ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

とびしま海道 (4/4) (今治城) (愛媛県) 2016.9.29

2016-10-31 20:43:03 | Weblog

(写真は今治城)


(今治駅)

離島巡りの達人・原人さんに同行して、瀬戸内海
の「とびしま海道」を巡った話の最終回です。


愛媛県の今治港に着いてから、今治市の中心の
今治駅までバスで行き、先ず、明朝の松山空港
へのリムジンバスの予約をします。



それから、今治駅の構内の食堂で、昼食に写真の
今治名物「鯛飯」(1,150円)を食べました。

小雨の中、原人さんと今治駅から2キロの
「今治城」(400円)へバスで向かいます。



「今治城」は、築城の名人「藤堂高虎」が、江戸
時代初期に築いた城です。

「藤堂高虎」は、近江国・藤堂村の出身で、当時
としては珍しい身長190センチの長身でした。



徳川家康の懐刀で、他にも「宇和島城」や「伊賀
上野城」など18もの城を築いた築城の名手です。
「藤堂高虎」については、このブログの「バスで
行く東海道(第8回-4)」(2012.3.31)で、
四日市宿の「笹井屋」の「なが餅」のエピソード
でもご紹介しました。

上の写真は、城内の「藤堂高虎」像です。

今治城は、全国的にも珍しい海岸の「海城」で、
我々が上陸した今治港の近くにあります。
今治城の城内に入ると、雨は本格的になって
きました・・・


「今治城」の特徴は以下の通りです。
1)三重の堀に海水を引き入れていることで、
  高松城、中津城と共に三大水城(うみじろ)
  と呼ばれています。

  今治城は、海上交通の発達と共に重要性を
  増し、ここに城を築くことで、瀬戸内海の
  制海権を握ることが出来ました。
  藤堂高虎は、今治城から、対岸の福島正則、
  毛利元就などの動きを牽制・監視していた
  のです。
  ちなみに、城の種類は、年代的にみると、
  山城→平山城→平城→水城の順に出来ました。
  今治城の現存する内堀は、潮の干満で水位
  が変わり、海水魚が泳いでいます。

2)高さ15メートルもの石垣が、脆弱な地盤
  (砂浜)を強化した”犬走り”と呼ばれる
  土台の上に築かれています。

3)天守閣は、寺の五重塔の様な「層塔型天守」
  です。
入母屋破風と唐破風がバランスよく設え
  られています。

4)本丸の外周は多門櫓(長屋状の櫓)で包囲
  しています。

5)枡形(四角形の広場を伴う城の出入り口)に、
  二重の城門を設けています。
  5層6階の鉄筋コンクリート造りの天守は、
  昭和55年に再築されました。



雨が更に激しくなってきたので、城内の櫓などの
見物を諦めて、天守閣の中で雨宿りします。

(天守閣の内部)
天守閣は、高欄の付いた廻縁(まわりえん)に
なっています。

(天守閣からの眺め)
下の写真の様に、広大な瀬戸内海が見渡せます!

今治城の見学後、これから四国に住む友人と
会いに行くという”原人”さんとここで分かれ、
ここから先は単独行動になります。
私は、今治城の近くの四国八十八か所の一つ
「南光坊」(光明寺金剛院)等の今治市内見物へ
向かおうとしますが、雨が激しく振り止みません
・・・
市内見物を断念し、早々に、今晩の宿泊予定の
今治駅前のビジネスホテルに一人で向かいます。

翌日の早朝、未だ暗いうちから、今治駅前発の
リムジンバス(2,360円)に乗って、松山空港
へ向い、福岡空港経由で、実家の熊本に帰り
ました。

以下は、松山空港へ向うリムジンバスの車窓
からの風景です。



(松山空港)


今治駅前(5:55)→リムジンバス→松山空港
(8:35)→(9:25)福岡空港 → 高速バス
 → 熊本


(熊本行きの高速バス)
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とびしま海道 (3/4) (大崎上島)    (広島県竹原市) 2016.9.29 

2016-10-30 18:13:52 | Weblog

(写真は、日本で唯一の「木造5階建て住宅」)

