ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

深川 (お江戸 深川 桜祭り) 2019.4.2

2019-04-07 22:49:14 | Weblog


(写真は、大横川沿いの桜)

首都圏は、少しの間寒い日が続いたので、何とか桜の花がもっている様です。

と言う訳で、御殿山、桜坂に続いて、先週の2日に「深川桜祭り」に行って来ました。

「深川桜祭り」の場所は、地下鉄「門前仲町駅」の南を流れる「大横川」沿いの桜並木で、約270本のソメイヨシノが1.3キロも続いています。

「大横川」(おおよこがわ)は、江戸時代に造られた運河で、「竪川」と交差していました。

江戸城に対して”横”に流れているところから、“大横川”と名付けられました。

余談ですが、大横川と交差していた「竪川」は、江戸城に対して”縦”に流れているところから「竪川(縦川)」と名付けられました。

(大横川沿いの散歩については、(大横川に沿って)を見てね。)



地下鉄・門前仲町駅で下車して、4番出口から出ると、徒歩3分で「大横川」に架かる「黒船橋」に出ます。

ここの大横川沿いの両岸が「お江戸 深川 さくらまつり」の会場です。(3月23日~4月7日)

黒船橋から、水上バス乗り場の表示がある方向へ、大横川沿いに歩いて南下します。






直ぐに、大横川をオープンデッキの船で周遊する「お花見クルーズ船」の乗り場がありました。

(昼間は35分コースで2,500円、夜間は45分コースで3,500円:事前予約可能 : 3月23日~4月7日)


桜祭りの期間中は、夜桜のライトアップがあるそうなので、来年は、夜間のクルーズ船に予約して乗ろうと思います。

ポスターによると、更に、桜祭り期間中の土日には、櫓こぎで進む「和船」のお花見周遊船も運航されている様です。

また、「和船」には、新内流しや嫁入り姿の一行も乗り込み、江戸風情を盛り上げ様としているみたいです。

大横川沿いの満開の桜並木に感動しながら、更に、船乗り場から先に歩いて南下して行きます。







やがて、巽(たつみ)橋があり、その脇に大島川水門がありました。

この大島川水門の辺りで、桜並木は終わりなので、ここからスタート地点の黒船橋まで歩いて引き返します。



戻って来た黒船橋から、今度は、大横川沿いの反対方向の桜並木を歩いて北上します。







大横川の桜並木は、写真の様に、枝が水面近くまで低くせり出しているので、なかなか風情があり素敵です。



その、桜並木の中ほどにある上の写真の「石島橋」の脇には、下の写真のお休み処が設置されていましたが、平日だからでしょうか、閑散としていました。

ここのポスターによると、お祭り期間中の土日には、深川めし、焼鳥、甘味などの屋台村も出店し、獅子舞やストリートパフォーマンスも行われるそうです。

この石島橋から、大横川沿いの満開の桜並木沿いに、更に歩いて北上して行くと、巴(ともえ)橋の辺りで、桜並木は終わりました。

巴橋から黒船橋まで引き返します。


ここからは、来た大横川沿いの桜並木の道を戻らずに、大横川と並行して流れている上の写真の「古石場(ふるいしば)川 親水公園」沿いに黒船橋方面へ戻ります。


黒船橋の少し手前に、写真の「牡丹園」がありました。

この辺りの地名は「牡丹町」で、江戸時代、この辺りは牡丹を栽培する家が多かったことに由来するそうです。

牡丹園を右折して、スタート地点の黒船橋に戻って来ました。


(赤色線の矢印が今回歩いたコースです。)

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桜坂・福山雅治(田園調布) 2019.3.31  

2019-04-06 06:10:08 | Weblog

(写真は、「福山雅治」のヒット曲「桜坂」の舞台となった田園調布の「桜坂」)


