ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

バスで行く「奥の細道」(その39)  「曽良との別れ」(山中温泉:石川県) 2019.6.11

( 写真は、「芭蕉と曽良との別れ」)

 

加賀の国(石川県)では、「金沢」を発った「芭蕉」は、

「山中温泉」へと向かい、何と!、この温泉に8日間の

長きわたって滞在しました。

芭蕉は、奥の細道の中では、いくつかの温泉地に宿泊して

いますが、これほど長く滞在した温泉は「山中温泉」だけ

です。

 

そして、山中温泉は、長らく奥の細道を共に旅をしてきた

「曾良との別れの地」でもあります。

 

実は、曾良は、越中(富山県)から金沢(石川県)に入る

あたりから、体調不良で医者にかかっており、健康を害して

いました。

 

曾良は、几帳面で責任感の強い性格だったので、師である芭蕉

の同行者として、何かと気を使い、そこから生じたストレスで

腹痛となり苦しんでいた、と言われています。

ここ山中温泉に、8日間も浸かって静養するも、回復せず、

このままでは、師匠である芭蕉の足手まといになると

考えます。

幸いなことに、金沢からは、芭蕉の弟子の「北枝」(ほくし)

が新たに随行していることもあって、曾良は、山中温泉で

芭蕉と別れ、伊勢長島の親戚をたよって一人で旅立ちます。

 

我々のバス旅行は、山中温泉の守護寺である「医王寺」に到着

しました。

 

山中温泉で、芭蕉と曾良が、最初に訪れたのが「医王寺」

です。

医王寺は、下の写真の様に、温泉街を見下ろす高台に建って

おり、薬師如来が祀ってあります。

 

医王寺の宝物館には、松尾芭蕉が山中を訪れた際に忘れて

いった「芭蕉の忘れ杖」が収められているそうです。

 

境内には、次頁の写真の芭蕉句碑がありました。

”山中や 菊はたおらぬ 湯の匂” (芭蕉)

(山中温泉は、延命長寿の効果のある湯の香が満ち満ちている。

   あの謡曲「菊滋童」(注)の様に、菊を折ってその葉の

 露を飲む必要はない。)

(注)「菊滋童」(きくじどう):中国の周の王に仕えた童で、

        不老不死の薬である菊の葉の露を飲んで700歳

    まで生きた。

 

我々のバス旅行は、医王寺を出て、山中温泉の中心街を散策

します。

「山中温泉」は、奈良時代に行基が発見したとされる名湯です。

芭蕉は、山中の湯を、有馬・草津と並ぶ「扶桑(ふそう:日本

のこと)の三名湯」と称えました。

 

上の写真は、共同浴場「菊の湯(女湯)」(写真の左側の

建物)に併設されている「山中座」で、山中節の唄や、

芸妓の踊りなどの山中伝統の芸能演芸をやっているそう

です。

上の写真は、共同浴場「菊の湯(男湯)」です。

山中温泉の総湯「菊の湯」の名称は、医王寺の芭蕉句碑で

ご紹介した”山中や 菊はたおらぬ 湯の匂” の句に由来して

います。

芭蕉は、この「菊の湯」近くの老舗の温泉宿「泉屋」に宿泊

しました。

写真は、「泉屋跡」の石碑です。

「泉屋」の主人の「久米之助」(くめのすけ)は、まだ14歳

の若者でした。

芭蕉は、彼に俳句の手ほどきをして、更に、”桃の木の 

其葉ちらすな 秋の風”(注)の1句を添えて、彼に

「桃妖」(とうよう)の俳号を与えました。

(注)句意:これから俳諧の道を歩もうとする若々しい

桃妖よ、どうかその素晴らしい才能を伸ばしておくれ。

桃の木は、久米之助(桃妖)を指しています。

この「泉屋跡」の近くに、上の写真の「芭蕉の館」があり

ます。(200円)

 

入口には、芭蕉と曾良の別れの場面を再現した上の写真の石像

と、そのときに詠んだ次頁の写真の二人の句碑がありました。

 

二人はこれまでの旅を振り返りながら、それぞれの思いを句に

託しています。

 

”行行(ゆきゆき)て たふれ伏すとも 萩の原” (曾良)

 

(病身のまま旅立ち、このまま行けるところまで行って

    倒れたとしても本望だ。出来ることなら萩の咲く野原で

    死にたいものだ。)

 

”今日よりや 書付消さん 笠の露”  (芭蕉)

 

(今日からは一人の心細い旅となる。笠の「同行二人」の文字

   を、笠に降りた露で消すことにしよう。)

 

ここ「芭蕉の館」には、芭蕉の奥の細道に関連する資料が展示

されており、芭蕉が滞在した「泉屋」の隣の「扇屋」(泉屋の

主人の桃妖の妻の実家)を修復した部屋もあります。

 

 

 

 

我々のバス旅行は、今晩の宿、ここ山中温泉の中心にある渓谷

沿いの「ロイヤルホテル山中温泉」へ向かいます。 

昨晩は、「ロイヤルホテル山中温泉」に宿泊し、ゆったりと

温泉に浸かり、早朝、もう一度浸かって温泉を満喫

しました。

 

 

(露天風呂:ホテルのパンフレットから)

 

 

朝食を済ませ、徒歩で、ホテルの前にある写真のS字型の

デザインの「あやとり橋」を渡り、渓谷沿いの「鶴仙溪」

(かくせんけい)を散策します。

 

「鶴仙渓」は、大聖寺川の中流にあり、砂岩の浸食によって

数多くの奇岩が見られる景勝地です。

 

この渓谷は、山中温泉の中心街に並行しており、渓谷沿いに

約1キロの散策路があります。

 

 

 

