ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

http://www7b.biglobe.ne.jp/~akamine/
中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

万座温泉 (群馬県) 2016.8.15

2016-08-31 08:13:31 | Weblog

(写真は、万座プリンス・スキー場)

お盆休みは、いつも温泉にのんびりと浸かること
にしています。
このところは群馬県の温泉にハマっています。

これまで、伊香保、草津、磯部、四万、水上へ
行きましたが、今年のお盆休みは、上信越高原
国立公園の中にある万座温泉に行って来ました。

万座温泉は、群馬県と長野県の県境に位置して
いて、標高1,800mという高地にある豊富な
湯量の温泉です。
80℃の高温の酸性硫黄泉で、江戸末期に湯治場
として有名になりましたが、現在は冬季の
スキー場として賑わっています。

横浜→JR京浜東北線→上野(10:00)→JR高崎・
我妻線[草津1号]→(12:31)長野原草津口
(12:33)→(12:47)万座鹿沢口 →
西武高原バス(13:02)→(13:47)万座温泉




JR長野原草津口経由で、嬬恋村の玄関口であるJR
万座鹿沢口(まんざかざわぐち)駅へ向かいます。

J万座鹿沢口駅で列車を下りて、駅前の広場で西武
高原バスに乗り、万座ハイウェーで、万座温泉へ
向かいます。




万座ハイウェー沿いには、白樺とカラマツの林が
広がり、嬬恋村の牧場やスキー場等があり、
バスは爽やかな緑の風景の中を抜けて行きます。






(嬬恋牧場)

”西武”高原バスは、嬬恋”プリンスホテル”を
経て、万座”プリンスホテル”に着きました。


(万座プリンスホテルのスキー場)




ここで旅館からの送迎バスに乗って、ここから
5分の今晩の宿・万座亭(1泊2食:14,000円)
に着きました。



宿に着くと、早速、周辺のウォーキングに出掛け
ます。

猛暑の横浜から半袖で出掛けて来たのですが、
やはり、ここは標高1,800mとあって、半袖
では寒くて震えます・・・

万座亭を出て、万座温泉の湯畑へ下りて行きます。



湯畑は、少し薄い緑色をしていて綺麗ですが、
強烈な硫化水素が噴出していて、近寄って
行ったら頭がクラクラしてきました・・・


湯畑から、万座川を渡り、草木の生えていない
「熊四郎山遊歩道」に入ります。




先程の湯畑を右下に見ながら、整備された木の
階段の遊歩道を上ると、東屋という見晴し台に
着きました。
 


この東屋の上方の稜線が、群馬県と長野県の
分水嶺になっているらしいです。


案内板には、この周辺のウォーキングコースの
地図がありますが、硫化水素のせいでしょうか、
すすけていて読めません・・・

でも、この見晴し台から、熊四郎山遊歩道の
コースがほぼ一望出来て、見える限りでは
大丈夫そうなので、先に進むことにしました。

先ずは、東屋から見えた木の橋を目指します。



木の橋へ向かう途中の写真の松の木に説明板が
ありました。

それによると、「このマツはここの硫気地帯の
様に厳しい環境にも耐えることの出来る強い
植物」とあります。

先程、東屋から見えた木の橋に着きました。
高所恐怖症の人にとっては厳しいコースですが、
この遊歩道がよく整備されているのに感心
しました。

少し石段を上って行くと、この辺りが一番高い
場所でしょうか、写真の様に、遠く眼下に東屋の
見晴台が見えます。

一番高い場所から、かなり急で長い山道を下りて
行きます。
  
しっかりした石段なので、急ではありますが歩き
易いです。
逆回りだったら、このかなり急な石段を上ら
なければならなかった訳なので、遊歩道の左回り
コースは正解でした。

急な石段の先に、次頁の写真の「熊四郎洞窟」が
ありました。

案内板によると、この近くで石器時代の遺物が
発見されたことから、この洞窟は先史時代の
人々が利用していたらしいです。
 

コースの途中には、色々な草花が咲いていました。

  










上の写真は、「チャツボミゴケ」で、説明板に
よると、硫黄泉など強酸性の水が流れる所で
しか見られない珍しい苔だそうです。

熊四郎洞窟を出て、更に石段を下りて行くと、
写真の「万座薬師堂」に到着しました。


万座薬師堂の前は、先程の熊四郎山遊歩道の
スタート地点で、無事に元の場所まで戻って
来ました。


短時間で万座温泉の周辺を散策して、素晴らしい
景色を堪能出来て大満足でした。

今晩の宿の万座亭に戻り、食事前に温泉に入り
ます。

内湯は、写真の様に全て木造作りで雰囲気が
あります。

(万座亭のパンフレットから)
乳白色で強い硫黄臭がします。

露天風呂は、写真の様にログハウスで、お湯に
浸って見えるスキー場の緑のゲレンデが素敵
です。

(万座亭の公式ホームページから)



(夕食)
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迎賓館赤坂離宮 (一般公開) 2016.7.29

2016-08-28 10:46:24 | Weblog

(写真は、迎賓館赤坂離宮の正面。)
迎賓館・赤坂離宮の通年公開が、今年の4月から
始まりました。

それまでは、限定的な公開だったのですが、観光
立国化への後押しもあり、迎賓に支障のない範囲
で、通年公開される事になりました。

赤坂離宮は、明治42年、紀州徳川家の中屋敷の
一部に、皇太子用の御所(赤坂離宮)として、
片山東熊の設計により建てられました。

しかし、豪華過ぎたこと等により、天皇家が利用
される事はほとんどなかったそうです。

第二次大戦後、赤坂離宮は、皇室から国に移管
されて改修されたのちに、昭和49年に迎賓館
として開館しました。

本館、正門、噴水池等が国宝に指定されています。




現在は、世界各国の国王、大統領などの国賓が
ここに宿泊し、国際会議、歓迎式典、首脳会談
などが行われる外交活動の表舞台となっています。

ちなみに、フォード大統領、チャールズ皇太子と
ダイアナ妃、エリザベス女王などが、ここに宿泊
されています。

見学は、「事前申込み」と「当日配布」に分かれ
ます。

事前申込みは、インターネットのみ、先着順で
1日に1,500名、6週間前に当選通知メールが
あります。

事前申込みは、2ヶ月近くも前の申込みが必要で
面倒なので、私は当日の8時から配布の整理券を
求めて、夏休み中の平日に行って来ました。
当日配布の整理券は、1,000枚のみです。

迎賓館赤坂離宮は、四ツ谷駅から約400メートル
です。

平日とはいえ夏休み中なので、相当の混雑を覚悟
して出かけたのですが、意外と空いていて
拍子抜けしました。

整理券を受け取った8時から、入場可能な10時
まで、四ツ谷駅周辺の喫茶店で時間を潰しました・・・

私が、見学を終了した11時30分頃にも、未だ
整理券を配布していましたので、慌てる必要は
ありませんでした・・・

(8月4日~30日は、夏休み特別企画として、
事前の予約又は当日の整理券なしで、直接
正門前で料金を払って入場できるそうです。)

また、定例休館日は水曜日ですが、迎賓のための
閉館日も多いので、閉館日をインターネットで
確認してから出掛ける必要があります。

正門の脇の写真の赤丸印の場所で、当日の整理券
を受け取り、学習院初等科の門の向い側にある
迎賓館の西門から入ります。

(参観料金 1,000円、 公開時間 10:00~17:00)






入館の手荷物検査の際、ペットボトルや水筒は、
警備員の前で一口飲んでみせなければなりません・・・
本館内は写真撮影禁止なので、館内の様子に
ついては、館内で販売している以下の絵葉書の
写真(500円)をご覧ください。

上の写真は「彩鸞の間」です。
彩鸞の間は、来客の控えの間ですが、条約の
調印式などのテレビ撮影用の部屋でもあります。
白い天井と壁は、金箔が施された石膏の浮彫りで
装飾され、10枚の鏡が部屋を広く見せています。
鏡の上と暖炉の脇に、金色に浮彫りにされた架空
の鳥「鸞(らん)」があることが部屋名の由来
です。
下の写真は「花鳥の間」です。

花鳥の間は、最大130席が設けられ、国賓の公式
晩餐会が催されています。
天井の36枚の絵、壁面の30枚の七宝には、花や
鳥が描かれています。
下の写真は、その壁面の楕円形の七宝の中の1枚
です。

