マダム・クニコの映画解体新書

コピーライターが、現代思想とフェミニズムの視点で分析する、ひと味違う映画評。ネタバレ注意!

チャーリーとチョコレート工場/母の不在

2005-11-05 | 映画分析

(ネタバレ注意!)
 大人のための毒気に満ちたメルヘン。資本主義にどっぷり浸かっている現代人を批判しているが、その底流には、不在の母に対する飢餓感がある。
チャーリーとチョコレート工場 

 ウォンカは、歯科医の父が彼の歯を守るためにチョコレートを燃やしたことに腹を立てて、少年時代に家出。長じてから一念発起してチョコレート工場のオーナーになった。
 ところが、余りにも成功したため同業者のねたみを買い、産業スパイによる機密の漏洩などもあって、人間不信に陥る。そのため工場を非公開にし、引きこもり状態でワンマン経営による製造を続けて15年。
 近頃は、情報不足のため新製品の開発も思うようにならない。また、独身なので後継者選びも考えなくてはならない。そこで、新しい風を入れるために、5組の親子を工場に招き、見学してもうことにした。

なぜ、親子なのか?
 ウォンカには、幼い時からなぜか母がいないし、父とも疎遠になっている。また、世間とも交流を絶っているため、昨今の親子関係というものを一度見てみたかったのだろう。さらに、親を見ればどんな子供かよく分る、といった理由もあったに違いない。

 大人気のチョコレートの工場。しかもミステリアスな非公開の場所。加えて、もしかしたら大金持ちになれるかも、というわけで、金の招待券入りチョコを求め、世界の各地で購買者が殺到した。

 当選したのは、チョコの大食漢、手段を選ばない大口購入者、賞マニア、ハイテクオタクなど、金持ちのお嬢ちゃま、お坊ちゃま連中に加えて、貧乏なチャーリー少年。このチャーリーでさえ、雪道で拾った金を警察に届けずにネコババして、チョコを買ったのだった・・・。これが、資本主義社会の中で、勝ち組といわれている人たちの実態なのだろう。

さて、晴れて見学招待の日。父親か母親と来た子供たちの中で、チャーリーだけが祖父と一緒だった。この祖父は、「お札は毎日印刷すれば出てくる」と、実体の無い拝金主義を笑い飛ばしている。皮肉なことにチャーリーの父は歯磨き工場に勤めていたが、チョコの売れ行きと比例して、歯磨き工場のほうも大増設。機械化を強いられたため、目下レイオフ中なのだ。

チャーリーたちが一歩入ると、そこはさながら奴隷工場だった。香料を探しに行ったウォンカが、南国で見つけた先住民のウンパ・ルンパ族たちを連れ帰り、彼らの一番のご馳走であるカカオ豆を与える代わりに、ただ命令に従うだけの画一的な労働をさせていたのだ。
 見学者たちを乗せて、進路も見ずにただひたすら漕ぐだけのガレー船(「グラディエーター」でも奴隷が漕いでいた)、ムチで叩いて作るホイップクリーム、クルミを割るリスたちも同じ動作を繰り返している・・・。コンベアー・システムに代表される、人間性無視の労働状況といってよいだろう。
 新製品といえば、永久に溶けない飴、毛はえ飴、フルコース・ディナーガムといった手抜きや見かけ重視のものばかり。さらに、羊の毛刈り=スケープゴート、人形のヤケド治療室=搾取してはなだめる、などのシーンも。

 結局、両親に対してトラウマのあるウォンカ(「両親」という言葉を口ごもる)は、親子で来た4組にかなりひどい報復をする。もともと彼らはそうされても仕方がないほど、どうしようもない親子ではあるが・・・。

 なぜ、ウォンカは両親に対して、トラウマを抱いているのか?
 彼は、乳児の頃から母は不在で、頼みの父も一方通行の愛情を注ぐだけだった。
 乳児にとって、母親は父親よりも重要な存在だ。なぜなら、自我が確立する以前(前エディプス期)の母子融合の状態を記憶しているから、そこから脱却して自我を構築するには、母親に対して融合と棄却のプロセスを反復することが必要である。母親の不在は、安定した状態で愛する対象を取り込むことができないため、棄却の不安を克服することが困難になる。
 しかし、精神神経系統がある程度成熟し、両親の十分な世話を受けると、乳児は母親の不在に耐えられるようになる。そして、おもちゃや人形などの代替物で、母親を置き換え、欠落感を補う。それが出来ない子供、つまり両親の愛情が欠けているような場合は、母親を他のもので表象することができないので、その不在に耐えられず、深いトラウマになるという。