品川・御殿山の桜祭りの見物を終え、JR品川駅から京浜東北線で横浜へ帰る途中、ふと、「福山雅治」の「桜坂」を思い出して、蒲田駅で途中下車しました。

東急の蒲田駅から、多摩川線に乗り、「沼部駅」で下車します。

”福山雅治の桜坂”は、東急多摩川線の「沼部駅」から歩いて5分ほどのところにあります。

大田区の田園調布本町の桜坂は、平成12年に大ヒットした、福山雅治が切なく唄う「桜坂」で一躍有名スポットになり、大勢の若いカップルが訪れるようになりました。

しかし、桜坂のヒットからもう20年近くになるので、最近の若い人はヒット曲「桜坂」を知らないだろうし、当時のフィーバーは去って静かにお花見が出来るのではないか、と思ったので立ち寄ってみました。


沼部駅を横切る駅前の道を右方向へ真っ直ぐに進んで行くと、間もなく「さくら坂」が始まります。


「桜坂」の標識があり、その先に「さくら坂」の交差点があります。

「桜坂」は、旧中原街道の一部で、昔は「沼部の大坂」とも呼ばれる急な坂道の中原街道の難所でした。

(注)中原街道(なかはらかいどう)

   中原街道は、江戸時代、丸子で多摩川を渡り、平塚に至る街道で、東海道の裏街道としての機能を有していました。

「桜坂」は、あまりもの急勾配だったので、江戸時代には、荷車の通行も難儀したそうです。

このため、大正12年に桜坂の改修工事が行われ、現在の様な切通しの緩やかな坂になりました。

その後、昭和5年に、切通しの坂の両側に桜が植えられ、この坂を「桜坂」と命名しました。

福山雅治も、デビュー前には、ここ桜坂の近所に住んでいたようで、この桜坂をモチーフにして、当時の思いなどを詞に綴ったのが、平成12年のヒット曲になったそうです。

福山雅治の桜坂のヒットにより、若いカップルや女子高生たちが連日訪れ、坂道には長蛇の列ができました。


また、切通しを上り切ったところにある「桜橋」と呼ばれる赤い歩道橋が、桜坂の撮影スポットになっています。

この橋の上で記念写真を撮るのが、桜坂デートの定番スタイルになりました。

写真の様に、赤い欄干が、満開の桜に彩りを添えます。


写真は、その桜橋の上からの桜坂の風景です。


以下の写真は、切通しの両脇の桜並木です。






   君よ ずっと幸せに 風にそっと歌うよ  Woo Yeah 愛は今も 愛のままで 

   揺れる木漏れ日 薫る桜坂   悲しみに似た 薄紅色 

   君がいた 恋をしていた  君じゃなきゃダメなのに ひとつになれず


帰りは、桜坂を下り、沼部駅の手前の東光院の角を右折して、六郷用水に沿って、東急東横線線の多摩川駅まで1駅分を歩き、多摩川駅から東横線線で横浜まで帰りました。


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川越・蔵の街 2019.3.17

2019-04-05 07:37:11 | Weblog

(写真は、川越の町並み)

前々回の川越城跡、前回の喜多院に続いて、今回は、定番の”蔵の街・川越”です。

東武バスの「小江戸名所めぐり」(1日300円)に乗って、喜多院から「蔵の街」へ向かいます。

川越城跡、喜多院と歩いて、だいぶお腹が空いてきたので、蔵の街でウナギを食べます。

”蔵の街・川越”は、これまでに何回も訪れていますが、やはり、”川越と言えば、芋と鰻!”

と言う訳で、先ずは、鰻屋へ向かいます。

川越市の繁華街には、江戸時代創業の老舗を中心に、9軒もの鰻屋があります。


お目当ての大正浪漫夢通りの鰻屋「小川菊(おがぎく)」は準備中でした・・・


仕方なく、蔵造りの町並みの入口に戻って、写真の「うなぎ一貫(いっかん)」に入ります。





鰻重(3,000円)を注文しますが、久し振りのウナギはやはり美味い!