部屋の四隅には、晩餐会の食材となる鹿、猪、鳥
などが描かれていて、厳粛な雰囲気の部屋で、
思わず笑ってしまいます。
下の写真は「朝日の間」です。

朝日の間は、表敬訪問や首脳会談等が行われる
国賓用のサロンです。

国賓の賓客の宿泊の際は、天皇皇后両陛下が
この部屋に来られて挨拶をされます。

周囲の16本の円柱の大理石はノルウェー産です。

壁には、京都西陣製の立体感のある「金華山織」、
それに陸軍の象徴である「鎧兜」と海軍の象徴
である「船」の浮き彫りが掛けられています。

そして、桜のイメージの絨毯は、47種類の紫の
糸で織られています。

家具は、明治42年創業当初にフランスから
取り寄せたものを修復しています。

天井に描かれた「朝日を背にして女神が香車を
走らせている姿」が部屋名の由来です。


下の写真は「羽衣の間」です。


東京サミットの舞台ともなった羽衣の間では、
晩餐会の招待客に食前酒などが供されています。

正面の中二階は、オーケストラボックスがあり、
舞踏会場として設計されています。

3基のシャンデリアは、バカラの7,000個もの
部品で組み立てられており、壁は楽器等を
あしらった石膏の浮彫りで飾られています。

謡曲の「羽衣」の背景を描いた天井絵が部屋名の
由来です。


迎賓館の内部の目を見張る様な豪華絢爛な内装は、
昔訪れたベルサイユ宮殿を思い出しました。

公式晩餐会や首脳会談などが、現在どの様な部屋
で行われているのか見ることが出来て感激です。

皆さんも、ぜひ一度見学されることをお薦め
します。

ps.
迎賓館の「和風別館」は、上記の本館とは別途、
インターネットによる事前申込が必要です。
(参観料金 1,500円)

こちらは、6回の各時間帯ごとに20名を定員
としたガイドツアー形式(所要40分)なので
倍率が高そうです。

和風別館の見学後は、引き続き上記の本館見学も
可能です。
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東京都美術館 (伊藤若冲展) 2016.5.20

2016-08-27 17:43:24 | Weblog

(写真は、伊藤若冲の「群鶏図」 )

今年の2月に、渋谷の山種美術館に「ゆかいな
若冲展」を見に行きましたが、 水墨画のみの
展示で、極彩色の「群鶏図」などを期待していた
私は不完全燃焼のままでした。

若冲は、京都の錦大路の青物問屋の長男に生まれ
ましたが、家督を弟に譲り43歳の頃から絵を描き
始め、後に仏教に帰依して、ひたすら絵を描く
ことに没頭した人生を送りました。

蛇足ですが、「若冲(じゃくちゅう)」の
”冲”は”さんずい”ではなくて”にすい”
です。

そして、遂に昨日(5/20)、上野・東京都美術館
の「生誕300年記念 若冲展」(1,600円)で、
憧れの若冲の極彩色の鶏の絵などの80点を一度
に観る事が出来ました!

今回の目玉は、若冲が10年もの歳月をかけて
描いたという宮内庁所蔵の「動植綵絵(さいえ)」
で、30幅が初めて一堂に会します!!
(これまで、分割しての展示はありました。)

そして、若冲作品の発掘者である米人プライス氏
のコレクションもアメリカから来ていますので、
これ以上の若冲の作品が揃う展示会はもう二度と
ないでしょう!

会期が4月22日~5月24日と短期間なので、昨日
は混雑を覚悟で出掛けました。

11時に列に並びましたが、平日にも拘わらず、
何と!会場に入ったのは3時半・・・

炎天下に、何と!4時間半も、水分控えめで
トイレにも行かず忍耐の行列でした・・・

展示会がスタートした4月末頃は空いていた
らしいので、もっと早く来れば良かったなあ・・・

この感じだと、今日・明日の土日は、絶望的な
混雑ではないでしょうか。

そして、中に入ってからも、人気の作品の周り
には黒山の人だかりで、見づらい状況でした。

以下の若冲作品の写真は全て、展示会で購入した
カタログ本の「生誕300年記念若冲展」
(3,000円)からです。

圧巻は、1階の全フロアを使用して、ぐるりと
半円状に展示されている30幅の「動植綵絵
(さいえ)」の勢揃いと「釈迦三尊像」3幅です。

これらは、若冲が10年もの歳月をかけて描き、
51歳の時に京都の相国寺(しょうこくじ)に
寄進した渾身の力作です。


(1階の展示フロア:BS日テレ「ぶらぶら
美術博物館」から)


上は、「動植綵絵」中の一番の傑作「群鶏図」で、
時を告げたり、辺りを見回したりする雄鶏の
多様な様子を、勢いのある筆遣いで描いています。
若冲は、自宅の庭に、数十羽の鶏を飼って観察
して描きました。

若冲の絵は、江戸時代中期なので、描かれてから
二百数十年経っているのですが、実物の絵を見る
と、たった今描き上げたかの様に、鮮やかな色彩
が保たれているのが不思議です。

伝えられるところでは、若冲は、永久不変の美を
描くため、変色しない絵具に徹底的に拘ったそう
です。
当時、驚くほど高価だったペルシャンブルー等を
ふんだんに使用して、永久に伝えられる絵を
目指しました。

上の「月梅図」は、空間恐怖症と言われた若冲の
特徴がよく表れており、絵を埋め尽くす様に隅々
まで描かれています。
若冲の絵の特徴は、動植物を丹念に緻密に
描き込む独自の作風で、近くで見ると
その精巧さに圧倒されます。

しかし、単に緻密に写生することに徹している
だけではなく、動物も植物も絵から生気が溢れ
出て輝いている様な、独特の不思議な雰囲気が
醸しだされています。
 
上は何と!、83年振りに、今年1月に発見
されたという「孔雀鳳凰図」です!!
(現在は、箱根・岡田美術館所蔵)


上の「老松白鳳図」の鳳凰の羽は、実は、若冲が
黄色の顔料を裏から塗ったものですが、これが
表からは絹を透かして金色に見える、という
「裏彩色」の高度な技術を施したものだそうです。

う~ん、黄色がどう見ても金色にしか見えません!
(若冲マジック?)


上の「樹花鳥獣図屏風」は、プライス氏
コレクションで、約4万個の桝目を、一つ一つ
彩色していったという気の遠くなる様な
モザイク画風の絵です。


上は、切り抜いた型紙で色を付ける”合羽摺り”
という技法で描かれた「花鳥版画」ですが、
現在の画家では、模写/再現が不可能だと言われる
くらいに手が込んだ手法で、凄い手間が掛かって
いるそうです。


上の「果蔬(かそ)涅槃図」は、果物と野菜だけ
でお釈迦様(中央のダイコン)の涅槃を描く
という、ユーモア溢れる作品です。


上の「鷲図」の鷲の表情は、若冲自身を表して
いるのではないか、と言われています。

今回の「若冲展」は、大変な混雑に耐えて行って
来ましたが、それでも行って良かったし、行く
価値が充分にある展覧会だったと思いました。


ps.
東京都美術館の隣りの国立西洋美術館では、
カラヴァッジョ展をやっていましたが、
「ル・コルビュジエの建築作品(国立
西洋美術館を含む)」が世界文化遺産への
登録勧告された影響でしょうか、こちらも
館外まで行列が出来ていました。


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五島列島 (4/4) (福江島観光) 2016.4.25

2016-08-26 16:27:59 | Weblog

(写真は「堂崎教会」で”原人”さんと。)
3日目の最終日は、朝から定期観光バスで、宿泊
している「福江島」の島内を巡ります。

福江島の市街地の福江城などは、到着した初日に
見学を終えているので、今日は、福江島をほぼ
一周する観光コースに乗ります。

「福江島」は、人口が3万7千人もあり、五島列島
の中で一番大きな島です。

定期観光バスは中型でしたが、客は、船橋在住の
”原人さん”と私のみで、文字通り二人の
”貸切り”バスです!(5,500円)

最少催行人数は2名なのでツアーは成立ですが、
何だかガイドさんに気の毒で・・・


定期観光バスは、福江島の北部にある「堂崎教会」
を目指して、波が静かな海岸線を走って行きます。




最初に到着した「堂崎教会」は、現在は、
キリシタン弾圧の歴史や資料を展示する
資料館となっています。
(300円)
(内部撮影禁止)


