旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

菜園

2011年03月12日 22時06分04秒 | Weblog
市農協に問い合わせてみたら手ごろな菜園が空いていた。自宅から直線距離で0.7㎞程度、道のりで1㎞もない。微妙だが駐車するだけのスペースもあるようだ。所要時間は車で3分、歩いて10分ほどだ。2区画を借り受けて来月からファーミングを再開する。

土の色で解る、土壌はかなり痩せている。まず石灰をまいて土を中和してから腐葉土を混ぜて土地を肥やす。ほとりを農業用水が流れているのでふんだんに水を使える。これはありがたい。思い通りに用地の準備ができたので悪乗りして今回は野菜の自給を目指ことにした。

2区画の内の一方はジャガイモ、サツマイモ、サトイモなどイモ類とゴボウ、ニンジン、ダイコンなど根菜類のための区画とする。他の一方はトマト、ナス、ピーマン、インゲン、ゴボウ、ホウレンソウ、オオバ、たまにレタス、キャベツのための区画とする。

ファーミングを休止してからというもの運動不足だ。この運動不足をトレーニングジムで解消しようなどというのはもってのほかだ。農耕民族の末裔としては文化の伝承と趣味と実益を兼ねて土に親しむ。肥えた土の香りと降り注ぐ太陽、収穫の喜びと冷たいビール。菜園はこれから夏に向かって走り始める。

人物像と作品

2011年03月12日 19時42分49秒 | Weblog
机の近くに本棚を引き寄せて、興味が湧かない本を遠ざけ、興味が湧いた本をそこに置いていく。それだけで頭が整理できる。広く浅く読む読書に興味はない。もちろん広く深く読むだけの時間はない。限られた時間のなかで最も興味が湧く分野を集中的に読む。マンガは殆ど読まないしエロ本は全く読まない。「趣味が読書」というとマンガ・エロ本にハウツーものという先入観をもつ人が多い。「己と一緒にするな、貧困な奴だな。」と侮蔑する。これが態度にもでるらしい。わたしは修行が足りないことを自覚している。

フロイト著「文化芸術論」とサルトル著「言葉」が本の山の中から出てきた。

前著は、かなり以前から所在が不明だった。別の本箱の埃を払っていたら隅の方に鎮座していた。久しぶりに目を通したら改めて魅せられた。フロイトは思い込みが激しく執念深い人だ。すべての文化芸術を単純な原理から解読しようとする粘着には恐れ入る。学生時分はフロイトの論旨がすべて正しいと妄信していた。表現上の一貫性に弱かったのだ。読書遍歴を重ねることによってみえてくることがある。フロイト流の無意識世界の解明には限界がある。それでもフロイトに魅せられるのは彼が独創的な思想家であり人間的には私と同様に修行が足りない人物じゃないかと思われれるからだ。

「言葉」については、読み終えたと思っていたが読んでいなかった。うんざりするほど長編の「シチュアシオン」と勘違いしていたようだ。この書はサルトルの自伝だという。無名の作家の自伝には興味がない。サルトルほどの名声を得た作家の自伝だから読まないわけにはいかない。「世界の名著」を読む醍醐味の過半は、その解説によって人物像が明らかになる点にあるといっても過言ではない。私の中では人物像と作品は一体なのだ。大物作家の自伝を読めば著名な作家が影響を与えた「時代」を読むことができるからだ。

それにしても両著ともテキストの活字が極めて小さい。前途は多難だ。