ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

原宿・太田記念美術館 「月岡芳年の血と妖艶」 2020.8.26

2020-09-25 18:44:26 | Weblog

(写真は、月岡芳年展のポスター)


六本木・森美術館、上野・東京都美術館、神奈川県立歴史博物館、川崎浮世絵ギャラリー、東京ステーションギャラリーに続いて、今回は”美術館で浮世絵鑑賞”の6回目で「月岡芳年ー血と妖艶」です。

 


JR山手線の「原宿駅」で下車、下の写真の表参道口から出ます。  

原宿駅は、第二次大戦での焼失を奇跡的に免れ、都内最古の木造駅舎として親しまれてきましたが、老朽化して手狭になったため、現在、解体工事中です。

でも、出来るだけ旧駅舎を再現して、新しい駅ビルと一体化した建物にするらしいです。

上の写真の左側が新しい原宿駅の駅ビル(表参道口)で、右側が解体工事中の旧駅舎です。

原宿駅の表参道口から、表参道を青山方向へ1分くらい進み、最初の路地を左折すると、もう、写真の「太田記念美術館」が見えます。

会場:原宿・太田記念美術館:月岡芳年の血と妖艶: 会期 ~10月4日:月曜休館:800円、館内撮影禁止)

会場の「原宿・太田記念美術館」は、上野・東京都美術館」でご紹介しました様に、浮世絵専門の「三大浮世絵美術館」の一つです。            

 

「月岡芳年」(つきおか よしとし)は、江戸末期の人気浮世絵師「歌川国芳」(うたがわくによし)の弟子です。

芳年は、ジャンルを問わず、幅広い題材をテーマにした多作の絵師として、幕末から明治期の浮世絵界をリードしました。

また、歌舞伎の残酷シーンや、戊辰戦争の戦場等を題材にした無残絵から「血まみれ芳年」とも呼ばれ、三島由紀夫、江戸川乱歩、芥川龍之介などの作家に多くの影響を与えました。

そして、その作品数は、何と!、”1万点”と言われていますから驚きです!

前々回の川崎浮世絵ギャラリー」で、晩年の月岡芳年の「月にまつわる故事や伝説を描いた:月百姿(つきひゃくし)」についてご紹介しました。        

今回は、芳年の歴史画、美人画、妖怪画などなど、その非常に幅広い領域の全般についてご紹介します。

以下の写真は全て、館内の特設ショップで購入した本展覧会の図録(2,000円)からです。

 


慶応4年、鳥羽伏見の戦いをきっかけに、薩摩藩・長州藩を中心とした新政府軍と、東北諸藩を中心とした旧幕府軍による「戊辰戦争」が勃発します。

その中で、慶応5年、旧幕臣で結成された彰義隊(しょうぎたい)と新政府軍が、現在の上野公園で衝突する「上野戦争」が起こりました。

このとき、芳年は、この上野戦争の取材に赴き、実際に死を目の当たりにしながら、新政府軍の前に敗れゆく彰義隊の姿を描きました。

芳年は、写生を大切にしており、幕末には斬首された生首を、この上野戦争では戦場の死体を写生しています。

「東台 山王山戦争之図」

「東叡山 文珠楼焼討之図 慶応戊辰五月十五日」                                    

その後、明治10年、明治政府に不満を募らせていた薩摩士族が新政府軍の拠点である熊本城へ侵攻し「西南戦争」が勃発します。

写真や活版印刷の登場によって、浮世絵が衰退してゆくなか、明治時代の浮世絵師が活躍する場となったのが新聞でした。

新聞は、江戸時代の瓦版の役割を引き継ぎながらも、定期性や迅速性を併せ持った、新たなメディアとして庶民に浸透していきます。

また、新聞は、定期購買者向けに、芳年の錦絵を付録として配布していました。

西南戦争は、当時の新聞で、英雄の西郷隆盛を中心とした、膨大な数の錦絵によって報じられ、人々の大きな関心を集めました。

芳年も、多くの西南戦争錦絵を手掛けましたが、上の絵の「西郷隆盛霊幽冥奉書」(さいごうたかもりのれいゆうめいにほうしょす)は、すでに戦死していた西郷隆盛を幽霊として描くという珍しい題材です。


