【ノスタルジックじゃつまんない?】

2003年12月生まれ(7歳)
2008年6月生まれ(2歳)の娘の父親です。

59【エピローグ】

1990-02-22 | 【イタリアに恋したわけ】
駅のアポテーケで待っていると、エンリコがキヨシの荷物を抱えてやって来た。

夜行列車の出発の時間までの小一時間、ふたりは駅構内のカフェで過ごした。

エンリコはキヨシの荷物の他に、母の作った生ハムサンドを持ってきてくれていた。
夜行列車の中で食べてねと・・・。エンリコ母のぬくもりを感じた。

夜行列車に乗り込むと、キヨシは窓から顔をだした。ハイデルベルクでのお別れの時とは逆だ。
エンリコもキヨシも言葉はなかった。

 「チャオ!エンリコ(またなエンリコ!)」
「チュース!キヨシ(またなキヨシ!)」

キヨシはイタリア語で別れを、エンリコはドイツ語で別れをつげた。
発車間際のこの短い言葉が、お互いの精いっぱいの言葉だった。

アリベデルチ(さようなら)大好きなイタリア。

キヨシを成人にしたこの一人旅はここで幕を閉じる。

翌日ハイデルベルクに着くと、荷物を預けていたお姉さんの家に一晩泊めてもらった。
一人旅の話を夜通し全部聞いてくれた。

たくさん笑った。
そしてたくさん泣いた。
そして少し寝坊した。


帰国後、親父やお袋と話す土産話に涙はなかった。



「またな!エンリコ」

1990年2月
キヨシ19歳記す。

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2003年12月・・・キヨシに娘が誕生した。
キヨシは娘にイタリア語で名前を付けた。

「いえり(昨日)」という名前を。

父ちゃんの恋した国の言葉だよ。
そんな昨日があったから、今日や明日があるんだよ。

娘はニコっとしてくれたように見えた。

エンリコに電話した。
娘が生まれたよ。イタリア語で名前を付けたよ。と。
エンリコはとても喜んでくれた。

明け方の細い月がとてもきれいに見守っていた。


2003年12月
キヨシ33歳記す。
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