満腹になって、蔵の街をブラブラと歩きます。





















上の写真は、川越で最古の蔵造りの「大沢家住宅」で、呉服商の近江屋半右衛門が1792年に建造しました。

数度の大火でも類焼を免れ、現在は土産店になっています。


上の写真は、1783年創業の老舗の和菓子「亀屋 本店」で、明治27年に建てられた蔵造りの建物は重厚で豪華です。


(スターバックス川越鐘つき通り店)


寛永年間(1624~44年)に建てられた写真の「時の鐘」は、小江戸・川越のシンボルです。

現在の鐘楼は、明治27年に再建された4代目ですが、その構造自体は江戸時代のままです。


上の写真は、大正7年に、第八十五銀行本店として建造された建物で、現在も、埼玉りそな銀行川越支店として実際に使用されています。


写真は、「菓子屋横丁」で、川越名産のサツマイモを使ったお菓子、飴、煎餅、駄菓子、漬物店などが連なる横丁です。



インスタ映えする食べ物を求めて、若い女性やカップルで溢れています。


写真は、古き良き大正時代の風情が漂う「大正浪漫夢通り」です。



石畳の通りに、土産店や飲食店など、レトロな雰囲気を残す洋風建築が建ち並びます。

テレビや映画の撮影もよく行われるそうです。

かなり日差しが強くて暑いので、カフェに入って、写真の川越抹茶と川越ほうじ茶のジェラード(500円)を食べて、一休みします。





蔵の街の見物を終え、また、東武バスの「小江戸名所めぐり」に乗って、博物館前のバス停で下車します。

写真の「川越市立博物館」に入ります。(200円) 

館内には、繁栄していた当時の川越の様子や、明治26年に襲った大火の様子などが展示されています。



大火により川越の中心街のほとんどが焼失してしまいました。

川越の商人たちは、耐久性を備えた建築として、上の写真の様な構造の蔵造りを始めました。

江戸の情緒を今に伝える蔵造りの街並みは、当時の商家の名残りなのだそうです。


博物館の解説のオネエさんの説明がとても上手で分かり易く、終わったときに、入場者から大きな拍手がわきました。
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川越・喜多院 2019.3.17

2019-04-04 22:02:49 | Weblog

(写真は、喜多院の「徳川家光 誕生の間」)

お花見のブログが、御殿山、桜坂、深川と3回も間に入ったために、暫く間が空きましたが、前回の川越の「本丸御殿」に続いて、今回は、川越の「喜多院」です。

東武バスの「小江戸名所めぐり」(1日300円)に乗って、本丸御殿から「喜多院」へ向かいます。

喜多院は、歴史ファンには必見の史跡です!

それは、1657年の「振り袖火事」などの一連の大火で焼失して、無くなってしまったハズの江戸城が、何と!ここでだけ見られるからです!



「喜多院」は、創建830年の天台宗の名刹です。

1638年の川越大火で、現存の山門を除き、喜多院は、全て焼失してしまいました。

このときの喜多院の住職は「天海僧正」でした。

当時の、将軍・家光の「天海僧正」に対する崇敬ぶりは凄まじいものがありました。
大火で焼失してしまった喜多院の再建には時間を要するため、家光は、天海僧正が生活に支障をきたさない様に、直ちに、江戸城の別殿を、喜多院に移築させました。

これにより、結果的には、江戸城の別殿は、江戸の大火による焼失を免れることになり、ここ川越に、”江戸城の唯一の遺構”として残されることになりました。

別殿には、家光が生まれた「家光誕生の間」が、江戸城の当時のままであります。

また、家光の乳母の春日局が使用していた「春日局化粧の間」も、江戸城の当時のままの姿を遺しています。

この両部屋は、現存する江戸城の資料として貴重な文化財ですが、嬉しいことに中を見学することが出来ます。




「小江戸名所めぐり」バスを、「喜多院」バス停で下車します。

喜多院は、15年ほど前のNHK大河ドラマ「春日局」のロケ地にもなりました。


上の写真は、天海僧正が建立した山門で、国重文です。


上の写真は、1639年に建てられた多宝塔です。




上の写真は、「慈恵堂」で、喜多院の本堂です。

本堂内には、慈恵大師と不動明王が祀られています。




上の写真は、「家光誕生の間」と「春日局化粧の間」がある書院です。

建物内は写真撮影禁止なので、、「家光誕生の間」と「春日局化粧の間」については、下記のパンフレットの写真をご覧ください。

(家光誕生の間)


