ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

震災後の熊本城   2017.3.30

2017-03-21 09:02:19 | Weblog

(写真は、被災した熊本城を背景に走る市電)

熊本大地震から1年が経ちました。
私は、地震で崩壊した我が家の墓を修復するため
に、先月末(3月27日~31日)に、実家の熊本
へ帰省しました。
そして、帰省期間中に、震災後の熊本城を訪れて
みました。
熊本城は、現在、熊本地震による修復中のため、
本丸などへの立ち入りが規制されています。
しかし、二の丸広場周辺からの被災した熊本城の
外観の見学や、城内の食事処での食事は可能です。
以下に、被災した現在の熊本城の”悲しい”姿を
カメラに収めて来ました。

「飯田丸 五階櫓(やぐら)」:“一本足”の石垣で
 支えている姿がすっかり有名になりました。

「未申櫓」(ひつじさるやぐら:次頁の写真)
:櫓は被害が少なかったものの、写真左手の
石垣は大きく崩落しています。



「戌亥櫓」(いぬいやぐら):戌亥櫓は、角石
 一列で姿を保っています!


(左から)「小天守、宇土櫓、大天守」:重要
文化財の宇土櫓は持ち堪えたものの、手前の
西出丸の塀は倒壊しました。

「加藤神社」:現在、加藤清正を祀っている前頁
の写真の加藤神社への参拝は可能で、天守と
宇土櫓が並ぶ絶景を真近に見ることが出来ます。

(加藤神社から望む)「小天守と大天守」
 :望遠で撮影すると、屋根の部分の損壊が
  酷いのが分かります。




「馬具櫓」:5月10日の余震で石垣が崩れました。



「長塀」:242メートルもある日本で最長の塀が
倒壊しました。



上の写真の説明板は、被災前と被災後の長塀です。



上の写真は、復元のために番号が振られた石垣
です。


「熊本城稲荷神社」:加藤清正公が肥後の国主
として入国した際に、熊本城の守り神として勧請
された神社ですが、境内には、重機が入って
急ピッチで復旧が進んでいます。

本来は、熊本城一帯は、絶好の花見スポットで、
今年も、お花見の提灯が準備されていました。
(昨年の熊本城のお花見については、2016/4の
「今年のお花見・熊本城」を見てね。)
しかし、今年の熊本は異常な寒さで、本来なら
桜満開の時期である3月末なのに、未だ蕾で
一輪の花もありませんでした・・・

城内にある下の写真の「城彩苑」には、熊本の
ご当地グルメ店や土産店があり、被災後も、
観光客で賑わっています。

城彩苑の中には、次頁の写真の「湧々座」があり、
映像、芝居、展示物などで、熊本城の歴史を
楽しく体験出来ます。
(湧々座については、2013/7の「熊本城散歩」
 見てね。)



熊本と言えば、「馬刺し」と「ラーメン」です。
城彩苑の中の写真の「桜道」で、「馬刺し三種
盛り」(1,700円)を注文します。
新鮮で上品な味の馬肉で美味しい!


今週のNHK特番では、今回の地震で崩落した
石垣は、大部分が明治以降の改修のもので、
加藤清正が築いた石垣は、今回の大地震にも
耐えてほとんど無傷だったそうです。

特番によると、熊本城の築城開始の直前に大地震
による伏見城崩壊を目前にした清正は、地震対策
として、あの美しい石垣の傾斜”武者返し”を
考案したとのこと。

やはり、熊本の英雄・加藤清正は偉い!

全体として、熊本城の復旧は、まだまだこれから
といった感じでしたが、復元向け着実に作業が
行われていました。

お城を出て、熊本の中心街へ向かいます。

熊本と言えば、「馬刺し」と「ラーメン」です。
熊本の市街地の上の写真の「桂花(けいか)」
で、熊本ラーメンを注文します。

(桂花は、新宿、渋谷、横浜などにも支店が
 あります。)
久し振りの熊本ラーメン固有のこってりとした
豚骨スープで美味い!



熊本の中心街の表通りは、綺麗に復旧して
いますが、一歩、裏通りに入ると、未だ、
地震の影響でブルーシートや囲いをして
作業をしている家やビルが散見されます。




3月31日に、熊本空港から帰京しましたが、
空港内には、写真の様に”完全復旧”の
掲示板がありました。
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首都高速道路・横浜北線 開通 (事前イベント)  2017.3.11

2017-03-20 17:00:45 | Weblog

(写真は、横浜北線開通のTVニュース)
一昨日(18日(土))に開通した「首都高・横浜
北線」の1週間前の”事前ウォーク”に、
11日(土)に行って来ました。



高速道路ウォークについては、これまでに、
「圏央道・寒川北~海老名」と、「圏央道・相模原愛川~高尾山」で、ご紹介しました。

3回目となる今回の”高速ウォーク”は、首都高
・横浜北線の開通前に、高速道路上を歩くことが
できるイベントです。(無料)

先着順1万人でしたが、これまでの高速ウォーク
の経験で、その楽しさにハマってしまった私は、
直ぐにインターネットで申込みしました。

「横浜北線」は、首都高・横羽線(生麦)と、
第三京浜(港北)を結ぶ約8キロの高速で、うち
6キロがトンネルです。

横浜北線の開通により、我が家も、新横浜から
羽田空港へのリムジンバスが40分から30分へと
短縮されより便利になります。

今回のトンネルウォークの集合場所は、地下鉄・
北新横浜駅から徒歩10分の「横浜北線」の
「新横浜出入口」でした。
翌週の開通にも拘わらず、未だ、一部では工事が
続いていました。
普段は歩行者立ち入り禁止の高速道路を歩ける
最後の機会とあって、かなりの人気で、たくさん
の参加者がトンネルを目指して歩いています。

