ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

散歩の寄り道(その28:大衆演劇)2014.9.4

2014-09-14 07:29:17 | Weblog

(写真は、三吉演芸場へ向かう途中の案内板)

ウォーキングの後に、大衆演劇に寄って帰る
というのはいかが?
私は、横浜・伊勢佐木町のウォーキングの帰りに、
地元の地下鉄・阪東橋駅近辺の三吉演芸場に立ち
寄りました。

阪東橋駅の1A出口を出て、そのまま真っ直ぐに
大きな通りを横浜方面へ引き返すと、右手に
横浜橋商店街の入口があります。

横浜橋商店街は、私の好きなレトロな商店街で、
全てが非常に安く、平日にもかかわらず活気が
あり、大勢の人で賑わっています。

この商店街で弁当を買ってから三吉演芸場での
芝居見物もお勧めです。
この商店街を通り抜けて信号を渡ると、ちょっと
行った左手のビルの2階に、三吉演芸場があり
ます。

阪東橋駅から徒歩10分くらいです。

劇場の入口には、写真の様なノボリと手書きの
看板とが掲げられており、レトロな感じが
漂っています。

ビルの大きな階段をあがったらすぐカウンターが
あるので、ここでチケットを買います。

自由席2,200円、指定席は2,500円です。

観客席は、写真の様に真新しい感じで綺麗です。


前の5列が指定席で、それより後ろの席が自由席です。


食べ物、グッズ販売の売店もあります。

公演中は、撮影禁止です。
舞台に向かって左側前方が花道正面なので、この
近くの席だと、役者との距離が1~2メートルに
なりますよ!
今月の公演は、大和みずほ座長が率いる「劇団
昴星」です。

きらびやかな和服姿の役者が、初心者にも分かり
やすい時代劇や踊り、歌を披露します。



大衆演劇というと、地方の芝居小屋で公演して
いると思っている方が多いみたいですが、実は、
首都圏でも東京、川崎、横浜に4か所も常設の
劇場があります。
歌舞伎などの芝居の影響を受けつつ、ジャンルの
枠に縛られない自由な振り付けです。
出し物は、古典的な人情物から喜劇、現代劇まで
幅広く、セリフ回しは情感たっぷりです。

演目は毎日変わります。
劇団は多くのレパートリーを用意しているので、
毎日来ても飽きない様になっています。

役者は男性中心で、あでやかな女形から、華麗な
殺陣までこなします。
目や鼻がくっきりと浮かび上がる、歌舞伎役者の
様な濃い化粧が特徴です。

早変わりする面白さも見どころですよ。
公演は、芝居と舞踊、歌謡ショーの3部構成です。
舞踊では、演歌や浪曲などの他にも、派手な照明
を使った最近の流行曲もあります。
ファンの中心は中高年の女性ですが、若い人も
チラホラとみえます。
劇団の役者は、見た目では20~30代が中心です。
3時間程度の公演で、1時の昼の部と、6時の
夜の部の2回公演で、月曜が休演日です。
余程の人気公演でない限りは、当日ふらっと散歩
帰りにでかけても席の確保は大丈夫ですが、
一応、公演情報をインターネットで確認して
から出掛けた方が無難です。
普段着で、ふらっと立ち寄れる家庭的な雰囲気
なので、ぜひ一度気軽に立ち寄ってみることを
お勧めします。
役者との距離は、5メートルくらいしかないので、
距離の近さと一体感を楽しんで下さい。
好みの劇団や役者を発掘して親しくなって、
追っかけをやってみるのも良いかも・・・
座長が幕間に、客の感想を聞いたり、次回予告を
したりする”口上挨拶”の気がきいたトークの
時間も楽しいですよ。
熱心な追いかけのファンは、公演中、ひいきの
役者にお札を渡す”ご祝儀”という習慣があり
ますが、皆さんは当面必要無いと思います。
見た目90歳くらいのお年寄りが、杖をついて、
足取りもおぼつかなく、椅子にぶつかりながら、
ヨロヨロと舞台のそでに倒れ込んでご祝儀を
渡したのには驚きました!

