ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



私って、ボランティア活動、毎日のように一生懸命してるんだけど、でも、ぜんぜん誰にも感謝してもらえないんだよね。これだけやってるんだから、もっとそれなりの扱いって、あるんじゃないの? なーんてことで悩んでる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 現在、多くの人が仏法真理に目覚め、光を伝えるために立ち上がっています。そして、いろいろなかたちでボランティアをしています。
 そこで、私は言っておきたいのです。お役に立ちたいという真剣な気持ちは、それ自体が尊く、その思いを起こして実践すると、自分自身の徳になります。与えた愛は自分自身のものになるのです。
 自分はこれだけのことをしたなどと思ってはいけません。また、それを他の人に認められようと思ってもいけません。自分がなした愛の行為、他に与えた愛を忘れてしまうことです。
 自分の行為を数え上げ、覚えているようではだめです。そればかりか、「だから、自分はこのように待遇されるべきだ。こうした見返りがあるべきだ」などと思えば、修行者として一歩も前進していません。考え方によっては、後退しているとも言えるでしょう。よい思いを起こし、よい行ないをしたとしても、それを忘れてしまうことが大切なのです。
 また、よい思いや行為が出るのは、自分にとって普通のことであり、ごく自然に思いが出て、ごく自然に身体や口が動くようでなければなりません。「こうしたいからする」「こうした行為をさせてもらうことがうれしいからする」「こうしたことが生まれつき好きだからやっている」という気持ちが大事です。その気持ちが尊いのです。
 人に知られようとする必要はありません。知られようとすれば、徳の部分が消えてしまいます。知られなくてよいのです。忘れることです。
 一方、難しいことではありますが、他の人からしてもらったことは、できるだけ記憶にとどめようと努力することです。
 自分がしたことはなかなか忘れず、反対に、他の人からしてもらったことは忘れやすいのが人間です。そのため、世の中には感謝の言葉が少ないのです。そうではなく、してもらったことはできるだけ記憶し、してあげたことは忘れていくことです。それでよいのです。
 してあげたことが自分に返ってこなくても、してもらった人は必ずうれしく思っています。その気持ちが次なる思いと行動を呼び起こします。愛を受けた人は、その愛を自分だけのものにしておけなくなり、他の人のために何かをしたいという気持ちに必ずなるのです。
 自分自身は見ることも聞くこともできないかもしれませんが、自分がなした愛が、愛自体で次なる仕事をしていくのです。
(44~47ページ)

与えた愛は、必ず与えた人のものになる。

でも、だからといって、自分を重要視してほしいとか、大事に扱ってほしいなどというような、見返りを求める気持ちがあれば、その光は自分のものにならない。徳とはならない。

愛は、与えきり。

自分自身は、この世で、その成果を見ることも聞くこともできなかったとしても、また誰からも自分の行為を知られなかったとしても、その行為はとても尊い。

それだけでなく、その愛は必ず次なる仕事をしていくのだ、と。

ボランティア活動の場というのは、そういう「与える愛」の実践の場であり、自分を高めていく、ありがたい修行の場でもあるってことだと私は思っているのです。
 

『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』

 大川隆法著

 

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