内部は、木造で色ガラス窓、こうもり天井です。


(堂崎教会入口の説明板の写真)


上の写真は、教会の前に建てられている、長崎
西坂で処刑された26聖人の一人の五島出身
「ヨハネ五島」の像です。


続いて、観光バスは、島の内陸部を「鐙瀬
(あぶんぜ)溶岩海岸」へ向かいます。

「鐙瀬溶岩海岸」に着きました。

五島の十六代藩主は、家臣の謀反により殺され
かけ、馬で逃れましたが、この鐙瀬海岸で、
馬上で足を乗せる”鐙”(あぶみ)が切れたため、
陸路での逃避を断念しました。


この鐙(あぶみ)が切れた瀬(海岸)が、「鐙瀬」
(あぶんぜ)の地名の由来だそうです。

この藩主は、ここ鐙瀬海岸から、小舟で対岸の
「黒島」へ渡り自害しました。



鐙瀬海岸は、島の中央にある上の写真の鬼岳の
噴火口から流出した溶岩が海に流れ込み、変化に
富んだ海岸線を形作っています。

展望台からは、沖の方に、五島藩主が自害した
という「黒島」や黄島(おうじま)、赤島などが
霞んで見えます。



この辺りは、対馬暖流の影響で、年中温暖なため、
椿の木も多く見られました。

観光バスは、次に、”福江島で最も有名な観光
スポットの”「大瀬崎断崖」へ向かいます。

途中、平らな地形が多く、農業が盛んな富江地区
を抜けて行きます。

五島列島に着いて3日目ですが、これまでは
ずっと、険しい海岸線しか見て来なかったので、
この様に内陸部に立派な田畑を見るのは驚き
でした!

ここは、台風の通り道なので、台風の前に稲刈り
が出来る様に、早く田植えを行うそうです。
「大瀬崎断崖」の展望台に着きました。

島の西端に半島状に付き出した「大瀬崎断崖」は、
高さが150メートルもあります!



下を覗くと、足元がすくんでしまい、夜、夢で
うなされそうな絶壁です!

大瀬崎の断崖に建てられた「大瀬崎灯台」は、
「日本の灯台50選」や「日本の夕日100選」
にも選ばれていて、映画「悪人」のクライ
マックスシーンの撮影も行われたそうです。

この展望台から灯台まで、歩いて往復1時間で
行けるとのこと。

大瀬崎断崖の展望台を出て、素晴らしい白い砂浜
の「高浜海水浴場」や「頓泊(とんとまり)
海水浴場」を見ながら海岸線を進みます。



車窓から、上の写真の「水之浦教会」などの教会
を見ながら、福江の市街地に戻って行きます。
観光バスの客は、我々二人だけだったので、終点
を福江空港に変更してもらい早めに空港へ向かいます。

空港で早めの夕食にして、写真の「五島牛弁当」
(1,300円)を食べます。

更に、空港の土産売り場で、写真の「かんころ餅」
を買いました。
サツマイモに餅を混ぜ合わせたもので、熊本の
「いきなり団子」によく似た味です。

来る時は福岡空港経由でしたが、本数の関係で
、帰りは長崎空港経由にしました。

来た時と同じプロペラ機に乗ります。

17:55発の長崎行きは空いていました。

座席のポケットの非常口の説明図は、上の写真の
様に、海上に不時着して泳いで脱出している漫画
で、妙にリアリティ?があります・・・


福江空港→長崎空港→羽田空港


ps.「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」
   について

五島列島には、50以上の教会があり、
人口6万人のうちの1万人がキリスト教徒です。

江戸時代、キリスト教徒弾圧が厳しくなったとき
に、多くのキリシタンが迫害を逃れて、この五島
列島に移り住んできました。

今、五島列島は、世界遺産に推薦され、世界の
注目を集めています。
(世界遺産候補:「長崎の教会群とキリスト教
 関連遺産」)

それは、200年以上もの長い間の弾圧にも
拘わらず、信仰を捨てずに生き抜いた
”奇跡の島”として、新たな光が当てられている
からです。

豊臣秀吉のキリシタン追放令に始まった弾圧は、
明治の初期まで続きました。

このため、ローマのバチカンは、日本の
キリスト教は完全に途絶えてしまったと
考えていました。

そして、明治初期のまだ迫害が続く中、数人の
潜伏キリシタンが、長崎の宣教師の前に名乗り
出ました。

260年もの間、禁教と弾圧に耐えて姿を現した
”信徒発見”の知らせは、世界中のキリスト教会
を驚愕させました。

明治6年に、キリスト教を禁じた掟が廃止され、
キリスト教徒たちは、五島列島の各地区毎に
教会を造り始めました。

ご紹介した江上教会、旧五輪教会などは、
このときに造られたものです。

今年は、その「信徒発見」から150年目に
あたり、日本政府は世界遺産の正式な申請書を
ユネスコに提出しました。
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五島列島 (3/4) (中通島の教会群) 2016.4.24

2016-08-25 09:06:45 | Weblog
 
(写真は、キリシタン墓地)
2日目は、宿泊したホテル「浦」のある「中通島」
の教会群を見学して回る予定ですが、この島には
定期観光バスがないため、本日はレンタカー利用
です。

朝食を済ませて、ホテルの近くのトヨタレンタ
リースへ向かい、レンタカーを借ります。
(6,480円)
私の車は、昨年のちょうど今頃に廃車にしたので、
1年振りの運転となり、緊張してドキドキします・・・
ここから、車で約20分の「頭ヶ島」に、カー
ナビをセットして出発です。

五島列島の道路は、横浜の我が家の周辺の
ごちゃごちゃした道路よりも、広くて立派です!
これなら、1年振りの運転でも何とかいけそう
です。

迷うこともなく、赤いアーチの頭ヶ島大橋を渡り
、頭ヶ島の「頭ヶ島(かしらがしま)天主堂」に
無事に着きました。
 
頭ヶ島天主堂は、鉄川与助の設計によって建設
され、信者が近くの石を切り出して、1917年に
完成しました。(世界遺産候補、国重要文化財)
全国的にも珍しい重厚な石造りの教会堂です。

内部は、石造りの船底の様な折上天井に、椿を
モチーフにした花柄模様が描かれています。


(教会販売の絵葉書から)


(教会販売の絵葉書から)


(ORC航空機内パンフレットから)



教会から見下ろすと、キリシタン墓地が見えます。



海辺にたくさんの十字架の墓が並んでいるのを
見ると、改めて、この地区がカトリックの集落
であることを感じます。


頭ヶ島天主堂から、いったん有川港に戻り、
今度は、この島を北上しながら教会を巡ります。


上の写真は、住宅街の中にある「青方(あおかた)
教会」ですが、丁度ミサの最中だったので、
終わるのを待ってから内部を見学しました。


青方教会の先の道路の小高くなった辺りから、
世界初の「”海上”石油備蓄基地」が臨めます。

上の写真は小雨に煙って見辛いですが、石油備蓄
基地は、長さ390m・幅97mの備蓄船・5隻で
構成され、国内石油消費量の1週間分を貯蔵して
います。


上の写真は、海岸沿いの石垣の上にある「冷水
(ひやみず)教会」ですが、駐車場がないので、
路肩に車を止めて見学に行きました。



(教会販売の絵葉書から)



上の写真は、小高い丘の上にある「青砂ヶ浦
(あおさがうら)教会」で、ここの出身の鉄川
与助の設計施工によるもので、この辺りの信徒が
総出でレンガを運び上げて造ったそうです。


(青砂ヶ浦教会の説明板の写真から)
 




(教会販売の絵葉書から)

お昼時になったので、島の北部の教会巡りを
一旦終わり、再びスタート地点の有川港に戻ります。


有川港の脇の「五島うどんの里」に車を止めて、
お店に入ります。

写真の1日10セット限定の「湯かけ鯨定食」
(1,200円)を注文します。
「五島うどん」は、島に自生する椿の油と、島の
天然塩を使い、潮風で乾燥させた細く手延べした
こしの強いうどんを使っています。

