旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

紺屋の白袴

2010年11月11日 22時13分29秒 | Weblog
「紺屋の白袴」とは、他人のためにのみ忙しく自分のことに手が回らないことの喩えをいう。また、いつでもできることなのに放置しておくことの喩えでもある。医者の不養生に近い諺だ。ことわざ集を読んでいて、たまたまこの「ことわざ」に当たった。

読み方はもちろん、文字通り「こんやのしろばかま」だと思いながら「ふりがな」を読んむと、そのテキストでは「『こうや』のしろばかま」になっている。注意深く読み返してみても「『コウヤ』ノシロバカマ」だ。誤植とか表現の誤りをみつけるのが好きという困った性分の持ち主なので、ふりがなの誤りとして片づけて出版社に抗議しようとしていた。

しかし、今になって思えば虫の知らせか、どうにもしっくりこない。「こうや」という表現を、そのむかし、どこかで聞いたような気がするし読んだような気がする。この誤りとおぼしきふりがなについて再確認しておいた方がいいように思って日本国語大辞典全20巻に当たってみた。

紺屋「こうや、こんや」は同義とある。岩波国語辞典にいたっては「紺屋の白袴」は「こうやのしろばかま」であって、「こんや」の語にはこの諺の項目すらない。国語大辞典によれば「こうやのしろばかま」「こんやのしろばかま」ともに「あり」だ。「こうや」の発音が「コーヤ」であることまで記されている。

「でどころや、生まれ」のことを出自という。かって、この出自をなぜか出目と読み、会話でも文章でも数年間に渡って「しゅつもく」と表現してはばかることがなかった。幸いその際には、出自という表現自体が日常で使用する頻度が低く、出目と言ってもこの誤りに気がついた人は殆どいないと思う。「しゅつもく?」と問いなおすひともいなかった。恥をかく前にみずから辞書で誤りを確認できたと憶測している。「不幸中の幸い」だった。

該当者を「かくとうしゃ」と読むひとが多い。これは誤りだ。施工と施行は「せこう」に「しこう」と教わったが、いづれも「せこう」と読んでも誤りではないようだ。正しい日本語云々などと言うつもりはない。せわしい世の中だからなおさら、記憶が怪しい漢字に出会ったらまず辞書に当たってみるくらいの余裕は持ち続けたい。言葉は生モノなのだから通じればそれでいいとわきまえている。正しい日本語がどうのこうのというつもりは毛頭もない。私の場合は、表現の物差しとして辞書・辞典が役に立っている、ただそれだけのことだ。

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