばないいくつかのことによって決定されるのです。誰かが道路を横断するのに注意深く渡ったとしても、乱暴な運転をする車にはねられることだってありえるのです。

 そういうことを思えば、私たちの行為の結果を左右するいろいろな要因が良い方向に成就するためには、神の恩寵が必要だとわかるのです。この恩寵を受けとるいちばん単純な方法は、私たちがどんな行為をなすときにでもそれを神への礼拝として行うということなのです。自分の行為すべてを神への礼拝として見ることができればそのときその行為を細心の注意深さをもって行うようになるでしょう。
 礼拝するとき私たちは神に一番良いものだけを捧げます。腐った果物やしおれた花は捧げないでしょう?礼拝に汚れた道具は決して使いません。それと同じように自分の行為の一つひとつを神への礼拝とするならば、その時、良い行為のみをなすことができるようになります。そしてついには私たちの行為すべてが崇高で無私のものとなり、悪い行いは神に捧げるには合いませんから、しないようになります。
 礼拝をするにあたって一番大切なのは謙虚さを持つということです。自分の行為を礼拝とするならば自己中心的には決してなりません。なにか成功を得ることができても、それは自分の力の証しではなく神の恩寵であるととるようになります。礼拝のプージャの後に頂くものは何であれ神からのプラサードとなりますから、行為の結果が出た後でも謙虚な気持ちを忘れてはいけません。礼拝が終わった後でプラサードの質が悪いとかこだわりませんね。そして神からの祝福としていただきますね。何かが失敗に終わるときにも、それも神からのプラサードだと受け入れます。でも、失敗の後にこれが神の意志だと受け入れて、怠惰に座ったまま過ごせと言うのではありませんよ。成功の可能性があるならばもう一度やってみるのです。誠心誠意の努力をしてそれでもまた失敗に終わるならば、それを神のご意志として受け入れましょう。成功は神の恩寵として、失敗は神のご意志として受け入れるならば、成功に得意になることもなく失敗に打ちひしがれることもありません。
 失敗も主のご意志であると受け入れられれば、なんて自分は不幸なんだろうなどと思いふけることはありません。失敗であってもそれはその時自分の成長のために通過しなければならない必要な体験なのだと受け入れるようにならねばなりません。むしろ自分のプララブダ、つまり今生に出てきているカルマが過ぎ去ったことを喜ぶべきです。それを教訓とみなして人生を前進していけるようそれに学ばなければなりません。

 適切な識別力があれば、人生におけるどんな状況も私たちのために役立つものと変えることができます。行為をなすための正しい心構えを持つことで、私たちは束縛や倦怠から解放されます。正しい心構えがあれば自分の務めを勤勉かつ情熱をもって行うことができるでしょう。そこに神の恩寵が加わったときに成功が確実に訪れます。いずれにしても絶望してはいけません。神はいつでも、正しい心構えを持ち真摯な努力を重ねる人のそばにいます。成功もまたそのような人のものなのです。

インドのアシュラムで毎月出されている
月刊誌Matruvani 1999年11月号より

http://amma.jp/web/contents/talks/kotoba9912.htm