”原人さん”と二人でうどんを食べていると、
昨日のキリシタン・クルーズで一緒だった
教会写真を撮って回っている岡山の男性と、
偶然、相席になりました。

午後のレンタカーでの教会巡りのために、うどん
を食べながら情報交換します。

うどんを食べ終わり、岡山の男性から得た情報を
もとに、教会巡りをしながら、昨日クルーズ船を
下船した若松港へ向かいます。


上の写真は、海岸沿いの「中ノ浦教会」で、高い
尖塔が特徴のメルヘンチックな教会です。 

満潮時には、穏やかな入江の水面に、優美な教会
の姿を映すことから、別名「水鏡(すいきょう)
の教会」と言われてます。





明るい内部は、島名産の赤い椿の花をモチーフ
にした装飾が特色です。

(教会販売の絵葉書から)

次に、「桐教会」を目指して、狭くて急カーブの
多い山道をどんどん進んで行きます。
しかし、どこまで行ってもなかなか教会に辿り
着きません・・・

ずっと離合出来ない狭い山道が続くので、運転
下手な私は不安になってきました・・・

1日3便しかないフェリーの最終便に乗り
遅れない様にしないと・・・

諦めて、早めに、来た山道を引き返します・・・

狭い山道から、大きな道に戻って、若松大橋へ
向います。


若松大橋の脇に車を止めて、暫くの間、景観を
楽しみます。



途中のガソリンスタンドで給油して、若松港で
レンタカーを乗り捨てます。

昨日、キリシタン・クルーズ船を下船した若松港
から、奈留島経由のフェリーで、福江港まで
約2時間です。(1,680円)









(奈留島港)


福江港に着いてから、福江のメインストリートの
商店街にあるビジネスホテル「エミリー」に
チェックインします。

夕方に、ホテルを出て、”原人さん”と二人で
商店街へ食事に出掛けます。

洒落た感じの居酒屋のカウンターに座って、
五島列島の地元の焼酎を飲みながら、五島の
海の幸や五島牛などを満喫します!

特に、採れたてのイカ、きびなごが美味しかった
です。




(各種刺身、五島牛、焼き鳥などとビール、焼酎の
合計で 5,000円)
コメント (8)

五島列島 (2/4)     (キリシタン・クルーズ) (世界遺産:「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」) 2016.4.23

2016-08-25 08:10:14 | Weblog

(写真は、歌手・五輪真弓の先祖が住んでいた
 という五輪地区の「旧五輪教会」)

「五島列島」に到着した日は、午前中に福江の
市街地を見物し、午後からは、「キリシタン
・クルーズ」に乗船するため、市街地の南端に
ある「福江港」へ向かいます。

乗客は、我々2人の他に、五島列島の教会の写真
を撮って回っているという岡山の男性、京都から
教会巡りに来たという京都の女性の計4人でした。



「キリシタン・クルーズ」(9,800円)は、1時に
福江港を出て、25分で、先ず「久賀島」(ひさか
しま)の「五輪」(ごりん)地区に向います。



久賀島には、395人が住んでいます。

キリシタンクルーズは、「五輪地区」の小さな
船着き場で下船します。

ここ五輪地区は、久賀島の中心部から車で来る
ことが出来ない孤立した地区で、獣道を歩いて
来るしかないそうです。

ここには、信者の方の2世帯が生活しています。

信者の方の苗字は、「五輪(いつわ)」さんです
が、これは明治時代になって苗字が必要になった
際に、ここ「五輪」(ごりん)地区の人々は、
苗字を「五輪(いつわ)」としたそうです。

船着き場から見える、海際に建っている古い木造
の建物が「旧五輪教会」です。
(世界遺産候補、国重要文化財)

「旧五輪教会」は、明治14年に、大村藩
(長崎市)から移住して来た隠れキリシタン
の子孫によって建てられました。

ここにお住まいの信者の五輪さんのご案内で
「旧五輪教会」に入ります。


現在使用されている隣の「五輪教会」の内部は
写真撮影禁止ですが、「旧五輪教会」は、現在
宗教上使用されていないので内部の写真撮影
可能です。


  


明治元年のキリスト教徒弾圧で、この近くの
「牢屋の窄(さこ)」と呼ばれる僅か6坪の
仮牢に、200名近くの信者がギッシリと
収監されました。
座ることも出来ず、人の身体でせり上げられ宙に
浮いたまま眠り、人の谷間に落ちた子供を
引き上げることも出来なかったそうです・・・

疲労と飢えで死者が続出し、入牢8ヶ月で殉教者
42名となりました。

この「牢屋の窄」の中に、歌手の「五輪(いつわ)
真弓」さんの曽祖父もいました。

五輪真弓さんの曽祖父は生き延びたそうです。
そして「牢屋の窄」を乗り越えた信者の方々の
子孫が建てたのが「旧五輪教会」です。


(五輪真弓:NHK紅白から)

次は、久賀島からクルーズ船で45分の「奈留島」
(なるしま)へ向います。

奈留島は、2,800人もの人が住んでいる五島列島
で3番目の大きな島で、県立奈留高校があります。

奈留港で下船して、大型タクシーで「江上天主堂」
へ向かいます。

大型タクシーの中では、「荒井由実」(ユーミン)
の「瞳を閉じて」が流れていました。

♪風がやんだら 沖まで舟を出そう~♪

ラジオの深夜番組「オールナイトニッポン」で、
県立奈留高校の女生徒が、ユーミンに校歌を
作って欲しいと投書しました。

これに応えたユーミンが、”島から出て遠くへ
行った友を思いやる島の人の心”を歌い込んだ曲
「瞳をとじて」をプレゼントしました!


(荒井由実「瞳を閉じて」のジャケット)

奈留港から、一つ山を越えたところに、教会建築
の名棟梁といわれた鉄川与助設計の「江上天主堂」
がありました。
(世界遺産候補、国重要文化財)

大正7年に、50戸あまりの信徒が共同して地引網
で資金をつくり、現教会堂を建てたそうです。

大正期の日本の代表的な木造教会として、
クリーム色の板張りに水色の窓枠が美しい
教会です。
近くに住む信者の方が、施錠中の教会の内部を、
開錠して案内してくれます。(写真撮影禁止)
内部は、三廊式の会堂、こうもり天井、ゴシック
祭壇で、窓ガラスは手描きされた花の絵です。

(教会のパンフレットから)
コウモリが羽を広げた様な「こうもり天井」は、
賛美歌を美しく響かせるための形だそうです。

(教会のパンフレットから)

(教会のパンフレットから)

見学を終えて、タクシーに乗り込もうとすると、
案内の人が、下の写真の”枝のハート”を
指さして教えてくれました。

最近、若い人に人気のパワースポットなの
だそうです。


(ORC航空機内パンフレットから)

クルーズ船で、奈留港から、海からしか見えない
という「キリシタン洞窟」へと向かいます。


豊臣秀吉による禁令、徳川幕府による一層の
過酷な迫害、それに伴い、五島でもキリシタン
弾圧が始まりました。

そして、明治元年、五島のキリシタン探索は
ますます厳しさを加え、キリシタン弾圧の嵐が
吹き荒れました。


弾圧の嵐は、この近くの若松周辺でも起こり、
迫害を受けたキリシタン達が、船でしか行けない
この険しい断崖の洞窟に隠れました。

そして、生活用具や物資を持ち込んで秘かに
暮らしていましたが、朝食を炊く煙を、沖を
通る漁船に見つけられ捕らえられて拷問に
かけられました。

 

現在は、このキリシタン洞窟の前で、年1回
ミサが行なわれているそうです。

(洞窟の前でのミサ:教会販売の絵葉書から)


上の写真は、”針の穴”という意味の
「ハリメンド」です。

穴の形が聖母子像に見えるそうです。

クルーズ船は、若松島の若松港へ到着しました。



ここからは、マイクロバスで、若松大橋を渡り、
今晩の宿である中通島の有川港へ向かいます。


宿の夕食は、写真の様に五島牛に鯨、それに
ここの海の幸で大満足です!
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五島列島 (1/4) (福江城) 2016.4.23

2016-08-24 15:40:45 | Weblog

(写真の赤丸印の内側が「五島列島」)

「離島巡り」の達人”原人”さんに同行して、
「五島列島」へ行って来ました。

日本には約”420”の有人島がありますが、
原人さんは、これまでに”130”の有人島を
踏破しています。

原人さんに同行しての離島巡りは、壱岐島
(長崎県)に続いて2回目です。

五島列島は、古来、大陸交流の中継地だったため、
数多くの遺跡が点在しているので楽しみです。

また、近年、五島列島の教会群の世界遺産推薦が
決定したので、世界遺産に正式決定する前に、
ここのキリシタン教会群を巡っておきたいです。

早朝に、羽田空港から、福岡空港乗り継ぎで、
五島列島へ向かいます。

羽田空港(6:40)→(8:30)福岡空港(8:50)
→(9:20)福江空港

新横浜から始発のリムジンバスに乗り、6:10に
羽田空港に着きました。

6:40発の福岡空港行きに乗る予定ですが、
カウンターが混雑していて、なかなか前へ
進みません・・・
「6:40までの出発の方は優先窓口へご案内
します。」との係員の案内で、優先窓口へ
移って搭乗手続きをします。

手続きが終わったのは6:30過ぎだったので、焦る
気持ちで手荷物検査を受けて搭乗口へ走ります!