 ウォンカは、チャーリーの導きにより、父に対するするトラウマは克服したが、母に対するそれををどう乗り越えるかが課題だった。
 本作では、ウォンカの母親は全く登場しないし、チャーリーの母親も影が薄い。見学者の母親たちも良い感じには描かれていない。ウォンカ(もしかしてティム・バートンも?)は、何らかの事情で乳児の頃から母親がいなかったのだろう。彼の幼児性は、母の不在が原因で、自我を十分に確立することができなかったことによるものだ。彼の母親に対するトラウマは余りにも深いので、彼女への言及を一切しないことで、復讐しているのである。
★★★★(★5つで満点)

この記事を評価する(4段階)

ブログ・ルポ
あなたのブログで眠っている記事が、再び脚光を浴びるチャンス!

人気blogランキング
 
(この記事を気に入った方は、ココをクリックしていただけるとうれしいです)

トップページヘ



48 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは (ココ(ココのつぶやき))
2005-11-05 19:50:28
やはり、マダム・クニコさんの視点は一味違いますね。こういう風には見ていなかったので、すごいなあと思いました。

今度見直してみるとき、この記事を思い出しながら、見てみたいものだと思いました。
そっ、そうだ! (rubicone)
2005-11-06 00:33:30
こんばんは!

マダム・クニコさまの記事を拝見して、そうだっ!と思いました。



>「母の不在」



そうですよね~!!
ペ、ペ、ペアレンツ (にら)
2005-11-06 05:18:47
片や母親が不在で幼児性行動をとる者、片や両親健在でゆがんだ人格形成過程にある者たち。

子育てとは、かくも難しきものなんですね。



あの世界では唯一まともに見えるチャーリーも、家族以外の不幸に救いの手は延べないし、同情すらしない。

そんなことなら、子供なんて育てたくも・・・おっと、たかが映画の世界のおはなしでした。



てなわけで、TBありがとうございました。
なるほど (xina-shin)
2005-11-06 10:02:48
母の存在感の無さには気付きませんでした。

ウォンカの心の生成にかかわってきてるんですね。

TB感謝です。
TB (もんどり)
2005-11-06 11:14:36
TBさせていただきました。
こんにちは (丞相)
2005-11-06 16:25:35
こんにちは、TB・コメントありがとうございました。

父親との確執自体も、原作には描かれてないそうですね。

母の不在もあいまって、ティム・バートンの両親に対する思いは

相当に複雑なものなのでしょう。

『コープス・ブライド』でも、やはり両親の描き方が、ピントが合っていないようでしたから。

実生活で親としての役割を果たすことで、作品にも何かの変化があるかもしれませんね。

これからのティム・バートン作品も楽しみにしています。
ごめんなさい ()
2005-11-06 16:41:30
はじめまして。TBありがとうございました。

私もTB返ししたつもりでしたが、「コープスブライド」を貼り付けてしまいました。お手数ですが削除お願いいたします。m(_ _"m)ペコリ
なるほど・・・ (ぽたます)
2005-11-06 17:31:53
初めまして。TBありがとうございました。



作品中にウォンカの母親について、その存在さえ表わされていないので、単純に子供の頃に死別か、離婚したのかな?と考えていました。

なるほど、母親不在の理由も、追求すると様々な意味を持ってくるものなのですね。

初めまして (ハッチャン)
2005-11-06 19:43:53
まるで、ディズニーランドのパビリオンの中を移動していくようなまか不思議な世界と一度聴いたら、頭から離れないダニー・エルフマンの素敵音楽、変な小人達のユーモラスな踊りが最高でした。
Unknown (Deanna)
2005-11-07 00:14:47
原作とはまた違って親子間の関係に重点をおいた作品に仕上がってるなとは思っていましたが、ここまで深い洞察はしておりませんでした。

TBさせていただきました☆

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。