座長が慌てて、踊りを中断して走り寄って、
ご祝儀を受け取りましたが・・・
いや~、歳をとっても、生き甲斐を持つことが
如何に大切か!、
を感じさせられた1シーンでしたよ!
公演後は、座員総出で、客を見送りながら、
一人ひとりと握手をしてくれます。
これは、追っかけファンの気持ちが理解出来るシーンですね。
握手の時に、舞台の感想を言ったら、役者さんがすごく喜んでくれました。
私は、小学校1~4年生の間、熊本県と宮崎県の
県境の山奥の小さな町で過ごしました。
その町の映画館には、よく、旅回りの一座が、
1週間の公演期間でやって来ました。
当時は、ほとんどの一座に、子役の子供がいました。
その子役は、公演期間の1週間だけ、私の小学校
のクラスに転校して来ます。
洒落た都会風の女の子は、鼻たれ小僧の我々に
とっては、別世界の憧れ的な存在でした・・・

ps.
東十条の「篠原劇場」については、2006.12.11の
「京浜東北線に沿って:その4」を、浅草の
「浅草木馬館」については、2014.8.13「浅草
界隈散策」を見てね。
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黒田官兵衛展 (福岡市博物館)2014.8.29

2014-09-05 09:19:18 | Weblog

(写真は、黒田官兵衛のシンボルである朱漆塗合子形兜と黒糸威五枚胴具足。)

8月19日(火)から29日(金)まで実家の熊本へ
帰省しましたが、29日に帰京する際に、航空便の
都合で熊本から福岡空港へ向かいました。

飛行機の待ち時間を利用して、福岡市博物館の
黒田官兵衛展(7月26日~9月21日)に寄って
来ました。

博物館へのアクセスのパンフレットに従い、
繁華街の天神バスセンター前の「1Aバス停」
に停まっていたいたバスに乗り込みます。
バスは、発車すると直ぐに都市高速に入ります?

え? すぐ近くの博物館へ行くだけなのに、何で高速に?

しまった!? 行先を確認しないで乗ってしまった・・・

高速に乗ったということは、佐賀県へ向うのかな・・・
でも、バスは、直ぐに、同じ市街地の百道(もも
ち)ICで高速を降りました。
博物館北口で下車。やれやれ、ホッ・・・




福岡市博物館の敷地は広大で、建物も前の池も
写真の様に立派です。


博物館の前の素敵な通り沿いには、福岡タワーや
図書館もあります。






博物館の1階には大きなエントランスがあり、
2階には、黒田官兵衛の生涯を表した博多人形
が並んでいます。(無料)
(下の写真の博多人形は、大宰府で和歌を詠み
ながら光と二人で暮らす勘兵衛です。)





同じ2階の黒田官兵衛展(1,300円)の入口には、
ドラマで岡田准一と竹中直人が実際に着ていた
衣装が飾られています。
大河ドラマのこれまでの前半は、兵庫県が中心
でしたが、これからの物語後半は、大分県と
福岡県が中心になります。
官兵衛は、大分・中津藩の初代藩主になったのち
に隠居し、長男の長政が福岡藩の初代藩主になり
ます。
ちなみに福岡という地名は、黒田家ゆかりの岡山
の福岡という地名を付けたものだそうです。
館内は、全て撮影禁止のため、以下の写真は、
全て購入したカタログの写真です。
今回の展示物は、官兵衛のシンボル「白檀塗
合子形兜 」、国宝太刀「押切長谷部」、
家臣・母里太兵衛の槍「日本号」など、
目玉がいっぱいです!
会場の順路は、官兵衛の人生に沿って5部構成に
なっていますので、私もこれに沿ってレポート
します。