月岡芳年は、いわゆる美人画も多く残しています。

上の絵は、「風俗三十二相」の「しだらなさそう(しまりがない)」です。

他にも、嬉しそう、痛そう、暖かそう等、「○○そう」というテーマで、様々な身分、職業の女性たちの感情を豊かに描きました。

 


上の絵は、島原の乱で幕府の総大将の板倉重昌を打ち取った砲術家の「駒木根八兵衛」(こまぎね はちべえ)です。

鉄砲を向けている視線が、鑑賞者に向けられているような構図となっています。

(島原の乱で討ち死にした幕府の総大将の板倉重昌については、「島原の乱の真相」を見てね。)                                  

 


上の絵は、佐倉藩の苛政に苦しむ農民を救うために将軍に直訴して処刑された下総国の「佐倉惣五郎」(さくら そうごろう)です。

写生を重視する芳年は、佐倉惣五郎を描くにあたって、実際に弟子を柱に縛り付けて写生したというエピソードが残されています。

上の絵は、黒塚の鬼婆伝説を題材にした「奥州安達がはら ひとつ家の図」です。

食人鬼と化した一ツ家の老婆は、今宵もまた捕らえてきた身重の女を吊るして、これから妊婦の腹を切り裂こうと、念入りに包丁を研いでいます。

(奥州安達がはらについては、「バスで行く奥の細道・安達ケ原の鬼婆」を見てね。)                                              

明治政府は、この絵を風紀を乱すとして、発禁処分にしました。


晩年に発表された「月百姿」(つきひゃくし)は、月岡芳年の浮世絵師人生における集大成と言える作品です。

月と和漢の物語や歌などを題材にし、武者絵、役者絵、美人画、歴史画、動物画など多岐に亘り全100図の錦絵で構成されています。

(「月百姿」の詳細については、「川崎浮世絵ギャラリー」を見てね。)                                                                                                                                                   


    

上の写真は、既に、日本で読本として翻訳されていた中国の「西遊記」ですが、錦絵シリーズとして初めて刊行されました。


数多くの作品を残した芳年ですが、残酷な殺戮シーンや死骸を描いた「血みどろ絵(無惨絵)」と通称されるジャンルも手がけました。

しかし、意外にも残虐絵の数は限られ、その多くは、江戸から明治への激動期で、実際に、多くの血が流れていた最中に生まれました。

従って、血みどろ絵は、月岡芳年の個人的な趣向というより、このような時代背景の中で、版元や新聞社の意向に沿って描かれたのかも知れません。

上の絵の「直助権兵衛」は、「東海道四ツ谷怪談」を題材とした作品で、悪人の直助権兵衛(なおすけごんべえ)が、男の皮を剥ぐなんともショッキングな場面が描かれています。

(「東海道四ツ谷怪談」については、「甲州街道を歩く・日本橋から新宿へ」を見てね。) 

また、冒頭のポスターでも取り上げた上の絵は、「英名二十八衆句」の「因果小僧六之助」です。

因果小僧六之助は、講釈や大岡政談で有名な「雲霧仁左衛門」という盗賊の部下で「雲霧五人男」の一人です。

 

芳年は、多くの「怪奇画」と呼ばれるジャンルの絵も多く描いており、その代表作が明治22年刊行の「新形三十六怪撰」(しんけい  さんじゅうろく かいせん)です。

「新形三十六怪撰」は、歌舞伎、浄瑠璃、謡曲、伝説、民話などから幅広く題材を取り上げ、幽霊や妖怪などを描きました。

「新形三十六怪撰 仁田忠常洞中に奇異を見る図」 (にったただつね どうちゅうに きいをみる ず)

