旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

水戸学

2005年09月02日 22時05分32秒 | Weblog
山川出版社の日本史用語集によると、尊皇攘夷とは、「尊王論(天皇尊崇思想)と攘夷論(外人排斥思想)とが幕藩体制の動揺と外国の圧迫という危機に結合して大きな潮流を形成、幕末期長州藩の下級武士を中心とした尊攘派は尊皇攘夷運動を倒幕運動に発展させて明治維新を導く。」という意味合いになる。

徳川幕府御三家のお膝元である水戸藩から、尊皇攘夷や国体といった独創的な思想を唱える学者を輩出したことに瞠目してしまう。吉田松陰の尊皇攘夷思想は理論的な根拠を水戸学に依存しているし、尊皇攘夷という熟語も水戸学のオリジナルである。

名分論あるいは大義名分論とは、主君に対する忠誠と国家の秩序に対する服従を絶対視し、これを道徳の機軸に置こうとする考え方を指すのであるが、これは水戸学によるほぼ純正の日本製の熟語である。そもそも、儒教は「仁」とか「孝」を徳目の中心に置く。もちろん朱子学の用語でもない。
天皇制の思想的な支柱となった国体という観念も、この水戸学の賜物なのであって、大陸から輸入され思想ではないことをつい最近になって知った。




解説 「侍ニッポン」

2005年09月02日 21時15分32秒 | Weblog
            井伊直弼

『幕末、彦根藩主・井伊直弼の落胤として生まれた新納鶴千代は、それと知らされないまま成長し、母とともに江戸に出て剣を学ぶ。菊乃という女性と恋仲になるが、家柄が違うという理由で相手の親から結婚を拒否される。それを契機に自分の出生に疑いをもつようになった鶴千代は、同門の友・竹之介に勧められるまま、茶屋酒に溺れるようになる。さらに竹之介ら水戸浪士たちの尊皇攘夷思想に惹きつけられるが、彼らの過激な行動には心底共鳴することができない。そのため、水戸浪士たちが異人館焼き討ちに失敗した際、裏切り者の疑いをかけられる。
 それを晴らすため、鶴千代は単身、大老になっていた井伊直弼を襲うが、逆に捕らえられてしまう。直弼は、愛国の至情をこめて開国の必要をじゅんじゅんと説き、鶴千代はその言葉に莫然と父を感じる。
 直弼の計らいで密かに放免された鶴千代は、自分の生きるべき道を見いだせない絶望感から紅燈の巷に我を忘れるようになり、そのなかで芸者吉次と深い仲になる。吉次と別れさせるため、母は井伊直弼がほんとうの父であると明かす。鶴千代は一瞬呆然としたものの、「今頃になって……」と冷ややかにつぶやくだけだった。
 やがて、竹之介ら水戸浪士たちが井伊直弼を襲う日が来た。それを知った鶴千代は、父を救うため、雪を蹴立てて桜田門外に向かう。争闘はすでに始まっていた。自分の名を呼ぶわが子の声を聞いた直弼が思わず駕篭から身を乗り出したとたん、浪士の白刃が胸を貫き、駆けつけた鶴千代も竹之介の剣に倒れる。二人の死骸の上には、雪が降りしきっていた……。』

※ 二木 紘三(FUTATSUGI Kozo)さんのホームページから勝手に引用。
彼による彼自身のための経歴 
1942年長野県に生まれる。1965年、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。出版社に2年半勤めたあと、ずっとフリー。仕事はいちおう文筆業。趣味無し。そのほか、芸、胃、髪の毛、根性、甲斐性、協調性、運転免許など、ないもの多数。 ※