ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

中山道を歩く(08:熊谷) 埼玉県熊谷市  11km  2013.1.2

2013-09-30 17:47:32 | Weblog

(写真は熊谷堤)
熊谷宿は、映画「のぼうの城」で有名な忍(おし)藩領で、絹
や綿織物を商う六斎市が立ち、交通の要所として栄えました。

・熊谷堤

 写真の熊谷堤は、荒川の洪水を防ぐために、城主の北条氏が
 築いたそうです。
 江戸時代は、この地は、忍藩領でしたが、荒川の氾濫で
 幾度も大きな被害を受けます。
 しかし、川筋の全面改修を行ったことで、舟の交通が発達
 し、物資の集積地として栄えたそうです。
 
 ダンプの風圧に耐えながら、狭い歩道の中山道を延々と
 歩いてきたので、この時期、風は冷たいものの、広大な
 熊谷堤のウォーキングは爽快です!

・権八延命地蔵堂と権八地蔵

(権八延命地蔵堂)

(権八地蔵)
 延命地蔵は、別名「物言い地蔵」とも言われています。
 歌舞伎にも登場し、後に鈴が森で処刑された白井権八が、
 この熊谷堤で絹商人を殺害して、この地蔵に、
 ”誰にも言うな”と口止めしたところ”私は言わぬが、
 おぬしも言うな”との言葉が返ったという伝説が今も語り
 継がれているそうです。
 権八延命地蔵堂と権八地蔵は、上記の同じ由来をもちます
 が、どちらが本物かは不明だそうです。
・みかり屋跡



 英泉の浮世絵「熊谷宿 八丁堤の景」は、久下(くげ)村
 から熊谷宿へ通じる道中の「みかり屋茶屋」で憩う旅人を
 描いています。
 前ページの浮世絵の左端が、「みかり屋茶屋」で、老婆が
 お茶を運んでいます。
 右上が、熊谷堤で、中山道は、この堤の土手を熊谷宿へ
 向かいます。
 右側の地蔵が、上記の白井権八と会話をした「権八地蔵」
 らしいです。
 駕籠の中の金持ちらしい客が、供の者から権八地蔵の由来を
 聞いています。
 また「みかり屋茶屋」は、忍藩・藩主の鷹狩の際の休息所
 でもありました。

・熊谷直実像
 直実は、源平の一の谷の合戦に登場します。
 一の谷で、平家勢は、源氏側の奇襲を受け、海上の船に
 逃げます。
 直実は、波際を逃げようとしていた平家の公達らしき
 騎乗の若武者を呼び止めて、一騎打ちを挑みます。
 この若武者が、笛の名手として知られた平敦盛で、敦盛は
 大事な笛を取りに戻ろうとして舟に乗り遅れてしまった
 のです。
 直実は、取っ組んで若武者を馬から落とし、首を取ろうと
 顔を見ると、化粧をした容姿端麗な14~5歳の若者でした。
 直実は、我が子と同じぐらいの齢の若武者を助けようと、
 名を尋ねますが、敦盛は「名乗らずとも、首を取って人に
 尋ねよ」と健気に答えます。
 背後には、源氏の武士たちが迫っており、直実は、泣く泣く
 敦盛の首を掻き切ります。
 そして、直実は、この様な若武者も殺さねばならない世の
 無常を感じ、出家してしまいます。(「平家物語」)
 その後、この話は、歌舞伎や謡曲にとりあげられ、人気演目
 となりました。

 織田信長が、”人間五十年 下天の内をくらぶれば 
 夢幻の如くなり”と、よく映画やドラマで舞っている、
 あの有名な場面の”謡曲「敦盛」”がこの話なのです。


 熊谷駅前のロータリーに、写真の熊谷直実の像があり
 ました。 

・高札場の碑

 繁華街の街道沿いに、幕府の法度、宿場の決まりなどを
 書いた高札場の碑がありました。
 ・高城(たかぎ)神社

 繁華街の街道沿いに大きな鳥居がありました。

 高城神社は、映画「のぼうの城」の石田三成の忍城攻め
 で類焼してしまいましたが、1639年に再建されています。
 私が訪れたのが正月の2日だったので、多くの人々が
 初詣に来ていました。
・本陣跡の碑

 繁華街の街道沿いに竹井本陣跡の碑がありました。
 明治17年の火災と昭和20年の戦火で焼失したそうです。
・熊谷寺(ゆうこくじ)
 熊谷直実の菩提寺で、直実が、ここに草庵を結び、念仏修業
 に励んだのが始まりだそうです。

・秩父への道標
 石原北の交差点に、写真の大きな看板が出ていました。

 見ると、「秩父祭りが、いつでも見られる!」と、
 あります。

 え~! こんな所に、秩父の夜祭りの常設館が!
 懐かしいな! ちょっと寄って見て行こう、
 と思い、看板に近づいてみると・・・
 ここから、46キロとあります!

 えっ! ウソ~!
 46キロも手前の看板って、どういう事!?
 辺りを見回すと、写真の秩父への道標がありました。

 1766年造立の「秩父34ケ所観音所一番札四万部寺」と
 記されています。

 そうか! ここは、中山道と秩父道の追分なんだ!
 う~ん・・・ なるほど、そういう事か!
 この看板のお陰で、秩父道の道標を見落とさなかったし、
 この看板は、江戸時代の追分の道標の現代版と考えれば、
 由緒ある看板とも言えるかも・・・
 秩父道は、ここを起点に寄居を経て秩父へ向かうそうです。

・植木の一里塚

 樹齢300年、周囲3.6メートル、高さ12メートルの大
 ケヤキの一里塚です。

・忍(おし)領石標

 他藩との境界争いを避けるために、1780年に、忍城の
 城主が建てた石碑だそうです。

熊谷宿から深谷宿までは、約11キロです。
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中山道を歩く(07:鴻巣) 16km  2012.12.4

2013-09-28 22:10:58 | Weblog

(写真は、勝願寺の山門の怖くない?仁王様)

・雛人形屋
 JR鴻巣駅の手前辺りから、街道沿いに、写真の様な雛
 人形屋が並んでいます。


 江戸時代から作られていた鴻巣の雛人形は、武家や商家の
 お金持ちに人気があったそうです。





(鴻巣の商店街の歩道のタイル)
・勝願寺
 中山道の左手の奥に、勝願寺という山門、開山堂、鐘楼など
 の驚くほど立派なお寺がありました。 
 6万坪の敷地で、関東郡代であった伊奈家の墓があります。





 勝願寺の山門には、写真の様に、あまり怖くない?
 ユニークな仁王像がありました。

 山門に葵の御紋が使われていますが、これは、徳川家康
 が頻繁に立ち寄っていたからだそうです。

 また境内には芭蕉の句碑もあります。

 ”けふばかり 人も としよれ 初時雨”
 芭蕉は、ちょうど初時雨に遭遇しこの句を詠んだそうです。
(初時雨の日だけは、誰もが年寄りの心境になって、雨音の
 趣を感じて欲しい、という意味だそうです。)

・法要寺

 加賀藩が鴻巣宿泊の際の宿にしたそうです。
 加賀藩ともなれば、本陣等だけでは足りずにお寺にも
 泊まったということなのでしょうかね。
 これにより、寺の紋所として、加賀前田家の梅鉢の紋の使用
 が許されたそうです。

ホントだ!瓦の紋が前田家の梅鉢だ!

