ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

谷中界隈 散策 2015.3.4

2015-03-30 12:37:59 | Weblog

(写真は「羽二重団子」)

このところ、だんだんと暖かくなってきました。
先日、この陽気に誘われて、谷中界隈の散策に
出掛けて来ました。
横浜から京浜東北線に乗って、日暮里駅の北口を出ます。

駅の前の緩やかな御殿坂を少し上がった右手に、
下の写真の「本行寺」があります。


本行寺は、江戸時代には、観月の地として有名
だったので、別名、”月見寺”とも呼ばれ、
俳人が多く訪れました。



お寺の門には、彰義隊が敗走する際に、ヤケクソ
で、槍で穴をあけたという跡が残っています。
境内には、太田道灌が築いた斥候台の跡も残って
おり、また小林一茶や種田山頭火の句碑なども
あります。






本堂の裏の墓地には、下の写真の外国奉行・永井
玄番守の墓があり、説明版が建っています。
それによると、永井は、長崎海軍伝習所で勝海舟
などを教えましたが、幕末には、最後の戦いまで
幕府軍に忠誠を尽くしました。


本行寺の前の道路を挟んで「谷中霊園」があり
ます。
その谷中霊園を奥へ進んでゆくと、写真の
「天王寺」があります。









天王寺は、江戸時代には「江戸の三富」の一つで、
湯島天神、目黒不動と共に「富くじ」を売って
いました。
幕末の上野戦争で大半が焼失し、現在は寺の敷地
の多くが谷中霊園になっています。

天王寺の境内には、上の写真の沙羅双樹の木が
あります。
天王寺の境内を出ると、谷中霊園の桜並木です。



「谷中霊園」には、歴史上の人物、俳優など、多数
の有名人が眠っています。
公園管理事務所の前に徳川慶喜の墓の矢印が出て
いますので、その矢印に沿って、苦労しながら
進むと、下の写真の「徳川慶喜の墓」があり
ました。

墓は鉄柵に守られ中に入る事は出来ません。

慶喜は、明治35年に公爵を授与されたのち、
大正2年に亡くなり、葬儀は神式で行われ
ました。
上の写真は、墓所の中央が慶喜の墓で、右が
妻・美賀子の墓です。

(慶喜の墓)
墓は円墳の様な形をしていますが、これは、一般
皇族と同じ神式の土葬の墓です。
谷中霊園のこの辺りは寛永寺の管轄ですが、神教
だった慶喜が、寛永寺からこの墓地を買い取って
神式の墓を造ったため、寛永寺の管轄から外れて
しまったそうです!
そして、何と!、
慶喜の墓の後ろには、2人の側室の墓も仲良く
並んでいます・・・
もっとも、側室の墓は、慶喜の妻が亡くなった
あとに造られたらしいですが・・・



上の写真は、慶喜の墓の前のタイルの歩道ですが、
硬貨が埋め込まれています。
これは、この墓を造った職人が、縁起を担いで、
歩道のタイルに硬貨を埋め込んだのだそうです!
私が慶喜の墓を見学している間に、二組の外国人
がガイドブックを片手に慶喜の墓を見学に来ました。
”ラストエンペラー”の墓として外国人にも人気があるらしいです!
しかし、私ですら、この墓にたどり着くのに苦労
したのに、この墓まで迷わずにたどり着く彼らは凄い!

なお、谷中霊園の慶喜以外の墓については、
歴史上の人物、俳優など、有名人が多く話が
長くなりますので、別の機会にご紹介する
ことにします。

天王寺の脇の芋坂を下りてゆき、山手線を跨ぐ
歩道橋を渡ると、1819年創業の「羽二重団子」
(はぶたえだんご)があります。

夏目漱石、田山花袋、司馬遼太郎などの小説
にも登場する有名なお店です。



写真の羽二重団子と抹茶セット(702円)で、
一休みします。
店で作られるのは、米の粉を挽いて丸く固め、
串に刺して焼いた素朴な団子です。
上の写真の様に、創業当初と同じ生醤油で味付け
された焼き団子と、さらし餡を巻き付けた餡
(あん)団子の2種類があります。
”キメが細かく羽二重(絹の織物)の様に
すべすべして滑らか”だ、と絶賛されたのが
由来で、そのまま団子の名前となったそうです。