路線バスで「とびしま海道」に入り「大崎下島」
で一泊した翌朝の話しです。

朝、目が覚めて、宿泊した「大崎下島」の旅館の
部屋の窓から外を眺めると、目の前が港で高速船
の乗り場です。

6:35の始発便に乗船する高校生達が、次々に
車で送られて来ています。

オヤジさんの話だと、この島の高校が廃校に
なったので、向いの大崎上島まで通学している
とのこと。

我々も、朝食を済ませてから、高校生達が
向かったのと同じ「大崎上島」の「木江港
(このえこう)」行きの8:15発・高速船に
乗船します。





高速船は、途中の集落の港で、乗客を拾いながら
進みます。




高速船が、途中の船着き場に向かって警笛を
鳴らすと、乗船客がいない場合、港の方で旗を
振るので、その港には寄港せずに次の港に向かう
みたいです。

無駄な寄港を省いているのでしょう。



「大崎上島」の「木江港」で下船して、島内を見学
します。





木江港の人影のないメインストリートを歩いて
いると、後ろから声を掛けられました。

振り向くと、80歳くらいのお爺さんが、我々に
島の案内をしてあげよう、とのこと。

そのお爺さんの話によると、ここ木江港の正面に
見える大きな島が、「しまなみ海道」が通る
「大三島」だそうです。



他にも「大久野島」の位置なども教えてくれ
ました。

「大久野島」は、戦時中は軍の「毒ガス」製造基地
で、そのため、当時は地図にも無かったそうです。

また、戦後は、毒ガス漏れを検知するため、島に
ウサギを放っていましたが、そのウサギが繁殖し、
今では”ウサギの島”として、海外からの観光客
の目玉の観光地になっているとのこと。

ここ「大崎上島」は、造船の島で、最盛期には
10以上のもの造船所があり繁栄していた
そうです。


上の写真は現在も残る造船所で、下の写真は倒産
した造船所跡です。


またこの島は、「遊郭」の島としても有名だった
そうで、これから見に行く「木江(このえ)の
古い町並み」も遊郭だったそうです。

この島の人口も、3万人以上あったそうですが、
現在は7千人ほどに減少。

そして、今朝見た高校生達は、我々が宿泊した
「大崎下島」から、この「大崎上島」の造船科
もある「県立大崎海星高校」に通学している
生徒だったみたいです。

慶応ボーイだったというこのお爺さんは、最後
には、下の写真の自分のビルの酒屋に呼び入れて
くれて、娘さんらしき人に手伝わせ、昔の色々な
写真を2階から下して来て、島の歴史について
説明してくれました。





我々は、お二人にお礼を言って、その酒屋を出て、
日本唯一の「木造5階建て住宅」を見に行きます。

この建物は、当初は「料亭」として利用されて
いましたが、現在は、90歳を過ぎた夫人が
1人住いをしているらしいです。

90歳を過ぎた老女が、5階まで階段を上るのは
大変そう・・・

次に我々は、港の近くの「木江の古い町並み」に
向います。

「木江の古い町並み」に向う途中に、映画「東京
家族」の撮影現場がありました。



山田洋次監督で、橋爪功・吉行和子・妻夫木聡・
蒼井優らが出演した「東京家族」は、この
「大崎上島」が舞台で、島のあちこちに、下の
写真の様な撮影現場の表示があります。




「木江の古い町並み」は、以下の写真の様に、昨日
見物した大崎下島の「御手洗」地区に似た街並みです。
御手洗地区ほどには整備されていないものの、
なかなか風情があります。
 

 
「木江の古い町並み」を見物していると、ここに
住んでいるというおばさんに声を掛けられ、我々
に「木江の古い町並み」の案内をしてあげよう、
とのこと。
そのおばさんに、酒店のご主人と娘さんに、既に、
この島の案内をしてもらった話しをすると、
”あら、いやだぁ~、それは娘さんではなくて、
この島の小学校で私と同級生だった、酒屋の
奥さんよぉ~!、 旦那は実際よりだいぶ
老けて見えるけどね。”

”大変!、旅行客の人が、アンタを娘さんと
間違えたよ、と教えに行かなきゃ~!”、と、
そのおばさんは、メインストリートの方へ
急いで歩いて行きました。
「木江の古い町並み」の見物を終えて、四国の今治
へ向かう船の出発時間まで、港の待合室で時間を
潰します。

(待合室に飾ってあった、映画「東京家族」の山田
 洋次監督と港の待合室の係のおじさん、
おばさんの記念写真)
先程のおばさんが、今度は自転車に乗って、
待合室の中を覗き込んで、我々に声を掛けます。

”未だ居たわね、ハイ、差し入れ。”と言って、
我々に、よく冷えたジュースをくれました。
”酒屋へ行って、「旅行客の人が、アンタを
娘さんと間違えていたわよ」と知らせたら、
奥さんが凄く喜んでいたわよ!”
”あの人嫌いのご主人が、自ら観光案内をかって
でるなんて珍しいことでね、あの酒屋は愛嬌の
良いあの奥さんで何とかもっているのよ。”

それだけ伝えると、おばさんは自転車を漕いで
行ってしまいました・・・
待合室でフエリーの到着を待っていると、乗用車
が次々に集まって来ます。
車を利用しない乗船客は我々2人だけでした。

