ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



昔の幸福の科学って、毎年2回ずつ、大川隆法先生が大講演会をやってたんでしょ。大川隆法先生って、いろんな衣装を着て、派手な演出で登場して講演しておられたって聞くよ。なんでだったの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「イン・ザ・ヒーローの世界へ」俳優・唐沢寿明の守護霊トーク』(幸福の科学出版)で、以下のように説いておられます。

 幸福の科学の初期のころ、東京ドームに五万人が集まった講演会のことは、子供たちも、まだ小さかったために直接は知らないのですが、当日、私は、すべてのことを「練習なし」で、いきなり行っていたわけです。
 そもそも、「龍」や「象」などの形を模した演台等の舞台セットは当日まで出来上がらないため、その上に乗る練習もしようがありませんでしたし、靴や衣装も、当日ギリギリで間に合って出来上がってくるような状態でした。(中略)
 最初の東京ドーム(一九九一年御生誕祭)では、エジプトのピラミッドのような高い舞台セットの裏からエレベーターで上がり、急な階段を下りていくという演出でした。
 当時は、(中略)南原宏治さん(俳優、幸福の科学本部講師)もご存命でしたが、確か、あれを見て、あとで舞台の責任者(中略)に、「先生が転げ落ちたらどうするんだ」とクレームをつけていたのを覚えています。(中略)
 また、“龍”にも乗りましたが(一九九四年、東京ドームでの「エル・カンターレ祭」)、あれはクレーン車の“頭”です。クレーン車の“頭”の外側に張りぼてをつくって首を振らせたのですが、あれも少しきつかったのです。さらに、“象”に乗ったこともありましたが(一九九三年、東京ドームでの「御生誕祭」)、とにかく、いろいろなことをしました。
 おそらく、子供たちには法話の内容が理解できず、目で見たものしか分からないと思ったので、わざわざ来てくれた以上、なるべく、「見て面白かった」というような感じだけでも持ってもらいたいと思って、そのようなことしたわけです。そういう気持ちは、この映画(「イン・ザ・ヒーロー」)でも同じなのではないでしょうか。
(20~24ページ)

最初の東京ドームでの五万人の大講演会では、エジプトのピラミッドのような高い舞台セットから、急な階段を下りていった。

その後も、“龍”に乗ったり、“象”に乗ったりして登場したことがあった。

わざわざ来てくれた以上、小さな子供たちに、「見て面白かった」という感じだけでも持ってもらいたいという演出だった──。

大川隆法先生が、唐沢寿明が主演した映画「イン・ザ・ヒーロー」を見て感動されたことで、その唐沢寿明の守護霊の公開霊言が収録されたことが、本書の「まえがき」で明かされています。

そして、この映画で描かれた世界(「イン・ザ・ヒーローの世界」)と、5万人の聴衆を満足させようと苦心しておられた東京ドーム大講演会での気持ちは同じなのだという文脈で、大川隆法先生は当時の秘密を明かしておられます。

今日は、プロの演技者やプロの講演者が、観客に「愛を与える」気持ちの秘密、またその気概や覚悟の一端を学ぶことができたように私は思うのです。
 

『「イン・ザ・ヒーローの世界へ」俳優・唐沢寿明の守護霊トーク』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




軍師って、どんな能力を持ってれば、なれるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『不況に打ち克つ仕事法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 そして、この想像力を鍛えることには、思わぬ効果があります。
 特に策士や軍師型の人は、こういう能力が高いのです。策士、軍師等は、このイマジネーションができなくては駄目なのです。
 まだ戦闘がまったく起きていない段階で、「敵方の大将に、こういう人が出ていて、兵はこのくらいの強さで、人数はこのくらいいる。ここの地形はこのようになっている。そこで、いつごろ、どういうかたちで合戦をすれば、どのようになっていくのか」ということをイメージする能力が必要とされるわけですから、まさにイマジネーションの世界です。
 この能力が弱い人は、実際に刀を合わせてみなければ、どうなるかが分からないのです。戦闘が始まって一時間後ぐらいに、自分の軍が敗走を始めたら、「どうやら、これは負けらしい」ということが分かるのです。
 しかし、イマジネーションがしっかりしている軍師などであれば、戦う前に、だいたい分かるわけです。敵軍の布陣と自軍の布陣、相手の大将と自分のほうの大将、それから、天候、食料、その他の条件を見れば、「合戦をしたら、どうなるか」ということが、戦う前に分かるのです。
 それで、「負ける」と分かった場合には、逃げて、態勢を立て直し、チャンスを待ったほうがよいのですが、ただ、世の中には、実際に戦ってみないと分からない人が多いのです。

