ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

壱岐島(博多港と対馬の中間点の島) 1日目 2015.9.7

2015-09-25 08:26:22 | Weblog

(写真は、”幻の赤ウニ”)

今月、帰省のため熊本へ向かった際に、福岡空港
に寄り道して、博多港から壱岐島を訪れて来ました。
(阿蘇山噴火のために、帰省の復路も福岡空港を
経緯する結果になりましたが・・・
壱岐島へは、元職場の先輩である船橋在住の
”原人”さんに同行しました。
原人さんは「離島巡り」の達人です。
日本には約”420”の有人島がありますが、
原人さんは、これまでに”120”を踏破して
います。
壱岐島は、大陸からの文化の通り道だったため、
数多くの遺跡が点在しています。
また、自給自足の食物も豊富で、観光には最適の島です。
博多港(福岡国際港)から壱岐島までは67キロ、
ジェットホイールで1時間余りです。
対馬行きのジェットホイールが、途中で壱岐島に寄港します。
港内には、写真の様な巨大な外国籍の観光船が
停泊しています。

乗船名簿を記入して、写真のジェットホイールに
乗り込むと、博多港を10:45に出港します。

港を出ると、船は、時々激しく揺れます。
ジェットホイールは、3メートルの高波までは
吸収して走行するとのことなので、時々、波が
3メートルを超えているのかも知れません。

すれ違う貨物船は、潜ろうとする潜水艦の様に、
船を超える波を被っています!

途中、上の写真の灯台のある烏帽子島が見え
ました。
小雨の中、定時に壱岐島に到着しましたが、強風
を避けるため、接岸は予定の芦辺港ではなく、
島の反対側の郷ノ浦港になりました。

しかも、対馬行きのこの船は、高波のため、ここ
郷ノ浦港で航行が打ち切りになりました。
対馬に行く予定だった観光客が、慌てて今晩の
壱岐島の旅館の手配をしています・・・
我々は、先ず、港のターミナルビルの2階にある食堂で昼食です。
楽しみにしていた「壱岐牛」のセットを注文
します。
(2,060円)

写真の様に、牛刺し、ステーキ、牛煮込みの
セットです。
今日の予定は、レンタサイクルで島内観光なので、
同じ客船ターミナル内の観光事務所に自転車を
借りに行きます。
しかし、何と!、自転車が1台もありません?・・・ 何故・・・?
修学旅行の団体が前日から予約を入れており、
島中のレンタサイクルを借り切っているとの
こと! そんな・・・
仕方なく、取り敢えず、到着した郷ノ浦港の周り
をぶらぶらと散策します。

上の写真は、壱岐島のシンボルである「鬼凧」
(おんだこ)と呼ばれる飾り用の凧です。
島の伝説によると、島には悪鬼がいて、悪さをしていました。
それを、ある若武者が退治して首をはねましたが、
その首が若武者の頭にかぶりつきました。
鬼の頭が、その若武者の頭にかぶりついている
ところを描いた、非常に珍しい構図の凧です。



郷ノ浦の繁華街を、ぶらぶらと散策しますが、
狭い街なので、直ぐに歩き終わってしまい
ました・・・
地図を見ると、今晩の宿の国民宿舎まで、10キロ
もあります。
仕方なく、タクシーで宿へ向います。
途中、タクシーの運転手さんに案内してもらい、
壱岐の国一の宮「天手長男(あまてながお)
神社」に立ち寄ります。



一の宮を参拝してから宿へ向かいます。
国民宿舎「壱岐島荘」に着くと、宿の電動式
レンタサイクルが3台ありました!
早速借りて、宿の周辺をサイクリングします。



4時頃、国民宿舎に戻り、ゆっくりと温泉に入り
ます。
温泉は、茶色のナトリウム塩化温泉で、塩っぽい
味がします。
部屋に戻ると、部屋からの風景は写真の様に絶景です!





