「/(スラッシュ)」

ナニワのオッサン 怒りのエッセイ!!

/248.JR宝塚線脱線事故の背信行為(馴れ合いと隠蔽)

2009-10-02 06:59:07 | Weblog
 オパール輝く神無月がやって来た。出雲には日本中の神さんが集まっている。明日(3日)は「中秋の名月」だ。スーパーの果物コーナーには「秋果」が所狭しと並べられている。どれもこれも、この時季に相応しい色艶をしている。見た途端、高い天を見上げながら、高台の公園のベンチでかじりついた子供の頃の無邪気さが甦って来る。そして、たまには小自然の中で短冊を片手に、果実がざっくり割れた紅一点のザクロを愛でながら、吉田タクローではないけれど「♪ひとつ俳句でも(短歌でも)」ひねろうか。という気分にもなる。事実、そういうオツな人を最近よく見かける。十七文字、三十一文字(みそひともじ)に我が思いを込め、人間や自然の内面をグサッとえぐられる人は、短文の名手だ。素晴らしい。僕のブログとエライ違いだ。そんな風流人を僕は尊敬する。

 神戸に懐かしい「鉄人28号」が甦った。和田アッコではないけれど「♪あの頃は」、ライフリスクを抑える生活だったなあ。今の季節であれば、ススキとネコジャラシに戯れながらキャピキャピする我が家のペットを隠れ蓑にして、欲望の赴くままに誰かさんの畑の秋果をしょっちゅう失敬したっけ。それでも見張り番のオッチャンは、見て見ぬふりをしてくれた。あの光景は、「ヤン坊、マー坊の天気予報」のような50年の温もりに匹敵するものがあったなあ。獲物を鱈腹食べた帰り道の周辺には稲が実り、家々の軒先の植え込みにはキンモクセイのいい香りが漂っていた。そして何よりも、隣のミヨチャンに逢うのが最終目的だった。空気もキレイで皆が親切。そう、あれこそ個人の二酸化炭素排出量が極微量の「ポコ運転生活」だ。そんなポコちゃんがペコちゃんの真似をした時代も、ついでに甦れ!!

 温もりの時代に大活躍したのが、僕が世界一好きな長嶋茂雄さん。最近のミスターの衰えぶりには、いかに僕でも目を覆いたくなる。が、これも時代の移り変わりだろうと思いたい。その長嶋さんと巨人のV9を謳歌した土井正三さんが亡くなられた。非常に残念だ。名遊撃手の広岡さんにも匹敵する名二塁手の土井さんは、「いぶし銀・忍者」と呼ばれ、バントの名手でもあった。僕もよく草野球で真似をした。考えてみればあの頃はまだ、僕は巨人軍(と言うより長嶋ファン)を応援していた。図らずも長嶋さんが「大切な人を失った。心が痛みます」と語った。その大切な人のご冥福を謹んでお祈りしたい。

 ポコ運転生活と言えば、あの頃自然のままで収穫して巻き寿司の具として入れた「三つ葉」のビジネスに、僕はまだ未練がある。これには僕の相棒も注目している。問題は、あちこちで収穫してから出荷するまでの保存方法だろう。店頭に並ぶ前にしおれないようにするためには現地直売が原則。しかし、いち早く多くの人の注目を集めるには、車でスーパーや百貨店に運び担当者と直接交渉する以外にない、などとマジになって彼と口角泡を飛ばす僕ってヘン? それともこんな僕を褒めてやりたい? でも、現実は厳しいとまた嘆く。「そしたら僕の田舎で蕎麦を栽培するのはどう?」と彼。「そやけどなあ。蕎麦やったら花を見るだけで充分」と僕。名付けて「ベンチャー・野生食材ビジネス」 当分結論が出そうにない。

 ポコ運転生活の古き良き時代には、「子沢山」が常識だった。僕は姉、弟、妹の4人兄弟(姉妹)だが、ご近所には5人以上の子供がいる世帯がかなりあった。それゆえ各家庭は賑やかだ。当然、食い物などの奪い合いがある。特に、時のご馳走「スキヤキ」は、我が家でも例外ではない。一番癖が悪かったのは、肉しか食べない弟だ。ちなみに僕は、食の優等生らしく満遍なく食べた。ところが弟だけは、油断も隙もあったものではない。ちょっと目を逸らすと、別の皿に肉を隠していたりする。ので、よくケンカしたものだ。しかしあの頃はそれが、豊かな家庭の証しだったのかも知れない。なっ、弟よ。