(196~198ページ)

世の中には、実際に戦ってみないと分からない人が多い。

しかし、イマジネーションの能力が高ければ、敵軍と自軍の布陣、相手と自分の大将、天候、食料などの条件を見ることで、戦う前に勝敗がだいたい分かる。

軍師は、想像力(イマジネーションの能力)が高い──。

今の時代であれば、軍師というのは、参謀型の仕事をしている方ということになるだろうと思います。

典型的には、経営コンサルタントなどは、これにあたるんでしょうか。

他にも、企業の中などで財務や人事など、参謀部門にあたる部署で勤務している人がこれにあたるんだろうと思います。

実務の世界では、実際にやってみないと分からないことも多いとは思うのですが、それでもイマジネーション能力を可能な限り高めていくことで、少しでも未来が見える軍師のような人材に近づいていけたらと私は願ったりもするのです。
 

『不況に打ち克つ仕事法』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




どうやったら、マイケル・ジャクソンみたいなスターに、なれるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『マイケル・イズ・ヒア!』――マイケル・ジャクソン 天国からのメッセージ(幸福の科学出版)で、そのマイケル自身の霊の言葉(「霊言」)を、インタビュー形式で、次のように紹介しておられます。

 マイケルにとって、一言でダンスとは何ですか。
 Everything!(すべてさ!)
 Everything?(すべて?)
〔マイケル、手足を前に伸ばして宙に浮かせながら、椅子をまわす〕
 Yes. Everything. Everything!(そう、すべて。すべてだ!)(中略)
 Dance is everything, my life, my soul!(ダンスが、すべて、僕の人生、僕の魂だ!)(中略)
 Hahahaha! ゼンモンドー(禅問答)アルネ!
 《会場爆笑》
 では、マイケルにとってミュージックとは?
 It’s everything. Hahahaha!(すべてだ。〔釈の顔を覗き込んで〕ハハハハ!)
 マイケルのようになりたくてもなれない人たちが山ほどいますが、なぜでしょうか。
 That's the reason I'm the leader of pop.(だから、僕はポップスのリーダーなんだよ。)(中略)
 〔マイケル、右手で釈を制し、椅子に深く腰掛ける〕
 Ah, just seek for popularity. Yeah, popularity. Just think every day about popularity. Popularity means service for everyone.(人気を探究することだね。そう、人気だ。毎日、人気について考えること。人気というのは、みんなへのサービスなんだよ。〔優しく微笑む〕)(中略)
 Ah, you need… better music, better song and better dance. And step by step, every day, please aim toward God.
 Step by step. Day by day. Practice! practice, practice, practice, practice.
(君たちには……もっといい音楽といい歌といいダンスが必要だよ。そして、毎日、一歩ずつ、神を目指していってほしいな。一歩ずつだよ。毎日毎日、練習するんだ。練習、練習、練習だ。)
(85~87ページ)