搭乗口に着いたのは6:40で、我々が最後の乗客
でした!

羽田を飛び立って暫くすると、右手下に富士山が
見えました!


福岡空港で、福江行きのプロペラ機に乗り換え
ます。

久し振りのプロペラ機です。

離陸すると、飛行機の窓から、真横に、車輪を
格納する様子が見られました!



パンフレットは手作りで、機内は家庭的な雰囲気
です。

(ORC航空の機内パンフレット)


上の写真は福江空港の上空です。


朝9時過ぎには、早くも、五島列島・福江島の
福江空港に到着しました。

「五島列島」は上五島と下五島に分かれますが、
「福江島」は、下五島の中心で、人口3万7千人、
古来、大陸交流の中継地として栄えました。

そして、福江島の中心である「福江」の街は
「福江藩」の城下町です。

「福江藩」は、最少人数の「大名行列」で
有名です。
最大は加賀藩で約4,000人ですが、記録によると、
福江藩の大名行列は、何と!、37人です!


先ず街の中心にある「福江城」(石田城)を
見物に行きます。


「福江城」は、福江藩・五島氏の居城で、築城当時
は海に面する海城でした。

築城の際には、海岸沿いには、上の写真の常夜灯
「常灯鼻」も建てられました。

また、幕末の異国船の来訪に備えるため、城内
には台場(砲台)が設けられました。

実は、福江城は幕末の1863年に築かれた”日本
最後の城”、つまり”日本で一番新しい城”です。
城の完成までに14年もの歳月も要しましたが、
1872年に明治政府により解体されたので、僅か
9年しか存続しませんでした。

現在は、本丸跡に「県立五島高等学校」、北の丸
跡に「五島観光歴史資料館」が建てられています。



上の写真の北の丸跡にあるお城を模して作られた
「五島観光歴史資料館」に入って、島の
歴史・産業に関する資料やビデオ、五島で
行われてきた捕鯨の道具などを見物します。
(230円)(館内撮影禁止)

資料館から、隣の本丸跡の県立五島高等学校の
校門を見に行きます。

上の写真の様に、高等学校の正門は福江城の城門
です。

通りかかった礼儀正しい高校の生徒に聞いてみる
と、五島には高校が3校あり、ここは進学校
なのだそうです。

福江城を出て、福江の街のメインストリート
である商店街へ向かいます。

写真は、何と!、五島のお盆の念仏踊り
「チャンココ」を模した公衆電話です!



ここの商店街は、写真の様に、お洒落で快適な
買い物が出来る商店街なのですが、残念ながら、
ご多分に漏れずシャッター通りと化しつあります・・・


商店街のアーケード通りを抜けたところにある
「武家屋敷通り」へ向かいます。

中級以下の武士が住んでいたという武家屋敷通り
には、城下町の情緒が漂います。

下の写真の石垣は、塀の上に「こぼれ石」と
いわれる丸石を積み重ね、両端は蒲鉾型の石で
止められているのが特徴です。



「こぼれ石」は、外部の侵入を音で知らせたり、
合戦の際には石つぶてとして使用されたそうです。

午前中に、福江の市街地の見物を終わり、午後は、
キリシタン・クルーズに乗船するために福江港へ
向かいます。
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竹生島クルーズ(琵琶湖) 2016.4.21

2016-08-24 01:52:04 | Weblog

(写真は、竹生島の船着場)

前回ご紹介した彦根城の見物は午前中に終わり
ました。
彦根城の立て看板の地図を見ていると、お城の
近くに「竹生島(ちくぶしま)クルーズ」の
船着き場があることが分かりました。

今回は時間に余裕があったので、午後は「竹生島
クルーズ」船に乗ることにしました。

大坂の支店勤務時代に、琵琶湖へは泳ぎに
行ったりしていますが、クルーズ船で沖に
出るのは初めてです。
14:00の船で竹生島に向かいました。
(往復3,500円)




クルーズ船の船内放送によると、周囲約2㎞の
竹生島までは40分で、上陸してから70分後に
帰りの船が出るそうです。

帰りの船は最終便なので、くれぐれも乗り遅れ
ない様に、と何度も放送しています。



竹生島”クルーズ”なので、竹生島に着いたら
観光案内してくれるのかと思っていましたが、
島への送り迎えだけみたいです。

それじゃ~”クルーズ”ではなくて、往復の
定期便に乗るのと同じでは?

土曜日にも拘わらず、船内は気の毒なくらい
ガラガラです。









竹生島に着くと、長浜港、今津港からの
クルーズ船も着き、それぞれからのお客も
降りて来ました。


上の写真は、船着場にある第三高等学校(現京都
大学)の寮歌「琵琶湖周航の歌」の碑です。

船着場の前の数軒の土産屋を素通りして、かなり
急な石段を登って行きます。

石段を登り切ると、本殿の「宝厳寺の弁天堂」が
ありました。
この弁天堂は、江ノ島、厳島と共に、”日本
三弁才天”の一つだそうです。

本尊の御開帳は60年毎で次の御開帳は2037年
です。・・・という事はあと22年先です!

弁天堂の先には、更に石段があり、その先に上の
写真の朱色の「三重塔」がありました。


三重塔からの眺めは素敵です。

三重塔の前には樹齢400年のモチの木があります。

豊臣秀頼の家臣の片桐且元(かつもと)が自ら
植えたそうです。

 
三重塔の前の階段を下りてゆくと、左手に「唐門」
(国宝)がありましたが、何と工事中です!



近年、この唐門が、豊臣氏の大坂城の唯一の建物
遺構ではないか、という説が出て来ていて話題に
なっています。

見たかったのですが残念!

豊臣氏の大坂城は、大坂夏の陣(1615年)で落城
後、徳川幕府が徹底的に破壊して埋め尽くし、
新しい大坂城を築きました。

従って、従来は建物の遺構は無いと言われて
いましたが、この説明が覆るかも知れません。

工事中の「唐門」から入り、同様に工事中の
「観音堂」、「船廊下」を通り抜けて
「都久夫須麻(つくぶすま)神社」へ向かいます。

工事中の「観音堂」(重文)は、西国33観音
霊場の30番札所で、”千手観世音菩薩”が
納められています。


写真の「船廊下」(国宝)は、「唐門」から
「都久夫須麻神社」への”渡り廊下”です。

「船廊下」の天井が船底の形状をしているのは、
豊臣秀吉の御座船・日本丸を利用したため
だそうです。

下の写真の「都久夫須麻(つくぶすま)神社」
(国宝)は、 唐門と同様に、片桐旦元を
普請奉行として伏見城の殿舎を移築したものです。



内部は豪華絢爛な桃山様式だそうですが非公開
です。

「竹生島」(ちくぶしま)の地名の由来は、この
「都久夫須麻(つくぶすま)」神社らしいです。



都久夫須麻神社の前は、上の写真の「龍神拝所」
で、下の岩場に建つ鳥居をめがけて、「厄除け
かわらけ投げ」が出来るようになっています。



 

先程歩いた「船廊下」を支える木組みを見上げ
ながら、船着き場へ向かう石段を下りて行きます。

竹生島をぐるりと一周するかたちで石段を下りて
来て、最初の船着き場に戻って来ました。



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彦根城 (滋賀県米原市)(日本100名城) 2016.4.21