 それはそうと、世界の有名な「名家」にも子沢山が多い。例えば、ヨーロッパ随一の名家と言われた「ハプスブルク家」だ。家の興りは10世紀頃。元々は北スイス付近の小領主だったが徐々に勢力を伸ばし、ドイツ、オーストリア、スペイン、ハンガリーなどに進出した。その栄光の歴史に名を残す名君の一人が「○○○・○○○○」だ。彼女は、父・カール6世の死後、彼女の夫・フランツ1世の皇位継承を巡る戦争で巧妙な手腕を発揮し、絶大な権力を握った。そして、その後の国政を全て彼女が担い、ずば抜けた能力を駆使して、農民の保護や産業の育成などに力を注ぎ、民から「国母」と呼ばれるまでに慕われたのだ。

 さあ、ここでクイズだ。マリー・アントワネットのほか、後の皇帝・ヨーゼフ2世やレオポルト2世らの子を産み育てながら、ヨーロッパの大国の舵取りをした名君の名は? ・・・・・。正解は「マリア・テレジア」だ。彼女には、16人の子供がいたと言われる。政治的能力もさることながら、精力も絶倫だったのだ。また、大国を自分の一存で治めた、という意味ではまさに「桁違いの怪物」だったのである。凄い女がいたものだ。

 次は、最近益々硬派になって来た隣のオバチャンと僕共同のショートショートだ。 「ポニョの町」の景観が救われた。嬉しい嬉しい判決だ。「開発」が美名の時代は終わった。 いよいよ2016年夏のオリンピック開催地が今日決まる。だけど、2人ともあまり関心がない。 フィリピンの台風、スマトラとサモアの地震は恐いねえ。 JALの再建はさもしいねえ。 名前は「静香」なのに、ちっとも静かではない、口八丁手八丁の「亀井氏」と、沈黙の後、ドリフターズの加藤ちゃんみたいに「ちょっとだけ」コメントした「小沢氏」 どちらも新政権の大爆弾だ。鳩山さん、気いつけなはれ。 

 八ツ場ダムの建設予定地にあるJR吾妻線の「川原湯温泉」は、ひなびた風情のある湯宿。一件落着したら2人で行こう。 尼崎市周辺の放火魔「森田憲作」は、2人が好きな「森田健作」と紛らわしい。 涙ぐましい努力をしている関西独立リーグの紅一点「吉田エリちゃん」が退団する。寂しいなあ。 野中さんと森さん(元自民党のボスと現派閥の領袖)は、古いことばっかり言ってるね。これやから自民党は「自己喪失」して、もはや「形無し」になったんや。そうや、そうや。 あの「全精社協」向けの障害者自立支援の補助金交付を促した「元厚労副大臣」にアイアム・アングリー!! 悪いヤツは悪い。

 お次は僕単独の政局コメント。 新政権はまるで、我々にも新しい時代を見つめる姿勢を促しているかのようだ。この転換こそ、まさに日本の社会システムのチェンジを意味する。僕はハネムーン期間中、見守る姿勢を貫きたい。「コンクリートから人へ」を掲げ、無駄な公共事業ではなく、人への投資に金を回す。そして、家計に余裕が生まれて、国内消費が増し、内需主導の経済成長に結びつく。というのが鳩山政権のシンデレラストーリーだ。この方向性に僕は文句がない。後は、グローバル化した大海をいかに泳ぎ切るか、だ。

 今週は、遭難した船から海に投げ出されて「立ち泳ぎ」した人が救助されたニュースが相次いだ。そう、海で立ち泳ぎ出来る人は、究極の選択をも克服出来るのだ。僕も一番体力を使わない立ち泳ぎが得意。ある時、太平洋側の磯遊びで昼から夕方まで長時間立ち泳ぎをしていたら、「フィッシュ・スパ」と呼ばれる肌の手入れをする魚(熱帯魚だったと思う)が、僕の古くなった皮膚を掃除してくれた。鳩山政権も、グローバル海で余裕を持って立ち泳ぎをしていれば、誰かがきっと助けてくれる、悪い膿や垢を良国の魚達が食べ尽くしてくれる、ということがあるに違いない。この選択は、僕が「なぜ阪神は勝てないのか?」(江夏豊・岡田彰布著)を読みたくないのと同じだ。