木江港から、愛媛県の今治港まで約1時間の船旅
です。












今治港に近づくと、右手に今治の造船所が、
頭上には「しまなみ海道」の「来島海峡大橋」
が見えます。





今治港に到着、いよいよ四国上陸です。
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とびしま海道 (2/4)    (大崎下島:広島県呉市) 2016.9.28 

2016-10-20 08:07:28 | Weblog

(写真は、「大崎下島」の伝統的建造物保存地区「御手洗」)
羽田空港から広島空港へ飛び、JR山陽本線で呉を
経由してJR広駅で下車、路線バスで「とびしま
海道」の最初の島「下蒲刈島」へ。

下蒲刈島で途中下車して、前回ご紹介した「朝鮮
通信使資料館」等を見学したあと、路線バスで、
「下蒲刈島」から、下の写真の「蒲刈大橋」を
渡って、「上蒲刈島」に入ります。




パンフレットを見ると、この「上蒲刈島」(かみ
かまがりじま)は、風光明媚な海岸が続きますが、
この雨なのでこの島での途中下車は止めます。

次に、上蒲刈島から、下の写真の「豊島大橋」を
渡って「豊島」に入ります。


パンフレットを見ると、この「豊島」も、特に
観光地が無さそうなので途中下車しないことに
しました。



次に、豊島から、下の写真の「豊浜大橋」を渡り、
「大崎下島」に入ります。






路線バスは、大崎下島の海岸線に沿って走ります
が、乗客が次々に降りて、車内がたいぶ空いて
きました。



車内が空いてきたと思ったら、今度は何と!、
大勢の小学生が乗り込んで来ました!



丁度、下校の時間帯にぶつかったのでしょう。

路線バスによる集団下校、というところでしょう
か。

路線バスは、たちまちスクールバスに早変わり、
車内は”雀のお宿”と化しました。

一口に小学生達と言っても未だ幼稚園児みたいな
小学生もいれば、私よりも体格の良い小学生も
います・・・

何となく、引率の先生の気分になってきました。




やがて、小学生達は、停留所毎(部落毎?)に、
固まって降りていきます。

我々2人は、「御手洗」(みたらい)という
バス停で下車しました。
「とびしま海道」のパンフレットによると、ここ
「御手洗」集落は、「重要伝統的建造物保存地区」
だそうです。



写真の「御手洗港」の案内板によると、ここ
御手洗は、古くから遊女の港として船人たちに
広く知られ、瀬戸内海を航行する北前船、参勤
交代の御座船をはじめ、多くの船が寄港したそうです。

そして、ここ御手洗の遊女たちは、吉原や島原の
遊女と同じように高い教養を備えていたそうです。

御手洗バス停の道路から横に入ると、もう
「重要伝統的建造物保存地区」です。

以下の写真は、江戸時代の切妻や入母屋造りの
白漆喰の家屋が並ぶ「常盤町通り」です。







下の写真の右手前は、御手洗で最も大きい茶屋
(遊廓)だった「若胡屋」(わかえびすや)で、
百人以上の遊女をかかえていたそうです。

若胡屋の前の左手前の建物は「北川醤油醸造」
です。

以下、重要伝統的建造物の町並みです。
 







(日本で一番古いといわれる新光時計店)


(洋館造りの理髪店)

「御手洗」の街並みを見学し終えて、今晩宿泊する
旅館がある「大長港」(おおちょうこう)まで、
路線バスで戻ります。


我々が今晩泊まる上の写真の旅館「オレンジ
ハウス」は、島の「大長」地区にあり、旅館の
前は「大長」の港です。

旅館の宿泊客は、我々2人の他は、島に工事に
来ている方が2人だけでした。

旅館のおやじさんの話しだと、島の産業の農業
である急斜面のミカンは高齢化で困難なので、
イチゴ栽培や花卉栽培に転換中とのこと。
風呂に入り、夕食時間まで一休みします。

夕食は、旅館の水槽で泳いでいた地元で採れた
という「鯛」を、刺身と兜煮に料理してくれ
ました。

鯛の刺身が、コリコリしていて上手い!

旅館「オレンジハウス」は、古くて汚いですが、
この鯛の刺身を考慮すると、1泊2食付5,400円
は良心的です。

雨が降っていることもあり、食後は早めに床に
就きました。
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とびしま海道 (1/4)   (下蒲刈島:広島県呉市) 2016.9.28 

2016-10-15 15:31:03 | Weblog

(写真は、朝鮮通信使の船が上陸したという
 「長雁木」)

職場の先輩だった”離島巡りの達人”の「原人
さん」に同行して、瀬戸内海の「とびしま海道」
へ行って来ました。

日本には約”420”の有人島がありますが、
原人さんは、これまでに”140”の有人島を
踏破しています。
原人さんに同行しての離島巡りは、今年4月の
五島列島(長崎県)に続いて3回目です。
離島巡り当日の天気予報が気になりますが、原人
さんの当初のプラン通り、自転車を借りて
「とびしま海道」をサイクリングすることに
なりました。