2016-08-23 22:42:24 | Weblog
 
(写真は、彦根城の天守閣)

中山道踏破の際に、彦根城が、宿泊していた
JR彦根駅前のビジネスホテルから、徒歩10分
の位置にあったので、立ち寄ってみました。

彦根城は、琵琶湖の東岸の小高い丘(金亀山
:こんきやま)に建てられた平山城(ひらやま
じろ)です。(別名「金亀城」)

彦根は、琵琶湖の船便が利用出来て、中山道と
北国街道が合流する交通の要所でした。

大阪城の豊臣秀頼に睨みをきかせるため、徳川
家康は、徳川四天王の一人である井伊直政に
彦根に築城を命じました。

大坂の陣に備え築城を急ぐため、彦根城の建物や
石垣は、関ケ原合戦で敗れた石田三成の佐和山城
の他に、大津城や長浜城などから移築しました。

豊臣氏の滅亡のあとに、井伊直政の子の直継が、
更に20年もの歳月をかけて、ようやく彦根城を
完成しました。

その直継による築城は、所謂「天下普請」
(手伝い普請)として、12もの大名に
割り当てがなされました。

以後、譜代大名である井伊氏14代の居城となり、
一度も戦火にさらされる事無く、明治維新まで
現存しました。

そして、明治初期の廃城令で、全国の城が次々と
取り壊されていく中、大隈重信が明治天皇に強く
上奏し、彦根城は奇跡的に破壊を免れました。

そのお蔭で、現在、天守や多聞櫓が国宝に指定
されています。


上の写真は、彦根城のお堀ですが、屋形船による
お堀遊覧もあるらしいです。

それにしても、綺麗で大きくて立派なお堀です!


上の写真は、お堀沿いの「佐和口多聞櫓」
(さわぐち たもんやぐら)です。(入場無料)

(多聞櫓内部)


「佐和口多聞櫓」の横の枡形を抜けると、下の写真
の平屋の「馬屋」があります。(入場無料)

現存する「馬屋」としては最大規模で、その
希少さから重要文化財に指定されています。
なるほど、この様に大きな「馬屋」は初めて
見ました!

下の写真の様に21頭の馬を収容出来る広さです。




「馬屋」の前には、上の写真の「表門橋」(おもて
もんばし)があり、ここが彦根城の玄関口(表門)
です。

この橋を渡ると、左手が天守閣への上り道で、
右手が表御殿の外観を復元したという
「彦根城博物館」です。(撮影禁止)

(彦根城・博物館・玄宮園のセット券:1,000円)

「彦根城博物館」には、井伊家の美術工芸品や
古文書などの展示があり、また館内の中庭には、
大名家の能舞台が復元されています。


(表御殿の外観:博物館のパンフレットから)


(能舞台:博物館のパンフレットから)



表門から、左手の表門参道の緩やかな石段を
上って行くと、やがて下の写真の「廊下橋」が
見えて来ます。



この「廊下橋」を渡らなければ天守閣へは
進めないのですが、戦さのときには、この橋は
切り落とされます。
「廊下橋」を中心にして、左右の両端の2階櫓
は、”荷物を下げた天秤”に見えるので、
「天秤櫓」(てんびんやぐら)と呼ばれています。
「天秤櫓」の手前の石垣は、ほぼ垂直に作られた
「堀切」と呼ばれる石垣です。



(天秤櫓の内部) (天秤櫓の中から見た廊下橋)


上の写真は、「太鼓門櫓」(たいこもんやぐら)
で、本丸へと続く最後の城門です。

「太鼓門」の名称は、ここに太鼓が置かれていた事
に由来するそうです。

ここで、太鼓を打って、登城や緊急事態の合図を
していました。

そして、いよいよ国宝の「天守」です。

下の写真の天守の前の広いスペースが「本丸御殿」
跡で、当時、城主はここを住まいとし、政務を
執り行っていました。


ヒコニャンの立て看板の横に、あと1時間待てば、
ここにヒコニャンが現れると書いてありますが、
まあ~、どうでもいいか・・・

先へ進みましょう。


現在、国宝の城郭は、彦根城以外では、姫路城、
松本城、犬山城、松江城のみです。

天守は「3階3重」、つまり”3階建てで、屋根
は3重”で、変化に富んだ美しい姿です。


屋根の特徴は、上の写真の赤丸印の部分の「破風」
(はふ)にあり、破風の曲線の調和が美しく、
「切妻」破風、「入母屋」破風、「唐」破風の
3種類の破風を巧みに調和させています。

この天守には、何と!、18個もの「破風」が
あり、現存する天守の中では最多です!

また、窓は「花頭窓」(かとうまど)で、最上階
は「高欄」(こうらん)付きの「廻縁」(まわり
えん)を巡らしています。

「花頭窓」とは、お寺でよく見る上部が「梵鐘」の
型の窓ですが、実は「梵鐘」ではなくて「炎」の
形を模したものです。

「火頭窓」と書いていましたが、火災を想起させる
「火」が嫌われて、「花頭窓」と書く様になり
ました。

石垣は、「牛蒡積」(ごぼうずみ)と呼ばれる
自然石を使い、外見は粗雑ですが強固な造りです。

 

奥へ進んで、横から天守を眺めてみると、上の
写真の様に、正面とは異なったふっくらとした
表情に変わります。
以下は天守の内部です。

(井伊直弼大老像)





上の写真は、この穴から弓矢や鉄砲を撃っていた
「狭間」(さま)です。
彦根城の狭間は「隠し狭間」で外からは見えず、
使用するときは、狭間の板を内側から突き破って
使用したそうです。

(鉄砲狭間)
直角に近い急角度の階段を上っていきます。



写真は、武者4人が武器を手に隠れることが
出来たという「武者溜り」です。

先程ご紹介した”赤丸印の「破風」”の屋根裏が
実は「武者溜り」になっています!

天守からは、眼下に琵琶湖を望み、市内が一望
できます。








天守を下りて、下の写真の「西の丸三重櫓」へ
向かいます。


以下の写真は、「西の丸三重櫓」の内部です。






「西の丸三重櫓」から、玄関口(表門)へ戻り、
お城の周囲の長い塀を眺めながら「玄宮園」
(げんきゅうえん)へ向かいます。


「玄宮園」は、井伊家の下屋敷で、回遊式の
大名庭園です。

「玄宮園」の名称は、唐の玄宗皇帝の離宮に
なぞらえて造られた庭園であることに由来
します。



玄宮園の庭から見上げると、彦根城の天守が
見えます。
「玄宮園」の隣りは、幕末の大老・井伊直弼が
生まれた「楽々園」(らくらくえん)で、
枯山水のような庭園です。

彦根城をあとにして、西の方角へ歩いてみると、
下の写真の「夢京橋キャッスルロード」が
ありました。
白壁と黒格子で、彦根城の城下町をイメージした、
土産物屋や食堂街です。
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落語独演会 (金原亭馬治) 2016.4.17

2016-08-22 10:51:08 | Weblog

(写真は、「金原亭馬治」落語会のポスター)

熊本で生まれ育った私ですが、熊本では地震
の経験はなく、東京に出て来て初めて地震を
経験し、東京の地震の多さに驚きました。

そう言う訳で、まさか熊本でこの様な大地震が
起きるとは夢にも思いませんでした。

テレビニュースで、郷土の誇りである熊本城の
無残な姿を見ると悲しくなります・・・

このたびの地震で亡くなられた方々のご冥福を
心からお祈り申し上げます。

また、被災された方々に心よりお見舞い申し
上げます。

まだ余震が続き、先が見えない辛い日々を送られ
ている郷里の皆さまも、一日も早く地震が終息に
向かい、元の生活を取り戻されることを切に
願っています。

この度は、大勢の方から、私の家族の安否を
気遣うメールを頂き、ありがとうございます。

ご心配をおかけしていますが、お陰様で、私の
家族、親戚は全員、これまでのところ怪我も
せずに無事です。


その様な中ではありますが、昨日(4/17)の午後
は、以前から予約をしていた「金原亭馬治
(きんげんていうまじ)」の落語の独演会を聴きに
行って来ました。

既に、ソメイヨシノは葉桜となってしまいました
が、我が家の近所の幼稚園のボタン桜は満開です。


独演会の場所は、横浜から相鉄線に乗り、
和田町駅で下車して10分くらいの閑静な
住宅街の個人のお宅の2階です。

個人のお宅なので定員は20名くらいで、椅子と
座布団の席があり、定時には一杯になりました。

こじんまりしたアットホームな落語会です。

お客さんは、若いカップルもいましたが、
ほとんどは中高年の常連らしき方々が中心です。

「金原亭馬治」は、真打へのスピード昇進を
果たし、今後の活躍が期待される31歳の
若手落語家です。

昨日は「幾代餅」の大熱演を、ドキドキしながら
聴きました!
「幾代餅」は、米屋の奉公人・清蔵が、高嶺の花の
吉原の花魁・幾代太夫に恋をしますが、1年間
一生懸命働き身請けして、餅屋を開業し成功する
話です。

他にも、トンマな倅の与太郎に家の褒め方を
覚えさせようとする「牛ほめ」、「真田小僧」
など、初心者にも分かりやすい語りかけで、
四席をたっぷりと堪能しました!

