(ネタバレ注意!)本作は、西洋形而上学の「肉食・男性論理中心主義」に疑問を投げかけており、単なるSFパニック映画とは一線を画す秀作である。
アイランド
主人公の男性リンカーンと女性ジョーダンは、神ならぬ人間が創造主となった第Ⅱ世代(クローン)のアダムとイブである。人体の代替品として製造されたクローンだが、肉体的にはもちろん、精神的にも限りなく人間に近づかないと商品として機能しないため、知能や欲望、感情、記憶といった要素もそこそこ刷り込まれている。
とはいえ、クローンにインプットされている物語は12だけ。これはキリストの12使徒に因むのだろうか。キリストは、世俗に汚染されていない純粋無垢な12人の弟子を選び、一人一人の性格や才能を考え、教え育てたという。
クローンは、いわゆる保険商品の一つだが、人格を持っているので、自分の身に危険が迫ればサバイバルのために反乱を起こす可能性を秘めた、二律背反的な存在だ。
彼らの住むエデンの園=施設は、人間がクローンを支配する無菌の管理社会である。そこでの唯一のアイデンティティは、”外の世界は汚染されている。生き残るには、理想郷「アイランド」行きのクジに当選することしかない”というもの。
さらに、労働、食、生といった人間の基本的な欲求も完全に管理され、性愛の欲求に至っては最初からカットされている。
施設のシーンで、オペラ・トゥーランドットのアリア「誰も寝てはならぬ」が流れるのは、真実を知るまでは誰も寝てはならないという、クローンたちへの警告だろう。
また、リンカーンが「左の靴がない」と叫ぶのは、イギリスでは、挙式の際、新婦の左の靴に6ペンスしのばせておくと幸運に恵まれる、というジンクスがあることにひっかけたのでは。徹底した管理に疑問を抱いた彼は、自分には幸せが訪れそうもないことを訴えているのではないだろうか。
ある日、リンカーンは、汚染されているはずの外の世界で生き延びた蛾が施設に侵入してきたのを見つける。そして、創世記の、知恵をつける蛇を思わせるこの虫に導かれて、自分たちのいる世界の暴力と裏切りの実態を知り、ジョーダンと二人で外の世界=人間社会へと飛び出す。そこでもまず出会うのが大蛇だ。
彼らは徐々に知識を獲得し、自分たちは人間のコピーであること、人間はクローンたちに、人間によって抑圧され搾取されていることを忘れさせるため、理想郷「アイランド」行きの当選という夢を見させ続けていること、その夢の果ては、リンカーンが繰り返し見る悪夢のように、到達不可能で無惨なものであること、そして、外の世界もまた、人間が人間を支配する管理社会であることなどを悟っていく。
さらに、内と外、理想郷と暴力的な管理社会、人間とクローンや動植物、女と男、有色人と白人などの境界はないのだ、ということも・・・。
かつて西洋形而上学では、人間とは、「成人の、男性の、白人の、肉食的供犠をすることができるヨーロッパ人」を意味していた。現代でもこの系譜は続いており、政治、経済、社会の諸構造をはじめ、動物や生物を用いる実験などは、こうした男性論理のもとで行われている。
本作は、主人公二人のクローンの反乱を通じて、男性論理中心の社会を揺さぶろうとしている。つまり、二項対立はもはや不可能だということ。
例を挙げてみよう。
施設での格闘技で、女性が男性に勝ち、ジョーダンはリンカーンと互角で、仲間を救出する。(女性/男性)
リンカーンは、 虫や蛇により、真実を知る手がかりを得る。(人間/動物)
リンカーンと瓜二つのクライアントは、クローンの痕跡であるブレスレットをつけただけで、警備隊に誤認され、撃たれて死んでしまう。(人間/クローン)
クライアントになりすましたリンカーンは、再生用のスキャンのために施設を訪れるが、係員に「リンゴでも食べて待っていてください」と言われる。これは、知恵の実が授ける、クローンの救出作戦を連想させる。(人間/植物)
クローンの内の世界にはアウシュビッツを思わせるガス室があり、外の世界には9.11に繋がる都市の壮絶な崩壊がある。(内/外)
リンカーンは、人間の監督から「人間は生きるためなら何でもやる」と教えられるが、後日、同じ言葉を人間に返す。(クローン/人間))
黒人奴隷の反乱兵を父に持つ警備隊長が、メシア的な(予期せぬ)到来をして、クローンを擁護し、白人が搾取する世界を転覆させる。(有色人/白人)
さて、タブーとされていた性愛はクローンの究極の欲求である。人を愛することは世界を愛することに繋がるからだ。リンカーンとジョーダンが性愛を知っていくプロセスのシーンで、愛の神キューピッド像が何度も現れる。