店の中には当時使われていた食器や帳簿が今も
残されています。


幕末の上野戦争では、彰義隊が戸板を破って
この店に逃げ込みましたが、更に追われて、
店に刀や槍を置いて逃げたそうです。
これらの武具が店に飾ってあります。



(創業期の羽二重団子屋)

「羽二重団子」の前の道路を挟んで正面のお寺が「善性寺」です。



(不二大黒天)
このお寺の前の道路は、昔、音無川が流れていた暗渠です。
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夏目漱石「草枕」  (その3:前田家別邸)2015.2.10

2015-03-24 09:13:11 | Weblog

(写真は前田家別邸)

今回は、前回のブログ「草枕(小天温泉)」の続き
の「前田家別邸」です。

明治30年の大晦日、夏目漱石は、熊本市の西側に
位置する金峰山の麓の「峠の茶屋」を越えて、
「小天温泉(那古井館)」の「前田家別邸」
に逗留します。

「草枕」では「前田家別邸」は「那古井の宿」
として登場します。
そう、前回のブログで、私が訪れた「那古井館」
のある「小天温泉」です。
前回のブログの続きになりますが、私は、那古井
館で昼食を済ませてから、「那古井館」の裏手の
「前田家別邸」へ行ってみました。
草枕 (新潮文庫)
夏目 漱石
新潮社

漱石は、正月の数日をのんびりと「前田家別邸」
で過ごし、この体験を素に「草枕」を発表して
います。
”温泉や 水滑らかに 去年の垢”
「草枕」は、漱石と同じ30歳の青年画家が美を
求めて、片田舎の温泉を訪ねる旅の物語です。
青年画家は、温泉旅館の娘・那美と出会い、
ひかれてゆきます。
「草枕」では、主人公の青年画家は、旅を
しながら”美とは何か”を考え続けます。

小説の中では、急速に西洋化する時代を批判し
つつ、漱石自身の美術論・芸術論を展開しています。
小天温泉の「前田家」は、細川藩の槍の指南で、
”小天温泉から熊本の城下まで、他人の土地を
 踏まずに行ける”
というほどの栄華を誇った名門でした!!

その当主の前田案山子(かかし)は、維新に際し、
自由民権運動家となり、衆議院議員となりました。
夏目漱石は、前田家別邸に滞在中に、前田案山子
の娘「ツナ(卓)」に出会いますが、この「前田
ツナ」が「草枕」のヒロイン「那美」のモデル
となりました。

当主の前田案山子は、長年の政治活動で資産を
使い果たし、前田家は急激に衰退したそうです。
「前田家別邸」は、現在は、下の写真の様に、
「草枕」に描かれた「離れ」の一部と「浴場」
が史跡として保存されているのみです。







ちなみに、宮崎駿は、この「離れ」を訪れて
「風立ちぬ」の着想を得たそうです。

私が行ったときは、訪れる人も少なく、史跡の
周辺は少し寂れた印象でした。
でも、当時は、下の写真の様に、敷地全体を
使いその段差を生かした豪壮な木造三階建て
の宿で、各界の署名人、政治家、政府高官が
訪れたそうです。

(BS朝日)



しかし、明治34年の失火で前田家別邸は焼失してしまったそうです・・・
「草枕」では、主人公の青年画家は、「白髪の
老人」と「その娘・那美」に出会います。
「白髪の老人」のモデルは、下の写真の「前田家
当主・前田案山子(かかし)」です。

そして「那美」のモデルは、下の写真の「前田
案山子の娘・前田ツナ」で、なぎなたの名手
だったそうです。

(BS朝日)
那美は、不幸な結婚に破れた出戻りで、村人から
気がふれたと言われていました。
那美は、夜中に歌を唄ったり、廊下を振り袖姿で
行ったり来たりと、青年画家を唖然とさせます。

(徘徊する振り袖の女)

しかし、青年画家はこの娘にひかれてゆきます。
モデルとなった前田ツナの人物の実像は、漱石
好みの女性で、小説の那美に非常に近い人だった
そうで、「三四郎」の「美禰子」とも重なる
そうです。