完全に話に引き込まれてしまい、あっという間の
2時間でした。
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今年のお花見 (目黒川クルーズ) 2016.4.6

2016-08-21 19:43:46 | Weblog

(写真は、目黒川・お花見クルージング)

4/2に熊本城でお花見をして、帰京して4日目、
もう東京でのお花見は諦めていました。

しかし、昨日(4/6)は、朝から快晴で暖かく、
桜も何とか持ち堪えている様です。

そこで、急遽、インターネットで、目黒川お花見
クルーズを申込みました。
当日のお昼のコースは既に満席でしたが、夕方
6:20のコースに僅かに空きがありました。

という訳で、昨日(4/6)、目黒川クルーズの
夜桜見物に行って来ました。

「目黒川お花見クルージング」:料金:3,600円、
 運航時間:70分、出航場所:天王洲(ヤマツ
 ピア桟橋)、運営:ジール


写真のクルーズ船の定員は40人で、お客は、
おば様達のグループが中心ですが、若い
カップルや外国人もチラホラといった感じです。

クルーズ船は、天王洲の船着き場を出港して、
直ぐに、天王洲運河の目黒川水門をくぐります。

水門には、クジラの絵が描かれています。
これは、江戸時代に東京湾にクジラが迷い込んだ
際に、将軍に見せるために、漁師たちが、クジラ
をここまで曳航したことにちなむものだそうです。

水門を抜けると、直ぐに目黒川の河口なので、
ここから目黒川を遡上します。















目黒川は橋が多く、次々に橋の下をくぐりますが、
橋桁は頭スレスレです!


橋の下で、この会社のクルーズ船の姉妹船と
すれ違います。
橋の上の人達がクルーズ船に向かって手を振って
いるので、我々も船上から手を振ります。


下の写真は、目黒川の上にホームがある京急
・新馬場駅のホームです。



目黒川には、新幹線、東海道本線、京浜東北線、
横須賀線、東急、京急などの多くの鉄道の鉄橋が
掛かっています。

下の写真は、荏原神社への参道となる鎮守橋です。



上の赤い欄干の橋は「御成(おなり)橋」で、
江戸時代に、将軍が御殿山へ向かう際に
この橋を渡ったのが、「御成橋」
(”将軍様の御成ぃ~!”)の由来だそうです。

上の写真の中央は、目黒川に掛かる東急池上線の
鉄橋で、その右側がビルの3Fにある五反田駅で、
電車が止まっているのが見えます。

上の写真のビルの屋上の円型はヘリポートです。

上手く撮影出来ませんでしたが、水面は、一面の
花筏(はないかだ)です!
目黒雅叙園が折り返し地点となります。
これから先は、水深が浅く、船底が当たって
進めないそうです。

クルーズのガイドさんの話しだと、目黒川沿いの
桜は、ソメイヨシノ以外にも、八重桜等の種類も
多いので、このクルーズはより長い期間やって
いるのだそうです。


川沿いの桜は、川面の太陽の反射の光を太陽光と
勘違いして、川面へ向かって下へ枝を伸ばして
いくのだそうです。

へ~、そうだったんだ!


桜は川面へ向かって枝を延ばしているので、船上
から手の届きそうなところまで枝垂れています。

川岸のお花見の人々を下から見上げます。
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今年のお花見 (熊本城) 2016.4.1

2016-08-20 23:52:29 | Weblog

(写真は、熊本城のライトアップ)

3/29~4/2の間、所用で実家の熊本へ帰省
しました。
熊本は、ちょうど桜が満開でした。

熊本城は、熊本の市街地の中心に位置するために、
用件で市街地に出掛ける都度、ほとんど熊本城の
前を通ることになります。
という訳で、一昨日(4/1)は、飲み会の後で、
熊本城のライトアップに立ち寄ってみました。



写真の様に、昼間とは別世界の様で、お堀に映る
桜が幻想的で素敵でした。











そして、昨日(4/2)も、買い物の際に、熊本城
の前を通ったので、ついでに立ち寄って、昼間の
お花見もして来ました。




(242メートルもある日本で最長の「長塀」)








もう桜吹雪が始まり、翌日からの強風・雨天の
天気予報を勘案すると、満開のビークでベスト
のお花見日和でした。





大勢のお花見の観光客の間では、韓国語と中国語
が飛び交っていました。





下の写真の城内の食事処・城彩苑は大混雑で、
近くには露店まで出て縁日の様な雰囲気です。






また、昨日(4/2)は、熊本大学の裏手にある
熊本市の小峰墓地へ墓参りにも行きましたが、
こちらの桜も写真の様に満開でした。
 
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阿蘇ファームランド 2016.3.30

2016-08-20 07:23:55 | Weblog


(写真は、阿蘇ファームビレッジ)

前回の天草のイルカウォッチングに続いて、今回
は阿蘇のファームランドへ行ったときの話しです。

3/29~4/2に、熊本へ帰省した際に、親戚と
一緒に「あそぼーい」に乗って、「阿蘇ファーム
ランド」へ1泊で行って来ました。
(1泊2食付:17,064円、ファームランド内の
 施設利用料を含む。)
(「あそぼーい」の詳細については、2013/5の
「JR九州・豊肥線特急「あそぼーい」を見てね。)
JR熊本駅(9:47)→ (あそぼーい)→JR赤水駅
(10:48)→ (タクシー10分)→ 阿蘇ファーム
ランド



「あそぼーい」の車窓からは、満開の菜の花と桜が
満喫出来ます!

最高の季節です!



(「あそぼーい」の車内)
阿蘇ファームランドに到着、駐車場から地下通路
を通って、受付へと向かいます。
残念ながら小雨です。

先ず、ファームランド内にある「元気の森」へ
向かいます。
(入場料は宿泊券に含まれます。)

小雨でも、大部分の施設は屋根があり稼働して
います。

斜面を上がったり下りたり、久し振りに、運動
不足の身体を動かします。


上の写真と下の写真は巨大迷路です。


他にも色々な迷路がありますが、ズルをして途中
から抜けることも可能です・・・

次に「阿蘇健康火山温泉」へ向かいます。
(以下、各種入浴施設の入場料は宿泊券に含まれ
 ます。)

早めに入ったので空いてました。
風呂の数が多いのと、どの風呂場も高級感がある
ので大満足です!
内部は撮影禁止なので、以下、パンフレットを
ご覧ください。

(ファームランドのパンフレットから)

(ファームランドのパンフレットから)

そして、2,000坪の大庭園露天風呂もあり、
こちらも満喫しました。

ミネラル大浴場、鉄釜風呂、ワイン風呂、
アロマ湯、ミネラル湯、ゲルマニウム岩床浴、
薬石蒸気、サウナ等、色々な湯で楽しめます。


(ファームランドのパンフレットから)

また、13種類のスパもあり、ここでは備え付け
の浴衣を着るので、親戚・家族が一緒に楽しめます。

(ファームランドのパンフレットから)

(ファームランドのパンフレットから)

温泉から出て、夕食会場へ向かいます。

夕食は、洋食、和食、中華から選択出来ます。
洋食を選択しましたが、分厚い肥後牛のステーキ
がメインで満足でした。

夕食を済ませ、今晩の宿のドーム型ホテル「阿蘇
ファームビレッジ」 へと向かいます。
阿蘇の緩やかな山脈を背景に、ずらりと並ぶ円形
ドーム型のコテージは、広大で圧巻です!
遠いコテージは歩くと10分も掛かりますが、
ビレッジのエリア内は、循環バスが周回して
います。

ビレッジは、いくつかの「区画」に分かれています
が、特に、高価な「ロイヤルゾーン」は、コテージ
毎に門や庭、それに露天風呂まで付いています!