新横浜出入口の料金所の電光表示板には、写真の
様に「横浜北線がキタ!」と表示されています。

湾岸線の方向と第三京浜の方向を示す前頁の写真
の標識があります。




やがて、新横浜出入口の料金所ゲートです。


上の写真は、料金所ゲートの側面です。



横浜北トンネルに入ります。

信号は防災用だそうです。

トンネル内には、自動火災検知器を25メートル
間隔で設置、100メートル間隔でカメラが設置
されています。
また、トンネル内では、設備や標識などの様々な
パネル展示が行われていました。
トンネルの中は薄暗いですが、スタッフが大勢
いて、質問に親切に答えてくれ、ゆるキャラも
出迎えてくれます。



非常電話は、カバーを開けて、ボタンの押し方
などを説明してくれます。


上の写真の泡消火栓などの防災施設の説明を
受けながら進みます。


本日だけのための高速道路上の仮設トイレも
あります。



また、トンネル内のプロジェクションマッピング
やライトアップ等もやっていて、サービス精神
旺盛です。




スライド式の非常口を開けて入り、階段を上る
と、広々とした避難通路がありました。


また、緊急脱出用のすべり台式の非常口からの
脱出体験もあり、こちらは大人気でした。

私も、二度と経験することは無いであろう非常口
の滑り台を滑り降りて、貴重な体験をしました。

すべり台は、結構急な傾斜なので、足でブレーキ
を掛けながら降りました。

また、上の写真の火災時の水噴霧の装置の
デモンストレーションも見学出来ました。
更に、「高速道路ではたらくクルマ」の展示も
やっていて、普段ほとんど見る事のない首都高
パトカー、特殊消防車、トンネル内清掃車、
標識車なども展示されていて楽しめます。


特に、トンネルの天井を点検する特殊車両の前
には、ちびっこの行列が出来ていて、天井の
点検作業体験は大人気でした。


中間地点でUターンして、集合地点へ戻ります。

最後には、たくさん入ったお土産袋まで貰って、
お金を掛けずに大満足の半日でした。
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映画 「この世界の片隅に」 感想 2017.3.8

2017-03-16 11:49:41 | Weblog

(写真は、映画「この世界の片隅に」の
パンフレットから。)

私のブログは、テーマをウォーキングに絞って
いるので、基本的にはウォーキングに関係のない
映画評や書評は書かないことにしているのですが、
今回は特別に筆をとりました。

映画「この世界の片隅に」は、同名の原作漫画=
こうの文代、監督=片渕須直、主人公の声=能年
玲奈で、監督の片渕はジブリで宮崎駿の元に
いた人らしいです。

今月、日本アカデミー賞授賞式で、「君の名は。」
を抑えて、最優秀アニメーション賞を受賞
しました。

以下、映像は全て、映画館で購入した
パンフレット(1,000円)からです。


物語の舞台は、第二次世界大戦中の広島県・呉市
です。

昭和19年、呉に嫁いできた18歳の絵が得意な
女の子「すず」が、戦時下の苦しい生活の
なかでも、たくましく懸命に生き抜く姿が
描かれた作品です。

いわゆる”普通の日常”が描かれているだけです
が、テンポが良くて間延びしていないところが
素晴らしいです。

これまでの似たタイプの映画といえば、「火垂る
の墓」を思い出しますが、これとは対照的な全く
異なるトーンの映画です。

全編が悲しいトーンに包まれた「火垂るの墓」に
対し、「この世界の片隅に」は、戦時下のリアル
な日常の生活感溢れる”前向き”の映画です。

これまでの多くの戦争映画は、軍隊での経験や
戦場の描写が中心でした。

しかし、この映画は、戦時下に普通に生きて、
普通過ぎたために切り捨てられてしまった当時の
”日常”を、丁寧に丹念に掘り起こして描いて
います。


従って、戦争経験のない我々も、この映画の
お蔭で、戦時中の暮らしを“疑似体験”する
ことが出来ます。

また、当時の日常生活を描いた映画とは言い
ながら、空襲に高射砲で対抗する臨場感溢れる
戦闘シーンも一部にはあり、見ていると戦時下の
世界にどんどん引き込まれていきます。


この映画は、所謂、反戦映画の範疇に入る
のでしょうが、反戦映画にこんな描き方も
あったのか!、と不意を突かれたような感じ
でした。

普通の反戦映画とは逆の雰囲気の”前向き”の
映画で、日常の生活感に溢れています。

しかし、戦争は進み、舞台の呉市は、海軍の
根拠地だったために何度も空襲に襲われます。

その様な中で、主人公は、空襲で姪を失い、また
母は原爆で即死、父は戦病死、そして自らも
片方の腕を失ってしまいます。

ネタバレになるといけないので、これ以上の
ストーリーの紹介は控えますが、一つだけ、
私が最も驚いたシーンについて述べます。

それは、おっとりとして抜けている主人公のすず
が、終戦の玉音放送を聴いたときの意外な
リアクションでした!

玉音放送に対する一般庶民のリアクションという
のは、既に観念化されていて、脱力感や安堵感に
襲われて、うなだれながら放送を聞く、という
シーンだと思っていました。

しかし、玉音放送を聞いた主人公は、
「なんで? まだ負けてないのに!」、
「ここに未だ5人も残っている。私は未だ左手も
両足もある」と、両手を握りしめながら、
悔しがって、泣き叫びます!