最近はポスターでよく顔を見かける、あの釈量子・幸福実現党党首が、幸福の科学の青年部門の責任者として(収録当時)、マイケルへの質問者を務めています。

それにしても、誰もがよくわかる、やさしい言い回しの英語。

じっと座ってたりせずに、身体が動き続け、質問を外しつつのユーモアは、やっぱり、あのマイケル本人の個性ではないでしょうか。

独特の表現で、人気を得る方法、スターになる方法を語るマイケルの言葉。

全編対訳、詳しいイラストつきで、霊人となったマイケルが、どんな感じで霊言を降ろしてきたのかが、とっても分かりやすい。何百冊にもなった霊言集のなかでも、わかりやすさと楽しさでは群を抜く本書を、マイケルの音楽とダンスを愛した方なら、ぜったいに手に取るべきだと私は思うのです。
 

『マイケル・イズ・ヒア!』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




お金儲けっていうと印象悪いよね。でも、要するに、お金が集まってくるには、どうしたらいいのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「成功の心理学」講義』――成功者に共通する「心の法則」とは何か(幸福の科学出版)で、次のように説いておられます。

 宗教的な人格を持った人のなかには、お金に対する「罪悪感」のようなものを持っている人が多くいます。
 それは、「お金儲けに成功するというのは、いやらしいこと、汚いことだ。そういうことをするのは、人間としてよくないし、天国に行けない」という考え方です。
 要するに、「お金儲けをしたら、人間としては、この世的で、ずる賢くて、汚い人間になって、心が清くなくなる。魂が穢れて、天国に行けなくなる。だから、お金に縁のない人生を生きることが、純粋で正しいのだ」という考え方なのです。
 しかし、そうした考え方を持っていた場合、事業的に成功することは、ほとんどないと考えてよいでしょう。
 やはり、お金を嫌う人のところには、お金は集まってはきません。
(67~69ページ)

お金を嫌う人のところには、お金は集まってこない──。

以前、一般論として、成功者に共通する「心の法則」があることを、お伝えしたことがありました。

そして、その具体例のひとつを、今日は教えて下さっているわけです。

事業をまじめにやっているのに、成功できない方、赤字で苦しんでる方。

もしかして、自分の心の中を静かに見つめてみると、じつはお金を嫌っている自分がいるのではありませんか?

でも、お金というのが本当に汚いものだったりするのでしょうか。

そんなことはないわけで、大川隆法先生は、お金というものは価値中立的なものであって、本来、善でも悪でもないが、近代社会における経済発展を見れば、むしろ善に近い効用を持っている、と教えておられることを、以前ご紹介したことがありました。

もちろん、それが「執着」になってしまえば悪になってしまうので、注意が必要であるわけですが、まずは事業に成功するための大切な秘訣の一つがここで明かされているのだと私は思うのです。
 

『「成功の心理学」講義』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




救世主が生まれてるのに、今ごろ気がついたりしたのって、遅すぎだよね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『パウロの信仰論・伝道論・幸福論』(幸福の科学出版)で、キリスト教の大伝道者として有名なパウロの霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。

 したがって、「あとから気づいたから駄目だ」とは言えない。
 先なる者は後なるべし。後なる者は先なるべし。つまり、「後の者が先になり、先の者が後になる」というようなことは、真理の世界においては十分に起きることです。
 単に、「時間的にあとから来た」っていうことだけで判断するのではなくて、逆に、反対していた者が強い協力者になったり、熱心な信仰者、伝道者になったりすることもあるということですね。
 だから、あなたがたもそうだけど、「あとから来た者」を軽んじてはいけないと思う。
 初期のころは、教団も小さいから、もちろん、人々に知られることも少ないし、まだ一部の人しか手伝いに来ないけども、あとになって、教団も大きくなってきて世に知られるようになれば、それによって、能力が高かったり、力があったりする人がやって来ることがあるので、あとの人を軽く見てはいけない。
 イエスの教えを直接受けた人と受けなかった人がいても、受けなかった人が、直接教えを受けた人以上の仕事ができることもある。むしろ、私のように、イエスを直接知らなかったがゆえに、信仰形態として、全きイエスを信じることができた者もいる。
 「天上からのイエスの声を聞く」という神秘体験を経て、そして、イエスの弟子たちが伝える福音から学んで、イエスの真なる姿を捉えた者が真理の核に当たったのに、意外に、イエスの側近くにおいて生活を共にしていた者たちが、最後にはイエスを裏切るようなことだって、数多くあったわけですから。
(39~41ページ)

