苦しみと救霊の絶頂
苦しみを耐え忍ぶこと
コンソラータ
「殉難の絶頂はまだ遠い。私は、まだまだ不完全ないけにえです。でも絶え間ない愛の心と、完全な献身の誓約によって殉難の絶頂へ向かう準備は着々進んでいます。 」
「神の恵みに導かれ、まず神と人とに対する愛を完成させ、次に苦しみの忍耐を完成し、その次に私の『全ては成し遂げられた』がきて、私の道は終わるでしょう。 」
「各々の苦しみを、神の道具に過ぎない被造物からではなく、直接に神のみ手から受けること、そしてその苦しみを、イエズスのご受難に一致させ、愛においてイエズスと御母に感謝しつつ、『兄弟』のために捧げること、そしてその捧げ物を決して取り消さず、それについて全然考えないこと。苦しみの全てについて純粋な沈黙を守ること。苦しみは貴重なとうとい宝物であることを確信し、あらゆる努力を傾けて、苦しみの全てを微笑で隠すこと。自分を苦しめる人に、あらゆる隣人愛を持って報いること。」
「ゲッセマニからカルワリオまでイエズスのご忍耐にならいながら、深い沈黙のうちに、全然不平、悲嘆、文句なしに忍耐します」
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最も小さい霊魂の会の会員は募集しております。
しかしながら会を整備する必要があり、只今準備中です。
各会員さまは各自で祈っていてください。
苦しみは、他人により受けた苦しみを耐え忍ぶではなく、自ら苦しみを耐え忍ぶことを日々の訓練としてやっています。
それらは、魂の聖化に役立つからです。
だれが、そんな苦しみを求めましょうか。
全ては未来の幸せのため、また、イエズス様への愛のためです。
もしも、その事がなかったら、全てはむなしいものになるでしょう。
最も小さい霊魂の会の記事もいよいよ終わりに近づいて参りました。
私が書き終わった時には、見ていてくださった人達の心に、神様とコンソラータご自身が語りかけて下さるでしょう。
それまでは、書き続けないと😁
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緩和なしに耐え忍ぶ
コンソラータ
「・・・私は自分の体の事を少し心配しすぎ、ある日の午後、気分の悪いため、負けて眠りました。またその晩も9時にならないうちに寝ました。その時、神の光は、偽の生け贄と、本物の生け贄の羊の差別を悟らせて下さいました。ゲッセマニからカルワリオまで、辱しめられた精神、苦悶された聖心、弱り果てた御体にもかかわらず、少しも緩和をお求めにならなかったイエズスを常に眼前にじっと見つめること。イエズスにならって、どんなに気分が悪くとも、居眠りをしたり、早く寝たりすることによって楽になろうと全然しない事を誓約いたします。その誓約を立てる日は、無原罪の御宿りの祝日と、恵みによって定められました。神父様、この誓約が難しいことは、よくわかっております。」
「・・・・貪食の罪あるいは不摂生でしょうか?私にはわかりません。自分の小室におります時、あんまり唇が渇いて燃えるようでしたので、少し冷やそうと思って洗面器の水に浸しましたが、思わず負けて水を飲んでしまいました。無原罪の御宿りの祝日の前夜、また、祝日の日にも祝日だからという口実に負けて食事の時に、渇きをとめ、皆さんに分配する十分な分け前を私も頂こうと思いました。神父様、その後の良心の呵責がどんなにひどく耐えがたかったか、書く事ができません。私は、自分の臆病を強く感じ、どうしても生活を直さねばならないと固く決心しました。一瞬間でもそんな自己非難を経験するくらいなら、喉が渇いて苦しさのあまり泣く方がよほどましだと思います。イエズスは私が英雄的である事を望んでおられます。それに寒さと渇きを忍ぶことは、修道会則によって勧められています。さあ、私は、その会則を守ることを初歩から始めます。」
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コンソラータの記事を書いているうちにある事に気づく。
始めはイエズス様の出現により、手取り足取り教えられることが多かったコンソラータだが、後半になるとイエズス様はいつしか現れなくなり、コンソラータ自身がイエズスに話しかけることが、大部分を占めるようになる。
それは、コンソラータだけではなく、私達も同じなんだと思う。
神様から教えられた人達は、神様のみ旨に合わせるべく自らをイエズス様の十字架に合わせて生きるようになる。
そう感じた。
神様に近づくためには、自分をなくし、自らを空にし、神様に全てをゆだねなければならないのだと思うんだ。
自分の弱さを感じ、自分の弱さと戦いながら、神様に信頼して生きること。
霊的幼子の信仰。
それが神様が聖テレーズをはじめとするそれに続く人達に与えようとしている信仰なんだと思う