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杉村義衛を知っていますか?

2011-05-23 10:30:27 | 日記
†杉村義衛って人を知っていますか? 杉村大蔵じゃあないですよ。(笑)この杉村さん,今日が誕生日……という事ですが,既に亡くなって95年にもなるんですね。未だに,この杉村さんのファンというか”愛好家”は全国にかなり多くの人達が居るみたいです。勿論,私もそんな一人です。

”誕生日”は1839年5月23日(天保10年4月11日)という事なので,170年余り前の事となりますね。産まれた時の”姓”は長倉,幼名を 栄吉 といいました。幕末・維新を疾風の如く駆け抜けて行った『新撰組』の二番隊”組長”を勤めたのが杉村義衛こと永倉新八なのです。

『新撰組』にあって,江戸・明治・大正……と,激動の三時代を生き抜いた数少ない”武士”の一人<永倉新八>は,松前藩の江戸定府取次役「長倉勘次」の次男として生まれました。15歳で”神道無念流”の切紙(免許状),18歳で”本目録”を取得……『新撰組』の隊長格の中で,屈指の腕前であったと伝えられます。

ある隊士は「一に永倉,二に沖田(総司),三に斎藤(一)」と語っているぐらいで,この事だけでもその腕前の程が分かろうというもの。刀一つで”鳥羽伏見の戦い”を戦い抜き,その「ガムシャラ」なまでの性格から名前を捩って”俄武新”(がむしん)と呼ばれていたといいます。

明治以降……「新政府軍」を相手にあくまで”初心貫徹”を貫き通した永倉は1871(明治4)年に”脱藩”していた松前藩への”帰参”が許され,藩医・杉村介庵の娘婿となって<永倉新八>から<杉村義衛>と改名。そして,北海道松前町へ渡り,新な人生を歩む事となりました。

晩年,永倉新八は孫と共に”映画”を見に行った折りに,地元のヤクザに絡まれたが,蹴散らしたという。また,55歳の時には”日清戦争”へ抜刀隊(警視庁が臨時に選抜した部隊)として参加を悲願し,なお血気盛んな”俄武新”ぶりだったという。『小樽新聞』に新撰組を語り,「新撰組顛末記」を後世に残し,伝えた功績は大きい!

1895(明治28)年に,私の祖母が生まれ”新八さん”と20年間”同じ時代”を生きた訳だが,何やら不思議な感じがしますね。私の大好きな『新撰組』と永倉新八……”局長”近藤 勇とは意見の相違からたもとを分かったが,最後まで『新撰組』を愛し,板橋に”戦友”の名を刻んだ〈石碑〉を建てた永倉新八。172回目の"誕生日"”に池波正太郎の「幕末新撰組」(永倉新八を主人公にした小説)を読み返してみたいと思います。 <茨城>

※写真は晩年の”永倉新八”こと杉村義衛老
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