このエリアは、中国や韓国のツアー客が中心の
感じです・・・
コテージの天井には、明り取り用の丸い天窓が
付いています。   

開業当時は、ここから星が見えると話題になった
そうです。
非日常的な雰囲気で、なかなか良いです。



翌朝、コテージを出て、朝食を済ませ、ファーム
ランド内にある前頁の写真の「いちご狩り」に
向かいます。
園内なのに、広大なイチゴ園で驚きです!
そのまま目線の位置で、大きくて甘いイチゴが
食べられて、大満足です!
「いちご狩り」を満喫したあと、ファームランド
内の「ふれあい動物王国」、「おもしろ水族館」、
「手づくり体験館」等の施設を回りますが、施設の
数が多すぎて回りきれません。

ここでは、動物に手で触れたり、餌やりしたり
という体験が出来ます。
帰路も「あそぼーい」に乗って、熊本市内の実家
へ戻りました。

阿蘇ファームランド→ (タクシー10分)→
JR赤水駅(16:03)→ (あそぼーい)→
JR熊本駅(17:14)

熊本地震でファームランドがどうなったのか心配
なので、インターネットでファームランドの
ホームページを確認すると、来月(8月)から
営業再開とあります。

良かった!

そして、何と!、ドーム型のホテルは、今回の
熊本地震でも無傷だったそうで、今後の防災対策
としても全国から注目を集めているそうです。

ここは、施設が多くて飽きないし安全なので、
夏休み等に、子供達を1~2日遊ばせるには、
最適の施設だと思いますよ。

復興支援のためにも、雄大な自然に抱かれた阿蘇
のファームランドを再び訪れようと思います。

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イルカウォッチング (熊本・天草) 2016.3.30

2016-08-20 01:14:51 | Weblog

(写真は、天草の「イルカウォッチング」) 

熊本地震の余震は、回数は減ったものの依然
として続いており、おまけに集中豪雨の
追い打ちで気が滅入ります。

熊本地震発生直前の3/29~4/2に、熊本に帰省
して、天草と阿蘇に遊びに出掛けていました。

帰京した直後に熊本地震が発生し、そのショック
で、天草のイルカウォッチングと阿蘇の高原の
写真に手を付ける気がせずに放置したままでした。

しかし、同じ熊本市内でも、実家の我が家の周辺
は比較的に被災の度合が少なく、気分的にも少し
落ち着いたので、ようやく天草と阿蘇の写真と
記録を整理しました。

「A列車で行こう」に乗って、天草・松島の
「イルカウォッチング」へ向かいます。
松島の「イルカウォッチング」は2回目です。

(「A列車で行こう」の詳細については、2014/2
の「JR九州三角線「A列車で行こう」を見てね。)


特急列車「A列車で行こう」は、JR熊本駅を出発
して、 鹿児島本線経由で、三角(みすみ)線の
終点・三角駅を結びます。


JR熊本駅(10:36)→ (A列車で行こう)→
JR三角駅(11:14)- 三角港(11:24)→
(シークルーズ)→ 松島港(11:41)


熊本駅の改札口で、コロッケの旅番組の撮影風景
に遭遇しました。(上の写真)


熊本駅から三角までA列車で40分と短いので、
発車したら直ぐにバーで、梅をアレンジした
ハイボールを注文します。

三角線の線路の両脇は、菜の花が満開です!

JR三角駅の前にある三角港から、「イルカ
ウォッチング」の松島港までフェリーで
約20分です。(450円)


11:40に松島港に着きましたが、次の「イルカ
ウォッチング」は、1:00出港だったので昼食に
します。



「イルカウォッチング」の桟橋の前に、お洒落な
レストラン「リゾラテラス天草」が新たに
オープンしていました。

ガラス張りのレストランの前は、仙台の松島を
想わせる素敵な風景です。


食事をして一服したところで、イルカ
ウォッチング・2時間コースの出発です!

イルカウォッチングのパンフレットによると、
天草には、約300頭の野生のバンドウイルカ
が生息しており、この「イルカウォッチング」
でのイルカとの遭遇率は、何と!
98%だそうです。

松島港から40分ぐらいのところで、イルカの
群に遭遇しました。



ざっと数えて30頭くらいでしょうか、一度に
多数のイルカの群れが見られて感激です!

船と並んで泳いだり、目の前でジャンプしたりと、
野生なのに、なかなかお茶目で人馴れした感じの
イルカたちです。



日本で、野生のイルカを間近かに見られるなんて
感激ですよ!
帰りは、松島港から、直行バスで熊本市内へ
戻りました。




松島港(15:20)→ (産交バス・快速) → 
熊本交通センター(17:01)
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渋谷・山種美術館 (伊藤若冲展) 2016.2.25

2016-08-16 21:37:54 | Weblog

(伊藤若冲の「群鶏図」:山種美術館のパンプ
 レットから)

今年は、近年人気を集めている江戸時代の絵師・
伊藤若冲(じゃくちゅう)の生誕300年に
当たります。

その幕開けとして、渋谷区・山種美術館では、
現在、「ゆかいな若冲・めでたい大観 
HAPPYな日本美術展」を開催中です。

若冲ファンの私は、早速、都心に出掛けた
ついでに、JR恵比寿駅から徒歩10分の
「山種美術館」へ立ち寄りました。
(1,200円:月曜休館:3月6日まで)

山種美術館は、御存じの様に、山種証券
(現・SMBCフレンド証券)の創業者が収集
した美術品を展示している美術館です。

JR恵比寿駅で下りて、駒沢通り出ます。

渋谷川を越え、その斜め前の歩道橋を渡って、
駒沢通りに沿って、渋谷方面に向かって
緩やかな坂道を上って行きます。
 
 

JR恵比寿駅から徒歩10分で、右手に「山種
美術館」が見えて来ます。



中へ入ると、”めでたさ・幸福感”をテーマに、
若冲、歌川国芳、横山大観などの作品が並びます。

若冲の水墨画11点が展示されていますが、極彩色
の鶏の絵を期待していた私は、少しがっかり
しました。

やはり、若冲の主作品は、京都に行かないと
見られないのでしょうか・・・

伊藤若冲は、京都の裕福な青物問屋に生まれ
ましたが、40才で家督を弟に譲り、隠居して
創作活動に専念しました。

緻密な写生に基づく色鮮やかな作品や、対象を
単純化し肩の力を抜いて描いた様な水墨画など、
江戸時代にあって、極めて個性的な作風です。




(山種美術館のパンプレットから)
上の写真の「群鶏図」は、80才ころの作品で、
時を告げたり、辺りを見回したりする雄鶏の
多様な様子を、勢いのある筆遣いで描いています。


(山種美術館のパンプレットから)
上の写真の「河豚(ふぐ)と蛙の相撲図」は、
がっぷりと組み合ったフグとカエルという
異色の組み合わせをユーモラスに描いています。

館内のカフェ「カフェ椿」では、毎回、企画展の
展示作品に合わせて、青山の老舗「菊家」に特注
した和菓子が提供され、最近話題になっています。


展覧会ごとに出品作品に描かれた花や果物、動物
などのモチーフを選び特別にオーダーした
「Cafe 椿」オリジナルのものです。

私も、若冲が軽妙なタッチで描いた「布袋
(ほてい)」をテーマにして、布袋様が持つ
大きな袋をイメージした下の写真の「招福」
(栗あん)を注文します。
(抹茶セット:1,100円)



白あんの中に、栗の粒々が入っていて、上品な
甘さです!

お土産コーナーで、下の写真のチケットケース・
歌川国芳「猫飼好五十三疋」(みょうかいこう 
ごじゅうさんびき)を買いました。



これは、御存じの様に、浮世絵師・国芳が、
東海道五十三次の宿場名を、猫に関した
ダジャレに置き換えた戯画です。

例えば、上の写真の右上端の「日本橋」は、
”二本だし”で、鰹節2本を食べる猫を
描いています。
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