塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

先駆者の姿勢、そして表情

2011-11-14 23:05:35 | 日記
 今日の「ミヤネ屋」でスマップの結成20周年コンサートの模様が流されました。

 その際

 「ジャニーズの皆さんがバラエティに登場するのは、スマップが先鞭をつけた為。」

 という発言がありましたが、なるほど、その通りだと思います。

 スマップがまだ駆け出しの頃、「夢がモリモリ」という番組に出ていたことを思い出し
ます。

 嵐が「秘密の嵐ちゃん」という番組を持ち、今日の「お試しか」の中にキス・マイ・フッ
トが登場したのも、スマップがその前に未知を道に変化させていた、その影響が大きいと
思います。

 同時にスマップにも修行時代があったことを忘れてはいけません。

 サッカーの世界でも先駆者がいましたね。

 JSLがまだ日本リーグだったころにやってきたブラジルからの選手達。

 その後ファンはオスカー、そしてジーコという大物が

 「アマチュア」

 リーグでプレイすることに驚き、そして感謝します。

 今も日本では多くのブラジル人選手がプレイしていますが、彼らの活躍する基盤は、当時
からすでに存在したのです。

 そしてラモス、呂比須そして三都主。

 彼らは国籍を変更し日本人として生活することで、新たな生き方を僕たちに提示してくれ
ました。

 三都主は2002、06と2大会連続でワールドカップに出場し、ラモスは東京ヴェルディ
とビーチサッカーの代表監督を務めるなど、その存在感は際立っています。
 
 やはり先駆者には多くの困難が伴ったと思いますが、その困難を表情に出さない事も、また
凄いことだと思うのです。
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ボスニアファン、ロナウドをレーザービームの標的に

