GOMA-BLOG

旅行と数学、株式とガンダムを中心とした日記です.

3月28日(木)のつぶやき

2013-03-29 03:12:24 | 日記

文系入試も理数必須 自民提言 技術立国に不可欠 headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130325-…


国際学力テスト アジア台頭くっきり 基礎知識暗記偏りか iza.ne.jp/news/newsartic…



タイガービール工場見学

2013-03-28 23:00:48 | 旅行
タイガービールの工場ツアーというのがあり、参加して来ました。

事前に予約が必要です。ホームページから予約できます。当日朝に午後2時からのツアーの予約をしました。



工場内は撮影禁止です。

45分の工場見学のあと、45分の試飲タイムです。飲み放題です。




店内(?)はイギリスのパブの雰囲気で素敵でした




お土産に、タイガーのシルエットの団扇をもらいました。





天天海南鶏飯

2013-03-26 23:00:44 | 旅行
ホテルでチェックインを済ませて、チャイナタウンに移動。天天海南鶏飯を目指します。

チャイナタウン駅を出て


マクスウェルのホーカーズに着きました。

3時も過ぎているのに行列です。


アンソニー世界を食らうでも紹介されてました。

いよいよチキンライスです。2サイズありましたが、今回は大きい方を頼みました。


美味しかったです。





ASAHI THE EXTRA

2013-03-23 23:43:47 | ビール
ASAHI THE EXTRA



あっさりした味で、苦味が少ない。
アルコール度数は6.5と日本のビールにしては高い。

すっきりした分、おつまみや食べ物によって味が違ってきますね。
バニラチョコを食べたあと飲むと苦味をしめます。


アポロ11号のエンジン、アマゾンCEOのチームが回収に成功

2013-03-21 18:09:57 | 日記
アポロ11号のエンジンが回収されたということです。
11号は人類初の月着陸に成功したミッションです。
このエンジンはAir & Spaceに展示されることになりそう。楽しみです。


以下記事です。
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アポロ11号のエンジン、アマゾンCEOのチームが回収に成功
AFP=時事 3月21日(木)7時7分配信

引き上げられたアポロ11号のF1エンジン(2013年3月19日撮影)。

【AFP=時事】米インターネット小売大手アマゾン・ドットコム(Amazon.com)のジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)最高経営責任者(CEO)は20日、1969年の人類初の月面着陸でアポロ11号(Apollo XI)の打ち上げに使われたF1エンジンを大西洋(Atlantic Ocean)の水深約4300メートルの海底から引き揚げることに成功したと発表した。

発見されたアポロ11号のF1エンジン

 ベゾス氏によると、エンジンはシリアルナンバーの腐食が進んだものが多く識別は困難だったが、回収チームは展示用にF1エンジン2基を復元できるだけの主な部品を回収したという。

 復元したエンジンを公開する時期や場所は明らかにされていないが、ベゾス氏は昨年この計画を発表した際、国立航空宇宙博物館(National Air and Space Museum)で展示することになるだろうと語っていた。【翻訳編集】 AFPBB News

<烈風改>幻のゼロ戦後継機…設計図、群馬で発見

2013-03-21 18:03:46 | 日記
烈風改の設計図が発見されたということです、
企画展で展示されるということ。是非見に行きたいです。

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<烈風改>幻のゼロ戦後継機…設計図、群馬で発見
毎日新聞 3月21日(木)15時1分配信

終戦間際に開発が進められた「烈風改」の設計図。名称が書かれていたとみられる右下は破り取られていた=藤岡歴史館で、奥山はるな撮影

 太平洋戦争で使われたゼロ戦の設計などで知られる航空技術者、堀越二郎氏(1903~82)の出身地である群馬県藤岡市の親戚宅から、同氏が手掛けた「烈風改(れっぷうかい)(A7M3)」の詳細な設計図17枚が見つかった。同機はゼロ戦の後継機とされたが、試作機すら造られず終戦を迎えた「幻の戦闘機」。設計図の寄贈を受けた同市は、堀越氏を主人公のモデルにしたスタジオジブリの映画「風立ちぬ」の公開に合わせて今夏、企画展で展示する。

【「風立ちぬ」主人公モデル】堀越二郎氏が隠した?資料とは

 ◇設計者の映画、今夏公開

 同市によると、設計図はいずれもA1判(横約84センチ、縦約60センチ)。製図日は1944年6月から45年7月となっており、機体の先端部分やエンジン付近のタンクなど4種類の部品が描かれていた。情報漏れを防ぐためか、機体の名称部分は破り取られていた。

 設計図は05年2月、市内に住む堀越氏の親族が「蔵で見つけた」として同市に寄贈した資料約500点の中にあった。今年2月、専門家に鑑定を依頼し、開発の時期や部品の形状から烈風改と判明した。同機については、全体像の図面などが確認されるにとどまっていた。

 烈風改は、三菱重工業が開発を進め、社員だった堀越氏が設計主任を務めた。地上1万メートル以上で米爆撃機B29との対戦を想定していた。44年12月~45年1月の空襲で名古屋市にあった同社工場は壊滅し、数百人の従業員が死亡。同社によると、堀越氏は疎開先の長野県松本市で開発を目指したという。堀越氏は同社を定年退職後、防衛大教授などに就任した。資料を保管する藤岡市文化財保護課の軽部達也課長補佐は「終戦の間際まで、より高度な技術を追い求めた様子が伝わる」と話す。

 20世紀の航空開発資料を収集する日本航空協会航空遺産継承基金(事務局・東京)の長島宏行氏によると、GHQ(連合国軍総司令部)は日本の航空機開発を禁じ、機体や資料を没収した。「これだけの設計図が一般の家から見つかるのは、非常に珍しい。設計者の思い入れが強く、終戦後も手放せなかったのでは」としている。【奥山はるな】