国民宿舎の夕食は、写真の壱岐牛、刺身、焼き魚です。

食堂の入り口のポスターの”幻の赤ウニ”に
つられて、赤ウニ(2,160円)と壱岐の焼酎も
別に注文しました。

「ばふんウニ」や「紫ウニ」が一般的で、
「赤ウニ」は稀商品です。


(国民宿舎:2食付き 9,000円)
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熊本・三池炭鉱・万田坑 (世界遺産)2015.9.15

2015-09-20 14:38:42 | Weblog

(写真は、熊本・荒尾市の世界遺産「三池炭鉱・
 万田坑 」 )

今月(9月)7~15日、所用で実家の熊本へ帰省しました。
15日の帰京日は、阿蘇山噴火のため、熊本から
羽田へ向かう便が欠航になってしまいました。
仕方なく、JRで熊本から福岡へ向い、福岡空港
から羽田へ帰って来ました。

そのJRで熊本から福岡へ向かう際、荒尾駅で
途中下車して、世界遺産に立ち寄ってみました。
世界文化遺産(明治日本の産業革命遺産)に登録
されたばかりの熊本県・荒尾市の「三池炭鉱・
万田坑」です。
  JR熊本駅(7:29)→(鹿児島本線)
  → JR荒尾駅(8:15)

JR荒尾駅前からバスで10分の「万田坑」へ
向かいます。
「万田坑」に着くと、世界遺産のノボリ旗が
はためき、大型観光バスも来ていて、平日にも
拘わらず、大勢の観光客で賑わっていました。(月曜休館日:400円)

万田坑は、明治35年から昭和26年まで稼働した
炭鉱で、明治期に造られた炭鉱施設の中では、
国内最大規模のものでした。

また、映画「るろうに剣心 京都大火編」での
ロケ地でもあるそうです。
ここで、何と!、テレビ番組の録画に遭遇し、
インタビューを受けました。

(もっとも、九州のテレビ局だったので、私が
 写った部分が放映 されたか、カットされたか
 は確認出来ませんでしたが・・・

下の写真の坑内を案内してくれるガイドさんは、
元炭坑夫だった人達なので、説明はとても詳しい
です。

説明しながら昔の事を思い出すのでしょう、
ガイドさんの思いが強すぎて、話が長引き、
脱線しがちですが、臨場感と迫力があって
楽しいです。

万田坑の全体的な印象としては、群馬の富岡製紙
工場に比べると、同じ明治の産業遺産とは言い
ながら、こちらは廃墟に近く、荒れ果てています。
更に欲を言えば、距離は短くとも、坑内に入れる
炭坑体験が出来れば、観光地としての魅力が増す
と思うのですが・・・

上の写真は、「坑口」にあった高さ19メートル
の「立坑」の「鉄塔」です。
地下の坑道への入口が「坑口」で、垂直に下がる
「立坑」と、斜めに下がる「斜坑」がありました。
立坑の「鉄塔」は、滑車にロープを引っ掛けて、
炭鉱夫や資材を乗せた「ケージ」を吊り下げる
機能を果していました。

次の写真は、「鉄塔」の真下にある「立坑」の
「坑口」跡です。

”立坑への入り口”である「坑口」は、石炭の
運び出し、炭鉱夫の昇降の他、坑内の排水、
換気を担っていました。





かっては、深さ264メートルもあった「立坑」
は、現在は、土を投入して塞がれていますが、
当時の周辺設備は残っているので、操業当時の
雰囲気が伝わってきます。

上の写真は、炭鉱夫を乗せるための「ケージ」
ですが、2台のケージが、つるべ式の井戸の
様に、片方が地上にあるときは、もう片方は
坑底にある、という仕組みでした。
「ケージ」は、25人乗りで、1分間で昇降して
いたそうです!

立坑の脇にある、上の写真の信号所施設は、未だ
稼動しているかの様な錯覚を覚えます。
この施設で、隣の建物でケージの巻き上げを
操作する運転手と、ベル・電話で連絡を取り
あっていたそうです。

「立坑の坑口跡」の隣の上の写真のレンガ造りの
建物の中に、ケージの「巻上機」室があります。
ヘルメットを被って、説明を聞きながら、狭い
階段を上ってゆきます。
下の写真は、炭鉱夫用の昇降「ケージ」を上下
させるワイヤー式の巻上機とその運転台です。



直径4メートルのドラム(巻銅)には、「ケージ」
を上下させるための長いロープが巻き付けられて
います。

(炭車)

上の写真は、JRに乗り入れるための炭坑鉄道のトンネル跡です。
この炭坑鉄道は、更に、石炭を積みだす三池港、
石炭を原料とする化学工場、そして何と!、
炭鉱夫の社宅とも直結していました。


そして、この炭坑鉄道の一部の線路は、今もなお使用されています。
「世界遺産・三池炭鉱」は、「万田坑」と「専用
鉄道跡」、更に「宮原坑」、「三池港」の4つの
施設で構成されています。