(春日局化粧の間)



また、喜多院の境内には、1782年から50年をかけて建立された「五百羅漢」があります。



上の写真の様に、中央高座に釈迦如来像、左右に阿弥陀如来像と地蔵菩薩像です。


また、写真の様に、両脇には、釈迦の十大弟子、十六羅漢が並びます。



五百羅漢のその他の石像も、笑ったり、怒ったり、 全てが異なる様々の姿や顔の表情で、535体もの石仏がずらりと並んでいます。



上の写真は、まるで囁き合う様な「ささやき羅漢」です。



最後に、喜多院の境内にある日本三大東照宮のひとつ「仙波東照宮」に立ち寄ってみます。

徳川家康の遺骸を、静岡から日光へ移葬する途中、天海僧正によって、喜多院で、4日間の法要が営まれたことから、1633年に仙波東照宮が建立されました。



三つ葉葵の拝殿前の上の写真の入口扉や、当時、川越城主だった柳沢吉保の銘が刻まれた下の写真の石灯籠が、喜多院の歴史を物語っています。




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品川・御殿山 桜祭り 2019.3.31

2019-04-03 17:23:41 | Weblog

(写真は、御殿山の桜)

テレビの開花情報によると、首都圏の桜も満開ということなので、一昨日(3/31)、「御殿山の桜祭り」に行ってみました。

(3月18日~4月7日 :夜間はライトアップ)


江戸時代、「御殿山」は、桜の名所として広く庶民にも親しまれた山で、また、ここでは、将軍の鷹狩りや茶会も催されました。

「御殿山」の地名は、“将軍の品川御殿がある山”に由来するそうです。

幕末、黒船来航に慌てた幕府は、品川沖の江戸湾に「お台場( 砲台 )」を築きました。

そして、この「お台場」構築ための土の供給源こそが、実は、現在の御殿山庭園の周辺だったのです!
そう、現在の「お台場」の土は、何と!、埋め立て用に「御殿山」を切り崩して調達したものなのです!

このため、「御殿”山”」の”山”は、削られて無くなってしましました・・・

更に、明治に入り、御殿山の真ん中に鉄道を敷くために、山の中央部分を深く掘り下げたので、下の写真の様に、御殿山は、完全に2分割されてしまいました・・・

(上の写真の右側が御殿山の東京マリオットホテル)
御殿山の東京マリオットホテルから下を見ると、かなり下を東海道線などが走っていますが、これは、明治時代に、鉄道敷設のために、人手で掘削されたものなのです。



JR品川駅で下車、高輪口へ出て、第一京浜沿いに横浜方面へ10分ほど歩くと、東京マリオットホテルなどがある御殿山トラストシティに突き当たります。

「御殿山桜祭り」の会場は、この東京マリオットホテルの正面玄関の前でした。





桜祭りの主催者は、このホテルと、近隣の高層ビルの住人のIT企業などでした。

IT企業などが中心の桜祭りなので、”御殿山の江戸の伝統と桜”をテーマに、最新テクノロジーを駆使して、老若男女が楽しめる出し物になっています。


また、ホテルの前の桜並木には、江戸から平成までの元号が記された提灯が並んでいます。



私が、3/31に行ったときは、平成の隣の提灯は、上の写真の様にブランクでした。

しかし、翌日(4/1)のTVニュースを見ていたら、下の写真の様に、令和の文字を書き込む様子が報道されていました。





上の写真は、「大名籠」で、籠に乗ると無料で記念写真を撮ってくれます。


写真は、「大江戸 ロボットダンス」で、器用に扇子を開いたり閉じたりしながら、曲に合わせて踊る様にプログラミングされています。



上の写真は、侍姿のロボットで、コントローラを操作しながらスイカを居合切りする無料のゲームで、子供達の歓声が上がっていました。


上の写真は、「小判で開ける千両箱」工作のワークショップです。(1,000円)