・土蔵造りの商家

 鴻神社の辺りは、道の両側に、旧家が点在します。
 写真の土蔵造りの商家は、今もそのまま営業しています。


・箕田(みた)観音堂



 平安時代の源頼義の守り本尊ですが、ここ箕田の地は、
 嵯峨源氏の流れをくむ箕田源氏の発祥の地で、平安時代
 から鎌倉時代にかけての源氏の旧跡が点在します。
・箕田(みた)氷川八幡神社
 境内の石碑には、箕田源氏の活躍が刻まれています。
 この隣は、羅生門の鬼退治で活躍した「頼光四天王」の
 一人の渡辺綱が建てた宝持寺(ほうじじ)です。

(武蔵放水路)

・箕田(みた)追分
 鴻巣宿から4キロ位歩くと箕田追分で、左が旧中山道、
 右が忍(おし)や館林の城下町へと向かう街道です。


(箕田追分の中山道の案内版)



 案内版に従って、左の旧中山道に入ると、写真の様に
 歩道の無い道を延々と歩きます。

 ダンプとすれ違うときは怖いです・・・



(写真上は、英泉の浮世絵「鴻巣・吹上富士」、
写真下は、この浮世絵が描かれた場所を示す碑)


鴻巣宿から熊谷宿までは、約16キロと、中山道をスタート
してから、初めての長丁場です。
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中山道を歩く(06:桶川) 7km  2012.11.27

2013-09-27 09:11:38 | Weblog

(写真は、背中に杭を打たれてしまったお地蔵様)

日本橋から40キロの距離にあった桶川宿(埼玉県桶川市)
は、日本橋を発った旅人が、最初の宿にすることが多かった
そうです。
日本橋を早朝に発った足の早い旅人は、ちょうどこの辺りで
日が暮れたそうですが、日本橋から6番目の宿の桶川まで、
1日で来るとは!信じられません!
江戸時代の人は子供の時から毎日たくさん歩いて鍛えていた
のでしょうね。

また、桶川は、江戸時代には、宿場町以外に、農産物の産地・
集散地としても栄えたそうです。
その代表が江戸時代に栽培された桶川臙脂(えんじ)で知ら
れた染料のベニバナでここで活発に取引されたそうです。

・武村旅館

 桶川宿で唯一残っている旅館で、今も営業しているそうです
 からスゴい!
・島村家住宅土蔵

 1836年の穀物問屋の建築で、木造3階建てという珍しい
 土蔵です。
(木戸跡)

(古民家)

(本陣跡)

・中山道宿場館(案内所)

 親切なお姉さんが、桶川宿の見どころや道順を丁寧に教えて
 くれます。
 ”どうやって来ましたか?”と聞かれたので、
 ”横浜から京浜東北線に乗り、途中で高崎線に
  乗り換えて来ました。”と言うと、
 ”湘南新宿ラインの方が、乗り換え無しだし、時間も
  早いですよ。”とアドバイスしてくれました。
  帰りは、湘南新宿ラインで帰りましたが、停車駅も
  少なく、かなりの時間短縮でした。

 案内所では、観光案内地図などの他に、紅花の種を配って
 いました。帰ってからプランターに植えましたが、果たし
 て花が咲くでしょうか。
 中山道の観光案内が充実しており、桶川宿見物の事前の立ち
 寄りが必須です。

・稲荷神社

 写真は、1852年に、三ノ宮卯之助という男が持ち上げた
 重さ610キロの力石です。


・大雲禅寺

 境内には、1713年に造られた3体の地蔵が置かれています
 が、この内の1体は、「女郎買い地蔵」と呼ばれ、写真の
 様に、何と!!
 背中に鎹(かすがい)が打ちつけられています!!



 ここの地蔵が、夜な夜な女郎買いに出掛けてしまうので、
 怒った住職が鎹を打ちつけて縛り付けてしまったそうです!
 驚き!!
 これは、若い坊さんを戒めるための警告だったそうです。
 桶川宿は飯盛り女(売春婦)が多かったからだそうです。
 面白い!
 江戸時代の人って、結構、ユーモアがあったんですね~。

・北本の歴史の説明板

 案内板によると、江戸時代初期はここに宿場町があり
 賑わったそうですが、その後、鴻巣に宿場町が移され、
 ここは立場に降格したそうです。

 立場(たてば)とは、宿場と宿場の間に設置された休息所
 で、旅人や駕籠かきが一休みしました。多くの場合、茶屋
 があって土地の名物を販売していました。

・東間浅間(せんげん)神社


桶川宿から鴻巣宿へ向かいます。


北本の道路は、殺風景で真っ直ぐで、歩きにくい歩道を、
歩いても歩いても見るべきものは、何ん~もありません・・
(北本の皆さん、ごめんなさい!)


桶川宿から鴻巣宿までは、約7キロです。
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中山道を歩く(05:上尾) 4km  2012.11.27

2013-09-26 20:38:52 | Weblog

(写真は、平成の道標の屋根のしょうき様)

・加茂神社

 江戸時代から上尾の名所として親しまれてきた、五穀豊穣
(ごこくほうじょう)の農業の神様を奉っています。

 英泉の浮世絵「加茂の社(やしろ)」は、加茂神社の横の
農家で、脱穀機を使って、米ともみ殻を分けて、俵に詰める
までの一連の精米作業を、一家総出で行っているところです。
 この英泉の浮世絵でも、加茂神社の旗が何本も描かれて
います。右手の幟(のぼり)の左端のノボリに版元の
 「保永堂」、そして右端のノボリに版名の「竹之内」の名前
 が書き込まれていて、チャッカリと出版社の宣伝をして
 います!!

・南方(みなみかた)神社

 「五街道中細身独案内」に、諏訪神社として登場しますが、
 地元では”お諏訪様”と呼ばれて親しまれているそうです。
 説明板によると、1864年の改修のときに、参拝者のために
 唐破風(からはふ)屋根を付けた、とあります。そう言え
 ば、写真の様に、神社には珍しく、唐の破風屋根です!


