ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

家庭菜園

2018-05-10 23:50:46 | Weblog

(写真は、我が家の”猫の額”の家庭菜園)

股関節炎になってから、以前に比べると外出する
機会が減り、その分、家庭菜園に費やす時間が
多くなりました。

猫の額ほどの狭い庭ではありますが、その割には、
以下の写真の様に、多くの種類の野菜や花を
楽しんでいます。

今年は、ブドウが大豊作でした。
これまでも、毎年、実はなってはいましたが、
いつの間にか、ほとんど鳥に食べられて
いました。

今年、初めてブドウに袋かけをしてみましたが、
これが成功したみたいで、鳥の被害もありません
でした。

そのお陰で、写真のバケツで4杯分も採れました。



しかも、驚くことに、全て1本のブドウの木から
の収穫です。


(ブルーベリー)



(なす)


(ブラックベリー)


(ミニトマト)


青じそは、何もしなくても、毎年、こぼれ種で、
良質な青じそがたくさん自生しますので、
手間がかからず楽ちんです。


(かぼちゃ)


そして、昨年は、写真の様に、1本のビワの木
から、食べ切れないほどのビワが採れ、大豊作
でした。

しかし、今年は、剪定の際、芽の付いた枝を
切りすぎてしまったため、ほとんど生りません
でした・・・

(ミニトマト、唐辛子、ミニ大根)


(サフィニア)


(マリーゴールド)


朝採れのキュウリは未だ刺があって
みずみずしくて美味しいです。

葉に隠れたでっかいキュウリを見落とすことが
よくあり、大きくなりすぎたキュウリは美味しく
ないので漬物にしています。

また、家庭菜園の鉢を置いているベランダには、
写真の様に、毎朝、スズメが餌を催促に来ます。


そのあとに、その他の大勢のスズメ達が餌を
食べにやってきて、ベランダは、賑やかな
スズメの学校になります。

この猛暑で、夕方の水やりで植物の熱中症を防ぐ
のが、毎日の日課になりました。
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小田原城・城址公園   2018.5.3

2018-05-04 22:07:29 | Weblog

(写真は、小田原城の天守)

今年のGW(5/3)に、小田原の「北条五代祭り」
を見物に行った話しの続きです。

北条五代祭りを見終えて、屋台村で生ビールを
飲んで一休みしてから、小田原城の城址公園を
一回りしてから帰宅します。

「小田原城」は近いので、これまでに何回か訪れて
いますが、平成28年の大改修でリニューアル
オープンしてからは初めてです。



「小田原城」は、関東一円を支配した戦国大名の
「北条氏」が五代にわたって拠点とした要害
堅固な城で、上杉謙信や武田信玄の攻撃に対して
も"難攻不落"でした。

小田原城の「総構(そうがまえ)」は、全長
9キロにも及び、空堀と土塁で城下町全体を囲む
長大なものでした。

(注)「総構」:従来の城として機能する「内郭」
(ないかく/うちぐるわ)に対し、その外側に、
更に、もう一重の防御線を設けたのが「総構」。

(小田原城の総構:一番外側の茶色線が「総構」)

戦国時代の「北条氏」の石高は、相模、伊豆、
武蔵、上野、下野、下総、上総など合わせて
250万石を超え、その総兵力は10万と言われ
ました。

九州征伐を終えて天下統一へ向っていた秀吉は、
度々、小田原城の北条氏政に上洛を促しました
が,氏政は応じませんでした。

そんな中、北条氏が、秀吉の命令を無視して、
名胡桃城(なぐるみじょう)を真田氏から強奪
するという事件が起き、これに激怒した秀吉は、
1589年、「小田原征伐」を諸大名に命じました。

(名胡桃城については、「名胡桃城」(群馬県)
見てね。)

小田原征伐の主力20万には、徳川、加藤、
長宗我部、毛利などに加え、来島の水軍なども
参加していました。

秀吉は、先鋒の徳川家康に、東海道からの進攻を
命じ、また、北方からの攻撃には、前田、上杉、
真田の3万5千を進攻させました。

更に、この小田原征伐軍には、秀吉に恭順した
宇都宮、那須などの関東勢1万8千も加わり
ました。

これに対し、北条側は、関東全域の小田原城の
支城に、一族や重臣を配置して守りを固め、
支城が寝返ったりしない様に、各城主の家族を
人質として小田原城内に集めます。

そして、小田原城内では、秀吉の大軍をどの
ようにして迎え撃つのか、重臣が集まり会議が
行われます。

これが所謂「小田原評定」と呼ばれる会議で、
以降、長いだけで結論が決まらない会議を指す
様になりました。

最終的には、小田原城の守りに絶対の自信を持つ
重臣たちの主張が通り、籠城戦で戦うことに
なりました。

この間にも、家康率いる主力軍は、山中城
(静岡)、韮山城(静岡)、岩付城(埼玉)、
鉢形城(埼玉)、八王子城、忍城(埼玉)等
などの小田原城の支城を次々と落としていきます。


(小田原城の支城:嵐山町web博物誌から)

1590年、ついに、秀吉は、自ら小田原城を望む
早川対岸の石垣山(一夜城)に本営を構え、
籠城策をとる北条勢を、陸と海から包囲しました。

約100日に及ぶ小田原城への攻撃で、北条軍の
士気は低下、北条家の重臣の内応などもあり、
ついに北条氏政は降伏します。

(赤丸印が秀吉の一夜城の本営、緑色線の枠内が
小田原城に籠城する北条側。)
秀吉は、氏政を切腹させ、その子の氏直を高野山
に追放しました。
更に、北条氏の旧領を全て家康に与える代わりに、
駿河、遠江、三河から江戸に移らせました。

この戦陣中に、伊達政宗も秀吉に来応して屈服、
この小田原征伐によって、秀吉の天下統一が
完成しました。

江戸時代には、「小田原城」は、幕府の直轄と
なりましたが、その後、明治3年に廃城となり、
ほとんどの建物は解体されました。
更に、残った石垣も、大正12年の関東大震災で
ほぼ全壊しました。
その後、本丸を中心に「城址公園」として整備
され、昭和35年に天守閣が復元されました。

(空から見た小田原城址公園)

次いで、昭和46年に常盤木門(ときわぎもん)、
平成9年に銅門(あかがねもん)、平成21年に
馬出門(うまだしもん)が復元されました。
そして、平成27年に天守閣の大規模改修工事が
行われ、平成28年にリニューアルオープン
しました。

写真は、本丸の正門である「常盤木門」(ときわぎ
もん)です。

常盤木門の1階は、甲冑や忍者衣装の貸出着付け
体験スペースで、2階には「常盤木門SAMURAI
館」がオープンし、甲冑や刀剣類などが展示
されています。



上の写真の「歴史見聞館」では、模型や映像で、
分かり易く小田原城の歴史が学べます。





上の写真の昭和初期の建築である観光案内所(旧
市立図書館)の辺りは、「馬屋曲輪(うまや
くるわ)」跡です。


(常盤木橋)


(銅門枡形虎口・一の門)

(銅門の銅板)


(本丸の石垣)


(南曲輪)
天守閣へ向かいます。


(入場料:「天守閣」500円、「常盤木門
SAMURAI館」200円、「歴史見聞館」300円、
3館共通券は700円)

天守閣の内部は、小田原城に関する展示室と
なっています。

1階は江戸時代、2階は戦国時代、3階は美術
工芸品等、4階は企画展示、5階は天守で、天守
には、次頁の写真の様に、江戸時代の天守の
一部を再現しています。







天守からは、南は真鶴(まなづる)半島や伊豆半島、
東は小田原の街や相模湾、北は丹沢(たんざわ)の
山々と、360度の絶景が堪能できます。




西には、箱根方面が見え、豊臣秀吉が北条氏攻略
のために築いた「石垣山一夜城」の位置を示す
パネルも設置されています。

一夜城は、上の写真の赤丸印の様に、小田原城
から目と鼻ほどの距離で、当時の小田原城攻撃の
緊張感が伝わってきます。
次は、「石垣山一夜城」へ行って、逆に、この
小田原城を見下ろしてみたいと思います。
小田原城の城址公園を一回りして、もとの出陣式
の広場に戻って来ると、武者行列のパレードも、
市内パレードから、この会場に戻って来たところ
でした。
人だかりがしているので近づいてみると、その
中心に、高嶋政伸がいました。