あとから気づいたから駄目だとは言えない。

先なる者は後なるべし。後なる者は先なるべし。

イエスの教えを直接受けなかった人が、直接教えを受けた人以上の仕事ができることもある──。

あの「ダマスコの回心」で有名な大伝道者・パウロの言葉です。

パウロは、イエスさまを直接会ったこともなかったのに、イエスさまが帰天されてからのち、迫害する側から突如としてイエスの教えを熱心に伝道する者となって、後世に高名を残した方だと思います。

今年は、大川隆法先生が大悟されてから35周年。そして、幸福の科学を設立して法を説きはじめられてから30周年です。

30年も前から、救世主が降臨された事実に気がついていた方もおられるわけですが、最近になってその救世の教えに触れた方、そしてこれから知ることになる方も数多いと思います。

そんな方々の中から、これから先頭に立って世界を救っていく人たちが現われてくることを信じつつも、明日からもまた、先にこの教えにたどりついた者の務めとして、自分にできることを一こまずつ進めていきたいものだと私は思うのです。
 

『パウロの信仰論・伝道論・幸福論』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




小さな自分一人が努力するくらいじゃあ、世の中って何も変わらないよね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『正義の法』(幸福の科学出版)で、次のように説いておられます。

 しかし、私は、あなたがたに、あえて申し上げましょう。
 最初は、ただの一粒の麦にしかすぎないのです。
 私自身もそうでした。一粒の麦であり、私自身に降りてきた天上界の啓示から、この宗教も始まったのです。
 私がそれを悟ったということ、真理を学んだということ、習得したということを、人々に伝え、その内容を信じた人たちが、さらに自分の周りの人たちに伝えていきました。そして、現在まで幸福の科学は大きくなってきたのです。
 一粒の麦が、机の上に置かれたままであるならば、何年たっても一粒のままです。
 その一粒の麦が、外でまかれても、岩の上にまかれたものは、すぐに枯れてしまうでしょう。
 また、痩せた土地にまかれたものは、多くの実りをつけることはないでしょう。
 しかしながら、あるものは肥沃な土地に落ちて、百倍、二百倍、三百倍の実りをつけることになるでしょう。
 これが伝道の本質です。
 伝道とは、そういう「真理の種子」を宿したと思う人が、自分の身を投げ捨てて、その場で、たわわな実りをつけようと努力することです。(中略)
 一生懸命に根を下ろそうと頑張っても、やがて根も枯れ、実りを得ないこともあるかもしれません。
 しかし、あなたがたのなかに、百人に、二百人に、三百人にと、その真理の種を広げていける人は必ずいると、私は信じています。
(38~40ページ)

最初は、ただの一粒の麦にしかすぎない。

伝道とは、「真理の種子」を宿したと思う人が、自分の身を投げ捨てて、たわわな実りをつけようと努力することである。

あなたがたのなかに、百人に、二百人に、三百人にと、その真理の種を広げていける人は必ずいると、私は信じている──。

はじまりは、一粒の麦。

種子としてまかれた土地は、もしかしたら、岩の上だったり、痩せた土地なのかもしれません。

今の自分には分からないけれども、でも、ここは肥沃な大地だと信じたい。

何もしなければ、何も変わらない。

仏が信頼して下さっている、その思いを信じて、日々地道ではあっても努力を続けていこうと私は思っているのです。
 

『正義の法』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




人間は神仏の子なんだから、「神への愛」って、普遍的に誰もが持ってるものなんじゃないかと思うんだけど、違う考え方なんてあるのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ムハンマドの幸福論』(幸福の科学出版)で、イスラム教の開祖であるムハンマド(マホメット)の霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。

