ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

一乗谷の朝倉氏遺跡(福井県) 2019.10.8

(写真は、復元された「一乗谷の朝倉氏の遺跡」

 の町並み)


「バスで行く奥の細道」のツアーのメンバーは

全員が歴史好きです。

 

バスツアーでは、芭蕉も訪れた福井県の永平寺

を見学しましたが、永平寺まで来たのなら、

すぐ近くの「朝倉氏の一乗谷」へどうしても

行ってみたい、との皆さんの要望で、急遽

「一乗谷」にも立ち寄ることになりました。

 

戦国時代、「一乗谷」には、5代100年間に

わたって、越前国(福井県)を支配した朝倉氏

の城下町がありました。

そして、朝倉氏が織田信長に滅ぼされた後は、

一乗谷はそのまま見捨てられ、長い間、

田畑の下に埋もれていました。

その後、何と!400年を経て、この一乗谷の

城下町が、近年発掘されました!

遺跡としては、長い間、見捨てられて田畑の下に

埋もれていたのが幸いしたのでしょう、戦国時代

の町並みが、奇跡的に当時のままの姿で発掘

されたのです!

武家屋敷や町屋から道路に至るまで、町並がほぼ

完全な姿で発掘され、国の重要文化財・特別

史跡・特別名勝に”三重指定”されました!

最近のお城ブームで、天守閣や櫓などの復元は

あちこちで行われていますが、戦国時代の城下町

の町並みの復元は非常に珍しく、歴史ファン必見

です!!

一乗谷は、福井市の南東約10キロに位置する、

上の航空写真の様に、細長い谷間です。

三方を山で囲まれた一乗谷は、ただ一つの出口の

足羽川が外堀の役目を果たし、両側の峰の上には

「一乗谷城」が築かれていました。

一乗谷城は、一度も戦闘に使用されることなく

廃城となってしまいました。

 

現在でも、一乗谷城の曲輪、空堀、土塁などの

遺構が、尾根や谷筋に沿って残っているそう

です。

しかし、年寄りが多い我々「奥の細道ツアー」は、

山の上の一乗谷城へは登りませんでした・・・

 

かっては、この一乗谷の谷間には、朝倉氏の館を

はじめ、武家屋敷・町屋・職人屋敷などが整え

られていました。

また、応仁の乱により荒廃した京から多くの公家

や文人たちが、この一乗谷に避難してきたため、

華やかな文化が花開き、「北の京」と呼ばれて

いました。

 

1573年、織田信長は、柴田勝家を先鋒として

一乗谷に攻め込み、町並みに放火しました。

この放火は三日三晩も続き、それまで繁栄を

極めていた一乗谷は、全てが灰燼に帰して

しまいました。

 

我々のバスツアーは、一乗谷の朝倉氏遺跡の

駐車場で下車して、武家屋敷の散策を開始

します。 

ここで発掘された塀の石垣や建物の礎石を

そのまま使って、戦国時代の町並みが復元

されています!

建物の柱や壁・建具なども、出土した遺物に

基づいて、正確に復原されているそうです。

前頁の写真の左手は、「中級武家屋敷の門」で、

屋敷の中は、下の写真の様に、井戸や小屋等が

あります。

 

 

 

武家屋敷の家の中では、上の写真の様に、武士が

将棋を指していました。

 

 

写真は、仕切りのない広い空き地ですが、「重臣

の屋敷」跡が並んでいた場所です。

 

 

重臣の屋敷地区は、1つ1つの区画が大きく、

基礎石や井戸の跡は残っていますが、建物は

復元されていません。

 

写真は、「庶民の町屋」が並んでいる区画です。

町屋の中は、次頁以降の写真の様に、当時の

生活の様子が覗える様に展示されています。

 

 

 

町屋の広場には、上の写真の様に、共同の井戸や

トイレがあります。

上の写真は、朝倉氏遺跡の中の資料館で、下の

写真は、館内に展示された復元街並みの

ジオラマです。

 

 

一乗谷川を橋で渡り、当主の朝倉氏が居住した

「朝倉館」跡へ歩いて行きます。

写真は、朝倉館の入口の「唐門」です。

 

現在の唐門は、江戸時代中期に、朝倉義景の

菩提を弔うために建てられたのだそうですです。

ここ朝倉館には、室町幕府の15代将軍・足利義昭

も招かれていたことでしょう。

朝倉館跡の中には、写真の「朝倉義景の墓」が

あります。

朝倉義景は、織田信長によって滅ぼされた朝倉氏

五代の最後の当主です。

朝倉館は、山の斜面まで続き、山側には、上の

写真の「朝倉義景館跡庭園」がありました。

 

そして、この山の上に「一乗谷城」遺構が

あります。

 

 

 

 


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

ウォーク更家
甲州街道はボチボチと
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
あけましておめでとうございます。

そうでしたか、一乗谷は、最強の城だけではなくて、ブラタモリでもやっていましたか。
再放送を見逃さない様にします。

ええ、立派な再現遺跡なので、これからも観光客は急増すると思いますよ。

甲州街道のアドバイスをありがとうございます。

そうですか、今、鳥沢ですか。
やはり、恐れた通り、起伏の多い山道ですか。

昨年は、股関節炎をやって、街道歩きから奥の細道のバスの旅に切り替えたので、今年の甲州街道は無理をせずに、ボチボチ歩きます。

今年も、よろしくお願いします。
みや
一乗谷 甲州街道
http://miyakatsu1968.livedoor.blog/archives/cat_45529.html
あけましておめでとうございます。
そして、ご無沙汰しております。

一乗谷はブラタモリでも取り上げられています。
調べると昨年の2月の放送で、観光客も急増しているそうですよ。
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/934038

今年は甲州街道に挑戦とのこと。
私も鳥沢まで歩いていますが、なかなか先に伸びません。
県境(東京・神奈川・山梨)辺りは起伏があり、見どころも多いので無理せず楽しんでくださいね。
ウォーク更家
私も偶然一昨日(1/4)
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、私も、たまたま、テレビ番組で最強の城をやっており、その投票で、一乗谷が日本全体で1位になったので、凄く驚きました!

そうですか、ということは、礎石だけだったのが、hide-sanさんが行かれた後に、あそこまで立派な城下町の建物が復元されんですね。
hide-san
偶然 昨日(1/4)
https://blog.goo.ne.jp
NHKTVで一乗谷の朝倉氏遺跡を紹介しておりました。

ボクが以前通った時は、本当に跡だけが残って居る状態でしたので、
復元された遺跡に会って驚きました。

ウォーク更家
戦国時代の一乗谷
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
あけましておめでとうございます。

今年も宜しくお願いします。

一乗谷という名前も、戦国時代らしくてワクワクしますよね。

往時をとどめて発掘された一乗谷の城下町、一見の価値がありますので、福井へお出掛けの際は、是非、立ち寄ってみて下さい。

確かに、そういわれれば、金沢の武家屋敷と似た土塀でした。
もののはじめのiina
新年おめでとうございます 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/787e15accc058ed7227a474ed4db9033
一乗谷は、戦国のひびきがあります。
その一乗谷の城下町が、往時をとどめて発掘されたとは初めて知りましたが、行きたい気にさせられます。

土塀が、金沢の武家屋敷の雰囲気です。北陸は似るのでしょうね。

年賀状には旅先の景色を載せていましたが、ことしは干支はじめでもあり笑撃ミッションインポッシブルを採用しました。



名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「街道歩き」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事