地名学では、邪馬台国は岡山です。

岡山市に隠された地名「大伯(タイハク)」があります。大伯地名と鯨面出土で邪馬台国に直結します。

『魏志倭人伝』と『翰苑』

2014-05-24 06:25:38 | 邪馬台国
『魏志倭人伝』のみを調査しても、邪馬台国の位置はわからない。
邪馬台国の位置決定には、もう一つの古文書『翰苑』が必要である。
「大宰府天満宮」蔵の国宝『翰苑』の解読である。
『魏略』逸文五収載『翰苑(かんえん)』巻第三十 『翰苑』は、「幻の史書」として高名であり、660年以前に成立している。
『翰苑』の「倭人は太伯の子孫説」の地名学による解読が必要です。


『日本書紀私記零本』「姫氏国名者。倭国之名也。」

2014-05-24 06:25:37 | 邪馬台国
南宋の金履祥(仁山・1232~1303)の『通鑑(つがん)前編』への記録。
全18巻。 編者の金履祥は朱子学者。
「日本いう。呉の太伯の後なりと。けだし呉亡んで、その支庶(ししょ:傍流)、海に入って倭となる。」  周の王族の姓は姫氏であった。そのため、周から出た呉も姫姓であった。

『日本書紀』は平安時代に、721年~965年の7回の講書が行われた。
『日本書紀私記』は、 『日本書紀』を講した博士の私記です。
『日本書紀私記零本』に『姫氏国名者。倭国之名也。』と記録されています。
「倭国が「姫氏国と呼ばれていた」という記録です。 
 承平度の講書(936~943年)初見説があります。

太伯論争 消された大伯地名

2014-05-24 06:25:37 | 邪馬台国
『翰苑』の「倭人は太伯の子孫説」の地名学による解読が必要です。
何故、岡山市の太伯地名に研究者が注目しなかったのか。

その理由は、研究者が江戸時代の水戸学による激しい太伯論争を知らなかったためです。
岡山市立太伯小学校に歴史を捏造した太伯地名の由来碑が設置されています。


大伯地名から見える邪馬台国

2014-05-24 06:25:36 | 邪馬台国
① 邪馬台国には「太伯地名と線刻人面絵画」が必要です。
② 太伯地名と線刻人面絵画分布は一致しています。
③ 『魏志倭人伝』の記録を元に、多くの研究者が発掘された入墨のある黥面や埴輪について研究論文を発表しています。
④ 設楽博巳氏(東京大学教授)の論文「男子は大小となく皆黥面(げいめん)文身す-倭人のいでたち」に注目しました。

  「3世紀のイレズミ絵画」に「同種の絵画で最も古いものは岡山県倉敷市上東遺跡の後期後半~中葉、すなわち2世紀の土器絵画」と、「香川県善通寺市の仙遊遺跡の石棺の蓋に線で彫られた顔」とあります。



講演記録-1 山南公民館 郷土史を楽しむ会

2014-05-24 06:25:35 | 邪馬台国
平成26年3月27日(木) 岡山市立山南公民館 郷土史を楽しむ会
テーマ
『太伯と邪馬台国 「倭人は太伯の子孫説」の紹介』2時間講演。
私の纏めは「、」が有ったか無かったか。「、」が無かったら太伯小学校の由来碑がベストです。
「、」が有ったと考えると邪馬台国に結びつきます。
「、」が有ったか無かったか。「大か太か」小学生でも参加できます。「おおいに議論しましょう」でした。
参加者は14人でした。
参加者は誰も太伯伝承を知りませんでした。

講演後の参加者の意見

2014-05-24 06:25:34 | 邪馬台国
① 「、」の有無だけで、こんなに話が違うのか。しかし、始めて聞く話だ。にわかには信用できない。
② 『「、」の無い大伯でも、タイハクと読めるのでは』との指摘がありました。

岡山県立図書館へ直行しました。大修館書店の『大漢語林』を確認しました。
「大」の漢音は「タイ」、呉音は「ダイ」です。
つまり、最初は呉音ですから太伯と書き、漢音の時代に「、」の無い大伯(タイハク)と表記が変更されました。
国語学の問題になりました。