 「神を愛する」という言い方は、私には少し抵抗があるんですよね。まるで神が奥さんか何かのように聞こえるじゃないですか。そんなものではないんじゃないでしょうかね。
 神は「絶対のもの」なので、人間にとっては、「神を愛する」ということじゃなくて、やっぱり、「神からの慈悲が下りてくる」ということになるね。それくらい差がある。
 だから、本当のことを言えば、「太陽」対「地球」ぐらいの差だね。
 地球から離れているから、太陽は小さく見えているけれども、一方的に太陽の熱や光が地球に注ぎ、それで万物が生きているんでしょう? 植物が育ち、それを餌にして動物も育ち、人間も生きている。だから、太陽から恩恵は受けているよね。
 神と人間の関係は、この「太陽」対「地球」のような関係です。
 地球が太陽に何らかの影響を与えているかというと、少しは与えているかもしれませんが、地球は、「太陽の光を、多少吸い込んでいて、遮っている」というような状態です。
 もしかしたら、太陽と惑星は“親子”のような関係であり、「親子愛」のようなものがあるのかもしれません。太陽の周りを惑星がグルグル回っているので、太陽は、惑星に対し、子供を愛しているような気持ちでいて、惑星には、太陽に対し、子の「親に対する親しみ」のようなものがあるのかもしれません。
 私は、「神」対「人間」の関係について、「神と人間には絶対的な差がある」という考えなので、基本的には、「慈悲深く慈愛あまねきアッラー」であって、神から慈悲が一方的に下されるものであり、人間からは、「神を崇め奉る」というか、「神を仰ぐ」というかたちになる。
 キリスト教的には、「神への愛」と言うし、ギリシャでも言うけれども、そのような言い方には、もうすでに「傲慢の芽」が芽生えているような感じがしないわけではないですね。
(75~77ページ)

「神を愛する」という言い方には、「傲慢の芽」が芽生えている感じがしないではない。

イスラム教では、「太陽」対「地球」のように、「神と人間には絶対的な差がある」という考えである。

基本的には、神から慈悲が一方的に下されるものであり、人間からは「神を崇め奉る」というかたちになる──。

神様に対する感覚が、キリスト教と比べてイスラム教は、これくらい違いがあるってことが、とてもスッキリと理解できます。

そして、このあたりの感覚の違いが、教義や信仰生活の違いとなって現われてきていることも、また、とても腑に落ちる気がします。

何百年も昔に、外国の言葉で教えを説いていた開祖自身が、現代日本語で直接、その教えの本当の意図を解説してくださるというのは、やはり凄いことであるのだと改めて分かった気が私はするのです。
 

『ムハンマドの幸福論』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




智慧があって優しい人って、素晴らしいよね。それで十分じゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『政治の理想について──幸福実現党宣言②』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 儒教の孔子の考えから言えば、徳の発生源は「智・仁・勇」です。
 「智」とは智慧のことですが、政治的に言えば、これは、「国民を幸福にできる政策として、専門知識を織り込んだ考え方を具体的に打ち出せるかどうか」ということだろうと思います。
 次の「仁」は、当会でいう「愛」に当たるわけですが、これは、「多くの国民を本当に愛し、生かすものになっているかどうか。彼らを守り、育て、そして、素晴らしい人間にしていくような内容を持っているかどうか」というようなことです。これが仁の心でしょう。
 それから、孔子は、「徳には勇が必要だ」と言っています。「勇気」の「勇」です。「勇」がなかったら徳は完成しないのです。
 「智」だけであれば、学者でも可能です。「仁」だけであれば、人柄のよい優しい人は世の中に大勢います。しかし、「智」だけでも「仁」だけでも駄目で、「智」も「仁」も必要なのです。智慧があり、かつ、人に対して、思いやり、優しさがある人物です。さらに、智慧があって優しい人物に勇気もなければいけない。孔子は、こう述べているわけです。
 その勇気とは何であるかというと、「正しいことは『正しい』、間違っていることは『間違っている』」と、はっきりともの申し、実践していく力、行動し抜く力です。
 「日本人のいちばん弱いところは、実は、ここだ」と私は思います。
(81~82ページ)