このセリフに、私は思わず震えてしまいました。
そして、実際、当時の一般庶民のホントの
リアクションというのはどうだったんだろう
なあ~、と考え込んでしまいました・・・

主人公は、空襲や原爆で、両親や親戚や友人を
失い、自らも片腕を失いました。
そう考えると、玉音放送で「怒る」というのは、
人間としては、ごく自然で、リアルなリアク
ションなのかなあ~、という気がしてきました。

この戦争は、脱力感や安堵感に包まれて玉音放送
を聞くには、あまりにも犠牲が多すぎたのだと
思います。
間もなく、戦争体験者だけではなくて、当時の
日常生活の様子や景色などを緻密に再現出来る人
がいなくなります。
そういう意味で、この様なレベルの高い”戦争
映画”はこれが最後だろうと思い、今回は特別に
筆をとりました。


また、この映画は、クラウドファンディング
によって制作資金を集めたことでも話題に
なりました。

原作漫画の映像化を強く望んだファンによって、
目標額の2倍近い4,000万円が集まったそうです。
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木下大サーカス (横浜公演)  2017.3.5

2017-03-15 22:17:28 | Weblog

(写真は、「木下大サーカス」のテント)

先週の日曜日(3/5)、現在、横浜に来ている
「木下大サーカス」を見て来ました。
(~5月7日迄)

木下大サーカスは、子供の頃、親に連れて行って
もらった記憶があるので、まだあったんだ!、
と懐かしく思いました。

日曜日なので、少しは混むかなくらいに思って
出かけたのですが、行ってみて考えが甘かった
ことに気付きました。

サーカスのテントの近くに着いたら、もう既に、
延々と行列が出来ていました。

切符売り場に辿り着いたら、もう次の回の席は
売り切れでした・・・

そして、ようやく、3時間後に開演となる次の
次の回の、しかもほぼ最後尾の席が、何とか
取れました。

私は自由席前売券(2,800円)を買っていた
のですが、やはり、多少高くても、事前に
指定席を買っておくべきでした。


横浜駅まで歩いて行って、日産ショールーム
などで、3時間くらい時間つぶしをします。

ようやく開演の時間になり、横浜駅から歩いて、
地下鉄・新高島駅の前の木下大サーカスのテント
に戻ります。
サーカスのテントの前には、ポップコーン、
動物のぬいぐるみ等の売店が並びます。

また、象と一緒に撮影出来る「記念写真」
(800円)の前には、子供連れの行列が
出来ていました。

テントの中に入り、自由席の最上段の席に座り
ましたが、テントの構造上、鉄柱が視界を遮る
場所だったので、鉄柱より前の指定席だったら
よかったなあと思いました。

サーカスの公演は、トイレ休憩(15分)を挟んで
約2時間です。

私の子供の頃の記憶では、楽団による侘しい曲を
バックにした演技でしたが、今は、大音量の音楽
と光によるスピーディーな演出で、一気に雰囲気
が高まります。

公演は、撮影禁止なので、以下の写真は、お店で
買った木下大サーカスのパンフレット(1,000円)
からです。

「象のショー」では、象が、二本足で歩いて
行くので驚きました!


更に、驚いたのは、「ライオンショー」で、私の
子供の頃は、2~3頭だった記憶なのですが、
今回は、ホワイトライオンも含めて、何と!、
10頭ものライオンを、1人の調教師が一度に
操ります!

また、「ジャグリング」では、駅前広場などで
目にする大道芸のジャグリングに比べて、木下
大サーカスのずば抜けた難易度の高さに鳥肌が
たちました。



それから、金網の大きな球の中を、爆音をたてて
走り回る迫力満点のオートバイ曲芸は、子供の頃
に見たのと一緒でした。

最後には、空中ブランコのショーで、2時間が
あっという間に過ぎてしまいました。





木下大サーカスのパンフレットによると、木下
サーカスは、世界三大サーカスのひとつで、
海外公演も行っているそうです。

年間観客動員数120万人、団員11ヶ国の約60人
で、サーカス以外にもマンション経営や
駐車場運営などもやっているみたいです。

木下大サーカスは、シルク・ドゥ・ソレイユ等の
芸術的なサーカスとは異なり、庶民的な雰囲気の
サーカスです。

綱渡り、空中ブランコ、オートバイショー等、
子供の頃を思い出して、童心に帰って楽しみ
ました。

やはり、私にとっての「木下大サーカス」は、
昔の古き良き子供時代を思い出させてくれる、
夢のサーカス団でした。
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「谷根千」散策 (3/3)  2017.2.24

2017-03-14 16:34:17 | Weblog
   
(写真は、根津神社内にある乙女稲荷の千本鳥居)

「谷根千」散策の谷中銀座、観音寺・築地塀、
森鴎外記念館などの続きで、谷根千の最終回です。

前回ご紹介した「森鴎外記念館」に、「団子坂」
側の入口から入り、見学を終えて、記念館の
「やぶ下通り」側の出口から出ます。

左手に、区立第八中学や汐見小学校を見ながら、
やぶ下通りの坂を下って行くと、日本医科大学
があり、その右手の奥には、次頁の写真の
「夏目漱石の旧居跡」があります。




日本医科大学の先の森が、江戸城の北を護る
「根津神社」です。



現在の「根津神社」は、5代将軍・綱吉が、
ここにあった自分の屋敷地を献納して、
「天下普請」として諸大名に造営を命じ、
1706年に完成しました。

根津神社は、「権現造り」と呼ばれ、本殿・幣殿
・拝殿が構造的に一体として造られています。




この綱吉の時代の本殿・幣殿・拝殿・唐門・透塀
・楼門は、関東大震災や東京大空襲をくぐり
抜けて、全て奇跡的に残っています。
(国重要文化財)
驚き!