「プロローグ 戦場のよそおい」

上の写真は、官兵衛のシンボルである「白檀塗
合子形兜 」(びゃくだんぬり ごうす なり
かぶと)」の本物です。
(岩手・もりおか歴史文化館蔵)
官兵衛が、常々、陣中で実際に身につけていた、
この白檀塗合子形兜の本物は、8月19日(火)
~8月31日(日)の期間限定展示です!
ラッキー!!
この一風変わった兜は、身と蓋からなる容器で
ある合子をかたどったものだそうです。
でも、白檀塗合子形兜が、なぜ東北の博物館に
あるの?
官兵衛は、家臣の栗山善助に、この兜を与え
ましたが、1632年の黒田騒動の際に、善助の子
の栗山大膳が、盛岡藩に「お預け」になって
しまいます。
その時に、大膳が、この兜を一緒に盛岡藩に
持って行ったのだそうです。
そうか! 
それで、本物は現在も「岩手・もりおか歴史
文化館」にあるんだ!
知らなかったなあ~!
この兜は、白檀塗り(びゃくだんぬり)といって、
銀箔を施した上に朱の透き漆(すきうるし)が
かけれられているので赤く見えます。
現在は、表面が黒ずんでいますが、これは銀が
酸化して黒くなったためだそうです。 

上の写真は、黒田官兵衛のシンボルである
「朱漆塗合子形兜」と「黒糸威五枚胴具足
(くろいと おどし ごまいどう ぐそく)」
の甲冑です。
この兜は、三代藩主・黒田光之が、官兵衛の
白檀塗合子形兜を模して作らせたものであり、
官兵衛が着用した兜ではありませんが、その下
の鎧は官兵衛が実際に着用したものだそうです。

「第一章 播磨に生まれ」
官兵衛は、小寺政職の重臣として姫路城を預かる
黒田職隆(ドラマでは柴田恭兵)の長男として
誕生しました。

上の写真の「国宝太刀:圧切長谷部(へしきり
はせべ)」は、官兵衛が織田信長に初めて謁見
した時に与えられたという刀の本物です。
(福岡市博物館所蔵)
私は、刀の価値は分かりませんが、黒く重厚な
光を放っていて印象的です。

(上の写真の博多人形は、官兵衛が織田信長への
初めの謁見で、圧切長谷部与えられている
ところです。)

「第2章 有岡城幽閉」
秀吉の中国攻めの最中に、官兵衛は、信長に謀反
を起こした荒木村重を翻意させるために、有岡城
に乗り込みますが、逆に囚われの身となって
しまいます。
下の写真の博多人形は、土牢に閉じ込められた
官兵衛の世話をした牢番の加藤又兵衛と息子・
王松で、後に官兵衛の家臣になります。



上の写真は、官兵衛が有岡城に幽閉された時に、
黒田家家臣団が一致団結を妻・光(てる:ドラマ
では中谷美紀)に誓った「黒田氏家臣連署起請文
(きしょうもん)」です。


上の写真は、竹中半兵衛(重治)(ドラマでは
谷原章介)が、岐阜の寺に送った書状です。
(岐阜・敬念寺所蔵)

竹中半兵衛の史料は少なく、斎藤、浅井、秀吉と
仕えたにも拘わらず、現存する書状は、この一点
のみだそうです。

下の写真の博多人形は、"そんな紙切れに頼るな”
と、意見して、 勘兵衛が秀吉から貰った領地約束
の誓文を、半兵衛が火中に捨てているところです。



上の写真は、家臣・母里太兵衛の槍「日本号」です。
(福岡市博物館所蔵)
刃長79.2センチ、総長321.5センチと、
3メートルを超える非常に長い槍です! 
日本号には、敵の刃を受けた傷があります!
官兵衛の家臣の母里太兵衛(ドラマでは速水
もこみち)は酒豪で知られ、福島正則に強要
された大盃の酒を見事に呑みほし、正則から
この鎗を手に入れたとされます。

このため「日本号」は、別名を「呑み取りの鎗」と呼ばれています。
このエピソードをモチーフにしたのが民謡「黒田節」です。
酒は飲め飲め 飲むならば 日の本一の 
 この槍を♪
飲みとるほどに 飲むならば これぞまことの 
 黒田武士♪

柄は螺鈿細工で、刃先には龍の彫刻があり、武器
と言うより芸術品の様です。
キラキラとしていて非常に綺麗です!