2011-11-14 18:11:19 | 日記
 ボスニアホームで行われたユーロ12のプレイオフ、対ポルトガル戦。

 ボスニアのファンがロナウドに対して「レーザー・ビーム」で威嚇する場面が映しださ
れましたが、この光景を

 「アウェイの洗礼」

 とやべっちFCでは紹介していましたが、僕はこの光景は洗礼でも何でもない、ただの
馬鹿げた観客の行動だと捉えます。

 先日のタジキスタン戦、そして明日の北朝鮮代表との一戦を前に、日本の報道は常に

 「アウェイの洗礼」

 という常套句を用いています。

 確かに気候と風土、異なる言語に関してはその言葉が当てはまると思います。

 またタジキスタン側が懸命の除雪作業をしてくれたお蔭で試合はできましたが、その
状態は「酷」な物でした。

 これらの条件は選手も監督もそしてファンも、地力で解決の仕様がありません。

 特に敵側はこれらの条件を黙って受け入れるしかありませんし、もしスタジアムの改修や
入場料収入を変更するならば、その国自身が動くしか解決の糸口は見つかりません。

 しかし今回のような

 「レーザー・ビーム」

 は個人で解決できるものであり、避けられた出来事でした。

 前回のワールドカップ予選だったと思いますが、遠藤保仁もバーレーン戦でこの被害に遭った
事があります。

 何事も無かったから良かったものの、両選手が不調を訴えれば、バーレーン、そしてボスニア
にはFIFAからのきつい制裁が与えられたに違いありません。

 間抜けなファンの行動で、その国全体が被害を被ります。

 しかしそのファンは恐らく謝罪もせず、自分の行動を正当化する可能性もあります。

 今僕らの良識が求められます。
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日本語の主語の豊富さ

2011-11-14 16:30:56 | 日記
 8年前の夏、僕は東京の飯田橋の角川書店編集部を訪れました。

 当時僕が愛読していた「スポーツ・ヤア」が、2泊3日で行われる玉木正之氏のセミナー
の講習者を募集していまして、応募したところ運良く当選したんですね。

 このセミナーで玉木さんがおっしゃった事柄でよく覚えているのが

 「日本語の主語」

 についてです。

 例えば英語ならば「Ⅰ」、イタリア語ならば「Io」が一人称単数を表しますが、日本語
はこの種類が非常に豊富ですね。

 通常「私」を用いますが、男なら「俺」「僕」がそうですし、女性ならば「あたし」や
「あたい」などという言い方があります。

 森鴎外は「余」という一文字を用いたことで知られています。

 また「俺」という言葉も、表記の段階で「俺」なのか「オレ」なのかで、その印象がまるで
異なりますから、日本語を学ぶ海外の方も悩みどころではないでしょうか。

 サッカー雑誌はインタビューでこの主語を巧い具合に使い分けていると感じます。

 例えば

 ネイマールやカルロス・テベスの場合は「オレ」
 カカのような品の良い選手の場合は「私」

 と使い分ける事で、読者は内容に感情移入しやすくなります。

 ネイマールの風貌から「私」「僕」という言葉は連想できませんし、カカに「オレ」は
不釣合いですから。

 ちなみにインタビューを記事にする際は、テープの録音をそのまま記事にするのでは
なく、内容を入れ替えながら構成しているそうです。

 この2点を聞けただけでも、東京にでかけた甲斐があると感じています。
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資料を読み直す大切さ

2011-11-14 14:47:38 | 日記
 編集者がワールドカップを特集する際、1930年大会から振り返るのは、それが
不可欠な為でもありますし、何より

 「新規ファンに歴史を伝える」

 必要があるためです。

 その一方で長年資料を追い求めきた僕のような人間は

 「わかっているよ。」

 と突っぱねてしまうわけです。

 以前読んだ文章に、再びお金を払うことにも抵抗感がありますから。

 前回も述べましたが、それらは以前どこかで「見た」記事であり、何となく開催国や
優勝国が頭の中に入っている為です。

 しかし歴史を振り返ることは必要ですし、何より

 「語り継ぐ」

 事も出来ますしね。

 何となくの記億は確信に基づいた内容ではありませんし、自分の「うろ覚え」を正す
為には、面倒でも資料を読み直す必要が出てきます。

 「ああ、そうか記億違いだった。」
 「僕の認識は正しかった。」

 そうして軌道修正することで、よりサッカーの真髄を知る。

 観戦や選手、クラブとの交流だけでなく、資料や写真と向き合うのもサッカーの醍醐味
だと思います。

 日本はまもなくオフ・シーズンになりますし、降雪で外出が難しい時もありますから
良い機会と言えます。
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大人とはどういう意味か

2011-11-14 14:39:16 | 日記
 皆さんは「おとな」を定義づけるとしたら、どんな条件が思い浮かびますか?

 もし僕が誰かから

 「塚田さんが考える、大人の条件とは何ですか?」

 と尋ねられたなら、迷わず

 「古典を知っていること」
 
 と答えます。

 その際の古典と言うのは、例えばホメロスやソクラテスが挙げられますが、極論、彼ら
の作品を読んでもお金儲けには繋がらないですし、女性にももてないでしょう。

 カラオケやパーティで

 「どんな本読んでいますか?」

 と聞かれて

 「イーリアスです。」

 と真正直に答えるのはいささか恥ずかしいですし、何より相手がわかるとも思えません。

 でもお金にはなりませんが、

 「良い物を知る」
 「幾世紀にも渡って読まれてきた書物の真髄」

 を知り、叡智とすることは人間が生きていくことに不可欠ですし、このゆとりが大人を
生み出すと感じるのです。

 例えばワールドカップが近づくと、白黒の写真を用いた

 「ワールドカップの歴史」

 が綴られますが、正直言いますとそれは既にどこかで読んだ資料であり、面白みはある
わけではありません。

 それでもサッカーに敬意を払うなら、やはりこれら

 「サッカーの古典」

 を読む必要がありますし、当時のサッカーが土台となって現在のサッカーがあることを
改めて知る必要があります。

 ですので僕は「大人」ではありません。

 これらは知識として知っていますが、読み返す、誰かに伝えるという作業を行っては
いないので。
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