・馬喰新田不動尊
 下の写真は、不動尊を兼ねた道標です。
 「是より 川越へ三里」と彫られています。
 ここからも、小江戸と呼ばれた川越とを結ぶ道があったこと
 を示しています。


・氷川鍬(くわ)神社
 上尾宿の総鎮守で、鍬(くわ)をご神体とする珍しい神社
 です。鍬ですから、当然、五穀豊穣(ごこくほうじょう)
 の農耕の神様です。
 江戸時代には、上尾には優秀な鍛冶職人が多く、上尾宿の
 名物は、鉄製の鍬(くわ)や鋤(すき)だったそうです。
 7月には、氷川鍬神社の例大祭として、山車や神輿が繰り
 出され多くの人で賑わうそうです。


 また、境内には、1788年に建てられた、朱子と菅原道真が
 祀られた下の写真の二賢堂があります。


(上尾宿本陣跡)


・平成の道標
 上尾宿の入口の木戸があったという場所には、写真の立派な
 「平成の道標」が建っていました。

 その道標の屋根の上に、冒頭の写真の鐘馗(しょうき)様が
 乗っています。

(鐘馗は京町家の小屋根(こやね)に祀られる魔除けの神さま)

 上尾宿では、昔から火事が多かったので、昭和に入っても、
 屋根に火事除けの鐘馗様を乗せる家が多かったそうです。

・遍照院(へんしょういん)
 真言宗のお寺で、25歳で亡くなった遊女「お玉」の墓が
 あります。

 お玉は、遊女(飯盛り女)でしたが、キチンと飯盛り女の
 名前が入ったお墓は珍しいです。





写真の様な単調で真っ直ぐな桶川宿への道を歩いて行きます。

上尾宿から桶川宿までは、約4キロです。
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中山道を歩く(04:大宮) 8km  2012.11.20

2013-09-25 07:08:32 | Weblog

(写真は、道中の携帯小物)
・さいたま市立博物館(無料)

 氷川神社の長~い参道を歩いてゆきます。
 二の鳥居の手前を右折すると、そこには、木立に
 囲まれた歴史の博物館がありました。
 無料なので、余り期待しないで入りましたが、中山道
 の資料が非常に充実していて必見です。
 撮影禁止とありますが、”撮影したい人は相談して
 下さい”とあるので、係の人に撮影を申し出ます。
 個人で使用する目的であることを申告して、「写真撮影
 許可証」を貰って胸に留めます。
 何だか、新聞記者になった様な気分になりました。
 撮影禁止の場所で、堂々と撮影出来る気分は、まんざら
 でもありません。

(大宮宿の模型)

(明治時代の大宮宿の写真)>

次の写真は、上から「折り畳み式の小田原提灯」、「護身用刀・脇差し・たばこ入れ」、「矢立」です。






・氷川神社

 前回は、バス旅行で氷川神社に来たので参道はほとんど
 歩きませんでした。
 今回は、入口から歩き始めました。
 「武蔵一の宮」の石碑があります。

 既に8世紀頃に、”武蔵一の宮”と定められており、
 大宮宿は、その頃から門前町として発達してきたそうです。
 もともと、大宮の街は、氷川神社の門前町として発達した
 街で、”大宮”の”宮”は”氷川神社”を意味しています。
 写真の参道は延々と続きます。

 その距離、何と2キロです! 
 ようやく、楼門と本殿が見えました。
 関東に約200ある氷川神社の中心です。
 約3万坪の広大な敷地です。





(今年の桜の季節に来たときと同じ場所の写真です。)

・大山御嶽山道標

 ファミレスの入口に、見落としそうな上の写真の大山
 御嶽山標がありました。 へ~!
 ここから、はるばる大山(神奈川県伊勢原)へ向かう道
 もあったんですね。
 「大山 御嶽山 よの 引又 かわ越街道」と彫られて
 います。
・八百姫(やおひめ)大明神

 人魚の肉を食べて800歳まで生きたとされる八百比丘尼
 (やおびくに)が、暫く滞在した場所だそうです。
 ”人魚の肉を食べて800歳まで!” 恐ろしい! 
 でも、最初に、この住宅街の奥の路地の石碑を囲った小屋を
 見たときは余りにも小さいので犬小屋かと思いましたよ!
大宮宿から上尾宿までは、約8キロです。
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中山道を歩く(03:浦和) 5km  2012.11.16

2013-09-24 11:32:50 | Weblog

(写真は「野菜を売る女性のブロンズ像」)

現在の浦和は大都会ですが、江戸時代には、本陣1、
脇本陣3、旅籠15の小さな宿場町だったそうです。
・浮世絵

英泉作の浮世絵は、浦和宿を臨む浦和台地からの
眺めで、噴煙は浅間山です。
「木曽路名所絵図」によると、「空晴れたるときはここ
(浦和宿)よりも 浅間山見ゆる」とあるそうです。
う~ん、浦和の街から、浅間山の噴煙が見えた、
 とはね~!

 浮世絵の中央の小さな橋が高台橋、橋の向こうに
 更に小さく見える家並みが浦和宿です。
 右手の二人の人物は、刀を差した侍と荷物を担ぐ
 供の者です。
 左手は、荷を乗せて馬を引く馬子(まご)、そして
 馬の後ろにいるのは、肥料にする馬糞を掻き集める
 村の子供だそうです。
 馬糞集めネ~!

 江戸時代は、徹底したエコとリサイクルだったん
 ですね~!
 浦和宿の名物は、当時、二・七市で売られていた焼米
 と織物だったそうです。

・玉蔵院(ぎょくぞういん)

 関東10壇林(だんりん:仏教の学問所)に数えられた
 という有名な真言宗の寺です。

・浦和本陣跡

 浦和本陣は、明治時代に建物は取り払われ、現在は上の
  写真右の白い案内板のみです。

  囲いの中の石碑は本陣跡の碑ではなく明治天皇の大宮氷川
 神社行幸の際に行在所となった場所としての記念碑です。
(「中山道 浦和宿」の碑)

・二・七市
 2と7のつく日の月6回、浦和宿では、市が立って
 賑わっていたそうです。

 その市が立っていたという常盤公園の入口に、写真
 の「野菜を売る女性のブロンズ像」がありました。
(常盤公園)

・郭信寺(かくしんじ)



 郭信寺は、本堂、地蔵堂、鐘楼などがあり、木造の
 鎌倉時代の阿弥陀如来像で知られます。


 寺の入口に「さつま芋の紅赤発祥の地」の案内板があり
 ました。
 この辺で、盛んに芋が栽培されていたということは、
 江戸時代は、この辺り一帯は畑だったんですね~。