 つまり、鳩山政権には今、正しいことをしていると認識するアドバンテージがあるのだ。だから、どんどん正しいと思うことをしたらいい。国民も、今の鳩山政権なら文句が言えないと薄々自覚している。それにしても、新しい政権の行動にはスピード感がある。いいことだ。スタートダッシュも壮観。国の予算の再査定、早期天下り退職の禁止、やっかいな「空港特会」の見直しなどなど、霞ヶ関のシステムを変えようとするインドアスポーツの躍動には、目を見張るものがある。これに、グローバルなアウトドアスポーツの平衡感覚と身体能力が伴えば、もう鬼に金棒だ。だが、どっちのスポーツでも「馴れ合いと隠蔽体質」を抱えたままだと大きな怪我をするし、そんな傷は、赤チンキズでは済まない。例え小さい赤チンキズも、溜りに溜まれば、大きいトラウマとなる。今日は、これに近いインドアの話しだ。アイアム・アングリー!! こう叫びながらスタートだ。

 05年のJR宝塚線(福知山線)脱線事故の原因究明に当たっていた国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(事故調)の委員の一人が、最終報告書を公表する前に、その内容(資料)を最大の当事者であるJR西日本の山崎正夫・前社長に伝えていた、という耳を疑うような事実が前原誠司・国土交通相によって明らかにされた。憤るのは、僕だけではない筈だ。

 「事故調」に資料を漏洩していた元委員の山口浩一氏は、山崎氏の旧国鉄時代の先輩に当たり、報告書作りの最中に、当人の求めで、何回も会っていた。その際の双方の対応は、尋常ではない。例えば山崎氏は、報告資料の文面がJR西日本にとって不利なものとならないように、昼も夜も飲み食いしながら、「(この箇所は)後出しジャンケン的であり、科学的ではないのでカットした方がいい」などと、新型ATSが整備されていれば事故は防げたとする報告書案の記述について、削除や修正を山口氏に求めた、という。これに応えて山口氏は、調査の進展状況を教えただけではなく、言われた通り報告書の一部のコピーを手渡していたのだ。

 委員は、職務で知った秘密を漏らしてはならない、と法律で定められている。今回はそれを、よりにもよって調べられる側に漏らしていたのだから、極めて悪質だ。そればかりではない。調べによるとこの「事故調」のメンバーも、公平性と中立性を著しく欠く「昔からの顔なじみ」の面々が揃っていた。つまり、調査側(事故調)と当事者側(JR西日本)は、責任の所在を曖昧にするための「馴れ合い体質仲間」で最初から繋がっていた、と疑われても何ら不思議がない実態だった、ということなのだ。

 おまけにJR西日本は、「事故調」と捜査をしていた兵庫県警に対し、97年1月に開かれた同社安全対策委員会の会議資料のうち、カーブでの速度超過による脱線事故として、宝塚線脱線事故の類似事故とされる96年のJR函館線脱線事故に関する資料も提出していなかった、という新たな隠蔽事実が明らかになった。また、JR西日本の調査組織が、知り合いだった元調査委員から「質問リスト」の情報収集をして、隠蔽や修正を促していたことも判明した。このように次から次へと悪質な行為を繰り返すこの会社には、遺族に対する誠意や気配りが全く感じられない。

 僕は呆れてものが言えない。まさにこれは、犠牲者及び犠牲者の遺族に対する「背信行為」そのものだ。JR西日本には当時、事故の背景や原因として、会社の日勤教育や余裕がないダイヤ、現場付近に新型の自動列車停止装置(ATS)が整備されていなかったことが指摘されていた。山崎氏は、これらについて「事故調」がどんな議論をしているのかを、JR西日本の「責任逃れの手段」として、聞きだそうとしていたのだ。おい、JR西日本よ。こんな不祥事をいったい何回やれば気が済むんだ。と、僕は言いたい。

