コメント
 
 
 
Unknown (ヒロリン)
2010-01-24 16:47:29
ゆーぱさんいつもありがとうございます。

改めて読ませて頂きましたが大切な教えですね。

山の小聖となるな街中の大聖になれ。

これは私のささやかな体験からもそうだと思います。いざ布教、いざ選挙と言う時、やはり仕事等日常生活で得た体験が役に立つと思います。真理の勉強で得た知識を周りの人達に伝えたい時どうアプローチしたら良いかとか、どう自然に伝えられるか、どう自分の言葉で伝えられるか…。大乗に入った時に自分自身につきつけられる問題だと思います。社会経験の中で培った事柄の中に対処していく方法が見つけていけますからね。自分も真理の勉強と共に仕事や周りの人達との当たり前の付き合いので腕を磨いていきたいと思いました。


 
 
 
Re:Unknown (ゆーぱ)
2010-01-26 00:54:42
ヒロリンさん、こんにちは! コメントありがとうございます。

日常の与えられた仕事をきちんとこなして、成果を出す努力をしていきつつも、自分自身の仏法真理の勉強(教学や宗教修行)を地道に続けて、悟りをあげる努力をしていくこと。

どちらかだけならわりと簡単なんでしょうけど、どちらもというのは、社会人になってしまえば、さぼっていても誰も指摘してくれないだけに(「縁起の理法」で、結果は自分にはねかえってきますが)、自分自身をかなり律しないと続かない厳しさがあると思うのです。

ヒロリンさんのおっしゃるとおり、幸福の科学の活動について行くというのは、この厳しいけれども得難い学びをさせていただいてるってこと、なんですよね!
 
 
 
Unknown (ワンダー)
2010-03-10 10:56:36
信仰生活や精舎研修は悟りの高みを求めるという意味では『上求菩提』に繋がる阿羅漢への道。

生計や生業を立てるために必要な仕事能力は『下化衆生』にも繋がり、また菩薩への道でもあると思います。

これら修行は、基本的に矛盾するものでもある思いますが、重なっている部分があります。

この矛盾する事柄を貫く修行をすると、それぞれが補完しあう関係である事に気づかさせられます。
 
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