上の写真は、根津神社の近辺に住居を構えていた
夏目漱石、森鴎外らが腰掛けて想を練ったと
言われる「文豪憩いの石」です。

  

前頁と上の写真は、森鴎外が奉納した「鴎外の石」
で、現在は水飲み場として利用されています。

鴎外の石の裏側には、森鴎外の本名「陸軍医監 
森林太郎」と彫られています。(赤の縦線部分)

境内の一角にある次頁の「乙女稲荷」は、京都の
伏見稲荷のミニチュアのような感じで、可愛い
鳥居が圧巻です。




乙女稲荷の千本鳥居の脇には、六代将軍・家宣の
胎盤が納められている 写真の「胞衣塚」
(えなづか)がありました。
また、根津神社は、ツツジの名所としても有名
です。


毎年4月中旬~5月上旬の「つつじ祭り」では、
7千坪の神苑に、100種・3,000株ものつつじが
咲き乱れ、茶屋・植木市・露店が立ち並び賑わう
そうです。

根津神社を出て、地下鉄・根津駅へ向かいます。



地下鉄・根津駅の近くの 下の写真の串揚げ処
「はん亭」で、遅めのランチを食べます。

「はん亭」(大正6年)は、総ケヤキ造りの木造
3階建てで、国有形文化財です。

「はん亭」の入口は、もともとは「言問い(こと
とい)通り」側にありました。

しかし、言問い通りの道幅拡張に伴い、有形
文化財の「はん亭」の建物の正面は、無残にも
切り取られてしまいました。


現在は、上の写真の様に、店の正面は、黒い格子
で覆われていて、言問い通り側からは何のお店
なのか、分からない様な建物になっています
・・・
従って、現在は、次頁の写真の様に、かっての
勝手口(赤丸印)がお店の入口になっています。

店内は、大正時代の風情があって、落ち着いて
食事が出来ます。


遅めのランチにも拘わらず、店内はほぼ満員です。
この日は平日でしたから、休日は、多分、予約が
ないと入れないでしょう。

ランチメニューは一種類のみです。(3,000円)

・前菜2種と生野菜スティック
・串揚げ8種(肉みそ、岩塩、ソース)
・デザート

串揚げは、豚ロース、鮎、牛肉、生麩、蓮根の
肉詰め等が、2種類づつ運ばれます。



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「谷根千」散策 (2/3)  2017.2.24

2017-03-13 08:17:45 | Weblog

(写真は、観音寺の築地塀)

前回の「谷根千」散策の天王寺駐在所や谷中銀座
の続きです。

谷中銀座の商店街を抜けると「藍染(あいぞめ)
川」を暗渠化した「へび道」に突き当たります。

突き当たりを左折して「へび道」を少し進み、
直ぐにまた左折して、路地を真っ直ぐ進むと、
突当りに、次頁の写真の「岡倉天心記念公園」
があります。

岡倉天心は、明治時代、日本美術の発展に大きな
貢献をしました。

岡倉天心記念公園は、岡倉天心の旧居と天心が
教鞭をとった美術院の跡です。

公園の奥には、六角堂があり、この中に前頁の
写真の岡倉天心像が安置されています。

岡倉天心記念公園の右側の路地を進んで、蛍坂を
上ります。


蛍坂の突当りを左折すると、赤穂浪士ゆかりの
「観音寺」です。

赤穂浪士討入りに名を連ねた近松行重と奥田行高
が、ここ観音寺の住職と兄弟であったことから、
赤穂浪士討入りの会合によく使われました。

そして、討ち入り後には、前頁の写真の
「赤穂浪士供養塔」が建立されました。
また、観音寺は、瓦と土を交互に積み重ねて
作られた写真の「築地塀」でも有名です。



道向かいの養傳寺も築地塀なので、この路地
散策は、江戸時代の雰囲気を味わえます。
観音寺を出て、三崎(さんさき)坂へ向かいます。

三崎坂を下って行くと、明治の商家建築である
写真の「下町風俗資料館」(旧吉田屋酒店)が
あります。

建物の中を見学出来ます。(無料)



下町風俗資料館の道路向いには、大正時代の民家
を改造した、レトロな雰囲気で人気の上の写真
の「カヤバ珈琲」があります。

そして、この近くには、上の写真の和菓子の老舗
「谷中 岡埜栄泉」(やなか おかのえいせん)も
あります。

ここで、人気の和菓子を買いました。
しょうがの香りが効いて、素朴で懐かしい味が
します。

次に、三崎坂を戻りながら上って行くと、右手に
下の写真の「全生庵」(ぜんしょうあん)が
あります。

全生庵は、幕末・明治維新の際、国事に殉じた
人々の菩提を弔うために、山岡鉄舟が明治16年に
建立しました。

鉄舟と親しかった落語家の三遊亭円朝の墓があり、
寺には円朝が収集したお化け絵がたくさんある
そうです。

更に、地下鉄・千駄木駅近くまで三崎坂を上って
行くと、明治8年創業の写真の「菊見せんべい」
があります。



醤油、唐辛子、砂糖、抹茶の4種類が入った
次頁の写真の詰合せを買いました。

堅めの煎餅で、パリンと豪快に割れ、食べ応えが
あります。

三崎坂が、不忍(しのばず)通りを横切った先に
ある前頁の写真の「須藤公園」で一休みします。

須藤公園は、加賀藩の支藩の大聖寺藩(十万石)
の屋敷跡でしたが、実業家の須藤吉左衛門が
買い取り、その後、須藤家が公園として東京都
に寄付しました。

須藤公園を出て、三崎坂の延長上にある団子坂を
少し歩いた左手にある下の写真の「森鴎外
記念館」に入ります。(撮影禁止)(300円)

この記念館は、森鴎外が、家族と共に晩年まで
30年間住んでいたという「観潮楼」の跡地に、
生誕150年を記念して平成24年に建てられた
ものです。
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「谷根千」 散策 (1/3)  2017.2.24

2017-03-12 09:39:07 | Weblog

(写真は、山手線内では唯一と言われる”駐在所”
 の「天王寺駐在所」。)