源頼家は、富士の裾野での狩りの際、家臣の仁田忠常に、剣を与え人穴探索を命じました。

この穴は狭くて前へ進むしかなく、進んでいくと、突然光が当たって、たちまち家来4名が急死しました。

このとき、忠常は、主君から授かった剣を川に投げ入れて、この難を逃れました。吾妻鏡から)


更に、明治に入ると、故事や歴史的人物を題材とした「歴史画」を多く制作しています。

芳年による「歴史画」には、明治政府が国民教育の一端として企画したと思われるものもあります。

そのため、天皇の正当性を示すものや、明治政府が目指す歴史教育を分かりやすく説明する作品が中心になっています。

下の絵は、その代表作の「大日本名将鑑」(だいにほん  めいしょう かがみ)で、神話の時代から江戸時代初期までの歴史上の人物を、通史的に描いたシリーズです。

「大日本名将鑑 素戔嗚尊(すさのおのみこと) 稲田姫」

素戔嗚尊が、ヤマタノオロチ(大蛇)を退治し、稲田姫を救った伝説を描いたものです。

 


この「美術館で浮世絵鑑賞」シリーズも、今回の6回目で一応終了しますが、この6つの美術館以外にも、浮世絵鑑賞には外せないすみだ北斎美術館」もありますので、こちらもクリックしてみて下さい。                       

次回からは、猛暑のため中断していた甲州街道踏破を再開しますのでお楽しみに!

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4 コメント

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コロナ (hide-san)
2020-09-26 16:37:23
持病があって、コロナが恐ろしくて、
身動きできないでいますが、
GOTOトラベルに東京も入ることだし、
そろそろお出かけしようかなぁと、
思う今日この頃です。

コロナの感染はボクにとっては、絶体絶命のウイルスで、
まだ二の足を踏んでいる状況です。
10月に入ったら主治医との相談で・・・

楽しいブログをありがとうございました。
コロナが怖いけど (ウォーク更家)
2020-09-26 17:11:32
私も、持病の糖尿病があって、コロナが恐ろしく、おっかなびっくりで、美術館巡りをしています。

まあ、完全事前予約制のために、コロナの前よりも空いていて、3密を避けられるので続けてきましたが・・・

そうですね、私も、自粛疲れで、そろそろ遠出をしようかなぁと、来月に鳴子温泉、再来月に銀山温泉を、GOTOトラベルで予約しました。
本題ですが・・・・ (tada0x)
2020-10-02 19:48:38
月岡芳年のこと、いろいろ教えていただきました。
ぼくの貧しい連想で、団鬼六を引き合いに出しましたが、この絵は黒塚の鬼婆伝説を題材にした「奥州安達がはら ひとつ家の図」を描いたものだったんですね。

しかも、明治政府から発禁処分になったものとか。
風紀紊乱はわかっていたでしょうに、あえて発表した反骨精神に注目です。
題材の領域の広さに驚き (ウォーク更家)
2020-10-02 20:10:35
実は、原宿太田美術館と川崎浮世絵ギャラリーのブログアップの順序が逆転しており、原宿(8/26)で非常に興味を惹かれたので、その後川崎(9/15)に行きました。

私も、月岡芳年については、以前、団鬼六的な先入観があって、余り気が進まないで原宿に出かけたのですが、その領域の広さに、ド肝を抜かれました。

原宿で観た作品のその領域の広さと作品の多さに、ブログの文章が纏まらず、原宿の文章を纏めるのに時間を要し、ブログアップの順序が逆転しました。

黒塚の鬼婆伝説を題材にした「奥州安達がはら ひとつ家の図」の黒塚は、奥の細道のバス旅行で訪れたので、鬼婆が住んでいたという岩屋の風景が蘇りました。

そうですね、当時の明治政府からする、発禁は予想出来ますから、反骨精神の持ち主だったんでしょうね。

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