儒教の孔子は、智慧があり、かつ、人に対して優しさがある人物であって、勇気もなければいけないと教えている。

その勇気とは、正しいことは「正しい」、間違っていることは「間違っている」とはっきりともの申し、実践し、行動し抜く力である。

日本人のいちばん弱いところは、実はここである──。

たしかに、たしかに。

智慧がある人は、数多く思い浮かびます。

智慧がある優しい人もまた、おられると思います。

だけれども、それに加えて、大川隆法先生が説かれる意味での「勇気」も持ち合わせている人となると、ものすごく限られてくるような気がします。

なんだか、明るいニュースよりも、よくないニュースのほうが目につく昨今。世の中が悪い方向に行っている感じがしてなりません。

でも、今日のお教えで、「勇気」を出せる自分となって、社会をよくしていく活動に少しでも参加していこうと、ささやかに私は決意したのです。
 

『政治の理想について──幸福実現党宣言②』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




もう60になって、定年なんだよね。これからの幸福って、どこに求めたらいいんだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『孔子の幸福論』(幸福の科学出版)で、論語で有名な孔子の霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。

 六十歳は、還暦ということになるけれども、一般には、定年を迎える人が多いことは多い。
 このころには、体力的に弱ることもあり、自分の将来に対して不安になることもあり、また、子供も完全に手が離れていくこともあるので、未来に対する希望が薄れてくる。そういう年が、六十という年だと思うんだ。
 ただ、やはり、ここで、「一生の意味をだいたい終えるか終えないか」という判断がなされるのかなという気がするね。
 六十歳にして、まだ、学ぶ心を忘れない者には、それから先に、晩年の大成が待っていると私は思う。
 つまり、六十歳にして、まだ、自己投資というか、自分自身の将来に対する努力研鑽を忘れない人は、さらに豊かな完成期の晩年を持つことができるだろう。一方、六十歳にして「人生をだいたい終えた」と思う人は、普通の人であり、「好々爺として生きていく。よき老人として、周りの人に迷惑をかけずに生きていく」ということが目標になろうなあ。
 このように、六十歳は、「人間としてのさらなる完成があるかどうか」ということがかかった年齢だ。六十プラスマイナス何年かあると思うけれども、ここでもう一度発心する人には、さらに先の未来が待っていると思う。
 普通の人の場合は、一般的な仕事、例えば、事務仕事や筋肉を使うような肉体的な労働ならば、だいたい、六十歳ぐらいで終わってしまうことが多い。しかし、六十歳にして、まだ、知的投資をし、勉学に励むようであれば、その人には、もう一段、大きな完成への道が待っているだろうね。もう一段、大きな師として、多くの人たちから仰がれるような未来が待っているのではないかな。そのように思うね。
(43~45ページ)