・針ケ谷の庚申塔

 大原陸橋東の交差点の中の三角形で囲んだガード
 レール?の中に、上の写真の庚申塔がありました。

・一本杉碑

 ここにあった一本杉は、江戸時代には、高さ18メートル
 の巨木で、遠くからの目印だったそうです。
 写真の一本杉の碑と、その案内板がありました。
 案内板によると、1860年に、水戸藩士・宮本佐一郎が、
 丸亀藩浪人・河西祐之助に口論の末殺されます。
 この際、負傷した河西は、同じ年に起きた桜田門外の
 変(大老・伊井直弼への襲撃事件)の逃亡者と間違われ
 て捕えられ、その取り調べを知った宮本佐一郎の息子・
 鹿太郎は、河西の居所を突き止めます。
 1864年、仏門に入ろうと江戸へ向かう河西を、鹿太郎
 と3人の助太刀が、ここ一本杉で待ち伏せ、父の仇を
 討った、とあります。
 この仇討ちは、幕末最後の仇討ちとして、当時、かわら
 版、はやり歌などで中山道界隈に広まったそうです。
 へ~! 
 江戸時代の最後の仇討ちなんだ~!
・女郎地蔵

 当時の刑場跡であることを示す「三界万霊」の供養塔です。
 さいたま新都心駅の前の歩道上にひっそりとありました。
浦和宿から大宮宿までは、約5キロです。
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中山道を歩く(02:蕨) 5km   2012.11.7

2013-09-23 21:23:03 | Weblog

(写真は、調神社の兎の幸運の霊水)
蕨市に入ってくると間もなく、国道17号沿いに、
下の写真の中山道蕨宿の木戸が見え、この木戸の
下を入る細い道が旧中山道です。
(蕨宿の入口の木戸のモニュメント)


蕨宿に入ると、歩道には中山道の浮世絵タイルが
貼られて、よく整備されており、”蕨宿400年”の
ノボリがはためき、車も少なく歩き易いです。




・歴史民俗資料館
 蕨宿の真ん中辺りに、下の写真の本陣資料館(無料)があり
 ます。

 大したことは無いだろうと思い、あまり期待せずに入って
 みます。
 が、資料館の中は、宿場模型、人形による旅籠屋の再現、
 旅の携帯用品など展示資料が非常に充実していて感激です!

 皇女和宮や明治天皇の休息場所としても使われた下の写真の
「上段の間」が再現されそこに大名の食事も展示されています。
 へ~! 大名の食事って、意外と質素なんですね~! 
 毎日、贅沢な食事をしていると思ってたけど・・・






(歴史民俗資料館の隣の本陣跡)

・三学院(金亀山極楽寺)

 江戸時代からの老舗だという煎餅屋「萬寿屋」の脇の
 小道が三学院への参道です。
 割と新しい感じの余りにも立派なお寺に驚きです!
 今どきこんなに立派なお寺を建てられるなんて、
 余程お金持ちのお寺なんでしょうね。
 本尊の十一面観音菩薩は、平安中期の作とあります。
・子育て地蔵
 三学院の前に江戸時代に建てられた子育て地蔵があります。

 地元のおばさん達でしょうか、次々に、入れ替わりに訪れ
 て、熱心にお参りする人が絶えません。


(ふれあい広場の時の鐘のモニュメント)

(辻の一里塚)
・焼米坂
 焼米坂を登り切った南浦和小学校の前に写真の「焼米坂」
 の碑が建っています。

 碑に書かれた説明によると、この辺りには、「焼米(米を
 焼いた保存食でお湯に浸して食べる)」を売る店が多かった
 からだそうです。

・調(つき)神社



 ここの神社は、普通の神社に見られる「狛犬(こまいぬ)」
 ではなく、非常に珍しい「狛”兎”」です!

 神社の名前「調」の読み方は、”ちょう”ではなく”つき”です。
うん~? 読めません。

 ”狛兎”の前で、色々な角度から写真を撮っていると、出張
 のサラリーマン風の人が寄って来て、
 ”兎ですか? 珍しいですね。
  神社の名前は何と読むんですか?”など、
 色々と質問してきました。

 地元の歴史研究家と間違えられたのでしょうか?
(調神社横の「日蓮上人の駒つなぎ」の碑)

蕨宿から浦和宿まで約5キロです。
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中山道を歩く(01:板橋) 9km    2012.11.7

2013-09-22 15:39:11 | Weblog

(写真は、縁切り榎)
板橋宿は、日本橋から僅かに9キロと江戸に近かった
ため、素通りする旅人が多く、品川宿と同様に、泊り
客が少なく経営が苦しかったそうです。
そこで、幕府は、飯盛り女や宿場女郎の存在を認め
ざるを得なくなり、板橋宿は、中山道の宿場町として
ではなく、江戸の歓楽街として賑わう様になったそう
です。
板橋宿は、三つの宿場町で構成されていました。

板橋宿の最初の平尾宿であった商店街を抜けると、国道
17号を斜めに横切り、上の写真の右手に入る細い道が
旧中山道・板橋宿の仲宿です。
(室町時代の創建の観明寺)

(本陣跡の碑)

(板橋宿の通り)

(商店街の中に残る古い家)

・板橋
 次の写真は、石神井川に架かる、地名の由来となった
 板橋ですが、現在は、板の橋ではなくコンクリート橋
 です。
 源平盛衰記に、源頼朝や源義経が板橋に陣をとった
 とあることから、800年前には板橋の地名があった
 そうです。


板橋を渡ると、板橋宿の最後の上宿になります。

・縁切り榎
 次頁の写真は、板橋宿のはずれの縁切り榎です。
 現在の榎は三代目だそうです。 
 仲の良い夫婦や新婚の花嫁花婿は、この下を通るだけ
 で不縁になると嫌われ、恐れられたそうです。
 逆に、お参りすれば、離婚が出来ると、江戸時代には、
 離婚したい人には大人気だったそうです。
 離婚したいと思っている人は、どうぞお参りを?

 徳川第14代将軍・家茂に降嫁するために京都を発った
 皇女和宮の行列は、縁起が悪いと、榎に菰(こも)を
 被せて通過したそうです。
 江戸に入る皇女和宮の行列は、2万人を超えたそうです!


