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さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

ドア、開いています

2007-05-10 22:54:08 | Thursday 生活
昨日、暑い日差しの中―職場のロッカーの鍵を忘れたことに気付き―、引き返したキャベツの目には、ぶらんぶらんと開いている家のドアが見えた。どうやら、ドアがきちんと閉めていなかったらしい。あちゃ~(>_<)!


 ん、鍵ですか?


 え、え~~とですね、
 (ここだけの話ですが・・・あまり鍵閉めないんです。特に、家にいるときには

 多分、こんなことが知られれば、同居している兄弟以外の家族・親戚・心配した方々から言われるかもしれないんですが、どうやら、これには二つのモデルがあったようです


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 一つ目は、母方の祖父母。
 いつなんどきでも、家には鍵がかかっておりません。
 誰でも、いらっしゃい
 なのか、平和な片田舎だからなのか定かではありませんが、
 いつでも開いている、というのが、ある種、感覚として、わが身に受け継がれているようです。両親は、しっかり鍵をかける方々なんですがねf(^^;)

 他の家でも「そういえば、おばあちゃんの家とかって、鍵がかかっていなかった~」という話はちらほら聞くことなので、あまり珍しいことではないのでしょう。



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 もう一つは、…昔「レ・ミゼラブル」で―「レ・ミゼラブル」というのは、端的に、一片のパンを盗んだために、19年間監獄生活を送ることになった男、ジャン・ヴァルジャン+αの物語―、こんなくだりがあったため。

 (ジャン・ヴァルジャンが釈放されてから出会った、ある司教 1)さんの住まいの描写の一部である)


「家には鍵(かぎ)のかかったドアは一つもなかった。

  前にも述べたように、いきなり大聖堂の広場に出られる食堂のドアには、以前は監獄の戸のように錠前(じょうまえ)と閂(かんぬき)がついていた。司教はこうした金具をみんなはずさせてしまったので、ドアは昼も夜も、掛け金がかかっているだけだった。通りがかりの人は誰でも、どんな時間でも、押しさえすればよかった。
  初め、二人の婦人 2)はいつも戸締(とじま)りをしていないドアを非常に不安がった。司教殿は彼女たちにこう言った。
  「そうしたかったら、あなたたちの部屋に閂をつけさせなさい」
  しまいには彼女たちも彼と同じように安心したか、少なくとも安心したようなふりをした。
  マグロワール夫人だけは、ときどきこわがった。
  司教はといえば、聖書の余白に彼が書きつけた次の三行の中に、その考えが説明されている、少なくとも示されている。
  「ここに微妙な差がある。
   医者のドアは決して閉ざされてはならない。
   司祭 3)のドアはいつも開かれてなければならない。」

  別の『医学の哲理』という本には、別の書き込みがしてあった。
  「わたしも彼らのように医者ではないだろうか? わたしにも患者がいる。
   第一に、彼らの患者、医者が患者と呼んでいる病人がいる。
   第二に、わたしの患者、わたしが不幸な人と呼んでいる病人がいる」

  さらに他のところではこう書いている。
  「宿を求めて来る者に、その名を尋ねるな。
   名のりにくい者こそ、避難所を必要とする人だからである」
 
  こんなことがあった。
  ある日、クルブルーの司祭だったか、ポンピエリの司祭だったか忘れたが、立派な司祭が、たぶんマグロワール夫人にそそのかされたのであろう、誰でも入りたいと思う人の思うままに、ドアを昼も夜もあけておいても、ある意味では軽はずみにならないと確信するのですか、またこんなに戸締りの悪い家で何か不幸が起こるのを恐れませんか、と司教に尋ねた。
  司教は優しみのこもった重々(おもおも)しさで相手の肩に手をおいて、ラテン語 4)で言った。
  「主 5)が家を守ってくださらなければ、人がいくら守ったところで益(えき)はありますまい」
  それから、彼は話題を変えてしまった。

  彼は好んでこう言っていた。
  「竜騎兵(りゅうきへい)の隊長の勇気があるように、司祭の勇気というものがある。ただ」
  と彼はつけ加えた。
  「われわれ司祭の勇気は、静かでなくてはならない」


            ―――――――――――――――(「レ・ミゼラブル」 6)ビクトル・ユーゴー作、佐藤朔訳)
  

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 そんなこんなで、openなキャベツ家。もし東京で泊まるところを探していたら、おもてなしはさっぱりだが、キャベツの家もありますよって言っておこう。友人各位。

  いつでも、開いていますからって。


  それは、たぶん・・・鍵をかけるのが面倒だから・・・デハナイw。

 
                                           


【注】
1)司教:ローマ・カトリック教会で、司祭の上に立つ聖職。司教区の首長。
     ここで描かれている司教は、自分の家(司教館)を隣の病院の方々に与え、自分は、その病院だったところに住む、風変わりな人である。(フィクションです)

2)二人の婦人:司教の妹バチスチーヌ嬢と、女中のマグロワール婦人

3)司祭:キリスト教の聖職の一つ。ローマ・カトリック教会では司教の下位、ギリシア正教・聖公会では主教の下位にあって、教会の儀式・典礼(てんれい)をつかさどる。祭司。
  ちなみに、新約聖書において、クリスチャン=祭司(ペテロ第一 2:5「聖なる祭司」)という側面も記されている。もちろん、救われたてクリスチャンになったら、誰でも勝手なことをしゃべっていい、というわけではない。
  分かりづらいかもしれないが「聖霊の働きに導かれて」という事が、あるのですよ。(ああ、これ、とてつもなく、知らない人には分かりにくい内容だ…

4)ラテン語:その昔、ローマ帝国の共通語となっており、20世紀初頭までカトリック教会の公用語であり、また、中世以来学術語として使用されてきた。フランス語やスペイン語、イタリア語の元となる言語。

5)主:神様のこと。 


6)そういえば、今年、「レ・ミゼラブル」のうち「コゼット」編が、アニメになるとかならないとか。昔、ハウス食品の「世界名作劇場」を兄弟で見ていた身としては、これからもそういうのがあると嬉しい限り。

 P.S-「アニメ版レ・ミゼラブル」、もうon airしていたんですね。
     どんな作品になるかと思いきや、なかなか見れるものでほっとしました(絵は、「名探偵コナン」ばりですね―同じ人が作成しているんかな?)。
     
     最近の放映された部分だけですが、こちらにて無料で見れるようです↓

     世界名作劇場 レ・ミゼラブル 少女コゼット






                                     

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