六十歳は、定年を迎える人が多く、未来に対する希望が薄れてくる年だと思う。

六十歳にして人生をだいたい終えたと思う人は、普通の人である。

六十歳にして、自分自身の将来に対する努力研鑽を忘れない人は、さらに豊かな完成期の晩年を持つことができるだろう──。

「六十にして耳順う」という論語の言葉が語り継がれています。人の言うことを逆らわないで聴けるようになった境地のことだったと思います。

しかし、論語から2500年。当時とは寿命が違うんでしょうけれども、天上界の孔子さまは、21世紀の現代日本において、同じことは説かれないわけです。

還暦を迎えても、まだまだ努力研鑽することができるというのは、大変なことだと思います。

「生涯現役」という言葉も思い浮かびます。

でも、平均寿命というのも、男性でも80歳を超えて、女性は86歳を超えたと報じられていたように思います。

60歳になっても、まだ残りの人生、20年も25年もあるわけで、単に余生をすごすだけでは、ちょっと長すぎます。

努力研鑽によって、晩年、それだけの実りを得ることができることを、天上界の孔子さまは保証して下さっているわけで、とてもありがたい今日のお教えだと私は思うのです。
 

『孔子の幸福論』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




大川隆法先生って、なんだか若返ってるよね。どうしたらあんなに若返るの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『生涯現役人生』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 以前から私のことを知っている人は、私が年ごとに若返っていくように感じないでしょうか。いまの私は、知力・体力ともに、三十歳のころに比べても負けていません。人間が二十年ぐらい若返るのは、わけのないことなのです。みなさんにも、ぜひ、その秘密を知っていただきたいと思います。
 実は、「人生」や「人間の運命」を決めるのは、能力よりも、むしろ、心の持ち方や態度、心構えです。心構えが各人の人生を決めるのです。
 「その人自身の心構えが人生をつくる」ということは、実は、「二十世紀最大の発見の一つである」と言われています。これは、心理学において、ウィリアム・ジェームズを中心とした学者たちによって発見された事実です。そして、アメリカには、その考え方を実践してみせた人が数多くいるわけです。
 要するに、「人間にとって最も大事なことは『心構え』なのだ。心の持ち方が、その人の人生を決めるのだ。結局、その心構えが、その人の行く方向を決めるのだ」ということです。
 それは、列車のように、「進むべき方向は、前か、後ろか」と単純に考えると分かりやすいかもしれませんが、もっと言えば、人生は、自動車のように、さまざまな方向に進むことができるものです。その際に、自分の行く先を決めるのは、実は、自分の心構えなのです。
(60~61ページ)

人間が二十年ぐらい若返るのは、わけのないことである。

「人生」や「人間の運命」を決めるのは、能力よりも、むしろ、心の持ち方や態度、心構えである。

人生は、自動車のように、さまざまな方向に進むことができるものであり、自分の行く先を決めるのは、実は、自分の心構えなのである──。

大川隆法先生は、大病をして奇跡的に回復された話を最近しておられますが、そんな話をされるようになったあたりから、どんどん若返っていっておられる気がします。

その秘密は、「心構え」だ、と。

それを「思いの力」という形で説かれたこともあったように思います。

若い人と付き合う。その話を心素直に聞いて、いくら年下でも、聞くべきところは聞き入れる。

少し年を重ねるとなかなかできないものでしょうが、大川隆法先生は、実際に実践しておられるのだと思います。

そんな柔軟さを持った「心構え」が、肉体をも若返らせていくということではないかと私は思うのです。
 

『生涯現役人生』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




俳優の南原宏治って、幸福の科学の信者だったんだってね。何年か前に亡くなったと思うんだけど、いまどうしてるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『俳優・南原宏治のガハハ大霊言』――俺の辞書には“NG”なんてネエ!(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように教えておられます。

 今は幸福の科学でも、スター養成スクールや、ニュースター・プロダクション(株)、HSU「未来創造学部」も持っており、毎年のように実写映画や長編アニメ映画の製作を続けている。
 俳優高原宏治さんがご存命であったなら、さぞかし、身を乗り出し、直接ご指導されようとしたことだろう。何だか親孝行し損ねた息子のような、淡い後悔の念を感じている。ただ帰天直後の霊言で「(元)妻と娘の面倒を見てやってくれ。」とお願いされたことは、約束として守ってきたつもりである。
 私自身、映画の製作総指揮者を続けているうちに、ずいぶんと、映画や、ドラマ、演技、ミュージックの勉強をさせてもらった。
 本書は、異色の霊言集として、二年半刊行を封印されていたが、本人のたっての希望もあって、出版することとした。今、南原さんの「情熱」や「魅力」に教団として学ぶことも多いと考えたからでもある。
(252~253ページ)

今、南原さんの「情熱」や「魅力」に教団として学ぶことも多い──。

大川隆法先生のこのまえがきは、南原宏治さんへの敬意と慈愛に満ちています。

しっかし、私は一読、驚愕してしまいました。まさに「ガハハ大霊言」です。

2年半も封印されていたのは当然ではなかったかと感じます。こんな危ない内容を刊行してしまっていいんでしょうか、というのが普通の感覚のような気がします。

しかし、あえて刊行してしまうのが「本人のたっての希望」というわけで、ほんとに南原宏治さんという方は、大物というか、細かいことにこだわらない、豪快で骨太の方なんだろうと思います。