芭蕉は、この鶴仙溪からの風景の美しさに、「行脚の楽しみ

ここにあり」と喜んだそうです。

渓谷沿いには、上の写真の「鶴仙渓川床」が営業して

いますが、未だ準備中でした。

鶴仙渓川床は、川のせせらぎを聞きながら、風情ある川床

セット(加賀棒茶とスイーツ:600円)を楽しめるそうです。

上の写真は「道明ケ淵」で、その昔、この深い淵に、龍が住み

里人を困らせていましたが、道明という僧が、これを退治

したそうです。   

上の写真は「芭蕉堂」で、明治43年、全国の芭蕉を慕う俳人

によって建てられたそうです。

我々のバス旅行は、山中温泉を出て、石川県加賀市大聖寺町の

「全昌寺」(ぜんしょうじ)へ向かいます。

 

全昌寺は、芭蕉が、山中温泉で宿泊した温泉宿「泉屋」の

菩提寺です。

そして、芭蕉は、泉屋に宿泊中に、泉屋の若主人の久米之助

(くめのすけ)に俳句の手ほどきをしましたが、ここの住職

は、その久米之助の伯父でした。

 

 境内には、次頁の写真の様に、芭蕉塚と曽良の句碑が

並んで建っています。

 

”終宵(よもすがら) 秋風聞くや うらの山” (曽良)

 

(別れた師を想い、寝ないで、一晩中、裏山に吹く秋風を

    聞いている。)

 

”庭掃きて 出ばや寺に 散る柳” (芭蕉)

 

(一夜の宿のお礼に、せめて、この柳の葉を掃き清めてから

    出立したい。)

 

 

境内にある上の写真の左側の柳が、その何代目かの柳です。

 

 

 

ここ全昌寺は、1867年に完成した写真の「五百羅漢」が

有名です。

 

 

山中温泉で芭蕉と別れた曽良は、この寺に宿泊し、その翌日、

一日違いで芭蕉が宿泊しました。

芭蕉が宿泊した部屋は、近年新しく修理されたものの、上の

写真の様に、当時の姿そのままで残っていて見学出来ます。

 

我々のバス旅行は、全昌寺を出て、石川県と福井県の県境

にある北潟湖(きたがたこ)の畔の「吉崎御坊」(よしざき

ごぼう)へ向かいます。

 

上の写真は、現在の吉崎御坊です。

(吉崎御坊跡から北潟湖を見下ろす)

 

上の写真は、かっては、北潟湖の畔の小高い丘の上にあった

という「吉崎御坊跡」に建つ「蓮如上人」銅像です。

 

吉崎御坊は、1471年、比叡山延暦寺の迫害を受けて京から

逃れた本願寺の「蓮如」が、浄土真宗の北陸における布教

拠点として建立しました。

 

我々のバス旅行は、吉崎御坊を出て、福井県の北部に位置する

坂井市の「天龍寺」へ向かいます。

 

芭蕉は、天龍寺の大夢和尚を訪ね、寺に宿泊しました。

 

金沢から芭蕉に随行して来た北枝(ほくし)は、いよいよ

ここで別れます。

 

“物書きて 扇(おおぎ)引きさく 余波哉(なごりかな)”

 (芭蕉)

 

(秋になり、夏の間に使用した扇に、何か書き付けて

    引き裂いて捨てようと思ったが、名残惜しくて出来ない。

    ⇒北枝との別れが名残惜しくて出来ないの意。)

 

 

 

 

 

 

 

天龍寺の庭には、別れを惜しむ北枝と芭蕉の姿を表した上の

写真の「余波の碑」や、芭蕉の句が刻まれた次頁の写真の

記念碑、芭蕉塚が建てられています。

 

 

 

天龍寺は、江戸時代初期に、松岡藩主松平昌勝が祖母の菩提寺

として建立したお寺です。

 

歴代藩主、側室の墓所があるほか、松尾芭蕉が奥の細道の道中

に立ち寄ったことでも有名です。

 

天龍寺を出てから、途中で丸岡城に立ち寄ってから、名古屋駅

から新幹線で東京へ帰りました。

 

名古屋(17:39) → のぞみ → (19:20)東京

 

上の絵は、「加賀四湯」の全体図です。

 

(赤丸印=山中温泉、黒丸印=片山津温泉、緑丸印=山代温泉、

青丸印=あわづ温泉)

 

 

 (「芭蕉の館」の展示資料から)


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

ウォーク更家
山中温泉の別れの原因
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、芭蕉は、山中温泉で、何とか曽良の病を癒そうと考えて長逗留したのでしょうね。

しかし、ストレスのもとの芭蕉と一緒では回復しないと悟ったのでしょう、ソラ~哀しかったと思いますよ。
もののはじめのiina
山中温泉の別れ 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/d76751c9126c5a68ab3af8f951747124
奥の細道に連れ立った芭蕉と曽良は、山中温泉で別れたのでしたか。
                 ソラ~哀しかったでしょうね・・・(^_^;)
曽良の快復を温泉で癒そうとしたのですね。


> ブログ内で表形式が必要になったら、これをコピペして、数値や文字だけ置き換えて使わせて頂きます。
一覧にするには、参考のとおり便利です。^^
タグをコピペして <table> の頭のみ大文字にしてますから、 < を < 小文字にすれば使えます。



ウォーク更家
山中温泉の鶴仙渓
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
さすが!、鶴仙渓までよくご存知ですね。

鶴仙渓については、次回のブログで、早朝の渓谷散策の様子をご報告する予定ですので、お楽しみに!
hide-san
山中温泉
https://blog.goo.ne.jp/hidebach/
楽しそうですね。
山中温泉では、鶴仙渓を歩かれましたか?
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「街道歩き」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事