とびしま海道は、昔から海上交通の要所で、村上
水軍の城砦も築かれていたそうなので楽しみです。


羽田空港(7:00)→(8:25)広島空港
リムジンバス(9:00)→ (9:15)JR白市
(9:27) →JR山陽本線 →(10:03)海田市
(10:06)→ JR呉線 → 広(10:43)
→広駅前(11:20) →さんようバス (とびしま
海道) →(11:42)下蒲刈島


羽田空港で、7時発の飛行機に乗ると、8:25
には、もう広島空港に着きました。

空港からリムジンバスで、最寄り駅のJR「白市」
駅へ向かいます。

リムジンバスの車窓から見える上の写真の
オレンジ色の鉄塔は、山奥にある広島空港の
誘導灯です。


(白市駅)

(山陽本線)

白市駅から、「山陽本線」の岩国行き列車で
「海田市」駅まで乗車、そこから「呉線」に
乗り換えて、終点の「広」へ向かいます。

(海田市駅)


呉線は海岸線を走り、呉の造船所を通り過ぎて
行きます。





丁度、昼食時に広駅に着いたので、駅前に2軒
ある食堂のどちらかで食事をしようとしますが、
平日の昼間だからかどちらも閉店しています。


仕方なく、駅舎のコンビニでオニギリを買って
駅の待合室で食べます・・・

広駅に着いたあたりから、いよいよ雨は本降り
になりました・・・
今回のサイクリング車でのとびしま海道巡りを
断念、駅前から貸自転車店にキャンセルの電話
をします。
急遽、「ぶらり?路線バスの旅」に計画変更
です!
雨が激しくなる中、前途多難な旅のスタートです・・・

広駅前から、とびしま海道方面に行くバスに
乗ります。

バスの本数が少ないので、どこでバスを途中下車
して見物するか、真剣に車窓の景色を眺めながら
進みます。



上の写真の「安芸灘大橋」周辺は、余り見るもの
が無さそうな感じだったので、バスを降りずに
「安芸灘大橋」を渡り、「下蒲刈島」(しもかま
がりじま)へ向かいます。

下蒲刈島に入ると、「朝鮮通信使」の看板が目に
付いたので、通信使行列に興味のある私は、看板
のあった「三之瀬」バス停で下車してみます。

先ず、次のバスまで、約2時間あることを確認
してから見学を開始します。

この「下蒲刈島」は、古くは伊予水軍が進出して
いましたが、江戸時代には、広島藩が、海駅
としてここ三乃瀬を整備して、海本陣・茶屋など
を置いたそうです。

小雨が降り続く中、「下蒲刈島」の「蒲刈大橋」
の下にある「松濤園」(しょうとうえん)を
見学します。
(関連施設も含め1,680円)




「松濤園」の中の建物は、全国各地の建造物を移築
したものだそうです。





次に、同じ「松濤園」の中にある「番所跡」を
見学します。








番所跡の高札には、
”男女が一緒にいてはいけない。”
”海上から見える庭は綺麗にしておくこと。”
等と書かれています。
更に、同じ「松濤園」の中の「朝鮮通信使資料館」
の中に入って見学します。(写真撮影禁止)



(「朝鮮通信使資料館」の内部:資料館のパンフレットから)



上の絵は、通信使船が、岡山藩の小舟に曳かれて、
瀬戸内海を航行する様子を描いたものです。
(資料館のパンフレットから)


上の写真は、朝鮮通信使への豪華な供応料理です。
(資料館のパンフレットから)

江戸時代に正式な外交があったのは朝鮮だけ
だったので、幕府は朝鮮通信使をこの様に
丁重に処遇しました。

(朝鮮通信使:資料館のパンフレットから)

(本陣の前の朝鮮通信使行列:資料館の
 パンフレットから)

(朝鮮通信使の船の模型:同上)

松濤園を出て、海岸沿いの道を「長雁木」へ
向かいます。

上の写真は、福島正則が幕命により築いた
「長雁木」で、「雁木(がんぎ)」とは、
階段状の船着場のことです。



朝鮮通信使は、ここで船から上陸して、道路の
向いにある「三乃瀬本陣」(海本陣)で休息
したそうです。

下の写真の「三乃瀬本陣」跡は、朝鮮通信使が
来訪していた当時の本陣の建物の外観を復元
したもので、内部は美術館になっています。



「三乃瀬本陣」跡から、「三之瀬」バス停まで
戻り、路線バスで、本日宿泊する「大崎下島」
へ向かいます。
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