下の写真は、「黒田二十四騎図」で、勘兵衛・
長政を支えた家臣たちです。


「第3章 秀吉を天下人に」
官兵衛は、中国大返し・山崎の戦いにより、秀吉
を天下人の地位に導き、九州攻め・小田原攻め等
で活躍し、戦国時代に終止符を打ちました。

上の写真の観音菩薩立像は、官兵衛が所持して
いた念持仏で、兜に取り付けて、戦場でのお守り
にしていました。
本物は、意外と小さく高さ僅か3.9cmです。

上の写真は、黒田長政(ドラマでは松坂桃李)が
若い頃から最も愛用した甲です。

(関ヶ原戦陣図屏風:福岡市博物館所蔵)
官兵衛は、秀吉没後には、関ヶ原の戦いで、徳川
家康に味方して九州を席巻しました。

上の写真は、黒田長政が関ヶ原の戦いで着用した
甲冑です。
四角の兜は、源平合戦の”一の谷”の厳しい崖を
表現したものだそうです。

「第4章 如水となりて」
官兵衛は、朝鮮出兵の途中で帰って来たと秀吉
の怒りをかいます。

官兵衛は、この事で死を覚悟したことを機に
出家し、これ以降、如水と号しました。

上の写真は、死を覚悟した勘兵衛の遺言状です。

「第5章 文雅のたしなみ」
秀吉の軍師として勇名をはせた官兵衛は、また
文武両道の人でもありました。

茶の湯や和歌・連歌に造詣が深く、またキリスト
教徒でもありました。
連歌好きだった官兵衛は、晩年を大宰府で過ごし、
連歌で悠々自適な生活を送っていたようです。
”松梅や末永かれと緑立つ山より続く里はふく岡”

下の写真のこの歌に、「福岡」という地名が
初めて出てきます。



上の写真の様に、キリシタンだった官兵衛の書状
には、ローマ字の印が押されています。

「エピローグ」
何枚もある官兵衛の肖像画の中で、下の写真が、
実際に晩年の官兵衛を見て描いたのではと
思われる細かな描写の肖像画です。



上の写真は、官兵衛の辞世の和歌短冊です。
「思いおく 言の葉なくて ついに行く
 道は迷わじ なるにまかせて」
(世を達観した心境と、59年の生涯を存分に
生き抜いた満足感があふれています。)
見終わっての感想としては、内容としては官兵衛
関係のものが多かったんですが、信長、秀吉、
黒田家家臣団などの周辺人物のゆかりの品の展示
・解説もあり、なかなか見ごたえがありました。

展示室を出て、同じ2階のレストランで、写真の
「勘兵衛篭盛膳」を食べました。(1,500円)
黒田藩が栽培を始めたとされるレンコンや、
黒田家の戦陣料理だった郷土料理・筑前煮、
福岡名物・おきゅうと等の食材を組み
合わせたお膳です。

その中でも、写真の左下の「おきゅうと」は、
懐かしい一品です。
寒天みたいな味ですが、材料は海藻です。
学生時代、下宿の朝食で毎日出ていました!

福岡市博物館から福岡空港は近いので、4時頃
には、羽田空港に到着しました。
ついでに、羽田空港内の無料循環バスに乗って、
国際線ターミナルに立ち寄ってみました。

羽田空港の国際線ターミナルでは、「羽田 
江戸まつり」(8/28~8/31)をやっていました。

写真の様に、江戸時代の扮装をした役者が歩き
回っていました。
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