チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

200314裏 ハンガリーとスロヴェニアの混貼り、後期使用例

2009年10月25日 09時16分53秒 | 封書
200314裏 ハンガリーとスロヴェニアの混貼り、後期使用例

消印:
発信: CSANTAVÉR (非常に薄いため日付け不明)(ユーゴスラヴィアのヴォイヴォディナ)
中継: DRESDEN 14. 3. 20. 2-3N、1920年3月14日
到着: MÜNCHEN 2.B.Z. 15 MAR 20、1920年3月15日
転送
到着: SOLLN 2 18. MAR. 20、1920年3月18日

不可解な輸送ルート
この書留封書が、ヴォイヴォディナのCSANTAVÉRからわざわざドイツ北部ポーランド国境のDRESDENに送られ、それからドイツ南部のMÜNCHENに送られているのは興味深い輸送ルートです。
通常の鉄道による郵便物輸送ルートから考えれば、CSANTAVÉRからクロアチアのZAGREBまたはハンガリーの首都BUDAPESTに送られ、その後にオーストリアのWIENを経由してドイツ南部のMÜNCHENに送られるはずです。
どうやら、最初にドイツ北部のDRESDENに送ったのは、間違って送った可能性が高いようです。

200314表 ハンガリーとスロヴェニアの混貼り、後期使用例

2009年10月25日 09時15分35秒 | 封書
200314表 ハンガリーとスロヴェニアの混貼り、後期使用例

切手:
スロヴェニア・チェインブレーカー
Mi.102、15 vinar凸版、2枚
ハンガリー
Mi.192、5 fillér、2枚
Mi.241、50 fillér (共和国加刷)
合計 90 vinar

宛先: München (ドイツ)、後にSolln(ドイツ)に転送

郵便料金
(1)外国料金で計算すると、
封書20gまで: 75 vinar
書留: 75 vinar
合計 150 vinar (60 vinarの料金不足)

(2)国内料金で計算すると、
封書20gまで: 30 vinar
書留: 60 vinar
合計 90 vinar
このドイツ宛ての書留封書は、国内料金で計算されていることがわかります。
旧ハンガリー王国では、ドイツ宛ての書留封書は国内料金と同一料金でした。新国家ユーゴスラヴィアが樹立されて1年半経過して、新国家の新料金体系に変更された後も、ドイツ宛ての書留封書を国内料金で計算する取り扱いを行ない、途中のユーゴスラヴィア郵便局や到着局のドイツの郵便局も料金不足に気づいていません。

書留ラベル: Csantavér 670、ハンガリー型の書留ラベル

検閲印: 紫色ハンドスタンプ、キリル文字表記
Pregledala 検査
vojna cenzura 軍事検閲
検閲官のサインと丸の中に4と書かれた検閲スタンプと推定される表示あり