以下の写真は、御殿山庭園です。







庭園内の茶室「有時庵」も、一般公開されており、無料で解説してくれます。





御殿山庭園を抜けて反対側の通りに出ると、そこは、写真の「御殿山 さくらショートトリップ 通り」で、ここの桜が、この辺りでは一番きれいでした。





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川越城 (日本100名城) 2019.3.17 

2019-04-02 10:57:59 | Weblog


(写真は、本丸御殿の家老詰所)


川越城は、1457年に、太田道灌が築城しました。

やがて、小田原の北条氏が川越城を掌中に収めますが、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めに際し、川越城は前田利家に攻められて落城しました。

その後、徳川家康が江戸に移ると、川越城には重臣の酒井重忠を配し「川越藩」としました。

1639年、川越藩主となった松平信綱は、 本丸、二の丸、三の丸等の各曲輪、3つの櫓、12の門の拡張・整備を行いました。

川越城は、天守閣を持たない平山城で、日本100名城に選定されています。



横浜から、東横線のFライナーに乗って、乗り換えなしで、東武東上線の川越駅に着きました。



川越駅前から、東武バスの「小江戸名所めぐり」(1日300円)に乗って、「札の辻」バス停で下車します。
 
蔵造りの街並みと、川越市役所の前の道が交差するのが「札の辻」です。

「札の辻」は城下町の中心で、「高札場」(こうさつば)があった所です。

高札場には、幕府が決めた法律などが、人目を引くように高く掲げられていました。


「札の辻」の交差点の角にある、上の写真の「川越観光協会」で、川越の散策地図を貰い、更に、下の写真の「元禄七年川越図」(300円)を買います。


下の古地図の青丸印がこの「札の辻」で、古地図の赤い部分は、城内の人が歩く道を表しています。



札の辻の交差点を、蔵の街並みとは反対の方向へ向かうと、直ぐ左手に、写真の川越市役所があります。

市役所の前には、写真の「川越城 大手門」跡の石柱と「太田道灌」の銅像が建っています。



ここが「大手門」跡ですから、昔は、この大手門から先の上の写真の道路は、もう城内だった訳です。


城内だった市役所前の大通りを少し歩くと、右手に「川越城 中ノ門 堀跡」の案内表示がありました。

案内板によると、ここが城内に残る唯一の「お堀跡」だそうです。


上の写真の様に、攻めて来る大手門側(赤色矢印)の傾斜は30度ですが、本丸側(黄色矢印)の傾斜は60度と急傾斜なので、お城の内側へは上れません。






そして、この市役所前の大通りの突き当たりが、江戸時代に17万石を誇った写真の「川越城」の「本丸御殿」です。
(月曜休館、入館料 100円)

現存する本丸御殿は、東日本ではここだけで、全国的に見ても貴重な遺構です。

本丸御殿の建物は、1848年に建てられ、当時は、建物の数は16棟もあり、1,025坪の広大な建物面積を誇りました。

明治以降、建物の解体が行われ、現在では、玄関部分、大広間、家老詰所を残すのみです。



玄関を入ってすぐの所に、上の写真の36畳の「本丸御殿 大広間」があります。

城内の会議や、来客の待機に使われていたようです。

武士の執務室らしく落ち着きと風格があります。









(使者の間)


上の写真の「家老詰所」は、本丸御殿の家老が常駐する場所でした。


上の写真は、家老詰所の縁側からの庭の眺めです。



次に、本丸御殿の脇にある、川越城の鎮守の「三芳野(みよしの)神社」へ行きます。

「三芳野神社」は、童謡「とおりゃんせ」の発祥の地だそうです?



