面白く、そして下らない

今の停滞した日本には経済再建が最優先。私は保守派のつもりですが、自民党と安倍晋三には否定的です。

立憲民主党はツイッターのノイジーマイノリティの声ばかり聞くな

2021-12-04 18:11:15 | 政治
多数派の国民が望んでいるのは経済・景気の再生だ。それはもう30年一貫している。あるいは大東亜戦争に敗北してから日本国民は「エコノミックアニマル」になってしまったのかもしれない。多数派の国民の望みは経済であり、選挙に勝つには経済政策を訴えるしかない。少なくとも立憲民主党が政権交代を為し遂げたいならば他にやりようはない。

しかし総選挙ではツイッターのノイジーマイノリティの声ばかりを聞きすぎた。彼らは立憲民主党のコア支持層のラディカルレフトだ。ジェンダー政策や気候問題を立憲民主党が取り組むことを望み、枝野幸男以下旧執行部も彼らの声が国民の声と勘違いしてしまったようだ。

総選挙の結果は立憲民主党(及び共産党)の大敗だ。国民の多数派が望んでいるのは経済なのにジェンダー政策や気候問題ばかりを訴えていては票を得ることはできない。

れいわ新選組の山本太郎はそれをわかっていて、左だが、経済政策を一番強く繰り返し訴えている。ジェンダー政策や気候問題は政権に就いてからゆっくりやるつもりなのだろう。一応保守派の私としてはしないで欲しいところなのだが、経済が良くなるなら「我慢」するしかない。

全文引用するのは著作権的にも不味いし、読者にも私の意見を読ませているのか、引用した記事を読ませているのかわからない。しかし削るとわからなくなるので全文引用してしまった。ツイッターは多数派の国民の声ではないということが書いてある。

~~引用ここから~~

「ツイッターをやめる」それが立憲・共産が自民党に勝てる唯一の道だ(御田寺 圭) @gendai_biz

立憲民主党・共産党は、統一候補を立てて共同戦線を展開して10月の衆院議員選挙に臨み、そして与党・自民党に大差の敗北を喫した。かれらはいったい...

現代ビジネス

 


野党共闘は成った、それでも…

立憲民主党・共産党は、統一候補を立てて共同戦線を展開して10月の衆院議員選挙に臨み、そして与党・自民党に大差の敗北を喫した。「多様性の統一」を旗印に掲げて、リベラル政党の連帯を示したかれらは、いったいなぜ敗れてしまったのだろうか?

前新潟県知事で、今回の衆院選挙で無所属として立候補し見事に当選した米山隆一氏が、立憲民主党・共産党の敗因について客観的な考察をツイッターで表明したところ、「味方」であるはずのリベラルな界隈の人びとから激しい怒りを買い、大炎上してしまった。私はその一部始終を気の毒に思いながら拝見していた。



立憲民主党・共産党をSNS上で篤く支持していた人びとからすれば、今回の選挙における一大争点が「ジェンダー平等」であることに疑いの余地は一切なかった。だが、米山氏の見解はそれとは異なるものだった。米山氏の考察が当を得ていたことは、今回の選挙結果からすでに明らかだろう。

ジェンダーや気候変動といった問題は、マジョリティである一般大衆に訴求するものではなく、ごく少数の(しかしSNSではやたらと声が大きく見える)ラディカル・レフトな人びとが高い関心を示すテーマにすぎない。選挙はより多くの人びとの心を掴んだものが勝利する。ジェンダー平等や環境問題がとるに足らない問題だからということではなく、民主主義政治のシステムがそういうものなのだ。

だが「リベラル」な人びとは、米山氏に対して激しい非難を向けるばかりか、「セクシスト」「差別主義者」とレッテルを貼り、さらには過去のスキャンダルをわざわざ持ち出して罵詈雑言を浴びせる人まで散見される始末だ。本当にかれらは「多様性」や「寛容」を掲げる政党を支持し、その精神に賛同した人びとなのだろうか。私にはとてもそうは思えないが、かれらがそう自称しているのだから、間違っているのはきっと私のほうなのだろう。

乖離してゆくSNSと有権者

はっきりと言えば、今回の選挙でほとんどの有権者にとっては、米山氏の考察のとおり「ジェンダー平等」の優先度は低かった。いや、低いどころか、ほとんど関心の埒外にあったといっても過言ではない。

「この衆院選は、ジェンダー平等や環境問題が一大論点となる史上初の選挙だ」と投開票の日まで本気で信じていたのなら、すでに相当に偏った認知フレームワークのなかで生きていることを疑った方がよい。実社会においては、そんな「一大論点」など存在していなかったからだ。

日本テレビが行った出口調査によれば、有権者が「最も重視した政策」の上位は「外交・安全保障」「格差是正・貧困対策」「景気対策」「子育て・教育政策」「社会保障の充実」「新型コロナ対策」だった。選挙期間中にはツイッター上では見ない日がなかった「環境問題」や「ジェンダー平等」は、実際にはすべての世代において重視されていたとは言い難いテーマだった。

「ジェンダー平等」「気候変動」が政権を揺るがす大問題であるかのように言われていたのは、結局のところ、ごく一部の人の声が実体以上に大きく共鳴し増幅されるSNS(≒ツイッター)の中だけだったのだ。

一般大衆はよくもわるくも、それぞれが自分や家族のミクロな「生活」のことを考えている。今日明日の生活をやりくりしていくことに最大の関心とリソースを割く生活者に対して「一流企業の役員の男女比が~」「政治家の男女比が~」「東大合格者の男女比が~」「地球温暖化によって生態系に悪影響が~」などと説いてまわっても、響くわけがない。当たり前のことだ。

「Z世代」と「昭和の若者」

都市部のインテリ層やリベラル層の声が実態よりもはるかに大きく反映される言論空間であるSNS(あるいはSNSの声を取材して記事を作るウェブメディア)では、「10代〜20代の若年層の有権者がもっとも関心を持っているのは『ジェンダー平等』や『政治的ただしさ』『気候変動』といったテーマである」という説が、論をまたず揺るぎないものとなっていた。

だが先述したように、統計的にみれば、たとえ若年層でも景気対策や安全保障や新型コロナウイルス対策の方がよほど優先度の高いテーマだったのである。

ネットやSNSで「投票に行こう! 私たちの声で政治を変えよう! ジェンダー平等、気候変動問題は私たち将来世代にとって大きな課題だ! 古い政治を変えよう! 声を届けよう!」と主張していた若者たちもたしかにいた。だがかれらは実際には「若者の代表」ではなく「社会的・経済的に恵まれた環境で高い教育を受け、日々の生活に余裕のある、SNSでの情報発信に熱心な若者の代表」だった。

10代20代をピックアップすると、他の年代にくらべれば「ジェンダー平等」の関心度は相対的にいくらか高い。しかしながら、それはかれらがZ世代ならではの人権感覚・価値観のアップデートがなされているゆえではない。まだかれらが、上の世代にくらべて「ひとりの生活者」としての泥臭いリアルに直面しておらず、社会的責任を多く負っていないがゆえだ。

断っておくが、それが「よくない」ということではない。逆だ。現実から遊離した机上の空論を戦わせることができるのは、青春時代のすばらしい特権である。年を取って30代にもなれば、否応なしに地に足をつけて人生を歩まなければならないライフステージにさしかかり、そうした壮大な夢物語は自然と萎んでいって、等身大の生活の方に視点がスケールダウンしてしまう。

いつの時代もそれが繰り返されてきた。大学時代まで共産主義革命の夢を見ていた昭和の若者たちも、卒業後には企業社会に入り「大人の一員」になっていった。かつての「共産主義革命の夢」が、令和には「ジェンダー論」や「気候変動」に代わっただけだ。

目先のしみったれた「生活」の問題を棚上げして、人類全体、もっといえば地球規模の壮大な夢を語れるのは若者の特権だ。10代20代では他の世代にくらべて少しばかりジェンダー平等や気候変動問題に関心が高いのは、社会がまだまだ余裕があり、健全な証拠だろう。むしろ若者から「若者の自殺対策」「若者の孤立問題」などが選挙の争点として大真面目に挙がるようになれば、その時こそこの国は終わりだ。

SNSに呑まれていないか?

しかしながら、SNSで先鋭化した左派系アカウントやリベラルメディア、意識高い系の若者が主張するならともかくとして、国政政党の立候補者が「ジェンダー平等が大テーマとなった初の総選挙」と言い放ったことには驚かされるばかりだ。



たとえば、明確にそう主張した共産党の池内さおり前衆院議員は、都内でもっとも高齢者率の高い北区や足立区を擁する東京12区から立候補した。池内氏が本気で「ジェンダー平等が大テーマとなった初の総選挙」と考えていたのだとしたら、当選する気があったのか心配になってしまう。残念ながら、いや案の定というべきか、池内氏は落選してしまったようだが……。

当人としては、SNSを巧みに使いこなして政治運動を展開していたつもりなのかもしれない。だがその実、SNSに呑まれていたことに気づかなかった。

SNSの中では、時代精神の最先端の風を読み、たくさんの支援者に囲まれていると確信していただろう。自民党政治への国民からの批判や怒りはピークに達しており、野党に追い風が吹いていると考えただろう。――しかしながら、それは幻想にすぎなかった。いざ投票箱を開けてみれば、議席は用意されていなかった。

SNSでひときわ大きく響く一部の声を「世論」「多数の人びとの関心を代弁する声」と同一視してしまうことによる悲劇がいま、池内氏にかぎらず——保守派の政界関係者よりも最新のテクノロジーにキャッチアップする意欲があり、SNSなど最新のITコミュニケーションに明るい人が比較的多い——リベラル系政治家やその関係者に次々と襲い掛かっている。

ネットやSNSでは、リベラル派の人びとの方がより積極的に声をあげて保守派の人びとの意見を圧殺し、すっかり「社会的合意」を形成しているように見える。このような状況下で、リベラル派の政治候補者や政治家たちは「大衆社会の本当の声」に耳を傾けることがきわめて困難になっている。

立憲民主党や共産党が「多様性の統一」「ジェンダー平等」を一大テーマに据えて選挙に臨んでしまったのは、たんに自民党の「逆張り」を狙ったからというより、これこそが本当に「日本国民全体にとって、いま最大の関心事」であると、候補者も支持者も党員も少なからず純粋に信じていたからだ。

「SNSの世論」を信じて10月31日を迎えたかれらを、国民は見事に《裏切った》のである。いうなれば、立憲・共産連合とその周囲の人びとは、SNSによって自然発生的に仕掛けられた「壮大なドッキリ」にかかってしまったのである。落し穴に転落するまで、だれひとりとしてその「ドッキリ」に気づかなかった。

スマホを捨てよ、街へ出よう

かりに私がリベラル思想をかかげ、立憲民主党の公認を受けた立候補者だとして、SNSを活用しながら政治運動を展開しようと考えていたとすれば、四方八方から大きなボリュームとスケールで伝わってくる「ジェンダー平等」「環境問題」「SDGs」などの論点が、「自分が投票を呼びかけ、支持を得るべき大衆にとって本当は優先度の低い問題である」と見抜くのは難しかっただろう。自分に近しい支援者や選挙スタッフも、同じようにスマートフォン越しに聞こえる「声」を拾い集めていたとなればなおさらだ。私もきっと「ドッキリ」に嵌って落選していたに違いない。

今回の大敗を受けて引責辞任した立憲民主党前代表の枝野幸男氏が述べるように、ここから立憲民主党が信頼される野党第一党として捲土重来をはかるには、「地に足を付けた活動」をやっていくほかない。SNSのなかではなく、SNSの外側にある声を拾い集めなければならない。街の声は、SNSの声とはまったく違うのだ。

枝野氏の語ったそれは奇しくも、作家のカズオ・イシグロがいう「縦の旅行」と同義である。ラディカルで先鋭化した一部の人びとの意見やイデオロギーが、実際よりも巨大に投影されるSNSを見て世の中をわかろうとするのではなく、自分自身が生活する街に出て、そこで働き、暮らし、生きている名もなき人びとの肉声が聞こえる場所にまた戻らなければならない。

立憲民主党や共産党に所属する政治家や候補者だけではない。かれらを支援するリベラル派の知識人も、言論人も、ジャーナリストも、社会活動家も、文化人も、有権者も、みんなそうだ。スマホを置いて、街に出なければならない。

SNSには真実はない。「自分が見たい真実」があるだけだ。

「自分が見たい真実」ばかりを見たせいで、立憲・共産連合は敗北した。
~~引用ここまで~~


20歳までに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。
20歳を過ぎて左翼に傾倒している者は知能が足りない。

とはネットで出回っている英国首相チャーチルが言ったとされる言葉だ(違訳もある)。引用した記事に従えば若いうちは生活に追われていないから世の中を変えたいなどと壮大なことを語れる。それは若者の特権なのだ。

私は左翼だったことはないのだが(小学生のとき日本は戦争に負けて良かったんじゃないかと母親に言ったことはある)、もう少し誇りを持てる日本になって欲しいと考えていた。

だから第一次安倍晋三内閣で安倍晋三が河野談話を踏襲したときほど悔しかったことはない。私が20代のときのことだ。今でも河野・村山談話は破棄すべきと考えているが、安倍晋三、自民党には期待していない。もちろん立憲民主党が破棄することもあり得ない。山本太郎も。

ネットは魔法のように素晴らしい発明だと考えているし、ネットのない生活は考えられない。だがだからこそネットを信用しないようにしている。政治的発言のノイジーマイノリティではなく、金銭的な詐欺の問題が主にではあるが。

しかし立憲民主党と共産党の関係者はジェンダー平等や環境問題が本当に一大争点になったと思っていたのだろうか。それはあまりにも政治的センスがない。共産党との共闘云々以前に負けるのは当然だ。

第一次安倍晋三内閣で参院選の争点は「憲法改正」だと勘違いした安倍晋三に重なる。河野・村山談話を踏襲した売国奴に憲法改正などされては困るし、小泉改革で痛めつけられた生活を良くしてくれることを期待していたのに世論が読めない安倍晋三だった。

第二次安倍晋三内閣では世論を読むこととマスコミ対策には長けるようになったが、緊縮財政で経済を良くすることはなかった。外交も全方位土下座だった。

ラディカルレフトでもパヨクでもネトウヨでも良いが、10万人もいればネットでは相当大きな声になる。しかし10万人ではノイジーマイノリティに過ぎない。数千万人のサイレントマジョリティの声を聞かないと選挙には勝てないのだ。

繰り返すが国民の望みは一貫して経済だ。景気を良くしてくれ、生活を良くしてくれと政治に望んでいる。自民党は裏切り続けてきたのだが、野党は国民の声さえわかっていないのでは勝てるはずもない。

ジェンダー平等や環境問題を実現したいならば経済を一丁目一番地の公約に掲げて政権に就いてからゆっくりやるしかないのだ。

立憲民主党の泉健太以下新執行部がそれを理解すると良いのだが。消費税減税ができない自民党に勝てる見込みはあるのだから。

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