講演記録-2 吉備芸文会

2014-05-24 06:25:33 | 邪馬台国
平成26年4月23日(木) 吉備芸文会 テーマ 『太伯と邪馬台国 倭人は太伯の子孫説』の紹介-Ⅱ
『吉備邪馬台国東遷説』の岡将男氏、「テレビせとうち」の大田弘之氏にも聞いていただきました。
講演後、「辞書を正しいと考えるな」という指摘が有りました。
しかし、「大伯の読みについては、辞書は正しい。」という結論でした。

講演記録-3 環座の会例会

2014-05-24 06:25:32 | 邪馬台国
平成26年5月9日 第33回HIRAKIN環座(わざ)の会
  岡山プラザホテルにて。参加社 130社

  講演会
講師 先史古代研究会 丸谷憲二
テーマ ① 『太伯と邪馬台国 倭人は太伯の子孫説の紹介‐Ⅳ』
      ② 『草ヶ部 大廻り小廻り山城の考察』 予告編


講演記録-4 先史古代研究会例会

2014-05-24 06:25:31 | 邪馬台国
平成26年6月度 先史古代研究会 例会
  平成26年6月19日(木)13時~
  ゆうあいセンター2階 研修室分室1
  テーマ
  『太伯と邪馬台国 倭人は太伯の子孫説』- 
邪馬台国吉備説 論争参戦
この説は、先史古代研究会の定期活動の中から生まれた全国にPRすべき新説です。

吉備国に邪馬台国   瀬戸内市(旧邑久郡)の歴史 

2014-05-24 06:25:24 | 邪馬台国
平成26年2月11日に先史古代研究会の高島訪問シリーズとして、岡崎春樹説により「幸(高)島」を案内していただきました。
著書が参加社全員に贈呈されました。
本のタイトル『吉備に邪馬台国』に参加者は驚きました。
岡崎春樹氏は『太伯と邪馬台国は、皆が知っている常識』 として丁寧に説明していません。
しかし『倭人は太伯の子孫説』は地元の人は誰も知りません。 (平成26年3月27日の山南公民館での講演で確認)
太伯(タイハク)地名は、吉備国の古代地名として最も重要な地名です。

「太伯の由来」碑 岡山市立太伯小学校

2014-05-24 06:25:07 | 邪馬台国

片山伸栄氏 「大と太」の「、」の有無に関心

2014-05-24 06:25:06 | 邪馬台国
平成26年3月5日に片山伸栄氏一行(備前市)への山南学区の名所案内を、近藤孝正氏(山南公民館 郷土史を楽しむ会)に依頼しました。
最初に岡山市立太伯小学校内の「太伯の由来」碑を案内していただきました。
片山伸栄氏が「大と太」の「、」の有無に関心を示し、石碑の前で長時間動かれません。
「当初大伯の漢字を当て」とある。「太ではなく大」とある。「、」が無かったとされています
この伝承は間違いです。長年の間に「、」が消えた』と考えるべきです。

太伯地名石碑の問題点

2014-05-24 06:25:05 | 邪馬台国
太伯(タイハク)という地名に注目し40年になります。
太伯(タイハク)地名は、吉備国の古代地名として最も重要な地名です。
しかし、太伯地名は歴史研究者に無視されてきました。

中国・日本・李氏朝鮮に「倭人は太伯の子孫説」があります。
「大」の漢音は「タイ」、呉音は「ダイ」です。
最初は「呉音で太伯」と書き、漢音の時代に「、」の無い大伯(タイハク)と表記が変更されました。
それを明治22年に呉音のタイハクに戻しました。それが真実です。

単純なルビの付け間違いです。しかし、ルビの付け間違いが定説になってしまいました。
ルビの付け間違いが、平成8年11月から平成26年まで18年間訂正されておりません。
太伯小学校の先生達も、ルビの付け間違いに気がついても指摘できません。
「大も太」も小学校で習う漢字です。 岡山県の国語教育のレベル低下に驚かされます。

単純なルビの付け間違いが定説に

2014-05-24 06:25:04 | 邪馬台国
単純なルビの付け間違いを、「太伯の由来」碑には「明治22年に乙子・神崎・邑久郷の3ケ村が合併し大いなる新しき村を興すにあたり、邑久郡最大の村たらんとの気概に燃えて、邑久の古字に倣い大伯に点を打ちて太伯(タイハク)と名付けられた。」と創作しています。歴史の捏造です
岡山市立太伯小学校に歴史を捏造した由来碑が設置されています。
単純なルビの付け間違いが、定説になってしまいました。

太伯 「ほんぶしん」に注目

2014-05-24 06:24:50 | 邪馬台国