ラストで一瞬、俯瞰構図となり、リンカーンとジョーダンがキスをする。その様子をうれしそうに見つめながら去っていく警備隊長 。彼には光が当たっている。
そして、”復活”と名付けられた船は、リンカーンとジョーダンを乗せて南へ・・・。
彼らも、創世記のアダムとイブのように、苦難の人生航路を辿るのだろうか。
人間は創造主にはなれない、ということも含めて、本作には神の視点を感じるシーンが多々ある。「信じられるのは、あんたと神だけだ」と言い、リンカーンが奴隷状態のクローンたちを解放するのをサポートした警備隊長は、もしかしてメシア(神=大いなるもの)だったのだろうか。
主人公の二人が適役で、ピュアなクローンの人物造形が伝わってくる。ストーリーに矛盾点はいくつもあるが、テーマのすばらしさを評価したい。
★★★★(★5つで満点)
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アイランド
主人公の男性リンカーンと女性ジョーダンは、神ならぬ人間が創造主となった第Ⅱ世代(クローン)のアダムとイブである。人体の代替品として製造されたクローンだが、肉体的にはもちろん、精神的にも限りなく人間に近づかないと商品として機能しないため、知能や欲望、感情、記憶といった要素もそこそこ刷り込まれている。
とはいえ、クローンにインプットされている物語は12だけ。これはキリストの12使徒に因むのだろうか。キリストは、世俗に汚染されていない純粋無垢な12人の弟子を選び、一人一人の性格や才能を考え、教え育てたという。
クローンは、いわゆる保険商品の一つだが、人格を持っているので、自分の身に危険が迫ればサバイバルのために反乱を起こす可能性を秘めた、二律背反的な存在だ。
彼らの住むエデンの園=施設は、人間がクローンを支配する無菌の管理社会である。そこでの唯一のアイデンティティは、”外の世界は汚染されている。生き残るには、理想郷「アイランド」行きのクジに当選することしかない”というもの。
さらに、労働、食、生といった人間の基本的な欲求も完全に管理され、性愛の欲求に至っては最初からカットされている。
施設のシーンで、オペラ・トゥーランドットのアリア「誰も寝てはならぬ」が流れるのは、真実を知るまでは誰も寝てはならないという、クローンたちへの警告だろう。
また、リンカーンが「左の靴がない」と叫ぶのは、イギリスでは、挙式の際、新婦の左の靴に6ペンスしのばせておくと幸運に恵まれる、というジンクスがあることにひっかけたのでは。徹底した管理に疑問を抱いた彼は、自分には幸せが訪れそうもないことを訴えているのではないだろうか。
ある日、リンカーンは、汚染されているはずの外の世界で生き延びた蛾が施設に侵入してきたのを見つける。そして、創世記の、知恵をつける蛇を思わせるこの虫に導かれて、自分たちのいる世界の暴力と裏切りの実態を知り、ジョーダンと二人で外の世界=人間社会へと飛び出す。そこでもまず出会うのが大蛇だ。
彼らは徐々に知識を獲得し、自分たちは人間のコピーであること、人間はクローンたちに、人間によって抑圧され搾取されていることを忘れさせるため、理想郷「アイランド」行きの当選という夢を見させ続けていること、その夢の果ては、リンカーンが繰り返し見る悪夢のように、到達不可能で無惨なものであること、そして、外の世界もまた、人間が人間を支配する管理社会であることなどを悟っていく。
さらに、内と外、理想郷と暴力的な管理社会、人間とクローンや動植物、女と男、有色人と白人などの境界はないのだ、ということも・・・。
かつて西洋形而上学では、人間とは、「成人の、男性の、白人の、肉食的供犠をすることができるヨーロッパ人」を意味していた。現代でもこの系譜は続いており、政治、経済、社会の諸構造をはじめ、動物や生物を用いる実験などは、こうした男性論理のもとで行われている。
本作は、主人公二人のクローンの反乱を通じて、男性論理中心の社会を揺さぶろうとしている。つまり、二項対立はもはや不可能だということ。
例を挙げてみよう。
施設での格闘技で、女性が男性に勝ち、ジョーダンはリンカーンと互角で、仲間を救出する。(女性/男性)
リンカーンは、 虫や蛇により、真実を知る手がかりを得る。(人間/動物)
リンカーンと瓜二つのクライアントは、クローンの痕跡であるブレスレットをつけただけで、警備隊に誤認され、撃たれて死んでしまう。(人間/クローン)