前田ツナは、後に、中国革命の支援に奔走します。
下の写真は、保存されている現在の風呂場ですが、
当時の最先端の技術で造られたそうです。



そして、漱石は、この風呂場で、実際に思い
がけない”事件”に遭遇します。
それは、「草枕」では次の様に描かれています。
”階段の上に何者か現れた。
 広い風呂場を照らすものは、ただ一つの
 小さき釣りランプのみである。
 何とも知れぬものの一段動いた時、余は女と
 二人、この風呂場の中に在る事を覚った。
 漂わす黒髪を雲とながして、あらん限りの
 背丈を、すらりと伸した女の姿を見た時は、
 ただひたすらに、美しい画題を見出した
 とのみ思った。”




この事件の真相については、後日、前田ツナが、
以下の様に語った、と風呂場跡の案内板に
書かれていました。
 「もう遅いから誰もいないと思って男湯に
入ったら、夏目さん(漱石)と山川さん(漱石
の同僚)がいたので、慌てて飛び出した。」
しかし、BS朝日「にほん風景物語」によると、
”誰も居ないと勘違いした前田ツナが入浴しよう
としたという説”以外の説もあり、真偽の程は
不明だそうです。

(BS朝日:漱石滞在時の風呂場)
旅のあと、漱石はロンドンに留学し、教員を
やめて作家となります。
そして、10年後、旅の思い出を小説「草枕」
として発表します。
漱石は、ロンドンに留学中、友人に宛てた手紙に
以下の様に書いています。
”日本に帰ったならば、また日本流の旅行を
 してみたい。小天行きなど思い出すよ。”
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夏目漱石「草枕」 (その2:小天温泉) 2015.2.10

2015-03-19 17:08:46 | Weblog

(写真は、小天温泉の那古井館)

先月の帰省時は熊本も異常寒波で、余りの寒さに、
温泉で少し温まりたいと思い、日帰りで、実家
から近場(バスで50分)の「小天温泉」へ行って
来ました。

熊本市交通センター(10:25)→玉名駅行き
→小天温泉(11:13)
熊本市内の繁華街を抜けると、波が静かな有明海
の海岸沿いに、路線バスは北上します。







右手の山側は、山の斜面に、延々とミカン畑が
続きます。

「小天温泉」は、明治の文豪・夏目漱石が愛した
温泉です。

”入って良し、飲んで良し”という豊かな温泉の
恵みと、目の前の有明海で水揚げされた新鮮な海
の幸の懐石料理が楽しみです。
小天温泉は「ミカンの里」で、江戸時代には藩が
ミカン栽培を奨励し盛んになりました。

ミカン畑の石垣は、熊本城築城の技術が伝わったものだそうです。
小天温泉バス停で降り、バス停の前の「那古井
(なこい)館」に入ります。


下の写真は、那古井館の庭の漱石の句碑です。

”温泉や 水滑らかに 去年の垢”





戦後、草枕にちなみ屋号を「那古井館」に変えた
この宿は、小天温泉で唯一の温泉旅館です。
下の写真の女将さんの話だと「那古井館」は江戸
時代の創業だそうです。

(BS朝日「草枕の舞台」)

(戦前の那古井館:BS朝日「草枕の舞台」)


明治30年、夏目漱石は、同僚と2人で、熊本市内
から一番近かったこの小天温泉を訪れました。
この小天温泉への旅を題材にしたのが「草枕」
です。
「草枕」では、漱石は、この小天温泉を、
”那古井”という架空の地名で描いています。
那古井館に入ったのは昼前でしたが、お腹が
空いたので、早速、熊本の銘酒「香露」と
懐石料理を注文します。





季節を感じさせる手間暇をかけた彩り豊かな料理で大満足です!