上の写真の「安全灯室」および「浴室」の建物もまたレンガ造りです。

上の写真は「浴室跡」の内部ですが、予想外に
狭い浴槽です。


上の写真は「事務所棟」です。

また、構内には、上の写真の炭鉱の神様である
山の神を祀った「山神社」も残されています。

上の写真は、万田坑の入口にある「万田坑
ステーション」で、万田坑に関する歴史や
施設の概要などが展示されています。


また、ステーションのお土産品コーナーには、
石炭にちなんだ”黒いお菓子”を売って
いました。

私は、上の写真の石炭あられ等の詰め合わせ
「万田坑セット」(900円)を買いました。
写真右下のマドレーヌケーキは、竹炭が入って
いるので、茶色ではなく黒色です。
どのお菓子も丁寧に作られている感じで
美味しかったので、お土産にお薦めです。

万田坑を出て、鹿児島本線でJR荒尾駅から博多駅
に着き、そこから地下鉄で5分の福岡空港へ
向かいます。

福岡空港の中で、写真の福岡名物「博多もつ鍋
セット」(1,250円)を食べてから羽田空港へ
向かいました。

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「石の町:大谷」散策 (その2)(大谷観音、西根集落、松が峰教会)2015.8.25

2015-09-15 17:02:01 | Weblog

(写真は、大谷石造りの「松が峰教会」)
「大谷資料館」での大谷石の採掘跡見学を
終わって、来た道を資料館入口バス停まで
歩いて戻ります。
この辺りは、田園風景の中に、特異な形状の山や
奇岩が連なる独特の景観です。
バス停の前は、次頁の写真の様に、切り立った
岩肌の「大谷景観公園」です。
「名勝・大谷の奇岩群:御止山(おとめやま)」
との説明碑が建っています。(国指定名勝)
この辺りの山々は、石の品質が良い山と悪い山に
分かれており、品質の悪い山は、この様に採掘
されずに放置されているそうです。



この奇岩群を通り抜け、細い道を2分くらい歩く
と、天台宗「大谷寺」の朱色の門が見えて来ます。(300円)

門をくぐり中へ入ると、風雨に侵食されて
えぐられた巨大な凝灰石の岩壁に、食い込む
ように建てられた下の写真の本堂がありました。

迫力があります!
本堂の中には、高さ約4メートルの弘法大師の
作と伝えられる日本最古の磨崖仏(大谷観音)
があります。
(国特別史跡、重要文化財)

本尊の千手観音像は岩肌に刻まれていますが、
本堂の中は、撮影禁止なので、入口にあった
看板の下の写真でご覧下さい。

1,200年前の完成時には、金箔が施されて黄金の
輝きを放っていたそうですが、現在は、風雨に
さらされ周囲の凝灰石と同様の色になって
いましたが、間近に見るその大きさには圧倒
されました。

千手観音以外にも、釈迦三尊像、薬師三尊像、
阿弥陀三尊像の9体の石仏が、壁面に、大小
並んで彫刻されていて、壮観です。
ここは、天皇陛下もご覧になられた様です。

本堂を出ると、次は宝物殿で、昭和40年に、
ここの防災工事中に出土したという11,000年
も前の「縄文最古の人骨」の実物が展示され
ています。

こちらも撮影禁止なので、入口にあった看板の
写真でご覧下さい。

宝物殿を出ると、小さな弁天池に弁天様、そこに
2匹のセメント製の白蛇の置物がありました。

蛇の頭をなでるとご利益があるそうです。

大谷寺を出ると、門前の道を挟んだ先に、大谷石
の採掘場跡があり、その奥の切り通しの壁を
抜けると、全長27メートルの巨大な「平和
観音像」が建っていました。

第二次大戦の戦没者慰霊のため、昭和26年に建立
されたものだそうです。
観音像の横から階段が伸びていて、観音様の
ちょうど胸の辺りまで歩いて上ることが
できます。

間近で、拝顔します。


平和観音の近くに、次頁の写真の「天狗の投石」
という奇岩がありました。

天狗が向かいの山から投げた石が、この岩の上に
止っているというものらしいです。


平和観音像から北へ5キロ、道の駅「ろまん
ちっく村」近くの「徳次郎(とくじら)町」の
「西根の町並み」を見に行きます。

西根集落は、旧日光街道近くにあり、大谷石で
建てられた家が最も固まって存在する地区です。

大谷石は、柔らかい多孔質の凝灰岩の一種で、
「ミソ」と呼ばれる茶褐色の斑点があるのが
特徴です。
そして、ここで産出された「徳次郎石」は、この
「ミソ」がほとんど無く、また上質で均質、細工
に適しているため、彫刻や石瓦などに重宝されて
いるそうです。