先週、最近話題の「谷根千」(やねせん)を散策
して来ました。
「谷根千」は、御存じの様に、「谷=谷中」、
「根=根津」、「千=千駄木」の3つの町名の
頭文字をとった最近話題の散策スポットです。

「谷根千」の散策を思い立ったのは、先週読んだ
小説「警官の血」の舞台が、この「谷根千」
だったからです。
「警官の血(上)(下)」(新潮文庫)は、直木賞
作家の佐々木譲のサスペンス小説です。
(上下各724円)
ハラハラ、ドキドキのストーリー展開で、非常に
面白かったので、一気に読み終わってしまい
ました。
警官の血〈上〉 (新潮文庫)
佐々木 譲
新潮社

主人公は、ここ谷中の「天王寺駐在所」の巡査
でしたが、駐在所の横にある五重塔が炎上した
事件をきっかけに、ミステリー・サスペンスの
ストーリーが展開していきます。

谷中霊園の中には、現在も、この小説の舞台
となった下の写真の駐在所があり、その横には、
実際に焼失した下の写真の「五重塔」の跡地も
残っています。




(谷中霊園の墓地散策については、2015/3の
谷中霊園散策」を見てね。)
物語は、ここ「天王寺駐在所」に勤務した警察官
一家の3代の家族史です。
そして、警察官一家3代のその時代背景も、敗戦
直後の混乱の時代、高度成長へ向かう復興の時代、
60年安保・過激派事件の時代と、丹念に
描かれています。

横浜から京浜東北線に乗って、JR日暮里駅で
降り、先ずは、小説「警官の血」の舞台巡りを
スタートします。

JR日暮里駅を出て、谷中霊園に入り、メイン
ストリートを歩いて行くと、霊園のちょうど
真ん中辺りに小説の舞台となった下の写真の
「駐在所」があります。



そして、その駐在所の真横には、昭和32年に
放火で焼失した「五重塔跡」があります。

「五重塔跡」の説明版には、放火で延焼中の五重塔
の写真が貼られています。

小説の中では「谷中駐在所」となっていますが、
実際の駐在所の名称は「天王寺駐在所」です。

山手線内では唯一残る「駐在所」だそうです。

ご存知かと思いますが、我々がよく目にする
「交番」は警察官が交代で勤務するのに対し、
「駐在所」は常駐の警察官とその家族が住む
宿舎を兼ねています。

従って、警察官の仕事を奥さんが手伝うことも
あります。

謂わば、24時間勤務の警察官と家族が住んで
いる”交番”です。

ちなみに、私は、子供の頃は熊本の田舎に住んで
いましたが、田舎では、ほとんどが「交番」
ではなくて「駐在所」でした。

物語は、この駐在所横の五重塔炎上事件を背景に、
警察官一家が3代にわたり、2つの殺人事件の
深い闇の真相を追っていきます。


谷中霊園を出て、日暮里駅・北改札口の前の
通りに戻ります。

この辺りは谷中7丁目で、上の写真の初音小路
などは、小説の通りに、昭和の香りが漂う一角
です。

日暮里駅の前の緩やかな御殿坂を少し上がった
右手に、下の写真の「経王寺」があります。

お寺の門には、戊辰戦争で、彰義隊が敗走する
際に、ヤケクソで、槍で穴をあけたという跡が
残っています。


(「谷中界隈散策」で、以前にご紹介したこの近く
 の「本行寺」の門にも彰義隊の槍の跡があり
 ました。


経王寺の先には、「夕やけだんだん」という
変わった名前の石段の坂道があり、石段を下りた
ところが「谷中銀座」の商店街の入り口です。

「夕やけだんだん」は、都内の夕焼けの名所で、
夕方のここから見下ろす風景が有名でしたが、
今は、高層マンションが眺望を遮り、富士山も
見えなくなりました・・・

谷中銀座商店街は、短い距離ですが、昔ながらの
鮮魚店、八百屋、惣菜店などに加え、雑貨や
スイーツなどの新しい店舗も開店している
人気の観光スポットです。

この辺りでは、よくグルメ番組などの録画撮りを
やっていますが、この日も、写真の様にテレビ局
が録画撮りをやっていました。


また、谷中は、野良猫が多いのでも有名ですが、
写真の様に、谷中銀座の店舗の屋根には猫の
置物や看板が多いです。

この谷中銀座商店街は、次頁の写真の通称
「へび道」に突き当たります。
「へび道」は、不忍池に注いでいた「藍染(あい
ぞめ)川」を暗渠化した道です。



道が、蛇の様にくねくねと曲がりくねっています。
時折、狭い「へび道」を、小回りが利く
「めぐりん」バスが走っています。
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雨の日の散歩道(その3) (2014.11.27)

2017-03-11 20:38:40 | Weblog

(写真は、新宿通りの下の雨の日の散歩道)

”雨や雪の日のウォーキング”、皆さんは、
どうしていますか?
”雨なら中止するしかないでしょ!”
まあ、そう言わないで!

今回は、雨の日でも傘をささずに1時間程度
歩ける「雨の日のウォーキングコース」の
ご紹介です。

「雨の日のウォーキングコース」の第1弾と第2弾
は、大手町周辺のコースをご案内しましたが、
その後で、ある噂を思い出しました!
その噂によると、新宿周辺には、大手町周辺より
もっと長い「雨の日のウォーキングコース」が
あるらしいのです。

という訳で、都心へ出掛けたついでに、新宿周辺
の「雨の日のウォーキングコース」の噂を検証
して来ました。

このコースのスタートは、下の写真の高島屋入口
の前、副都心線・新宿三丁目駅・E8出口(新宿
タカシマヤ)です。

ここから、一度も地上に出ないで、果たして
どこまで行けるでしょうか?

