小野田さんの帰国時のひとつのインタビューが印象に残っている。
戦友である小塚一等兵がフィリピン国家警察軍との銃撃戦で射殺された時のことを聞かれて。
――小塚さんが亡くなられて、とくに山を降りようという気持になられたのですか。
「そんなこと、むしろ、逆さの方向です。復讐心のほうが多くなりました。だれが自分の目の前で二十七年も八年もの……露よりもろき人の身は、とは申すものの……倒れたときのくやしさってありません。男の本性と申しますか、自然の感情からいえば、だれだって復讐心のほうが多くなるんじゃないですか」
高度経済成長時代の平和な争いのない日本にいた我々の心は、命を賭けて戦場で戦っている人の心とは正反対の捕らえ方しか出来ないことに衝撃を受けた。
鋭い状況把握のできる小野田さんは原発事故以降は福島県塙町にある小野田自然塾での活動は中止していたそうだ。
立派な人がこの世から去ってしまったことを残念に思う。
戦友である小塚一等兵がフィリピン国家警察軍との銃撃戦で射殺された時のことを聞かれて。
――小塚さんが亡くなられて、とくに山を降りようという気持になられたのですか。
「そんなこと、むしろ、逆さの方向です。復讐心のほうが多くなりました。だれが自分の目の前で二十七年も八年もの……露よりもろき人の身は、とは申すものの……倒れたときのくやしさってありません。男の本性と申しますか、自然の感情からいえば、だれだって復讐心のほうが多くなるんじゃないですか」
高度経済成長時代の平和な争いのない日本にいた我々の心は、命を賭けて戦場で戦っている人の心とは正反対の捕らえ方しか出来ないことに衝撃を受けた。
鋭い状況把握のできる小野田さんは原発事故以降は福島県塙町にある小野田自然塾での活動は中止していたそうだ。
立派な人がこの世から去ってしまったことを残念に思う。
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