・南蔵院

 板橋区の品のよい職員のおばさまが、南蔵院の境内に
 テントを張って、板橋区の文化財マップや史跡の絵葉書
 を配ったり、供養塔の説明をしたりしていました。

 質問している人もいなかったので、次の写真の出羽三山
 供養塔について色々と質問をして教えてもらいました。

 その説明によると、江戸時代に、この板橋地区の70名が、
 26日もかけて、山形県の出羽三山(月山、羽黒山、
 湯殿山)へ参拝に出掛けた時の記念の供養塔だそうです。
 


 供養塔の後ろに、その70名の名前が、名主などの身分
 と共に彫ってあります。
・志村の一里塚

 2基が1対で残っている一里塚は、非常に珍しいのですが、
 ここは中山道の両側に見事な一里塚が残っています。
 説明によると、明治以降は、多くの一里塚が消滅したのです
 が、ここは、中山道(国道17号)の道幅拡張工事の際も、
 その位置は動かさないで、周囲に石積みをして保全した、と
 あります。

・薬師の泉

 ここは、もとは薬師院大善寺という曹洞宗の寺院で、江戸
 名所図会にも出てきます。
 8代将軍・吉宗が、鷹狩りの際に、境内の崖から湧き出る
 清水を賞して、清水薬師と名付けたそうです。
・大山道道標・庚申塔、清水坂

 志村坂上駅の交差点から、国道17号から分かれて、旧
 中山道の清水坂に入ると、上の写真の左の大山道道標と
 その写真の右の庚申塔がありました。
 その先から、清水坂の急な下り坂が始まります。
 ここは、江戸時代には、富士山が右手に見える「右富士」
 として有名だったそうです。
 清水坂の坂の途中に、清水坂の碑がありました。



(荒川を渡ります)
・戸田の渡し場跡


 荒川を渡ると、渡し場跡の碑があり、また、近くに、
 水神の碑もありました。

(渡し場跡の碑)


(水神の碑)

水神の碑には、「水神宮・船玉大明神」と彫られています。
 なぜ、荒川を渡るだけなのに、水神様が必要?
 それは、江戸時代の人々は、今の様にプールも無かった
 ので、ほとんど泳げなかったそうです。
 な~るほど!
 だから、江戸時代の人は、大した川幅でなくても、渡し船が
 怖かったんだ!

(近くの戸田競艇場の広告看板)

板橋宿から蕨宿まで、9キロです。
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中山道を歩く(00:日本橋)10km   2012.10.29

2013-09-22 10:37:30 | Weblog

(写真は神田明神)
膝の痛みもほぼ消え、気候もウォ-キングに最適な時期
になりましたので、いよいよ中山道を、東京・日本橋
から京都・三条大橋まで歩くことにします。

・日本橋
 日本橋の上の道を、東海道と反対方向へ歩きだせば、
 それが中山道です。

 終点は、どちらも京の三条大橋なのに、始点の日本橋
 から逆方向に歩きだす、というのが面白いですよね!

 浮世絵は、栄泉の「日本橋 雪之曙(あけぼの)」です。
 朝日が昇り、日本橋の魚河岸は、早朝から魚を運んできた
 舟で混雑しています。

 魚河岸の背後は、白い漆喰(しっくい)の壁の蔵が並び
 壮観です!
 左端の男は、天秤棒で魚を運ぶ男で、隣の男は天秤棒を
 肩に担いでいます。
 橋の上の右端では、二人の人足が大八車を押していて、
 その横で芸者が二人で話をしています。
 絵の中央の開いた傘には、「霊厳島 竹内」と書かれて
 おり、チャッカリとこの浮世絵の版元の宣伝をしてます。
 開いた傘の右は、頭巾を被り裃を着た男がお供を連れて
 歩いています。

 ちなみに、栄泉が「木曽街道六十九次」で、上記の様に
 日本橋の雪景色を描いているのに対し、
 広重は、下記の様に「東海道五十三次」で、早朝に
 日本橋を渡る大名行列を描いています。
 広重の絵は、橋を横からではなく正面から描いた非常に
 珍しい構図です。 

 両脇に木戸を配し、その木戸が開いたことで、これから
 東海道五十三次の旅がスタートする事を示しています。
 橋の向こうからは大名行列が姿を現します。 
 手前の天秤棒を担いでいる魚屋は、道を開ける様に、
 静かに脇へ移動しています。
 橋の右の袂は、犯罪者を晒し(さらし)の刑にした
 晒し場だったので、木戸で覆い隠して、2匹の犬で
 暗示しています。
・三越
 次の写真の「三越」は、呉服商「三井越後屋」として、
 江戸庶民の憧れの的だったそうです。
 三越の前の道(国道17号)が中山道です。




(ひな人形師10人が店を構えた十軒店(じっけんだな)跡)
(今川橋跡)

(昌平橋)


・湯島聖堂
 湯島聖堂は、幕府直轄の当時の最高学府です。 
 案内板によると、ここが筑波大学やお茶の水女子大の
 発祥の地だそうです。
(湯島聖堂の庭の孔子像)




・神田明神

 神田明神下の銭形平次で有名な神田明神は、将軍家が
 江戸城下の総鎮守としたため、江戸時代には参拝客が
 多かったそうです。


・東京大学

 東京大学の敷地は、加賀の前田家の上屋敷の跡地です。
 加賀”百万石”だから、やはりこの様に広い屋敷だった
 んでしょうね。

 前頁の写真は、加賀藩主・前田斉泰が将軍家から溶姫を
 迎えるために建てられた朱塗りの門で、瓦には徳川の葵
 の紋と前田の家紋がみえます。
(安田講堂)

(加賀藩主・前田利常が造った池で、夏目漱石の「三四郎」で有名な三四郎池)

・かねやす

 本郷3丁目の信号の角のビルの衣料品店「かねやす」の
 前に、写真の江戸時代の川柳の
 ”本郷も かねやす までは 江戸のうち”
 があります。
 
 これは、大岡越前守が、江戸城から「かねやす」の土蔵
 までの範囲を”江戸”と定め、この間の家々については、
 瓦葺きなどの防火対策を施させた為だそうです。
・円乗寺
 白山1丁目の信号を左折し、浄心寺坂を下ると、大森の
 「鈴が森」で火あぶりにされた八百屋お七の墓で知られる
 円乗寺があります。



 行ってみると、円乗寺は驚くほど小さな寺でした!
 写真中央のお七の供養塔を、この寺の住職が建てた
 のだそうです。

・巣鴨・地蔵通り商店街

 ”おばあちゃんの原宿”として、平日でもお年寄りで
 大賑わいです。
 地蔵通り商店街といえば「塩大福」です。
 美味い!

 この巣鴨の商店街が、まさしく旧中山道の街道なのですね!
 この ”おばあちゃんの原宿”のメインストリートが
 江戸時代の中山道で、当時から、とげぬき地蔵のお参り
 等で賑わっていたというのは全く知りませんでした。驚き!
・真性寺
 地蔵通り商店街の入口にある真性寺に、写真の江戸
 六地蔵があります。

 江戸六地蔵は、旅の安全を願って、品川、新宿、巣鴨
 等の各街道の出入口6ヶ所に置かれました。

・とげぬき地蔵・高岩寺(こうがんじ)
 このお地蔵様をこすると”トゲを抜く”様に病が治る
 ということで、今日も大勢のお年寄りの長い行列で、
 近寄ることも出来ません!


