ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



この世は神仏が作られていて、神仏は全知全能だと思うんだけど、そしたらなんで、この世には「悪」なんて存在するの。最初からユートピアとしてこの世を作れば、戦争も犯罪もなくって、人々はもっと幸せに暮らせるんじゃないの。なんで悪なんかが、存在を許されてるんだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教選択の時代』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 悪とは何なのか。悪は何ゆえに起きるのか。悪に対してどうすべきなのか──。これについては、さまざまな宗教で、非常に大きなテーマとして、現代まで語り継がれています。もちろん、宗教以外の、政治や法律、哲学など、いろいろな分野においても、この悪の問題は論じられています。しかし、最も根源的な議論は、やはり宗教においてなされるべきであると思います。
 では、悪とはいったい何なのでしょうか。それは、人類の起源からあるのでしょうか。言葉を換えて言うならば、仏みずからが悪を創られたのでしょうか。こうした問題があります。
 これに関して、明確に言っておかねばならないことがあります。それは、「善悪は、人間の活動に関して起きることである」ということです。
 仏そのものが、あるものを善とし、あるものを悪とし、この世界のなかに善悪の両者を送り込み、戦わせているわけではありません。もし仏が、悪なるものを、「この世に存在するもの」として見ているとするならば、それは必ずや、「より大いなる善のために、悪の存在を許容している」ということです。
 では、より大いなる善とは何でしょうか。それは、三次元世界を超えた世界における善である、と考えてよいと思います。すなわち、「この世に存在するかのように見える悪は、すべて、地上の人間の魂修行の目的においてのみ存在している」と考えるべきであると思います。
 砥石(といし)はザラザラとしたものですが、その砥石によって研がれた結果、石や金属などは、美しく光る滑らかな面が現われてきます。それは、砥石をかける以前よりも、はるかに美しいものです。石や金属などは、自然のままにあるよりも、砥石やサンドペーパーをかけたあとのほうが、はるかに光沢のある美しいものとなるのです。このように、より大いなる善のために、一見、不愉快にも見える、デコボコでギザギザした砥石の役割として、悪なるものも現われてくるということです。
(64~66ページ)

今日のお教えに私は、「なるほど!」と、とても腑に落ちてしまうんですが、みなさんは、いかがでしょうか?

「この世に存在するかのように見える悪は」という、ちょっと回りくどく感じる言い方をしておられるのは、今日ご紹介した部分のあとに、「悪とは、自由と自由の相剋である」「人間関係のひずみが悪である」「悪とは、人・時・所の三つの視点から生じてくる」といった内容が続いていて、悪は実在のものではない、という視点があるからなんだと思います。

このあたりの問題に興味がある方は、ぜひ、本書第3章「悪とは何か」で、この続きを読んでみていただけたらと私は思っているのです。
 

『宗教選択の時代』

大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )