ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

http://www7b.biglobe.ne.jp/~akamine/
中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

伊勢神宮 (その5:あご湾遊覧) 2018.4.21

2018-04-23 22:07:27 | Weblog

(写真は、あご湾遊覧のエスペランサ号)

前回の「伊勢神宮めぐり(4/19~21)」バス
旅行の続きで、最終回です。
1日目は、新横浜から新幹線と観光バスを乗り
継いで、二見浦の夫婦岩と外宮を参拝したあとに
伊勢のホテルに泊まりました。
2日目は、早朝の人が少ない時間帯に内宮を参拝
したあと、おかげ横丁、 金剛證寺を見物して、
前日と同じホテルに泊まりました。

そして今回は、ツアーの3日目、最終日です。

ツアーバスは、早朝にホテルを出て、内宮の近く
の「猿田彦神社」へ向かいます。

「猿田彦大神」は、日本の国の始まりの天孫降臨の
際に、案内役を果たしたことから、”万事を最も
善い方へ導く”という”みちひらきの神”なのだ
そうです。



上の写真は、境内のパワースポット「方位石」
です。(「古殿地」の石)
方位石の八角の石柱には、前頁の写真の様に、
方角を示す干支が刻まれおり、運気を上げたい
時に、この石に刻まれている文字(自分の千支や、
向かう方向)を手でさすると効果があるそうです。

”向かう方向”とは、旅行でこれから行く方角や、
新規開業する店の鬼門となる方角などだそうです。

境内には、上の写真の「佐留女(さるめ)神社」
があり、猿田彦大神の妻でもある天宇受賣命を
祀っています。
天照大神を岩陰から出すために神楽を踊った女性
で、そのためこの神社は芸能の神として崇め
られています。
神社の裏には、下の写真の「御神田」(おみた)
があり、毎年5月5日に御田植祭が執り行われ
ます。

御田植祭は、笛や太鼓による田楽が奏でられる中、
桃山時代の装束をまとった男女の植方(うえかた)
が一列に並び田植えをします。

猿田彦神社を出たツアーバスは、昨日と同じ
「伊勢スカイライン」に入ります。

「伊勢スカイライン」は、伊勢と鳥羽を結ぶ、全長
16キロのドライブウェイで、山頂には展望台が
あり、また、山頂付近には昨日見学した金剛證寺
もあります。


写真は、伊勢スカイラインの「朝熊山(あさま
やま)・山頂展望台」からの眺めです。


伊勢志摩や伊勢湾の雄大なパノラマが展開します。




(若い人に人気の「恋人の聖地の天空のポスト」)

昼食の時間になり、ツアーで予約した「伊勢エビ
カレー」(2,700円)を食べるために、鳥羽展望台
へ向かいます。


う~ん、伊勢エビが想像していたよりもだいぶ
小さいです。

でも、2,700円の値段からしたら、この大きさ
なのでしょうね・・・


(鳥羽一郎の兄弟船の歌碑)

伊勢スカイラインを出たツアーバスは、近鉄・
賢島(かしこじま)駅へ向かい、ここから
あご湾の遊覧船に乗ります。

賢島駅に着きましたが、遊覧船の出航まで少し
時間があったので、賢島駅の2階にある
「伊勢志摩サミット記念館」(サミエール)を
見学しました。

2016年5月26~27日に行われた「伊勢志摩
サミット」には、G7首脳及び欧州連合の
代表者が出席しました。



この記念館は、サミット一周年を記念して2017年
に近鉄賢島駅の2階にオープンしました。
(入館無料)

G7は、伊勢神宮訪問と首脳会議の2日間でした。

館内には、サミットで、各国首脳たちが座った
椅子やテーブルなどが展示されていました。

日本の席には、実際に座れます!


私も座りました。

少しだけ首相気分です。


(サミットで実際に使われた尾鷲市のヒノキで
作られた円卓)


(G7首脳の等身大のパネル)


(サミットで使用された物品)

伊勢志摩サミット記念館を見物してから、賢島駅
の前の船乗り場から、「賢島 エスパーニャ 
クルーズ」のエスペランサ号に乗り込みます。




英顎湾遊覧は50分ですが、 展望デッキは
超満員です。

真珠でしょうか、養殖筏があちらこちらに浮い
ています。


上の写真は、ミキモト真珠養殖場です。


養殖真珠の核入れ作業を見学するために、出口
真珠と言う工場に寄港します。



繊細な作業のため分かりにくいですが、真ん中の
ピンクになっているところが真珠になるらしい
です。

出口真珠を後にすると、間もなく出航した賢島港
が見えてきました。

50分のクルーズはあっと言う間でした。

帰りは、行きと同じコースを逆に戻ります。


伊勢自動車道、東名阪自動車道、伊勢湾岸
自動車道、東名高速と、延々と3時間半バスに
乗り、豊橋駅で新幹線に乗り換え新横浜駅に
着きました。
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伊勢神宮 (その4:金剛證寺) 2018.4.20

2018-04-22 20:44:03 | Weblog

(写真は、金剛證寺の巨大な卒塔婆)
今回は、前回の「伊勢神宮めぐり(4/19~21)」
バス旅行の2日目の続きで、内宮参拝とおかげ
横丁見学のあと、「金剛證寺」へ向かいます。

おかげ横丁で昼食を済ませ、「伊勢志摩スカ
イライン」に入ります。
「伊勢志摩スカイライン」は、伊勢と鳥羽を結ぶ、
全長16キロのドライブウェイです。

このドライブウェイの山頂付近に、写真の伊勢
神宮の鬼門を守る名刹「朝熊岳・金剛證寺」
(あさまだけ こんごうしょうじ)があります。

「金剛證寺」は、神宮の奥の院とも呼ばれ、
”お伊勢参らば 朝熊(あさま)をかけよ 
朝熊かけねば片参り”と、伊勢音頭の一節にも
唄われ、伊勢参りの際には、セットで金剛證寺
にもお参りするのが慣わしだったそうです。

金剛證寺の御本尊は、虚空蔵菩薩だそうで、
天照大神と共に祀られています。

1609年、姫路城主・池田輝政が、火災で失われた
本堂の摩尼殿(まにでん)を再建しました。

そして、江戸時代には、幕府は、金剛證寺を伊勢
神宮と共に重視して援助しました。

現在の本堂(重文)は、1701年、徳川綱吉の母・
桂昌院によって修復工事が行われたものです。

牛の頭上で小躍りしているのは、ちっちゃな
オジサン?ではありません、大黒様です。

上の写真は、”拝むと過去の罪さえ消す”、
と言われる「仏足石」です。

境内を進んで行くと、上の写真のお堂があり、
その前に下の写真の赤丸印の「厄除け六地蔵尊」
がありました。

先ず、一度、六地蔵尊を持ち上げて重さを覚え、
下した後に左に3回廻しながらご真言を唱え、
願い事をしてから、再度、六地蔵尊を
持ち上げます。
最初に持ち上げたときよりも軽ければ願いが
叶うそうです。

「厄除け六地蔵尊」の奥に、上の写真の「蓮華
庚申」(れんげこうしん)の木像がありました。
像の一番下の部分に、「見ざる・言わざる・
聞かざる」の3猿が彫刻されています。
イマイチよく理解出来なかったのですが、背後の
説明板によると、3猿の上の彫刻も、蓮の花と
葉の形で3猿の状態を表現しているらしいです。

上の写真は、弘法大師が掘ったとされる池です。

写真は、子宝に恵まれるという「おちんこ地蔵」
で、”おちんこに触らないでください”という
注意書きがあります?




本堂にお参りして、奥の院への坂道を上って行く
と、傍らに、何やら巨大な卒塔婆が延々と並んで
います。
巨大卒塔婆は、見上げる高さで、ずらりと林立
する光景は壮観です!









上の写真は、極楽門で奥の院への入口ですが、
ツアー時間の制約で、奥の院まで行く時間が
ありませんでした。



上の写真は、極楽門の脇の芭蕉句碑です。

”神垣や おもひもかけず 涅槃像”

(伊勢神宮は、ひたすら仏事を忌み嫌う神域だが、
たまたま本日2月15日の涅槃会の日に、神垣の
中で思いもかけず釈迦入滅の涅槃像を目にした
ことよ。)


ツアーバスは、金剛證寺を出て伊勢志摩スカイ
ラインで伊勢に戻り、「神宮徴古館(ちょうこ
かん)」と「神宮農業館」を見物します。



写真の「神宮徴古館」は、伊勢神宮の歴史や神事
を学ぶミュージアムとして、式年遷宮で撤下
された御装束神宝(神々の調度品類)や、外宮
御垣内の御饌殿の正面部分の実物などを展示して
います。

また、下の写真の「神宮農業館」では、自給
自足の伝統を守るための神饌(しんせん)の
一つのアワビ等の農林水産関係の資料を展示
していました。



ツアーは、神宮徴古館と神宮農業館を速足で見物
したあと、2泊目の宿である1泊目と同じ
戸田屋ホテルに向かいます。
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伊勢神宮 (その3:おかげ横丁) 2018.4.20

2018-04-21 19:26:46 | Weblog

(写真は「赤福氷」)

前回の「伊勢神宮めぐり(4/19~21)」バス
旅行の続きです。

2日目は、早朝にホテルを出て、人が少ない
時間帯に内宮を参拝しました。

今回は、その2日目の内宮参拝の続きです。

参詣を終えて、宇治橋を渡り内宮を出ると、もう
正面が、約800メートル続く内宮の参道の
「おはらい町」です。



おはらい町の入口に、上の写真の「赤福 内宮前
支店」があり、名物の「赤福氷」(520円)を
やっていました。

余りの暑さに、つい、注文してしまいました・・・

氷も餅も美味い!

「赤福氷」は、写真の様に、フワフワの抹茶氷に、
赤福餅1個と白玉2個を入れたものです。

「赤福餅」はご存知の様に、江戸時代初期に、内宮
の前に「赤福」の屋号を持つ餅屋を出したのが
始まりで、餅には三つの筋が付き、これは五十鈴
川の川の流れを表しているそうです。



内宮の参道の「おはらい町」には、伊勢の郷土
料理店、老舗和菓子店、工芸店、土産物店などの
レトロな商家や店が軒を並べ、テーマパークの
様なワクワク感があります。







お腹が空いてきたので、とりあえず、写真の
「えびや」で、熊野灘の「あわびの串焼き」
(750円)を1本買って食べます。

なかなか歯ごたえがあって美味しいです。

(おはらい町の赤福本店)

この「おはらい町」の中央付近に「おかげ横丁」
があり、江戸時代の”お伊勢参りの町並み”を
移築・再現しています。

上の写真は、おかげ横丁の入口の招き猫と常夜灯
です。

「おかげ横丁」は、日本神話の人形劇やアニメ上映
をしている上の写真の「神話の館・おかげ座」を
中心に、細く入り組んだ路地に店が並び、縁台に
座って飲食も出来る様になっています。



「おかげ横丁」の名称は、伊勢の神様のおかげで
この横丁が成り立っている、という感謝の気持ち
から付けられたそうです。

ちょうど、昼食時ということもあり、おかげ横丁
は参拝客や修学旅行生などでごった返して
いました。

おかげ横丁を見物しているうちに、ツアーの昼食
の時間になったので指定の食堂へ行きます。

我々のお昼は、ツアーで予約した写真の伊勢名物
「手こね寿司」と「伊勢うどん」がセットになった
「手こね膳」(1,200円)でした。

「手こね寿司」は、元々は、カツオ漁師が、船上で
手軽に食べるために作った漁師飯だそうです。

醤油ダレに漬け込んだカツオの刺身を、酢飯の
上に乗せて手でこねて食べたそうです。

「伊勢うどん」は、もちもちとした極太の麺で、
かつおベースでさっぱり味のたまり醤油のタレ
です。

”名物に美味いもの無し”とは言いますが・・・

ツアー客用に大量に作り置きした感じで、冷めて
パサパサしており、ハッキリ言って、美味しい
ものではありませんでした・・・
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伊勢神宮 ( その2:内宮 ) 2018.4.20

2018-04-20 17:53:23 | Weblog

(写真は、「内宮」の玄関口の五十鈴川に架かる「宇治橋」)

前回の「伊勢神宮めぐり(4/19~21)」バス
旅行の続きです。

1日目は鳥羽のホテル戸田屋に宿泊し、2日目の
早朝、人が少ない時間帯に「伊勢神宮の内宮」に
参拝します。
東海道中膝栗毛 (21世紀版・少年少女古典文学館 第20巻)
村松 友視
講談社


「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんは、東海道
の四日市宿の外れの「日永(ひなが)の追分」で、
東海道と別れて、伊勢街道で伊勢神宮を目指し
ます。

伊勢街道を進んだ弥次さん喜多さんは、伊勢神宮
に着いて、妙見町の旅籠に泊まります。

翌朝、2人は、早朝に「内宮(ないくう)」に
参詣しようと、朝食もそこそこに宿を出ます。

内宮の域内を流れる「五十鈴川(いすずがわ)」
にやって来ると、「宇治橋」の下で網を持つ男
がいて、橋の上から参詣者が川へ投げ込む銭を
上手に受け止めています。

弥次さん喜多さんは、五十鈴川にさい銭を
投げ込みますが、何度投げ込んでも、この男の
網に入ってしまいます。
 
頭に血が上り、何回も投げ込んで、すっかり
散財してしまった2人は、お参りの前に
落ち込んでしまいます・・・


 (五十鈴川の御手洗場)

 
 (宇治橋)



 弥次さん喜多さんは、橋を渡り、いよいよ
 「内宮」の神域に入ります。

 一の鳥居、四の足の御門、さるがしらの御門と
 続く御門をくぐって、弥次さん喜多さんも、
 他の参拝者と同じ様に神妙な顔つきで、
 我が国の皇祖神とされる太陽の女神である
 「天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る
 神殿」の前の玉砂利にぬかずきます。

 更に、豊の宮、古殿宮、風の宮などを参拝
 しながら、さすがの弥次さん喜多さんも身が
 引き締まって、シャレなども出ません。


上の写真は、玉砂利の参道沿いの庭園「神苑
  (しんえん)」ですが、ちょうどこの位置で、
  横綱の奉納土俵入りが行われるそうです。

 (五十鈴川を守る水の神様「瀧祭神(たき
  まつりのかみ)」)


 (高床式の倉の中に神宮新田で収穫した稲を
  保管する「御稲御倉(みしねのみくら)」)

 (「正宮(しょうぐう)」:内宮の中で最も
   格式が高く、天照大御神が鎮座する。
   ご神体は3種の神器のひとつ”八咫
   (やた)の鏡”。)

 (正宮に次いで格式の高い第一別宮の「荒祭宮
 (あらまつりのみや):”荒御魂”が祀られて
  おり個人的な祈願が出来る。)

 (元寇で神風を起こして日本を救ったという
  風雨の神様の「風日祈宮(かざひのみの
  みや)」)

 (皇室から奉納された神馬がいる「御厩
  (みうまや)」)

1日目に、外宮とその別宮(べつぐう)3社を、
2日目に、内宮とその別宮(べつぐう)2社を
参拝しましたが、どれも同じ様な造りの神社で、
飽きてきました・・・

何社も参詣したおかげで、手水の順番と、参拝の
仕方は、すっかり慣れて、自然体で出来る様に
なっていました。

お伊勢参りで、忘れてはならないのは、江戸時代
の「お蔭参り」と呼ばれる”お伊勢参りブーム”
です。

(お伊勢参りの浮世絵:雑誌るるぶから)

※「お蔭参り」の様子を作成した以下の”紙人形”
は、私が宿泊したホテル戸田屋に展示されていた
ものです。※

お蔭参りは、特に1830年には約430万人と、
日本人の全人口の2割弱が参加したというから
驚きです!



伊勢神宮への参拝のために、数百万人が、東海道
や中山道を行き交って、宿場の茶屋、旅籠が
大賑わいだったそうです。


女・子供からお年寄りまで、大勢が押し寄せた
お蔭参りのその異常な賑わいぶりは、現代の
我々には想像がつきません。



仕事から抜け出して参加する者や、家人に内密に
抜け出す者が多く、このため「お蔭参り」は
「抜け参り」とも呼ばれました。


たとえ親や主人に無断でこっそり旅に出ても、
伊勢神宮に参詣してきた証拠の品物(お守りや
お札など)を持ち帰れば、お咎めは受けない
ことになっていたそうです。

そして、伊勢神宮参詣の名目で通行手形さえ発行
してもらえば、実質的にはどの道を通ってどこへ
旅をしてもあまり問題はなく、参詣をすませた後
には、京や大坂などの見物を楽しむ者が多かった
らしいです。


お蔭参りの参宮者は、頭に笠、手に「柄杓
(ひしゃく)」という装束が一般化しました。

十分な旅行費用を用意しなくても、道筋の家々が、
参宮者が手に持った「柄杓」に食物を入れて
あげる”施行(せぎょう)”が行われ、また、
宿泊の場所も提供してくれました。

また、彼らの多くは、集団で旅し、幟(のぼり)
や万灯を押し立て、「おかげでさ、するりとな、
ぬけたとさ」と歌い踊り歩きました。

病気などにより伊勢に行けない人が、代わりに
お参り行って貰うのを「代参」と言いましたが、
何と!、”犬に代参”させることも流行り
ました。

当時は、伊勢参りを「おかげ参り」と言いました
ので、代参犬は「おかげ犬」と呼ばれました。

実際には、近所で伊勢参りに行く人に、自分の犬
を連れて行って貰ったりしたそうです。

「おかげ犬」には、目印として、注連縄(しめ
なわ)や御幣(ごへい:お祓いに使う紙垂を竹に
挟んだもの)が付けられたそうです。



(伊勢土産の「おかげ犬」のタオル)
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伊勢神宮 (その1:外宮) 2018.4.19

2018-04-19 16:30:25 | Weblog

(写真は外宮)

4/19~21の3日間、「朝一番に行く伊勢神宮
内宮・外宮・別宮めぐり3日間」のバス旅行に
行って行きました。

早朝に新横浜駅から新幹線に乗り、豊橋駅で観光
バスに乗り換えて、東名高速、伊勢湾岸自動車道、
東名阪自動車道、伊勢自動車道と、延々と
3時間半も乗って、ようやく伊勢の「二見浦」
(ふたみがうら)に着きました。



(東名高速からトヨタの工場)


(伊勢湾岸自動車道からナガシマスパーランド)

「二見浦(ふたみがうら)」は、古来より、伊勢
参宮を控えた人々が汐水を浴びて心身を清めた
禊場でした。



正面に見える「夫婦岩」(二見興玉神社)は、
約700m先の沖合の海中に沈む猿田彦大神の
「興玉神石」(おきたま しんせき)を拝む
ための鳥居の役目をしているそうです。
大小2つの岩が仲良く並ぶ姿から、夫婦円満や
良縁成就の願いが叶うそうです。

境内には、御祭神のお使いとされる「二見蛙」
(無事にかえる、お金がかえる)が多数奉献
されています。

二見浦を出て、観光バスで、伊勢神宮の「外宮」
(げくう)へ向かいます。
そもそも、「伊勢神宮」には、「天照大御神」
(あまてらす おおみのかみ)が鎮座する「内宮」
と、「豊受大御神」(とようけ おおみかみ)が
鎮座する「外宮」があります。
内宮の天照大御神は、日本で最も貴く国家の
最高神とされています。

これに対し、これから行く「外宮」(豊受大御神)
は、米をはじめ、食物・穀物を司る神です。
何と!、江戸時代のピークには、日本の全人口の
2割弱が「お蔭参り」に参加したという、驚きの
記録が残っています。

特に、農家の人々は、五穀豊穣を祈って、田植え
の前にやって来たので、「伊勢参り」が、春の
季語になったくらいです。
そのため、農家の人々にとっては、”食物・穀物”
を司る「外宮」の豊受大御神への参拝が欠かせ
なくなりました。
外宮の建物や祭りは内宮とほぼ同じです。

そもそも、伊勢神宮の正式名称は「神宮」といい、
内宮・外宮の両正宮をはじめ、14の別宮、
109の摂社・末社・所管社が、伊勢、松坂、
鳥羽、志摩などに広く鎮座しています。

観光バスは、外宮に到着しました。


外宮の表参道から、「日除橋」(ひよけばし)を
渡り、一の鳥居をくぐります。




写真は、産業と衣食住の神様・豊受大御神(とよ
うけのおおみかみ)を祀る「外宮の正宮」です。

写真を撮り忘れましたが、外宮の正宮の裏にある
「御饌殿」(みけでん/みけどの)では、毎日、
朝と夕の二度、神饌(しんせん:御飯、御水など)
を調理して、天照大御神に奉る祭りが、
約1,500年もの間、1日も絶えることなく続け
られています。