日本橋から板橋宿まで、10キロです。
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「 横浜・山手西洋館で X'mas 」 2013.12.21

2013-09-21 00:57:28 | Weblog

(写真は、横浜・イタリア山庭園のキャンドルガーデン)
この時期、各地のクリスマスのイルミネーション
をご紹介してきました。

「山手線に沿ってXmas」(2009.12.21~25)、
「みなとみらいでXmas」(2008.12.24)、
「大江戸線に沿ってXmas」(2007.12.17~25)、「山手線に沿ってXmas」
(2006.12.19~26)

今年は、昨日行って来た横浜・山手西洋館です。
横浜の山手西洋館では、「イタリア山庭園 キャ
ンドルガーデン 2013」を開催しています。
各西洋館が、各国の特徴的あるクリスマス装飾の
紹介を行うイベントです。(各館とも入場無料)
この期間(11月23日~12月31日)は、各西洋
館の外観もライトアップされます。
更に、昨日(12月21日)一夜の限定ではありま
すが、「イタリア山庭園」が、見事なキャンドルガーデンとなります。
昨晩は、夕方5時に、地下鉄・元町中華街駅の
改札前のエレベーターに乗りました。
このエレベーターの最上階(屋上)は、何と!
アメリカ山公園です。
(このエレベーターに乗れば、元町中華街駅から外人墓地まで、
坂道を歩かないですみますよ。)
本日は、地下鉄・元町中華街駅近くの外人墓地
からスタートで、JR石川町駅近くのイタリア
山庭園がゴールです。
途中、山手の各西洋館の日没後の「世界のクリス
マス」を”駆け足”で見て回ります。

なぜ”駆け足”かというと、あまりゆっくり見て
回ると、イタリア山庭園に着いたときには、
2,000本のキャンドルの灯が消えてしまっているからです。

上の写真の山手十番館のレストランは、予約客で満員の様です。

(山手資料館)

以下は、山手234番館のフィリピンのクリスマスです。




以下は、エリスマン亭のチェコのクリスマスです。




以下は、ベーリックホールのオランダのクリスマスです。

 






(カトリック山手教会)


ベーリックホールからイタリア山庭園へは、暗い
歩道を、かなりの長い距離を歩きます。
     

以下は、イタリア山庭園内の外交官の家の
スウェーデンのクリスマスです。



テーブルには、手作りの美味しそうなケーキや
クッキーも並べられています。


以下は、イタリア山庭園内のブラフ18番館の
ノルウェーのクリスマスです。





以下は、「イタリア山庭園 キャンドルガーデン 2013」です。
イタリア山庭園では、並木、水路等にデザイン
された2,000本のキャンドルで、日没から19時
まで、庭園が優しい揺らめきの灯に包まれます。
電光のクリスマス・イルミネーションと違い、
ロウソクのイルミネーションは幻想的です!!
素敵なキャンドルガーデンをお楽しみください!







庭園内のテントでは、若い女性の聖歌隊グループ
がクリスマスソングを歌っていて、周りに人垣が
出来ていました。

イタリア山庭園からは、写真の様に、下の方に、
JR石川町駅が見えます。

イタリア山庭園の前の真っ暗で急な坂を下って
行くと、直ぐにJR石川町駅です。
キャンドルガーデンは1日だけですので、写真を
見て行ってみたくなった方は、来年、是非お見逃しなく!
でも、山手西洋館の「世界のクリスマス」は、
12月31日まで開催していますので、世界の
クリスマスだけならこれからでも大丈夫ですよ。
この場合、地下鉄・元町中華街駅の改札前の
エレベーターからスタートして、アメリカ山公園
からベーリックホールまで、山手西洋館を見な
がらで歩いて、ベーリックホールから元町中華街
駅まで引き返すコースをお薦めします。
各館の閉館時間は、12月21日(土)~24日
(火)は、19:00ですが、それ以外の日は、
17:00と早いので、ご注意ください。
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等々力緑地 散歩  2013.12.7

2013-09-20 23:55:43 | Weblog

このところ、風も無く絶好のウォーキング日和
だったので、昨日は好天に誘われて、近場の等々力緑地を散歩して来ました。

等々力緑地は川崎フロンターレの本拠地である
等々力競技場、アリーナ、陸上競技場、ミュー
ジアム等を併設している大きな総合公園です。

野球場、テニスコート、サッカー場、プールなど
多数の運動施設もあり、また、釣池や、子供たち
と一緒に遊べる公園もあります。



川崎フロンターレのメインスタジアムは改修工事中でした。
昨日は、J1の優勝をかけた横浜マリノスとの
試合がある、ということで、フロンターレの
ホームの等々力緑地全体が非常に混雑して
いました。



川崎フロンターレ独特のスタジアムの外の屋台の通りです。

モウレツにお腹が空いてきました!


「塩ちゃんこ」の行列に並びます。
次の写真は、等々力名物の「塩ちゃんこ」(400円)です!



川崎唯一の相撲部屋である春日山部屋と提携して作ってます。
うどんがたっぷりのちゃんこで、材料の出汁が
よく効いていて美味しいです。
ちゃんこが400円は安い!
ちゃんこを一気に食べましたが、未だ満腹とは
いかないので、更に、ブラジル料理の行列に並びます。
生ビールのつまみとして、「ヒゾリス(300
円)」、「シュラスコ(400円)」、「ソー
セージ(300円)」を頬張ります。

シュラスコは、買う際に、キャッサバの粉で
まぶすかどうか聞かれましたので、まぶす様に頼みました。
写真が白っぽいのは、その粉がまぶされている
からです。
肉は厚くジューシーで薄味で美味しいです。
ヒゾリスは、皮の中に、鶏の挽肉・コーン等の
具を詰めて揚げた物です。
食べやすくて美味しいです。
昼からビールが飲めて幸せ!
この2つを食べるためだけに、川崎のホーム
ゲーム開催日に等々力行っても良いかも・・・

私の本日の散歩の目的は、下の写真の「川崎市
市民ミュージアム」(博物館・美術館:無料)
の東海道・川崎宿についての資料を見物することです。

下の写真は、その市民ミュージアムの屋外に設置
されている産業遺産の「トーマス転炉」です。
日本鋼管京浜製鉄所で使われていた金属精錬用の
炉だそうです。



中に入ると、写真の様に、天井はすごい吹き抜け
になっていますが、等々力競技場の混雑に比べる
と、休日とは信じられないほど閑散としています。

(川崎宿の模型)

(万年屋の模型)


(万年屋の奈良茶漬け)

(江戸時代の旅人の人形)館内を見て回ります。

常設展示室では、川崎の歴史に関する様々な資料
を、原始時代から近世まで順を追って展示しています。


(二ケ領用水の分水器)
(二ケ領用水については、2009.10.23「二ケ領
 用水に沿って」のブログを見てね。)
またここのホールは、写真・漫画・ポスター・
映像などの展示に力を入れているみたいです。

また映像ホールでは、古い名作映画の定期上映を
行っていて特徴のある美術館です。映画好きの方は必見かも。2階の企画展示室では、2~3ヶ月周期で様々な企画展を行っています。(800円)