階段とエスカレータを使って、地下2階へ。
降り切ると、ひたすら何もない通路が続きます。








もう一つの副都心線の改札口を右手に見つつ
地下1階に上がると、通路は十字路になって
いて、丸ノ内線や都営新宿線とも連絡して
います。




この十字路を左折して、丸ノ内線の線路の上
(つまり新宿通りの下)の「メトロプロム
ナード」を新宿駅方面へ向かいます。








上の写真が、丸ノ内線の新宿駅なので、丸ノ内線
の新宿三丁目駅近くからスタートして、すでに
一駅分を歩いて来たことになります。

この先は新宿駅西口になり、そのまま進むと、
下の写真の新宿駅西口地下広場に出ます。




そこから、新宿西口高層ビル街の地下を進んで
行くと、いつの間にか、住友三角ビルの前の
地上に出てしまいそうになりました・・・

(地上に出てしまったら、「雨の日のウォーキング
コース」は、 そこで終了です・・・

慌てて、地上に出る直前にある”都庁方面への
地下”へ入って行きます。



”都庁方面”への矢印を頼りに進んでゆくと、
大江戸線・都庁前駅を通過しました。






更に進んで階段を上ると、大江戸線・都庁駅前・
A5出口に出ました!

多分、ここがこのコースのゴールでしょう。
お昼過ぎで、お腹が空いたので、都庁舎32階に
ある都庁職員用の食堂へ向かいます。




眼下に高層ビル街を眺めながら、糖尿病の私は
「メタボのためのウェルネス定食」(630円)
を食べました。


本日の「雨の日のウォーキングコース」は、
約3キロ(約6,000歩)、所要時間50分でした。

従って、大手町周辺コースよりも1キロも長い
”雨の日のウォーキングの最長コース”という
事になりました。

もっとも、地下なので、ただ歩くだけで景色が
楽しめないので、多少、ウィンドウショッピング
か、食事でもしながら歩くことをお勧めします。
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松濤美術館 (渋谷)  2017.2.19

2017-03-11 11:19:01 | Weblog

(写真は、松濤美術館)


(坂田燦(あきら)の版画でめぐる「おくの
ほそ道」展:~2/26、3/4~19:入場無料)

熊本の中学校時代の美術の先生が、現在、渋谷の
「松濤(しょうとう)美術館」で、版画の個展を
開いていらっしゃるので、一昨日(2/19)行って
来ました。

渋谷駅前のスクランブル交差点から、文化村通り
を直進すると、東急本店に突き当たります。

東急本店の左側沿いの緩やかな上りの道を歩いて
行きます。

緩やかな上り坂の終わる少し手前の、お洒落な
マンションの間を右折したところに「松濤
美術館」があります。



「松濤(しょうとう)美術館」(月曜休館)

私は、今、奥の細道とルートが重なる日光街道を
歩いているので、版画を身近かに感じました。
生命感にあふれ、ドラマを感じさせる版画なので、
芭蕉と一緒に旅をしている気分になれます。

(美術館の内部:美術館のパンフレットから)


松濤美術館を出ると、裏手に、写真の「鍋島
(なべしま)松濤公園」があります。



公園の入口に説明板があり、それによると、明治
時代には、佐賀の鍋島のお殿様が所有してお茶を
栽培していましたが、その茶園が「松濤園」
だったそうです。
その後、遊水池を中心に庭園を造り、これを
東京都に寄付したそうです。
公園の水車小屋の先から右手の階段を上って、
松濤の住宅街に出ます。







都心のターミナル駅からの距離を勘案すると、
私は、「松濤」が、”日本一の高級住宅街”
だと思いますよ。
住宅街を歩いていたら、昼過ぎになり空腹に
なったので、松濤の入口の辺りにある
「マヌエル渋谷」でランチにしました。
(ランチタイム:2,000円)



マヌエル渋谷は、ポルトガル料理とワインの店で
ランチメニューは、2000円のコースのみです。
(かぼちゃとジャガイモのスープ、タラのコロッケ
等の前菜、メインはラムの赤ワイン煮込みです。)



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あけましておめでとうございます 2017.1.1

2017-03-09 11:24:19 | Weblog

(写真は 「中山道 姫行列」 : 太田宿にて)

あけましておめでとうございます。


昨年は、各地で熊が出没しましたが、私は途中で
熊に襲われることもなく、無事に中山道を踏破
しました。

その様子は、⇒ 「中山道を歩く(完全踏破の
一人旅)」
に記しました。

現在は、日光街道を東京から歩いています。

その状況は、このブログで、随時、報告します
のでお楽しみに!

また、東海道五十三次を踏破した際のホーム
ページも開設していますので、こちらも併せて
ご覧ください。

「東海道五十三次を歩く(完全踏破の一人旅)」



今年も宜しくお願いいたします。


(写真は、我が家のベランダからの今朝の富士山)
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金山城 (日本100名城:群馬県)  2016.12.29

2017-03-08 16:06:56 | Weblog

(写真は、戦勝祈願に使用された「金山城」
 の「日ノ池」。)


昨年の年末に、群馬の「藪塚温泉」で1泊した
翌日の話しです。
旅館を出て、東武伊勢崎線・藪塚駅で電車に乗り、
3駅先の太田駅で下車します。


上の写真は、太田駅前にある鎌倉幕府を倒した
新田義貞(にったよしさだ)の像です。

太田駅前の観光案内地図を見ると、日本100名城
のひとつの「金山城」(かなやまじょう)が、
ここから近く、歩いて直ぐに行けそうです。

駅で貰った観光案内地図を片手に、駅前から
「金山城」を目指して歩き始めます。



「金山城」(かなやまじょう)は、群馬県太田市に
ある山城(やまじろ)で、「新田金山城」または
「太田金山城」とも呼ばれる「日本100名城」の
一つです。

また、国指定史跡で、「関東七名城」の一つ
でもあります。

太田市の中央にある金山(標高235メートル)の
全山を城域とし、山頂から四方の尾根にわたる
東西約4キロ、南北約3キロに広がる城塞です。

戦国時代には岩松氏の居城でした。
上杉謙信も、この城を5回も攻めましたが、
落とすことが出来ず、難攻不落の名城と謳われ
ました。
しかし、1590年の豊臣秀吉の北条氏攻めの際、
豊臣方の攻撃を受けてついに落城し、こののち
廃城となりました。