クライアントになりすましたリンカーンは、再生用のスキャンのために施設を訪れるが、係員に「リンゴでも食べて待っていてください」と言われる。これは、知恵の実が授ける、クローンの救出作戦を連想させる。(人間/植物)
クローンの内の世界にはアウシュビッツを思わせるガス室があり、外の世界には9.11に繋がる都市の壮絶な崩壊がある。(内/外)
リンカーンは、人間の監督から「人間は生きるためなら何でもやる」と教えられるが、後日、同じ言葉を人間に返す。(クローン/人間))
黒人奴隷の反乱兵を父に持つ警備隊長が、メシア的な(予期せぬ)到来をして、クローンを擁護し、白人が搾取する世界を転覆させる。(有色人/白人)
さて、タブーとされていた性愛はクローンの究極の欲求である。人を愛することは世界を愛することに繋がるからだ。リンカーンとジョーダンが性愛を知っていくプロセスのシーンで、愛の神キューピッド像が何度も現れる。
ラストで一瞬、俯瞰構図となり、リンカーンとジョーダンがキスをする。その様子をうれしそうに見つめながら去っていく警備隊長 。彼には光が当たっている。
そして、”復活”と名付けられた船は、リンカーンとジョーダンを乗せて南へ・・・。
彼らも、創世記のアダムとイブのように、苦難の人生航路を辿るのだろうか。
人間は創造主にはなれない、ということも含めて、本作には神の視点を感じるシーンが多々ある。「信じられるのは、あんたと神だけだ」と言い、リンカーンが奴隷状態のクローンたちを解放するのをサポートした警備隊長は、もしかしてメシア(神=大いなるもの)だったのだろうか。
主人公の二人が適役で、ピュアなクローンの人物造形が伝わってくる。ストーリーに矛盾点はいくつもあるが、テーマのすばらしさを評価したい。
★★★★(★5つで満点)
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そんなことが隠されていたのかぁ・・・
と、半分もわかっていない俺。
壮大なSF哲学だったのですね・・・
アクションの中にさらっとメッセージが含まれていて,
それが自然と響いてくる作品でしたね。
記事、興味深く拝読させていただきました。「なるほど~」と納得してしまいました。つきつめていくと、奥が深い話なんですね。
人間が人間の命をモノのように扱うことだけは、してはいけないことだと思っています。それこそ神の領域を侵犯してますから。
またお邪魔させて下さいね☆
みなさん、おっしゃってますが奥が深い!!
そういう視点で映画をご覧になっているということにただただ関心でございます。
映画は私的には大好きなアクションに強い社会的なメッセージがこめられていて見て良かったと素直に思える作品でした。
またおじゃまさせて頂きます。
キラー・ハリケーン・カトリーナと、ニュー・オーリンズの水害、取り残された最貧困黒人たち、銃を使った略奪者、おびただしい死者。
CNNに釘付けです。悲惨な出来事ですが、見ている光景は映画と同じです。あらゆる事件事故報道は娯楽です。
もちろん、起こっている事件事故はシリアスな現実です。それを娯楽と言っているわけではありません。報道というものは現実を娯楽と化してしまいます。
東京の水害の現場に行く羽目になりました。
帰ってきたら、知り合いの住むメダンで大事故が・・・・。
あの、大災害地アチェ支援の中心地です。世界は人間の愚かしさで沸騰しているような気がします。
映画の伝える真実も現実の出来事もクロスオーバーしています。
またコメントをお願いします。楽しみにしています。TBさせて頂きます。
こんな映画の見方も有るのですねぇ。
勉強になりました。
レビュー楽しく読まさせていただきました。
なるほど男性論理中心主義ですか。
そういう見方もあるのですね。奥が深いです。
私も設定の中で深読みできそうなものがいくつかあり気にはなっていたところです。
また寄らさせていただきますね。
観客に解釈を委ねる、というのも、最近のハリウッド映画の一つの傾向でしょうか。
語り合うのにはそのほうが楽しいので、私は気に入っていますが・・・。
ざっと拝見したところ好意的なご意見が多い中、当方の記事は少々辛口だったにも関わらず取り上げていただいて恐縮しております。
作品の主張は非常にわかりやすいものだと思うのですが、ラスト近くで息切れを感じた模様です。(他人事のように^^;
スカーレット・ヨハンソンは凄く綺麗で魅力的でしたね。可愛い演技も観てみたいなと思います。