市民ミュージアムの外に出ると、武蔵小杉の高層
ビル群が見えます。

ふるさとの森を通って、釣り池の前のベンチで
一休みします。
釣り池の窓口の説明書きをみると、釣り道具持参
でないと入れないみたいです・・・



釣り池の後ろは、川崎フロンターレの陸上競技場
で、優勝決定戦の応援の声がこのベンチまで響いてきます。
最後に、等々力緑地へのアクセスについてです。
帰りは、緑地公園から武蔵小杉駅まで徒歩約30分
を歩きましたが、分かりづらかったのでお薦めできません。
等々力緑地には、駐車場があるので車でも行け
ないことはないですが、電車だと武蔵小杉駅から
バスを利用するほかなく、アクセスにはちょっと不便な場所にあります。
JR武蔵小杉駅北口にあるバスロータリーから、
バスに揺られること約10分、「市民ミュージアム」で下車します。

バスは1時間に4~6本ほど出ているので、待ち
時間もあまり気にせず行けます。
徒歩の場合は、JR武蔵中原駅からの方が直線的
で分かり易いらしいです。
本日の結論からいうと、等々力緑地は、どちらか
というと競技場・ホールが中心の公園でした。
従って、広々とした緑地をイメージして行くと期待外れかも・・・
また、アクセスが不便なので、川崎・横浜市民の
方、及びフロンターレファンの方以外は、遠く
からわざわざ出掛けるほどの公園では無いかも・・・
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志賀島と海の中道(博多湾) 2013.9.29

2013-09-20 23:22:34 | Weblog
実家の熊本で緊急の用件が発生したため、9月
20日(金)から本日・29日(日)迄の10日間、帰省してきました。
そして、帰りは、航空便の都合で、今朝、JR熊本
駅から博多駅に向かい、今夜、福岡空港から羽田
空港へ戻って来ました。

福岡で、飛行機の出発まで、4時間くらいの空き
時間が出来たので、学生時代によく行った志賀島
と海の中道へ寄って来ました。

JR博多駅からバス15分で、志賀島行きの船が
出ている博多埠頭(ベイサイドプレイス)です。
上の写真は、博多湾内でランチを楽しみながら、
ヤフードーム、博多タワーなど、海から博多の
街を眺めるクルーズ船です。

博多埠頭から、市営の渡船で志賀島へ向います。



志賀島は、玄海国定公園の中にあり、国宝の
”漢の倭(わ)の奴(な)の国王”の金印が
発見された島として有名です。
博多港を出た船は、西戸崎港と大岳港に寄り、
35分で志賀島港に到着します。(650円)

夏は、目の前に白砂のビーチが広がり、海水浴で
賑わう志賀島ですが、普段はひっそりとした漁師
町で、金印公園以外には、海鮮料理店が数店ある
くらいで、これといった見どころもありません。
志賀島港から暫く歩いて、金印が発見された場所
に造られたという金印公園に着きました。

下の金印の碑と説明板の写真を撮っていると、
いきなり、傘をさしていても、ずぶ濡れになって
しまう様な激しい雨が!!

天気予報は曇りなのに何でこんな土砂降りに!




ちょうど、そこへ、1時間に1本という海の中道
海浜公園行きのバスが来ました。
360度の視界が広がるという絶景スポットの潮見
公園展望台へ行くのを止めて、取り敢えずバスに乗ります。バスは、志賀島と九州本土をつなぐ細長い砂州の「海の中道」を通り、海の中道海浜公園へと向かいます。

バスの終点の海の中道海浜公園(国営)に着いた
ら、あんなに激しかった雨が止んだので、400円
を払って公園に入ります。

花の丘、動物ふれあい広場、大観覧車、冒険の池、
野鳥の森、バラ園、等々あり、とても歩いて
は見て回れない様な広大な園です!
入園してまもなくの大噴水まで歩いたところで、
再び、激しい雨が・・・取り敢えず、園内をバスで1周する写真のパークトレイン(1週約30分で300円)に乗り込みます。



どうせ歩いて周るのは無理なので、まあいいか。
パークトレインを降りたところで、空き時間の
残りが1時間半くらいになったので、慌てて福岡空港へ戻ります。
海の中道海浜公園の最寄り駅は、JR香椎線の
海の中道駅ですが、鉄道ファンの私は、香椎線
の始発駅の西戸崎駅から乗ります。



香椎線を香椎駅で鹿児島本線に乗り換えて、博多
駅へ向かいます。
(西戸崎駅から博多駅まで約40分です。)

博多駅から福岡空港は地下鉄で5分と近いです。
出発のちょうど20分前に搭乗口に着きました!
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JR鶴見線・海芝浦駅  2013.9.19

2013-09-19 20:23:55 | Weblog

(写真は、鶴見つばさ橋)
JR鶴見線・海芝浦駅は「出口のない駅」として、
また「海に最も近い駅」として鉄道ファンの間では有名です。
この京浜工業地帯のド真ん中を走るJR鶴見線は、
工業地帯・川崎市のイメージですが、実は、何と!
我が横浜市(鶴見区)を走っているのです!
という訳で、鉄道ファンを名乗る私としては、
一度は実際に、海芝浦駅へ行ってみないとマズイと思い出掛けて来ました。

JR京浜東北線の鶴見駅から、鶴見線に乗り換えて、
終点の海芝浦駅へ向います。
(JR鶴見線に沿って歩いたときの”不思議な
体験”話は2008.11.2の「鶴見線に沿って」を見てね。)

鶴見線のスタートの鶴見駅から、「海芝浦」行き
13:00発の電車に乗ります。

鶴見線は、鶴見駅が始発駅ですが、途中で行き先
が3つに分かれるので、終点は3駅あり、その
一つが「海芝浦」駅です。
工場地帯への通勤電車をイメージしていたので、
工員風の若い人が多いかと想像していたら、意外
とスーツ姿のエンジニア風のサラリーマンがほとんどです。



昼間は2時間に1本なので、ほとんど乗客はいな
いのかと思っていましたが、発車時刻になったら満席です。

電車は工業地帯を縫って進みますが、工場への
引込線でしょう、途中には様々な線路が複雑に入り乱れてます。
駅と駅の間が短く、鶴見→国道→鶴見小野→
弁天橋→浅野→新芝浦→海芝浦と進み、約10分で、あっという間に終点です。

エンジニア風の人達20人くらいと、リタイア風
のオジサン2人、それに私が終点「海芝浦」で降ります。

下の写真の様に、ドアが開くと、ホームの横は、京浜運河の海です。



改札口らしき場所は、写真の様に、東芝工場の
通用門になっていて、噂の通り、東芝の社員証が
無いと、”改札口”から出られません!