また、大谷石は、現在では、その耐火性・蓄熱性
の高さから、パン窯やピザ窯などの構造材として
も用いられているそうです。

また、西根集落では、火災が多発生したので、
防火性の高い大谷石造りの建物が普及し、石蔵
と石塀が連続する町並みが出来上がりました。

石造りは、土蔵や納屋が中心ですが、主屋が
石造りになっている家もあります。


石塀や石造りの小屋に、ナマコ壁の様に、漆喰が
厚く盛られた建物もあります。




中には、屋根が石瓦の珍しいものも残っています。

西根集落から、宇都宮市の中心部に戻り、松が峰
教会へ向かいます。

「松が峰教会」は、宇都宮市の中心部に位置し、
東武宇都宮駅から徒歩3分で、大谷石造りの
聖堂が目印です。

大谷石を使った建築としては、現在、最大級と
言われるロマネスク・リヴァイヴァル建築で、
国有形文化財です。



ステンドグラスの窓がオシャレです。

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「石の町:大谷」散策 (その1)   (栃木県・大谷資料館) 2015.8.25

2015-09-04 09:09:29 | Weblog

(写真は、地下の採掘場跡)

栃木県・宇都宮市の郊外に、大谷石の採掘跡を
見学することができる「大谷資料館」(700円)
があります。

関東ではよく知られた有名な観光スポットらしい
ですが、九州人の私には馴染みのない未知の
スポットです。
そもそも、九州人には、栃木県と群馬県の区別が
良く分かりません?・・・
これは、関東の人が佐賀県や島根県の場所がよく
分からない?、のと同じだと思いますが・・・

いきなり脱線してしまったので、話を元に戻し
ます。

「大谷(おおや)資料館」は、”栃木県”の
JR宇都宮駅から、大谷・立岩行きバスで30分、
資料館入口で下車して、徒歩5分です。
(栃木県宇都宮市大谷町)
バスを下りると景観が一変します。

資料館に入ると、すぐに資料展示室があり、大谷
石採掘に関する歴史、採掘道具等、江戸時代中期
から昭和中期までの移り変わりを展示してます。










地下採掘場跡への滑りやすい石造りの階段を
下りてゆくと、眼下に、幻想的で巨大な地下神殿
が出現します!


石を切り出して残った部分が、まるで地下神殿の柱の様に見えます!

更に、壁に掛けられた照明が、幻想的な雰囲気を醸し出しています。
まるで地下探検の世界へ入っていく感じで
ワクワクします!
開けた場所に下りて来ました。

ここは、2万平方メートルにも及ぶ大空間で、
東京ドーム1個分の広さだそうです!
深さは30m(最も深い所は60m)、気温は年間
を通じてほぼ8度で安定しているそうです。
猛暑の時期の観光スポットとしてお薦めですよ!
ヒンヤリとかなり冷え込むので、夏でも防寒対策が必要です。
1個の石を切り出すためには、4,000回も
ツルハシを振るう必要があるそうです!
そして、大正8年から昭和61年までの70年で、
切り出された石は、何と!、1,000万本だ
そうです。
また、戦争中は、地下の秘密工場として利用
されたそうです。

(映画「るろうに剣心・京都大火編」の撮影現場)

(手掘りの跡が残る壁)

(高い天井)


(切り出された大谷石)

次の写真は、大谷石のモニュメントですが、写真
の様に、山肌の天井から地上の光を取り込んで
います。



写真は、採掘の跡の付いた壁ですが、赤色の照明
で幻想的な感じです。
機械掘りの跡の縦の溝が、綺麗にそのまま残っています。
こちらはエメラルドの照明の壁です。

上の写真の様に、華道家・假屋崎省吾の花アート
がライトアップされていました。
また、ここは元AKBの板野友美などが 撮影を
行った場所でもあるそうです。

上の写真は、大手企業のレセプション等にも使用されてる舞台です。

プロモ-ションビデオ、映画等がここで撮影
された際の様子の写真が、壁一面にズラリと
並べられています。

壁の説明板によると、この舞台で、GLAY、
X JAPAN、B’z 、エンヤ、どぶろっく等の
ミュージックビデオ撮影が行われたそうです。
また、るろうに剣心・京都大火編、金田一少年の
事件簿等の数多くの映画やドラマ撮影にも利用
されたそうです。