入れ代わり立ち代わり、ツーショットの記念撮影
を求めるファンに、断り切れずに、立往生して
いました。

マネージャーが「次の時間がありますのでこれで
最後にします」と必死に繰り返していましたが、
完全に無視されていました・・・
芸能人は辛いね・・・


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小田原城・北条五代祭り (北条氏政:高嶋政伸) 2018.5.3

2018-05-03 22:07:28 | Weblog
  
(写真は、北条氏政役の「高嶋政伸」と北条早雲役
の「合田雅吏」)

今年のゴールデンウィークは、混雑する遠出を
諦めて、5/3(木)に、近場の小田原の「北条
五代祭り」へ行って来ました。



JR小田原駅から、小田原城内の北条五代祭りの
広場まで、徒歩約10分です。

次頁の写真は、JR小田原駅前の北条早雲像です。

戦国時代に関東を支配していた「北条氏」は、
鎌倉時代の執権・北条氏と区別するために
「後北条氏」とも呼ばれます。

今年は、小田原城が、北条氏の本城となって
500年だそうで、「北条五大祭り」にもかなり
力が入っているみたいです。
前日の天気予報は雨でしたが、心配された雨は
午前中に上がり、祭りの開始時刻には五月晴れと
なりました。

小田原城の「銅(あかがね)門」の広場で、
12:50から、武者隊の出陣式のセレモニーが
始まりました。
セレモニーでは、小田原城の支城があった各
自治体も、武者行列に参加する旨の紹介があり
ました。
なるほどね~、小田原城の支城は、関東地方の
全域にあったから、小田原だけのお祭りに
終わらずに、関東全域から参加する大規模な
武者行列になる訳だ。
地域興しを全国区にするために、色々と考える
ものだねえ~。


しばらくすると、上の写真の早馬が銅門に到着、
”敵が攻めてきたぞ~!”の口上を機に、次頁
の写真の鉄砲隊の発砲合図で武者隊の出陣式が
始まりました。




ホラ貝が鳴り響き、太鼓が打ち鳴らされる中、
北条五代歴代の城主を模した武者行列が、続々と、
銅門の前の住吉橋から出陣して行きます。

馬に乗る4代・北条氏政は、NHKの大河ドラマ
「真田丸」で演じた「高嶋政伸」です。

初代・北条早雲は、小田原高校卒業で小田原
ふるさと大使の「水戸黄門」の格さん役の「合田
雅吏」(ごうだ まさし )です。

武者隊が次々と出陣、馬出門から、市街地の
パレードへ出て行きます。


(初代・北条早雲役の「合田雅吏」)


(2代・北条氏綱)


(3代・北条氏康)


(4代・北条氏政役の「高嶋政伸」)


(5代・最後の当主の北条氏直)


(鉢形城からは北条氏邦が参陣)


(八王子城からは北条氏照が参陣)


(韮山城からは北条氏規が参陣)


(徳川家康の娘・督姫 :北条氏直の正室)


(武田信玄の娘・黄梅院 :北条氏政の正室)


(北条氏康の正室の瑞渓院:今川氏親の娘)


(大鉄砲)


(忍者風魔の小太郎隊と不二丸隊)


(少年少女武者隊)


(女武者隊)


(女武者隊)




武者隊の出陣式の開会セレモニー広場の隣の広場
は、凄い数の屋台が出ていて、大人気で身動きが
とれないくらいです。

定番の屋台だけではなく、小田原名物のかまぼこ
やイカの塩辛など、色々な屋台が出ていて
楽しそうです。

私も、出陣式を見終わったところで、牛串
(400円)と小田原かまぼこ(100円)を肴に、
生ビール(400円)を飲んで一息つきます。



(牛串が一口残ったところで、写真の撮り忘れに
気付いて、慌てて撮りました・・・
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