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追悼 ”エンジェル”ルナ・バションの思い出!

2010-09-08 16:00:22 | 日記
◇ルナ・バションが亡くなったと聞く。死因に関しては詳しくは分からないが,1962年3月3日生まれの48歳とまだ若かった。
ルナ……というよりは,私にとっては”エンジェル・バション”なのだが,エンジェルと初めて会ったのは,80年代の前半にタンパやマイアミといったフロリダ地区であった。
当時は既に,フリーとして日本とアメリカを行き来しており,アメリカに住み着いてT紙の特派員の時には毎月の様に訪れて取材していた。その頃のエンジェルは,まだ20代の前半でケビン・サリバンと”悪の軍団”を結成していた。
それから何年か経って帰国して,友人の紹介で新興団体《ジャパン女子プロレス》に入った訳だが……1986(昭和61)年8月17日に旗揚げ試合を行った<格闘女神伝説>の第二弾で”ルナティックス”を招聘した。この時にはマネージャーとして,エンジェルの父親でもあるブッチャー・バションを”お目付け役”として来日させた。
この当時”ルナティックス”には,サー・オリバー・フンパーディンクというマネージャーが付いていたけど,この時にはバションで落ち着いた。
フンパーディンクはかなり売れっ子のマネージャーで,ポーゴのマネージャーもやっていた事もあったけど,日程の都合もあって来日出来なかった。結果的にこれが良かったのかもしれない。(笑)
私は『プロレス&ボクシング』誌から15,6年に渡って取材する側だったが,この時から初めて取材される側になり,団体……それも女子プロレスという”未知の領域”でやっていけるのだろうかといった不安を抱えながらスタートを切った。
この初来日の時でもまだ24歳の若さだったけど,リング外もリング内の延長線の様で,何を仕出かすか分からなかった。(笑)それでも父親のポールがいたからちょっとは控え目にしていたのかもしれない。この次のシリーズで私がよんだ”叔母”のビビアン・バションの性格とは,実に対象的で”破天荒”なものだった……。
性格は父親より,叔父のモーリス(マッドドッグ)に似たのだろうか? もうかなり前の事になるけど,『IWA』にやって来た時に電話で話したのが最後となった。今頃,天国に先立ったシェリー・マーテル(同時期に来日したAWA女子王者)と馬鹿騒ぎしているのだろうか? そして,傍らにいるビビアンに嗜められている姿が目に浮かぶ……。慎んでご冥福をお祈りいたします。<茨城>
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