penso che ・・・

サッカー愛する皆さまご機嫌いかがでしょうか? ・・・盛り上がりましょう!

つづき

2008-01-02 23:59:44 | Weblog
すみません。
送信ボタンを押してしまいました。タイトルはレッズのキーパーではないので悪しからず(笑)

日本のサッカーの場合、「基本」=小学生、中学生で学ぶべきものと解釈されているようです。

出来て「当たり前」という解釈がはびこっていますが、現状は出来ていないといった
方が良いでしょう。

ここ最近、このブログでも述べました「パス&ゴー」を心掛け、常に実践している
プレイヤーってどれだけいるでしょうか?

オフトのときのキーワードであったトライアングルにしても局面、局面でトライアングルの
重要性を理解し実践している選手は、どれだけ居るでしょうか?

語り手、書き手にしても「当たり前」のことをしつこく論じた人は居たでしょうか?
日本人という人種は、熱し易く冷めやすいと私は理解しています。そういう人種だからと
言い訳せず、「当たり前」のことをになおすべきなのではないかと!井沢さんの著書を
読み、改めてそう思いました。

かくいうこの私も?!
仕事の面では「当たり前」をないがしろにしているかも?(苦笑)


※今回のネタ、昨日更新したのですが通信不良により昨日中に更新できなかったので
本日、改めて更新し直しました。なので文章が切れてしまったのであります(笑)


雅104

当たり前

2008-01-02 23:55:00 | Weblog
年始年末の非常にダレた生活に、このままでは体重リミットオーバーだ!
・・・と懸念するより、まず「行動」ということで、さきほど新年1発目のトレーニングを
行ってきました。本来であれば昨日に実行していれば!というところでしたが・・・

映画のレイトショーを観に行ってしまったもので・・・(苦笑)
この時期のトレーニングは家を出るまでが自分の甘い意志との戦いです。
トレーニングをはじめてしまえば、どうってことないですが、出るまでがね~ェ。
「当たり前」のようにトレーニングしなければ!!

さて、この休みの間に本でも読もうかと思っています。私にしては珍しいジャンルの
ものを読み始めています。本のタイトルは
「逆説の日本史(1)古代黎明編」で井沢元彦さんが書かれたものです。読み始めて
まもないのですが、ちょっと考えてしまう文章を見つけました。

「歴史」というものは、物的証拠がなければそれに対応する事実が存在しないと
いう立場をとるそうだ。そして物的証拠に基づいていない推理・推論は
「想像にすぎない」と退けられてしまうことが殆んどだそうだ。要は資料に載っていないものは認めない!らしい。

そのような現状に対し、著者は反論している。資料に書かれていない事実もある
のではないかと・・・
その時代を生きていた人達にとって「当たり前」で
あった事象は、誰にとっても「当たり前」だったが故に資料に残されていなかった
だけなのだと。

なんでもかんでも「実証主義」というのは“なし“なのでは?と問うていた。
この本については、これから読み進めたいと思っています。

さてさて、この内容を「日本のサッカー界」に当てはめて考えると、満更でもないな(笑)
と思えてきます。史料に基づくものが絶対という点は、サッカー選手であったという
だけの人物の発言を鵜呑みにしてしまう点です。記者についても同様です。専門
の記者というだけで「正しい」と思ってしまう。これって非常に不味い兆候です。
もちろん全うな人もいますけどね!絶対数は少ないですが(苦笑)

そして「当たり前」についてですが、このブログでも常に述べている「基本」について
の解釈の違いが挙げられます。

協会が招聘した歴代の代表監督が求めていたものには、一定の流れというか
ポリシーと言われるものが存在していたと
私は思っています。端的に言うとそれが「基本」というものです。

サッカーの識者と言われている大多数の駄目な人間たちは、ひとつの「キーワード」
としてしか扱っていませんでした。

アイコンタクト、トライアングル、フラットスリー・・・

代表監督が変わる度に、前任者との違いをそのキーワードを使うことで、誤魔化し
サッカーファンを囃し立てていました。

選手達もまた然りで、そのキーワードを励行できずに居ました。オシムが監督に
なり「連動性」というキーワードが登場しましたが過去の代表監督のキーワードを
消化していれば「連動性」なるものを考えるまでもなかったのでは?
と思っています。ま、出来ていないからオシムさんがやらせようとした訳ですけど(笑)

日本では大多数の人が、「基本」=小学校、中