この際に供物として使用する米は、五十鈴川の水
を使い、古来から伝わる稲作で育てられています。


(外宮の別宮の中で最も格式が高く、豊受大御神の”荒神魂”を祀る「多賀宮(たかのみや」)


(風雨の順調を司る「風宮(かぜのみや)」)


(お神楽、奉納、ご祈祷、ご朱印授受などを行う
「神楽殿(かぐらでん)」)



写真は、式年遷宮の資料館「せんぐう館」ですが、
昨年10月の台風21号による浸水被害のため、
残念ながら閉館中でした・・・

※以下の紙人形の写真は、宿泊した戸田屋ホテル
に展示されていた「斎王群行」(さいおう
 ぐんこう)です。※

「斎王」とは、天皇が即位する毎に、天照大神の
御杖代(みつえしろ)として、伊勢に派遣されて
いた未婚の皇女です。



「斎王群行」とは、伊勢へ向かう王朝絵巻そのもの
の斎王の行列のことで、500人もの官人官女が
付き従いました。


斎王制度は、674年から660年以上にわたって
続き、60人以上の斎王が伊勢に派遣されました。

※以下の紙人形の写真は、ホテルに展示されて
いた20年に一度の式年遷宮の「遷御の儀」
(せんぎょのぎ)で、3年前の式年遷宮の際に、
TVニュースでよく見た風景です。

※遷御の儀は、伊勢神宮の「式年遷宮」の
クライマックスと称され、旧殿から新殿へ
神体を移す神事です。





東海道中膝栗毛 (21世紀版・少年少女古典文学館 第20巻)
村松 友視
講談社


「東海道中膝栗毛」では、お参りをすませて、外宮
を出たところで、突然、弥次さんが腹痛を起こし
て、往来で屈み込んでしまいます。
道のかたわらで休んで丸薬などを飲みますが、
痛みは少しもおさまりません。

喜多さんは介抱しながら、やっと1軒の宿を
見つけて、弥次さんを横にします。

そこへ宿の亭主がやってきて、「妻が臨月で、
昨日から身体がすぐれないので、今、お医者を
呼びに行っています。一緒に診てもらいますか?」

喜多さんが、一緒に診てもらう様に頼んでいると、
隣の部屋にいた宿のおかみさんに陣痛が起り
ました。

亭主は慌てて、「お医者様より、産婆さんだ!」
と産婆さんを呼びに行かせました。

やってきた産婆さんは、相当の慌て者で、
いきなり、寝ている弥次さんを妊婦と勘違いして
診察を始めます。
「どこが痛い?」
「腹じゃ、腹じゃ」

「それじゃ、元気なのが出てくるな。さあ、
皆来て、腰を持ち上げて下され!」
と、てんやわんやの大騒ぎ。

すると。隣の部屋で赤子の泣き声!
「あれ、いやだよ。あんたは妊婦じゃないじゃない
 か。」
「何が、『あれ、いやだよ』だ。自分で勝手に
 間違えやがって。こちらも大変なんだ。元気
なのが出そうで・・・」

「めでたい。めでたい。三国一の玉の様な男の子が
 生まれた。」と宿では喜びの声。

便所から出て来た弥次さんも、爽やかな表情を
して、「便所で思う存分に安産して、心地よく
なったぞ。」
「お互いにめでたい、めでたい。」

宿屋の亭主が、皆にお祝いの酒を振舞って、産婆
さんの勘違いを肴にして、家中、大笑いとなり
ました。

弥次さん喜多さんは、伊勢参りをすませると、
伊勢から奈良街道をのぼって、宇治、伏見を
経由して京へ向かいました。


1日目は、夫婦岩と外宮を参拝してから次頁の
写真の鳥羽の戸田屋ホテルに宿泊し、2日目は、
前回ご紹介しました様に、早朝の人が少ない
時間帯に内宮に参拝しました。

(ホテルの部屋からの眺め)


写真は、宿泊した戸田屋ホテルの夕食時の天然鯛
の解体ショーです。


夕食の写真ですが、ビールを飲むのに気を
とられて撮影を忘れたので、同じ料理の食堂の
メニューの2枚の写真でスミマセン・・・

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