 山崎氏はこう語った。「軽率で不適切な行為でした」と。当たり前だろう。犠牲者や怒りに怒る遺族のことを考えれば、これは単なる不祥事では済まされない。ましてや、社長退任後もぬけぬけと取締役を務めている自分自身の「職責」を果たす資格もないことを猛省し、もっともっと頭を下げて誤るべきだろう。でないと、犠牲者も遺族も救われない。ともかくこれで、JR西日本の信用は地に堕ちた。また、「事故調」の公平性と中立性も大きく歪められた。そして、報告書全体の信頼性も大きく損なってしまった、と言うべきだろう。こんな馴れ合いと隠蔽体質を未だに引き摺っている会社に、明日はない。昔仲間のしがらみに負けたJR西日本が、自己防衛のために不明朗な行動をする現体質から脱却するには、まだまだ時間がかかりそうだ、との思いが僕は強くする。

 「馴れ合い」と闘って勝利した人もいる。堺市長に初当選した元大阪府部長の竹山氏だ。これは、馴れ合い体質を批判し、「政党の相乗り許すまじ」と竹山氏の応援に奔走した橋下大阪府知事の勝利でもある。一連の成り行き(経緯)には、よその市の行政選挙に首長連合の知事が勝手に不当介入した、との批判があるが、僕は誰が何と言おうとこの結果は、国政で政権交代が実現したこの国の新しい政治の当然の成り行きだ、と自分なりに解釈している。つまり、こういう流れがこの国の「必然」なのだ。

 なぜなら、こんな歴史的な大転換期なのに、オール与党態勢の議会が首長を担げば、施策実現は極めて容易だが、各党の利害調整を優先して住民に目が向かなくなる、という今までの自民党政治のような馴れ合い体質から堺市が開放されない、からだ。そういう意味で市民は、この国と市の現状、あるいは未来に相応しい選択をした、と僕は痛感する。つまり堺市も、進むべき方向は決して間違ってはいないのだ。確かに橋下氏には、発信力の裏にある危うさも無きにしも非ず、だ。でも、彼に「橋下帝国」を創る思惑などさらさらないだろう。

 要するに彼は、地方議会のあり方を良い方向に進展させようと、あらゆる手段を使って日々腐心しているのだ。僕にはそれが、ありありと伝わって来る。そう、彼が竹山氏を勝たせたのではなく、時代がこういう選択をさせたのだと僕は思いたい。よって今回の市長選の結果は、もはや旧来のしがらみでがんじがらめになっている時代ではない、このままでは堺市政が駄目になると憂える市民の危機感が勝利となって実を結んだ、と僕は信じている。堺市は、僕が信頼する姉が住んでいるところ。竹山さんには、大いなるチェンジを期待している。

 以上の二つの出来事は、この国の古い企業と新しい行政のあり方について、考えさせられる場を僕に提供してくれた。勿論、最近の世の出来事にはこの種の感慨を抱くものが本当に多い。そういったもののひとつが言わば「馴れ合いと隠蔽」だ。この明暗が鮮明に表面化する現象が、これからもどんどん増えて来るに違いない。と、僕は感じる。だからこそ、時代は変わったのではないだろうか。これを時代の必然と受け止める人間がどれだけ多いかで、日本の将来の運命が決まる。

 もし、より多ければ劇的に変わるのも夢ではない。でも、どこまで先が見えて来るのかは、まだまだ古い体質を引き摺っている我々の世代には、甚だ不透明だ。なんせグローバルで情報過多な時代。いったい何が真実で、いったい何が虚構なのか、いつも頭を悩ませる現実だ。今分かっているのは、この新政権の行く末が明治維新のようなスリルとサスペンス、ドラマチックさに欠けるということ。

 しかし、不透明ながらも、例えば現在の民主党主導の新政権を見ていると、政治が、企業が、この国の民が変わるんだ、という淡い期待を抱かせてくれる。これは僕にとっては、いい傾向だ。なんとなれば、こういうある種の快感が政治という世界にあるのが、僕には未知との遭遇だ。皮肉にも、よりにもよって100年に1度のこんな困難な時期に、我が人生で初めて体感する政治の変化。これも何かの因縁として時代を捉えるならば、必然的に、僕の中から古いしがらみは消えて行く。なら僕も、馴れ合い・隠蔽なしに正々堂々と、この先の人生を歩んで行こう。その方が、新しい時代に相応しい。