(改札口の守衛室には、一般用のトイレがあり使えます。)
東芝の社員証が無くて、東芝工場に用事のある人
は、「海芝浦」の一つ手前の「新芝浦」で
降りないといけないそうです。
東芝工場は、新芝浦から海芝浦まで延々と続いて
おり、一般の人の受付は、新芝浦駅の前にあるからだそうです。

「海芝浦」駅のホーム内の京浜運河沿いに、上の
写真の海芝公園があって、ベンチに腰掛けて海を眺めることが出来ます。

ホーム内とはいえ、案内板によると東芝の私有
地みたいです・・・この公園からの見晴らしは
素晴らしく、絶景スポットです!!

対岸の扇島を通る首都高湾岸線の「鶴見つばさ橋」が正面に見えます。
その左側には、扇島のコンビナート群が見えます。

ホームの時刻表を見ると、昼間は2時間に1本しかありません。

しかし、いくら絶景でも、この狭い公園で2時間
もやることがありません・・

急遽、予定変更して、乗ってきた電車で、先ほどのリタイア風のオジサン2人と一緒に戻る事にしました。

改札口はありませんが、下の写真のSuicaの出場用と入場用の端末が設置してあり、この両方にタッチしてから戻ります。


Suicaの端末以外に、自動券売機もあり、ここで帰りの乗車券を買うことも可能です。


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国立科学博物館 (「風立ちぬ」) 2013.9.18

2013-09-18 09:06:30 | Weblog

(写真は「風立ちぬ」のゼロ戦)

遅ればせながら、宮崎駿監督の「風立ちぬ」を見に行きました。

ゼロ戦の設計者として知られる堀越二郎と、同
時代に生きた文学者・堀辰雄の実在の2人を
モデルに、主人公の青年技師堀越二郎が、不況、
関東大震災、第二次世界大戦の時代を駆け
抜けたその青春の生きざまを描いています。

そして、主人公と結核の薄幸の少女との出会いと
別れの愛が、ストーリーの中心になっています。
これまでの宮崎駿監督作品と全く異なる作風でし
たが、本作品で引退ということなので、この映画
のストーリーは、監督が最後に言いたいことだったのでしょうね。
映画の中では、主人公が設計したゼロ戦の飛ぶ姿
が非常に美しく、印象的でした。

感動したあまり本物のゼロ戦を見たくなりました。
というわけで、上野の国立科学博物館へ足を運びました。
上野の街へ行ってみると、ダイオウイカの深海展
で大盛り上がりです。



国立科学博物館は、JR上野駅・公園口から徒歩
5分です。(入場料 600円 但し、ダイオウ
イカで話題の深海展は、10/6までで、別途
1,500円)ゼロ戦(零式艦上戦闘機)の本物は、
地球館の2階にありました。

「風立ちぬ」のヒット以来、このコーナーを訪れる
映画ファン、家族連れ、カップルが急増したらしいです。
こちらのコーナーに展示されている零戦21型は、
ニューブリテン島付近の海中から引き上げられた機体らしいです。
エンジンのカバーは取り外されていて、エンジン
をよく見る事が出来ます。

映画に出てくる零戦の空気抵抗を少なくするため
に開発された「沈頭鋲」についてのビデオ説明があります。
映画の場面と同じだ!

また、映画に出ていたのと同じゼロ戦の設計図や、
設計の概要計画書も展示されています。

そうか!!
「風立ちぬ」の映画の具体的な場面は、ここに取材
に来てヒントを得たんだ!

映画以外でも、堀越二郎作「零戦その誕生と栄光
の記録」と堀辰雄作「風立ちぬ」の2冊の本が
よく売れているらしいですよ。

更に、地球館の2階には、江戸時代の発明家・
田中久重(東芝の前身の田中製造所の創設者)
の「万年自鳴鐘(万年時計)」が展示されて
います。

たまたま、先日、テレビで、この万年時計の特集
をやっていましたが、この時計の1,000点を超え
る部品は、全て田中久重の手作りだと言っていました。驚き!

テレビ特集は、2005年に、文部科学省の「万年
時計復元・複製プロジェクト」チームによって、
分析・復元され、このプロジェクトによって
製作されたレプリカが「愛・地球博」で展示
されるまでのドキュメントでした。

またゼロ戦と同じ地球館の2階に、「はやぶさ」
の実物大の模型があり、はやぶさが持ち帰った
「イトカワ」の破片を顕微鏡で見ることが出来ます。


それから、ダイオウイカで話題の深海展は、地球
館の隣の建物で開催中です。

世界最大の無脊椎動物とされるダイオウイカは、
大きなものは全長18メートルもあり、古くから
「幻の巨大イカ」として船乗りに恐れられたそうです。

潜水調査船「しんかい6500」の実物大模型、
約380点の深海生物標本などが展示されています。


深海展のお土産コーナーでは、何と!実物大の
ダイオウイカの縫いぐるみを売っています!

買う人いるの?
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散歩の寄り道(その25:ロック)  2013.9.14

2013-09-15 08:17:37 | Weblog

(写真は、Jazzealのポスター)
昨日は、明治通りをウォーキングしてから、原宿
のライブハウス「ラドンナ」へ行って来ました。(入場料4,500円)

これまで、ライブについては、フォークソング
(2009.11.11)、ジャズ(2011.7.7)、オール
ディーズ(2011.8.26)、フラメンコ(2012.4.11)、
ジャンルを超えた音楽(2012.4.15)と、この
ブログでご紹介してきましたが、今回は、
バンド”Jazzeal”が演奏する60~70年代のロックです。

Jazzealは、60~70年代のロックの名曲を
ジャズ化して演奏しています。
メンバーの山田達也君は、私の友人で、Jazzeal
のドラマーであり、またX-JAPANの
TOSHIなどに曲を提供した作曲家でもあります。

Jazzealの他のメンバーは、ベース:関雅夫、
ピアノ:Yossy、ボーカル:小島恵理です。
ライブの前半は、ビーナスやイエスタディなどの
名曲をベースにしたジャズです。

そして、後半は、突然、客席のお客さんに、この
夏の思い出話を聞いて、その思い出のストーリー
を、メンバーが即興で曲にして演奏してみせたり、
曲のイントロクイズをしたり等、お客を飽きさせ
ない趣向がいっぱいです。
司会はメンバーの女性で、軽妙な語り口で楽しいショーですよ。

ラドンナには、六本木のライブハウス・ケントス
(オールディーズ)の様な専属バンドはないので、
毎日違うバンドが出演しています。
原宿に行ったら、ふらりと、ライブハウス・
ラドンナに入ってみてはいかがでしょう?

ワインやウィスキーを飲みながら、そしてピザを
パクつきながら、ジャズに興じるのも、また楽しいですよ。

ラドンナの客席数は150席くらいでしょうか、
料金は入場料以外に食べ物が2,000~4,000円、
お酒が1,000~2,000円といった感じです。

下の写真は、JazzealのアルバムCDです。
ジャジール デビュー!
クリエーター情報なし
インディーズ レーベル
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