(添え物は、ここの庭の梅の枝です。)
一服したところで、那古井館の温泉に入ります。
草枕 (新潮文庫)
夏目 漱石
新潮社

漱石は「草枕」の中で、小天温泉を以下の様に
描写しています。
 「鉱泉と名のつく以上は、色々な成分を含んで
  いるのだろうが、色が純透明だから、入り
  心地がよい。
  折々は口にさえ含んでみるが、別段の味も
  臭いもない。
  病気に利くそうだが、聞いてみぬから、
  どんな病に利くのか知らぬ。
  湯はどこから湧いて出るか知らぬが、常でも
  槽の縁を綺麗に越している。」 
私も、”入って良し、飲んで良し”という豊かな温泉に入り、少し飲んでみます。
何となく身体に効いいた様な気分になりました。
那古井館には、下の写真の様に、宮崎駿も社内
旅行で来たそうです。

帰り際に、小天温泉バス停の前のお店のミカンが
美味しそうだったので買いました。

下の写真が買ったミカンですが、袋の中のミカンが何と400円!

そして回りのミカンとデコポンは試食用のオマケです!
余りに安いので、お店の人に気の毒なくらい
でした。

「那古井館」の裏手には「前田家別邸」があります
が、ここは、夏目漱石が宿泊し「草枕」の中に
描いた「浴場」と「離れ」が残っていて見学
出来ます。

この前田家別邸については、長くなり過ぎるので、
分割して次回にご紹介したいと思います。
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夏目漱石「草枕」(その1:峠の茶屋)2015.2.11

2015-03-15 06:36:34 | Weblog

(写真は峠の茶屋)

先月の帰省の際、宮本武蔵の「霊厳洞」を車で
訪れた事をご紹介しました。

その霊厳洞へ行く途中で、夏目漱石の「草枕」で
有名な「峠の茶屋」に立ち寄りました。

夏目漱石が「草枕」で作家デビューすると、その
掲載誌はたちまち売り切れ、これにより人気作家
としての地位を不動のものとしました。


「草枕」については、今週のテレビ「草枕の舞台
 熊本・・小天」でもやっていましたので、
併せてこの番組内容も ご紹介します。
(BS朝日:「にほん風景物語」)

明治29年、夏目漱石は、第五高等学校(現熊本
大学)の教師として熊本入りしました。

そして、翌年12月の暮れ、漱石は、正月を「小天
温泉」でゆっくり過ごそうと、熊本市から、市の
西側に位置する金峰山を越えて、「小天温泉」
まで旅をします。

(金峰山:BS朝日「草枕の舞台」)

漱石は、この旅の途中で、金峰山の麓にある
写真の「峠の茶屋」で一服します。




草枕 (新潮文庫)
夏目 漱石
新潮社

この「峠の茶屋」は、夏目漱石の
”「おい」と声を掛けたが返事がない”、
で有名な小説「草枕」の舞台です。
下記の「草枕」の冒頭の舞台は、金峰山の
谷あいを抜ける「鎌研坂」(かまとぎざか)です。
 「山路を上りながら、こう考えた。
  智に働けば角(かど)がたつ。
  情に棹(さお)させば流される。
  意地を通せば窮屈だ。
  兎角(とかく)に人の世は住みにくい。」



(鎌研坂:BS朝日「草枕の舞台」)

熊本市内から金峰山を上って来ると、上記の
鎌研坂を抜けた所に、漱石も立ち寄ったこの
「峠の茶屋」があります。

「峠の茶屋」に入ると、上品な感じのボランティア
のおば様が、囲炉裏端で無料のお茶をサービス
しながら、「草枕」について、下記の様に丁寧に
説明してくれました。
その説明によると、「草枕」には、「峠の茶屋」
は一軒しか出てきませんが、当時、熊本から
「小天温泉」への道中には、ここ「鳥越(とり
ごえ)峠」と、この先の「野出(のいで)峠」
とに、二つの茶屋があったそうです。
当時の「峠の茶屋」は、老朽化のため取り壊され
ましたが、この「峠の茶屋」が最近、資料館
として復元されたのだそうです。



峠の茶屋の縁側には、高齢者のグループの方々が休息されていました。
新しい「峠の茶屋」には、付近で採れた農産
加工物などが販売されてます。

(峠の茶屋にあった宮崎駿のサイン) 
このグループは、これから先、趣きのある”石畳
道”や、”野出峠”を経て、小天温泉までの
「草枕の道」のコースを歩くそうです。

