亀井幸一郎の「金がわかれば世界が見える」

マクロな要因が影響を及ぼす金(ゴールド)と金融の世界を毎日ウォッチする男が日常から市場動向まで思うところを書き綴ります。

久々に(12~3年ぶり?)和歌山城に

2018年02月12日 18時30分32秒 | 徒然(つれづれ)
先週末2月10日の午後は和歌山市で2時間のセミナーだった。

東京は雲が多いながら晴れ。しかし予報では西から下り坂。羽田発⇒大阪(伊丹)行きのJALから傘をさしたような富士山が。飛行機雲崩れなのか、珍しい形の雲も。






和歌山のセミナーでは、ちょうど日銀の出口政策の話の折に、黒田日銀総裁の続投が決まったとの日経の記事があったので話題に出した。セミナー終了後に、安倍首相のブレーンで前内閣官房参与で2016年3月にスイス大使になっている本田悦郎氏の黒田批判について話したところ、やはり関心は高かった。というのも、この人は地元和歌山の出身(橋本高校)なのだった。もしかして次の日銀総裁・・・かも、という話があったので、総裁は逃しても副総裁になったらドル円の材料になるかも・・とか、なんとか結構盛り上がった。

夜に入り和歌山は本降りの雨となった。

明けて2月11日は晴天となった和歌山市。ホテルにて仕事がらみの作業をしたのち昼前に久々に和歌山城へ。









日本には有名な城が多いので、さして知名度は高くはないのかもしれないが、そこは徳川御三家、紀州徳川家の居城。規模は相応に大きな城。大手門を入って城に上る道幅は広く、石段には緑色の石がきれいに敷き詰められている。これ、緑色片岩といいこの辺りで採れるもので、「紀州青石」と呼ばれるとのこと。





城が建てられた小山が、海から見ると虎が伏せている形に見えたことから、別名「虎伏山(とらふせやま)と呼ばれ、和歌山城には「伏虎城(ふっこじょう)」という別名が。城山の麓には「伏虎(ふっこ)」像が。もともとは銅像だったが、太平洋戦争の中盤で軍に材料として供出された悲しい歴史が。石像として復元されたのが昭和34年。ちなみに、お城の近くの中学校の校名は伏虎中学校。










和歌山城の場所は、紀ノ川(一級河川)の河口に近く(2キロ程度?)、つまり和歌山港にも近い。肥沃な土地に交易にも適した土地柄が築城にあたり注目されたのだろうか。紀ノ川河口近くには旧住友金属和歌山製鉄所がある。住金和歌山は、かつての箕島高校からも選手が行ったり、都市対抗野球では強豪チームだった。






紀州徳川家で有名なのは、8代将軍になった紀州家5代目の吉宗。以後、第14代将軍「家茂(いえもち)」まで5人が将軍に。




そういえば、全国に多いことで知られる鈴木さん。鈴木姓は和歌山が発祥とされるが、金など貴金属の地金や工業用材料を含む精錬・販売で知られる「徳力本店(東京・神田」の創業家が鈴木家。先月、同社のセミナー(資産運用EXPO@東京ビッグサイト)にて市場関連の話をさせてもらいましたが、その際に冒頭で担当課長氏が、創業享保12年とされていたので終了後に聞いたところ、吉宗公が将軍として江戸に上る際にいっしょに紀州からやってきたということのよう。なるほど・・・・・納得、それで享保ですか。もとは両替商だったようで、そういうことでしたか、そこまでは知りませんでした。

その後、改装中の南海本線「和歌山市駅」から特急サザンで南海なんばまで。この駅は、出来てから110年以上経っているのです。







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2 コメント

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Unknown (fairlane)
2018-02-15 13:32:09
お城にはあまり興味が無いのですが、それにしても和歌山城聞いたことがないなぁ と調べてみると、戦争以外の要因でなんども焼け落ちているのですね。。 1945年7月9日の和歌山大空襲ですべて失われたそうで
その後早い時期に再建とのことで、郷土の誇りなのですね
そうなんですよ (KAME)
2018-02-20 20:13:34
私も知らなかったのですが、江戸期にも火災で焼けたようです。再建にあたっては、幕府から規模を大きくするなと指示されたとか・・・。

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