現在は、城跡は城址公園となっており、石垣、
土塁、堀、馬出し、井戸などが残っています。

太田駅の北口を出て、県道2号(古河街道)を
西に進み、 本町交差点を右折して、北へ向かい
ます。

観光案内地図に従って、先ず、新田義貞の墓が
あるという「金龍寺」を目指して歩いて行きます。

かなり歩いたところの左手に、呑龍(どんりゅう)
上人が、貧しい民の子を弟子にしたというで
知られる下の写真の「大光院」(別名
”子育て呑龍”)がありました。

大光院は、1613年に、徳川家康が新田義貞を
弔うために建立したそうです。


大光院を出ると、道は緩やかな上り坂になり、
その先の左手に目指す「金龍寺」がありました。


その金龍寺の石段を上ると本堂がありました。




その本堂の左手を進んで行くと、お目当ての
戦国の武将・「新田義貞の五輪塔(供養塔)」
がありました。


金龍寺を出て、緩やかな上り坂の自動車道を
歩いて行くと、間もなく、道路の右手に、
下の写真の「桜の井戸」がありました。

桜の井戸の反対側に、下の写真の立派な建物の
「金山城・ガイダンス施設」がありました。

先ず、このガイダンス施設で、金山城の歴史と
配置図などの基礎知識を仕入れてから、城に
向かうことにします。

しかし、何と!、年末年始の12/29~1/3は
休館でした・・・

昨日の木枯し紋十郎の三日月村に続いて、
またまた、残念!
しかし、未練がましく、建物の外から中の展示物
を覗いてみます。

戦国時代の金山城のジオラマらしき展示物の
上の方だけが、辛うじて見えます・・・


ガイダンス施設から、更にだんだんと急になって
くる上り坂の自動車道を延々と歩いて行きます。






太田駅前から、車道を1時間半くらい歩いた
ところで、ようやく金山城の駐車場に着きました。


駅前の田舎のウォーキング地図の距離感に
騙されたなあ~・・・

こんなに遠いのだったら、駅前からタクシーで
来ればよかった。






「金山城」は、金山の駐車場から少し歩いた所に
ありました。

(物見台下虎口)
戦国時代の戦いぶりが想像できる石垣配置の間の
通路を歩きながら、難攻不落の城の雰囲気が
伝わってきました。

上の写真は、城の斜面に丸太で組んだ通路を
復元したものです。


上の写真は「竪堀」で、竪堀の底は通路になって
います。

上の写真は「馬場曲輪(くるわ)」で、兵士が
待機していました。
本丸の西側は、一段と低くなっており 、「月ノ池」
と「日ノ池」があります。


上の写真は「日ノ池」ですが、戦勝や雨乞いの
儀式に使用されました。

上の写真は「月ノ池」ですが、池の中の豊かな
水量は、金山城が水に不自由しなかったことを
印象付けます。


上の写真は「大手虎口」で、本丸へ向かう通路を
守っていました。


(物見台)


金山城の本丸跡は、金山の山頂にあり、現在は
次頁の写真の「新田神社」が建てられてます。




本丸跡からは、次頁の写真の様に、太田駅
から延々と歩いてきた道がよく見えます。
こんなにある高低差を、歩いて上って来た
のだから、1時間半も掛かった訳だ!





新田神社の脇には、次頁の写真の樹齢800年
の大ケヤキがありました。

金山城の見学を終えて、下りの自動車道を、また
延々と歩いて戻ります・・・

ようやく、太田駅近くの繁華街まで戻って
来ましたが、さすがにお腹が空きました。

写真のお店に入って太田名物「焼き団子」を
頬張ります。

見かけと異なり、ふわふわの食感で、香ばしい
味噌が美味しいです。


長時間歩いたせいか、焼き団子を食べても、
未だ空腹のため、少し先の写真の焼きそばの
店に入ります。


名物の「太田焼きそば」を頬張り、お酒を
注文します。

あっさりして上品な「太田焼きそば」に
満足して、太田駅に戻ります。

太田駅から行くのは大変ですが、それでも行く
価値のある「金山城」でした。

東武太田 → JR線直通運転 → JR新宿
→ JR湘南新宿ライン → JR横浜
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藪塚温泉 (群馬県) 2016.12.28

2017-03-07 16:43:55 | Weblog

(写真は、藪塚温泉の田園風景の中の案山子)

昨年の年末は、群馬の温泉で過ごしました。

年末は、毎年、温泉にのんびりと浸かることに
しています。

このところは群馬県の温泉にハマっています。

これまで群馬県の温泉は、伊香保、草津、磯部、
四万水上万座へ行きましたが、
昨年の年末は、「藪塚温泉」に行って来ました。

「藪塚温泉」は、遠くに赤城山を望む田園地帯の
中にあります。

温泉の歴史は古く、天智天皇の時代に発見された
名湯です。
更に、新田義貞が、鎌倉を攻めたときに、
傷ついた兵士を湯治した”新田義貞の隠し湯”
としても有名です。

「浅草」(10:50) → 東武・特急りょうもう11号
→(12:21)「藪塚」
(乗車券1,193円 + 特急券1,030円)