(石畳道:BS朝日「草枕の舞台」)

(野出峠から有明海を望む:BS「草枕の舞台」)

漱石が歩いたこの「草枕の道」ハイキングコース
は、良く整備されており、散策ファンに最も人気
があるらしいです。

漱石は、鎌研坂を上り、野出峠を越えて、「小天
温泉」へと下りました。

「小天温泉」は、江戸時代から、熊本市に最も近い
温泉地として知られていたそうです。

峠の茶屋を出て、ボランティアのおば様に教え
られた「峠の茶屋」の脇にある「漱石時代の峠の
茶屋跡と井戸跡」を見物してから、熊本市内へ
戻りました。



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圏央道 見学ウォーキング   (その2:寒川北~海老名)2015.3.1

2015-03-09 10:58:16 | Weblog

(写真は、圏央道開通のTVニュース)  

圏央道の「寒川北IC」~「海老名JC」の間の
4.4キロが昨日(3月8日)開通しました。

つまり、”サザン(茅ヶ崎)”と”ユーミン
(八王子)”が高速で繋がりました!

都心の渋滞を回避するのが主な狙いですが、東京
から東名を経て湘南エリアへ向かう高速が直結し
ました。
更に、埼玉方面から伸びる圏央道も直結し、鎌倉
など神奈川県の観光地へ行きやすくなりました。

昨日の開通を前に、先週の日曜(3月1日)、事前
の見学ウオーキングが、開通予定区間で行われた
ので、参加して来ました。

今回開通区間の高速道路を、開通前に歩いて見学
できる唯一の機会です。
普段は、歩行者立ち入り禁止の高速道路を歩ける
とあって、かなりの人気です。
多分、前回参加者に対してでしょう、インター
ネットで案内が来たので、前回、その楽しさに
ハマってしまった私は、直ぐに、返信で
申込みしました。
ツアーバスの添乗員はネクスコ中日本の方です。
当日、ツアーバスは、9:00に東京駅を出発し、
圏央道の説明ビデオを見ながら、完成ま近の
圏央道の建設現場へ向います。

圏央道の本線を歩く前に、先ず、新東名と圏央道
をつなぐ取付橋の架設現場で、ヘルメットを
被って説明を受けます。



同社の2012年の笹子トンネル事故の反省を
踏まえ、安全対策を見直し、今回の圏央道
工事に反映したそうです。
下の写真の赤白の鉄塔の付近が、我々が説明を
受けた場所です。


縦に伸びている大きな道路が我々が歩いた圏央道
の本線で、左手(静岡方面)から合流している
のが新東名です。

この我々が説明を受けた海老名南JCが、今の
ところの新東名の終点だそうです。

そして、いよいよ、圏央道の本線を歩きます。
現場監督の方の説明を受けた海老名南JCの工事
現場の付近から、歩いて工事中の圏央道の本線に
入ります。

(建設のすすむ新東名道路)

(新東名との接続路は赤白のブロックで閉鎖)

(新東名との接続路の橋脚部分は橋梁が完成)

(八王子へと続く圏央道)

(海老名JCT1キロ手前)

(2011年10月のプレート)

(2004年12月日本道路公団建造のプレート)

(圏央道の海老名JCT)

(下から見た圏央道)

(工事中の新東名との接続路)
身を切る様に冷たい小雨が降り続く完成間近の
高速道路を海老名JCまで歩き、引き返して
来ました。
この後、東名川崎料金所の横にある「川崎道路
管制センター」を見学してから帰りました。

管制センターでは、高速道路に設置されたカメラ
や車両検知器などから集められた情報を分析し、
大型モニターにリアルタイムで表示しています。

職員が状況を判断して、道路情報版に表示する
ための入力をしたり、事故処理車の出動を指示
したりしています。

ハイウェイラジオや道路情報等のラジオ放送も
ここでやっています。

(交通情報を流しているラジオ局のブース)








今回のバスツアーは、NEXCO中日本主催で、
昼食付7,900円でした。
今回開通に係る記者会見資料等の他に、針なし
ホッチキス、缶ジュースなど、たくさんの
お土産付きでした。
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