コメント
 
 
 
質問 (なつき)
2008-05-25 09:03:05
はじめまして。質問です‥。矛盾にひるまずってよくわかりません。通常、矛盾が出た状況をほったらかしにしないんじゃないですか?矛盾があるという事は無理があるという事では?無理な状態だとすれば、そこから心の平安が生まれるのでしょうか?普通の人は生じた矛盾を放ったままの状態で進む事はしないと思います。なぜ矛盾が生まれたのかな?間違えている事はないか?と考えてそれが解決できてからまた進むんじゃないですか?批判的な文章でごめんなさい。かなり疑問なので‥
 
 
 
Re:質問 (ゆーぱ)
2008-05-25 22:46:52
なつきさん、こんにちは!

ここは、仏教になぜ、小乗と大乗の一見矛盾する流れが出てきたか、という大きなテーマの結論部分だけを引いたところですので、なかなか分かりにくい、ということでもあるのだと思います。

なぜここで一見矛盾と思える状況が仏教で生まれたかというと、2500年前に釈尊(お釈迦さま、仏陀)によって説かれた教え(仏教)の巨大さ・壮大さに比べて、仏陀の弟子たちの理解力が小さすぎたのが、この一見矛盾した状況が出てきた原因ということなんだろうと思います。

小乗の側も大乗の側も、それぞれが、自分たちの考えが仏陀の教えだったのだと信じて、2500年やっているわけですから、そこに矛盾があるとは思っていないからこそ、こういう状況となってきている。だからこそ、その矛盾した状況をほったらかしにすることができず、大川隆法先生が、「再誕の仏陀」(2500年前のお釈迦さまが現代日本に生まれ変わった存在)として地上に降り立ち、過去の仏教の誤りを整理し再構成しようとしておられる、というわけです。

幸福の科学の教えは、この小乗と大乗の教えの両立と統合をも目指して、この21年余り進んで来ていますが、やはり大川隆法先生のお教えどおり、その中で心の平安を作ることはできるというのが、これまでの幸福の科学での学びの体験であったのだと、私は思っています。
 
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