上の写真は、「わらべ唄・とおりゃんせ」発祥の地の石碑です。

三芳野神社が「とおりゃんせ」の舞台となった理由は、その位置にありました?

上の古地図の青色の丸印が三芳野神社で、青色の縦線の横には御本丸と書かれています。
この様に、三芳野神社は、本丸の真ん前に位置していたのです!

通りゃんせ 通りゃんせ

ここはどこの 細通じゃ  天神さまの 細道じゃ  

ちっと通して 下しゃんせ 御用のないもの 通しゃせぬ  

この子の七つの お祝いに お札を納めに まいります  

行きはよいよい 帰りはこわい  こわいながらも  通りゃんせ 通りゃんせ

「三芳野神社」は、川越城内の奥深くにあるため、庶民は、普段はお参り出来ませんでした。

年一度の大祭か、七五三の祝いの時だけ、庶民も城内に入り参拝出来ました。

そして、そのお参りの時も、城内の警備は厳しく、挙動不審な者は取り締まられたそうです。

そんな庶民の思いが、この童謡になって広まりました。

七歳のお祝いで子供を連れて、三芳野神社を訪れたものの、門をくぐる度に行き先を聞かれ、帰り道は迷わない様に、ドキドキしながら帰ったのでしょうね。




 
 
 
 

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豊洲市場 2019.3.12

2019-04-01 09:50:51 | Weblog

(見学者通路から水産卸売場を見下ろす)


(ゆりかもめから見た豊洲市場:左手の黄色の丸印
が水産卸売場棟、右手の赤丸印が青果棟、豊洲駅
は緑の四角。)

昨年10月に豊洲市場の一般公開が始まり、半年が
経ちました。

もう、そろそろ当初の混乱も収まり、見学者も
少なくなったのではないかと、先週(3/12)、
行ってみました。


地下鉄有楽町線の豊洲駅で、ゆりかもめに乗り
換えて2駅の「市場前」で下車です。

私は、新橋から、ゆりかもめに乗つて「市場前」
で下車しました。
「市場前」駅を出ると、改札口の前は、もう「豊洲
市場」の見学者コースの専用デッキに繋がって
います。



(豊洲市場の休業日は、旧築地市場と同様、日曜と
水曜なのでご注意下さい。)

「豊洲市場」は、①「水産卸売場棟」、②「水産
仲卸売場棟」、③「青果棟」の3つのエリアに
分かれ、飲食店街もそれぞれの3つのエリアに
付属して散らばっています。



(マグロのオブジェ)
私は、先ず、マグロの競りで有名な「①水産卸
売場棟」へ向かいました。

旧築地市場では、マグロの競り(せり)を横から
見ることが出来ましたが、しかし、豊洲市場では、
2階の見学者通路から、競りの音声なしで、
1階の競り場を見下ろすだけです。

この2階の見学者通路に加えて、今年からは、
1階の競り場の横に、競りの声が聞こえる
ガラス張りの見学デッキもオープンしました。
しかし、こちらは、公式ホームページからの
事前の申込が必要で、手続きが煩雑です・・・

マグロの競りは、早朝の5時半から始まります。
自宅の横浜からは、いくら早く家を出ても、豊洲
に5時半には着きません・・・
私が豊洲市場に着いたときには、マグロの競りは
とっくに終わっていて、2階のガラス張りの
見学者通路から、閑散とした無人の1階の競り場
を見下ろすだけです・・・
う~ん、何だかなぁ~。

仕方なく、そさくさと、この卸売場棟の隣の管理
施設棟の食堂街へ向かいます。
ここには、築地の13店舗が移転しています。
11時半くらいでしたが、ほとんどの店が行列なし
で入れました。



私は、写真の「つきぢ神楽寿司」に入り、写真の
「おまかせ」(3,240円)を注文しました。

さすが卸売場の隣だけあって、ネタは新鮮で味が
しっかりしています。


早い昼食を終えて、案内表示の矢印に従い、
「②水産仲卸売場棟」へ向かいます。

旧築地市場の様に、市場の中を一筆書きで回る
ことが出来ないので、①~③を全て見学する
には、都度、ゆりかもめの改札口の近くの
分岐点まで戻ってから次へ向かう必要があり
ます。

「②水産仲卸売場棟」の手前に、「関連飲食店舗」
と書かれた22店舗が入る食堂街があったので
覗いてみます。

ここには、築地から移転した店舗の中でも、
「寿司大」などの有名なが多く、どの店も
長蛇の列で込み合っていました。

関連飲食店舗を出て、デッキを更に先に進むと、
その奥に「②水産仲卸売場棟」がありました。
ここは、仲卸店舗が集まっているので、魚屋や
寿司屋などが仕入れに来る場所です。

3階の見学ギャラリーのフロアには、上の写真の
「ターレ」が置いてあり、自由に乗車して記念に
写真を撮ることができます。

見学ギャラリーからガラス越しに、遥か下の1階
の仲卸店舗の様子を見学します。


しかし、3階の見学ギャラリーのフロアからは、
1階の仲卸売場の店舗の屋根しか見えません


ガラス越しに、一生懸命、下を覗くのですが、
たまに下を人が通るのが見えるくらいで、市場の
雰囲気など、感じ取れるものはありません。
なんじゃ、こりゃ~?・・・

屋根しか見えないからといって、1階に降りて
見学することも出来ず、がっかりです。

3階の見学ギャラリーから4階のフロアーに行く
と、「豊洲市場内プロショップ 魚がし横丁」が
ありました。

ここは、市場に出入りする業者専用の卸店舗で、
観光客向けに設けられたフロアーではありません
が、一般の人も買えます。

普段は目にしない、業者用の包丁、ゴム長などの
他に、昆布などの乾物、雑貨、包装資材、食料品
など、バラエティに富んでいて、見ているだけ
でも楽しいです。

珍しいお土産として、買うにはちょうど良い物も
ありそうです。



上の写真の様に、卸店舗のすぐ脇は駐車場に
なっているので、車から店舗に直に搬入出来て
便利そうです。




水産仲卸売場棟の屋上は、広い芝生の「屋上緑化
広場」となっており、特に何もないのですが、
足元の豊洲地区や、臨海部から東京タワーまでも
見渡せ、気持ちが良いです!






最後に、案内表示の矢印に従い、「③青果棟」へ
向かいます。



青果棟は、八百屋や青果店が野菜や果物を
仕入れに来る場所です。

青果の競りは、マグロの競りよりも1時間遅い
6時半開始です。


青果棟の隣のビルの1階には、築地場内から移転
した大和寿司などの3店舗が並んでいます。


豊洲市場を見終わって、私の全体的な感想です。

豊洲市場は、もともとは、搬入から搬出までの
効率の良い競りや物流を目的に設計されている
ので、見学者が多少不便にならざるを得ないのは
理解できます。

しかし、無人の市場を見下ろしながらの見学は、
何だか、間抜けな気がしました・・・

旧築地の場内市場では、競りが終わったあとも、
ターレと呼ばれる運搬車が、人混みや、お店の
間の細い道を、猛烈なスピードで縦横無尽に
走り回っていて活気がありました。

仕事の邪魔にならない様に、前後左右を十分に
確認して、写真を撮るのがマナーでした。

”ターレとの衝突事故に注意して下さい”、と
いう見学者向けのアナウンスも流れていて
緊張感もありました。

豊洲市場に比べると、旧築地の場内見学は、
臨場感満点で、エキサイティングで良かった
なあ~。

(旧築地の場内市場の見学については、(築地場内
市場
)を見てね。)


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