次の写真は、撮影用の機材、舞台装置などを、
車で搬入するための広い坂道です。



上の写真の壁について、下記の説明板があり
ました。
「石の華:この壁面の上部に付着している白い結晶
は、大谷石に含まれる塩分が、冬場の乾燥した
時期に噴き出るもので、夏場の湿った壁面では
消滅する不思議な現象です。」
そうか~、太古の時代、ここは海だったんだ!
確かに、うっすらとした白い粉みたいのが付いて
いて、足元にもその白い塊が落ちています。
下の写真は、コンサート会場としても利用されるという石舞台です。

この石舞台に、トラックを横づけにして大谷石を
運び出したため、舞台の高さは、トラックの荷台
の高さに合わせたのだそうです。
大谷資料館を外に出ると、すぐ左手に 大谷
ミュージアムがありました。
館内には、ここで採掘された大谷石で造られた
という、下の写真の旧帝国ホテルのレリーフが
展示されていました。


大谷石は、凝灰岩の一種で、柔らかく多孔質で
加工しやすいそうです。

資料館の前に、当時、これで大谷石を運んでいた
という錆びた古いトラックが残っていました。

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群馬県・中之条町(林昌寺、歴史と民族の博物館) 2015.8.14

2015-09-03 06:27:46 | Weblog

(写真は、「中之条町歴史民俗資料館」)

四万温泉の二日目は、終日雨の天気予報だった
ので、奥四万湖などを巡る予定をキャンセル
して、帰路の乗換え駅の中之条の町中で終日
過ごすことにしました。

四万温泉発のバスの終点である、上の写真の
中之条駅に到着すると、駅構内に観光案内
コーナーがあり、ボランティアのオジサンが
退屈そうに座っていました。

中之条町の見どころについて尋ねると、嬉しそう
に、色々と説明してくれて、散策用の地図を
くれました。

貰った地図に従って、先ず林昌寺を目指します。


「林昌寺」は、中之条駅から徒歩約10分です。



立派な構えの山門の真っ赤な迫力のある仁王像
です。

林昌寺は、戦国時代に真田幸隆の弟・矢沢薩摩守
頼綱によって再建され、以後、真田家の庇護・
寄進を受けてきました。

境内の鐘楼の近くの16メートルもの高さの枝垂れ
桜は見事です!

本堂の屋根の家紋は、真田家の「六連銭」です!

境内には、六地蔵など、沢山の石仏・石碑が建てられています。



また、林昌寺は小渕敬三元首相の菩提寺でもあるそうです。

林昌寺を出て、緩やかな坂を暫く上って行くと、
右手に「中之条町歴史民俗資料館(ミュゼ)」
があります。

この建物は、明治18年に開校した「旧吾妻第三
小学校校舎」で、明治の洋風小学校建築です。
その後、女子尋常高等小学校を経て、昭和53年
まで町役場として使用されてきました。
(県重要文化財)
中之条町を中心とした原始・古代から中世・近世
・近代・現代までの歴史・民族資料約6,000点が、
当時の木造校舎を活用して展示されています。
町の歴史資料館なので、何か少しだけ展示して
あるのかな、と余り期待してませんでしたが、
中に入って展示物が豊富なのに驚きます!
町の博物館とは思えぬ展示品の内容で、音声
ガイド(100円)も充実しており立派です!
戦災にもあわなったそうですが、それにしても、
古代から近現代まで丹念に集められた資料は
秀逸です。
数々の資料に加え、写真パネルや解説文が当時の
様子をわかりやすく伝えています。
但し、残念ながら、開校当時の教室以外は撮影
禁止です。
有名な「ハート型土偶」のレプリカも展示されて
いましたが(本物は東京国立博物館所蔵)、
これは、JR吾妻線の郷原駅の建設工事中に発見
されたそうです。

(ハート型土偶:資料館パンプレットから)
展示物の中では、特に、沼田・真田氏の藩政を
中心とした幕末までの「近世資料」が面白く、
真田氏関係の書状、肖像画、武具、甲冑、軍旗
など、興味深く見学しました。

また、真田忍者の武具なども面白いです。

(真田氏関係の展示コーナー:資料館パンプレットから)

説明によると、1580年、利根・吾妻郡を支配した
真田昌幸は、武田・北条の滅亡後も両郡を領有し、
沼田藩・真田氏の基礎を固めました。

五代続いた真田氏は、中之条・原町・伊勢町など
の町割を完成させ、市場町として栄えさせた
そうです。

真田氏関連以外にも、武田勝頼・上杉謙信・
北条氏政などが上州の武将に送った書状も
展示されていました。

明治、大正、昭和の資料室には、開校当時の教室
が、机やイスもそのままに残されています。



・アクセス:中之条駅からバス5分 木曜休館 (200円)
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