東武・藪塚駅で電車を下りて、徒歩10分の
今夜の宿へ向かいます。




藪塚温泉郷に入ると、田園風景の中の寂れて
しまった温泉地といった感じで、飲食店、
コンビニ、土産屋が一軒もありません。






旅館も3~4軒しかなく、広々とした空き駐車場
がやたらと目立ちます・・・

所謂、温泉街の雰囲気は全く無く、普通の田舎の
農村地帯といった感じです・・・


ホテルのチエックインが3時なのに、早く
着き過ぎてしまったので、近くの観光スポット
を見物します。

前頁の写真のホテルの前の「藪塚本町歴史民俗
資料館」(100円)で、近くの観光スポット
への地図を貰ってウォーキングに出掛けます。

この資料館の裏に「三日月村」があります。


三日月村は、笹沢佐保の小説の主人公・木枯
紋次郎の故郷ということで、”歴史の里・
三日月村”として、江戸時代の宿場などが
再現されています。

(「三日月村」:三日月村のパンフレットから)


しかし、何と!、年末の12/25~30は休館でした
・・・
行きたかったのに!、残念!

資料館で貰ったウォーキング地図に従って、徒歩
10分くらいの「北山古墳」へ向かいます。



ウォーキング地図によると、北山古墳の先に
「石切り場跡」があります。

地図に従い、脇道にそれて林の中に入って行くと、
想像以上に大きい絶景の石切り場跡がありました。
終戦直後まで、ここから「藪塚石」と呼ばれる
石材を切り出していたそうです。

なかなか見応えがあります。


石切り場跡から、今晩の宿の「ホテルふせじま」
へ戻ります。

年末特別料金が、1泊2食付17,000円(通常は
13,000円)と安めだったので、少し心配だった
のですが、玄関の脇の植樹を見て安心しました。

昭和天皇が泊まられたこともある由緒あるホテル
みたいです。

確かに、フロントや係の人の接客態度、言葉使い
は丁寧で良好です。


そして驚いたのは、各部屋毎にある広々とした
「かけ流しの露天風呂温泉」です!

この値段で、各部屋に「かけ流しの露天風呂」が
付いているとは!



上の写真の各部屋毎に設置された風呂、それに、
前頁のパンフレットの写真の広々とした大浴場に、
藪塚の町並みを見下ろす開放感ある展望露店風呂、
どれも立派な施設です。

これで年末に1泊2食付17,000円(通常は
13,000円)は割安です。



(夕食)

周辺に何も無い寂れた感じの温泉地ても、満足の
「ホテルふせじま」でした。
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渋谷で X'mas (青の洞窟SHIBUYA) 2016.12.19

2017-03-06 00:32:55 | Weblog

(写真は、「青の洞窟SHIBUYA」)

早いもので、今年ももうクリスマスです!
この時期は、各地のクリスマスのイルミ
ネーションをご紹介してきました。
「山手線に沿ってXmas」(2006.12.19~26)、
「大江戸線に沿ってXmas」(2007.12.17~25)、
「みなとみらいでXmas」(2008.12.24)、
「山手線に沿ってXmas」(2009.12.21~25)、
「 横浜・山手西洋館で X'mas 」(2013.12.21)、
「東横線に沿ってX’mas」(2014.12.11)

今年ご紹介するのは、渋谷の「青の洞窟
SHIBUYA」のX'masのイルミネーションです。
この「青の洞窟」は、2014年に目黒川沿いで
行われましたが、異常人気で大混乱になり、
その為に、その後中止になっていました。
(2014年の目黒川沿いの「青の洞窟」については、
「東横線に沿ってX’mas」(2014.12.11)を
見てね。)

2014年の目黒川沿いの「青の洞窟」大混乱の反省
を踏まえて、今年は場所が渋谷に移りましました。

それでは、外人観光客の間ですっかり有名に
なった渋谷スクランブル交差点から出発
しましょう。


スクランブル交差点から、西武デパートの右横の
通りに入り、公園通りを目指します。



写真の様に、MODI辺りが青く染まっていますが、
ここが「青の洞窟」のイルミネーションの入口
みたいです。

ここ渋谷公園通りの入口から、代々木公園までの
約750mが、今年の「青の洞窟」の会場だそう
です。
ここなら、狭まい道幅の目黒川沿いとは違って、
混雑は余りなさそうです。
代々木公園方面に向かって緩やかな坂を上って
行きます。

通り沿いの飲食店もけっこう賑わっています。

そして、NHKのビルの横辺りに来ると、下の写真
の「青の洞窟SHIBUYA」の表示板があります?

ということは、ここまでは、ただの樹木の青の
イルミネーションで、ここから先が「青の洞窟」
のイルミネーション、ということみたいです。

しかし、”どこが青の洞窟?”なのでしょう?



2014年の目黒川は、上の写真の様に、青いイルミ
ネーションが川面に映えて、まるで青の洞窟の様
でしたが・・・

今回は、下の写真の様に、光を反射する特殊な
シートを地面に敷いて、川面の様に青のイルミ
ネーションを映し出しています。



なるほどねえ!、こんな仕掛けですか。

考えましたね。

平日だったので、混雑は写真の程度で、それほど
混雑していませんでした。

しかし、もし特殊なシートの上が人混みで
いっぱいになったら、特殊なシートに反射する
「青の洞窟」が見えませんが・・・

TVニュースによると、「青の洞窟」が開始されて
1ヶ月が経ち、既に150万人が訪れているそう
ですから、やはり土日・連休は混雑しそうです。

この「青の洞窟」は、1月9日迄で、大晦日は
オールナイトでやっていますので、興味のある方
はどうぞ。

「青の洞窟」の全体的な感想としては、この特殊
シートの光反射のアイデアは面白いと思いました
が、自然発生的に歓声と溜息が起きた2014年・
目黒川沿いの「青の洞窟」には及ばないと思い
ました。
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