そして、こんなオドロキの内容を創作で出せるはずもないわけであって、本書はまさに、霊人の個性の証明する一冊でもあるんだろうと思います。

むずかしい学問や政治の世界が語られたものは、肩が凝ってしかたがないと思っておられる方、楽しく面白い霊言集を求めておられる方。そんな方にオススメしたいと私は思うのです。
 

『俳優・南原宏治のガハハ大霊言』――俺の辞書には“NG”なんてネエ!大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




愛読書って、一度もったら、ずーっと一生つきあっていくのが当然でしょ? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『知的青春のすすめ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 学生時代に愛読書をつくれたら、それは大したものです。
 人は、愛読書を持ちたがるものですが、愛読書と自分とが、ずっと“競争”していくんですよ。その愛読書なる本が、どこまで自分についてくるかという問題があるんです。
 最初に読んだときに、ものすごく感激した本、例えば、中学時代に読んで感激した本、高校時代に読んで感激した本、大学時代に読んで感激した本などがあるでしょうが、そういう本について、社会人になって一年目ぐらいまでは、まだ「いい」と思うけれども、五年目ぐらいになってくると、「ちょっとどうかな」という感じがしてくることがあります。そういうふうに変わってくるんですよ。
 それはなぜかというと、実は、著者がその本を書いたときの年齢と社会的経験が関係するからなんです。著者が経験していないことや、著者の年齢ではちょっと経験不能なことについて、自分が直面し、経験する年代になると、それまで愛読書だったものが落ちこぼれていくんですよ。
 私の場合、小学校高学年のときには、下村湖人の『次郎物語』を読んで、「すごくいい本だ」と思いましたし、中学校に入ったら、井上靖の『あすなろ物語』やアンドレ・ジイドの『狭き門』を読んで、すごくいいと思いました。
 『狭き門』の文庫本の扉には、「力を尽くして狭き門より入れ」という『聖書』の言葉があり、本文中にも、「滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おおし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだす者すくなし」という言葉が書いてあります。
 私はその言葉がとても好きで、高校から大学に入るころまでに、五、六回は読みました。一、二年置きに繰り返し読んでいて、大学に入ったころまではもったのですが、その後、私の教養がだいぶ増えてくると、著者であるジイドの限界が見えてき始めたんです。
 この作品は、宗教の入り口のところを描いたものではあるのですが、作者の人生観や人生経験の限界のようなものが見えてくるんですよ。それと、その禁欲主義のなかにある「転落の傾向性」のようなものが見えてくるんですね。
(94~96ページ)

学生時代に愛読書をつくれたら、大したものである。

愛読書と自分とが、ずっと“競争”していき、その愛読書なる本が、どこまで自分についてくるかという問題がある。

著者が経験していないことや経験不能なことについて、自分が直面し経験する年代になると、それまで愛読書だったものが落ちこぼれていく──。

なるほど、なるほど、です。

いくつになっても、何度読んでも、読み返しても、いつも学びになるしまた読みたくなる、そんな愛読書に、学生時代に出会うことのむずかしさ。

ここで大川隆法先生が説かれるような、愛読書が“落ちこぼれて”いく残念な体験は、たしかに自分も幾度も重ねてきた気がします。

そして、大川隆法先生の著される仏法真理の書物は、なかなか“落ちこぼれて”いっていないことにもまた、気がついたりもします。

つまりは、そんなプロセスを経て選別し抜かれた、自分にとって真なる価値を持つ書物が、私たちの人生とともに生き続けていく。それが「愛読書」という言葉の本当の意味ではないかと腑に落ちた気が私はするのです。
 

『知的青春のすすめ』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )