証し
土子雅明
私の病名は『先天性脳性麻痺』。いわゆるCPです。
12歳の時入園していたナースステイションから「CPの子は悪くなっていくだけね」という声が聞こえて来ました。それは悪魔のささやきでした。
『C・Pは治らない。では私は何のために親と離れなのだろう』
目の前が真っ暗になりました。
おりしも、曲がった膝を真っ直ぐにする手術後、今度はその膝をまがるようにする激痛を伴う訓練の日々。訓練を受けたくない。病気なれば訓練はしなくてもすむのに。苦痛の連続でした。
そのようなとき『C・Pは治らない』ことを知ってしまったのです。
こころが病むと体も弱まるものです。それか
らというもの寝込む日が多くなりました。
車に身を投げる夢を毎晩のように見ました。
それが鬱病の始まりでした。とにかく死んで楽になりたかったのです。
しかしなぜか、私の葬式で泣いている父母の姿が現れました。『死んではいけない』幼心にそう思いました。もし父母が泣いている姿を想像出来なければノイローゼになっていたことでしょう。
今にして思えば、神様が父母に会わせて下さったのだと思います。神様は耐えられない試練はお与えにならないのです。
子供はいやなことから逃げます。本能です。死んではいけない。でも死にたい。心はおおいにゆらいでいました。相談する人はいなく、ひとり悩み続け、とうとう、『心的外傷後ストレス障害』になりました。子供のときに受けたストレスは治らないそうです。
これは神様が私を強くするため与えた試練だと思います。
神様は私にいくつかの恵みを与えて下さいました。
これまで生きている間、健常者には優しく時には厳しく、接して頂きました。画家として認められ、肩を並べて歩んで来られました。障害者はどことなく歪んだ存在になっていないでしょうか。そう見られている、そう見えているとしたら、残念なことです。
やってもらうのが当たり前になってはいないでしょうか。やってもらったら感謝の気持ち、言葉を表さないといけないと思います。
だからなのかはわかりませんが、健常者と肩を並べ、言いたいことが言い合える。楽しいときでした。いや、今もそうです。教会員の皆様には優しくしてもらい、インターネットを通し健常者と気軽に会話が出来る。礼拝も出来る。これは神様が私に与えてくれたものだと思います。
話しは27歳にとびます。
『私は一生結婚出来ない。子供も作れない』つらく寂しい現実が待ち受けていたのです。もんもんとした日々でした。
ある日、何気なく書棚に目をやりました。そこに祖母がくれた聖書がありました。
開いてみると、『悲しむ者は幸いである。その人は慰められる』と書いてありました。なんと素晴らしい言葉だろう、と思いました。次から次へ、慰められる言葉が書いてありました。このような言葉を教えるキリスト教に関心を持つようになり教会に行くようになりました。温かい雰囲気が漂う所でした。
「どうして皆心穏やかなのだろう」
不思議でした。悩みことはないのだろうか。
死ぬか生きるかの瀬戸際にいた私に、牧師先生の説教は癒しでした。そして、クリスチャンにとり一番罪なことは自殺することだと知りました。「これだ」と思いました。自殺願望がある私にとり命を取り留める方法はクリスチャンになる以外に方法はないと思いました。
動機は不純でした。他のクリスチャンにはお叱りを受けると思います。しかし私が生き延びる方法はこれしかなかったのです。
「もし生きるのなら、主のために生き、もし死ぬのなら、主のために死ぬのです。」ロ-マ14-8
この御言葉に導かれ、洗礼を受けました、1992年2月のことでした。
日々苦しいことですが、イエス様に守られる幸せを感じております。